act.8 天国 (2)
やがて、お父さんの唇にほんのりと微笑が浮かんだ。これから会える新しい妻、イユイのことでも考えているのだろうか。僕も瑠果に会うのがいつもすごく楽しみだから、その気持ちはわからないでもない。
「ねぇ、僕と瑠果って、真印の子どもなんでしょ?」
お父さんは僕の顔を見て、やや迷惑そうな表情になった。たぶん僕は、少し意地悪な質問をしたんだろう。もちろん確信犯だけど。でも、そのあたりのことをちゃんと知りたいのも事実だ。
「彼女の話はやめてくれないか。後悔したって、過去は変えられないんだ」
「僕には知る権利があると思うんだけどな」
窓辺のテーブルスペースに置いたバナナミルクのパックを取り、ストローを咥えた。お父さんは「それもそうだ」とつぶやき、それから思いついたようにこう言った。
「じゃあ、メガロの病院でルカが起きたら、一緒に話そう。二人とも、自分の出生を知る権利があるし、もう話してもいい年頃だろう」
それは素敵だ。僕は嬉しくなり、思い切り大きな声で返事をしようとして、勢いよくバナナミルクを吸い込んでしまった。苦しい。「ミカ、大丈夫か」と訊ねるお父さんに、片手をあげながら照れ隠しに笑ってみせた。彼は安心したようで、また窓の外へ目をやり、物思いに耽り始めた。
『あと十分で、新東京市に到着です』
爽やかな女性の声で放送が入った。お父さんは、長い階段を昇り続けてやっと天国の扉を前にしたような、本当に嬉しそうな顔をした。目が合ってすぐに、僕も自然な微笑みを返すことができた。
きっと僕はこれからも、こんなふうに上手に笑える。そう、父さんの新しい妻になる人にだって。たとえそれが鬼みたいな奴だろうと、どんな嫌味な人だろうと、あいつよりはずっとマシだ。
あいつ。高田ジニウス。僕も瑠果も、あんなやつ大嫌い。何が天才だ、くそったれの変態野郎! 最初は、瑠果がなんで彼を嫌うのか全然わからなかったけど、あんなことになるまで気づかなかった自分が、今は悔しくてしょうがない。
高田の澄ました顔を思い出したら、ムカついて吐き気がしてきた。あいつと手を繋いだこともある、背中を撫でられたこともある。その呪わしい過去の記憶を鮮明に思い出してしまい、全身をかきむしりたくなった。
フスッと間抜けな音がした。ストローから出た空気の音だ。ふと気づくと、右手の中にあるバナナミルクのテトラパックを、危うく握り潰しそうになっていた。僕はひらたく息を吐きながら、ゆっくりと指の力を抜いた。せっかくお父さんが買ってくれた上等の服を、バナナミルクまみれにしてしまうところだった。
車両のドアが開き、ちょうどよく販売用巡回マシンが入ってきた。僕は左手を挙げてマシンを呼びつけ、カートの下についているトラッシュボックスにパックを捨てた。もうすぐ駅に着くというのに、お父さんはなぜかホットコーヒーを注文した。もしかして、浮かれているのかな? マギは嬉しいことがあったりすると、たまにそういうチグハグなことをする。
アガサとマギのことを思い出したら、鼻の奥がきゅっと締まるような感じがした。三羽鴉が一羽はぐれて、あいつらは二羽、僕は一羽になったんだ。




