38話 地底の星に、ブーゲンビリアの花束を
猫に化けた生き物と、地の底を目指した冒険家。『狐と宇宙飛行士』とは違い―彼らは互いに寄り添って、そして愛を知った。ショートショートと呼ぶには、オチが弱い気もするが―そもそも半日近く駆け回ってヘトヘトなのだ。これがショートショートであるものか。
「そもそも、振り返ってたら故人は蘇らないのに。過去を振り返るのはどうかと思うの」
疲れもあり、無神経なギリシャ神話ジョークを炸裂させた海咲。そんな彼女の前に、盆栽が置かれる。風情を感じさせるその美しい湾曲具合に、海咲はうんうんと頷いた。
「結構なお手前で」
「飲んでから、言って」
「店主さん、これ飲みかけですよ。木の」
「この星、全ての、水が、そうよ」
日曜日の昼下がり。海咲はいつものカフェに、一人訪れていた。急用が出来てしまったマゼンタに頼まれ、魔法植物の苗を受け取るためだ。引渡しの準備はもうすぐ終わるようだが、どうせなら―と彼女は少しお茶をすることにした。
思えば、もう三日も前の話だ。このテーブルで、私たちはダンテと出会った。尊大で、大仰で―かと思えば冷徹で。しかしその本質は、誰よりも情熱的な―愛の男。彼は無事に、煉獄に流れ着いたのだろうか。
「それで、これは?」
少し物思いに耽りながらも、彼女の意識は現実へと戻ってきた。何度瞬きをしても、目の前に盆栽が鎮座しているようにしか見えなかったからだ。
「新商品、よ。見て、いて」
自信満々に胸を張ると、彼女は指をパチりと鳴らした。すると、どうだろうか。親元の合図を受けた盆栽は、ふわりと花開く。その花には、海咲も見覚えがあった。
「…あの、店主さん。ハーブティーのティーの部分が、エンプティなのだけれど」
盆栽は赤い花―正しくは、葉―を咲かせたが、代わりに大きなポットに並々と注がれていた水分を、全て持って行ってしまったようだ。海咲の指摘に、カイネは目をぱちぱちとさせた。
「失敗、してしまった、わ。ごめんなさい、淹れ直す、ね」
困ったような様子のカイネ。そんな彼女の様子を一瞥すると、海咲は目の前の盆栽に視線を移した。燃えるような赤い葉の中に、三つの白い花弁が寄り添いあっている。それはまるで炎に包まれているようで―それでいて、苦痛を微塵も感じさせない。
「…お茶は淹れ直して。それよりも―」
海咲はくすりと笑って、花束を指さした。
「―これで一つ、包んでいただけるかしら?」
炎の逆巻くその世界は、煉獄と呼ばれていた。それは、地獄に堕ちるまでもなく―そして、天国にも至れないクライン教徒が向かう、狭間の地。揺らめく焔が魂を浄化し、死者たちは最後の審判を待つ。
「…様。ダンテ様」
遠く、声がする。失意の中の自分を、ずっと支えてくれた声だ。
「…ローズ」
「ダンテ様!」
ダンテは体を起こし、ローズの華奢な姿を抱きしめた。毛皮に覆われた体にしては、少しひんやりとした体温は、メタブルー特有のものだ。いずれにせよ、この焼け付くような世界には、彼女の手触りは重宝するだろう。
「…こんな奇跡も、あるのだな。ネーフェサ」
「ええ、ダンテ様。お傍におりますと、申し上げましたでしょう」
彼は十字を切ると、ローズのことを慈しんだ。彼女とは、同じ死後の世界には行けないものと思っていた。しかし、どうやら―奇跡が起きたようだ。
ダンテは周囲を見渡した。眼前には、地獄のような光景が広がっている。溶岩の海、切り立つ岩山。からからに乾いた喉を、潤す水があることを願いたい。
地獄に行くのも当然か、と彼は苦笑した。何せ自身は、軍人として多くの血を流し、そしてイリスの民を害そうとしたのだから。
「ここは、地獄か?」
ダンテの問に、彼女は首を振った。
「煉獄でございます」
煉獄か、とダンテは思った。煉獄とは、地獄に行くほどでは無いが、天国へは昇れない―そのような『普通』の人間が、炎による浄化を受ける世界である。まさか自分のような極悪人が煉獄に行けるとは思わなかったが―今は、その奇跡に感謝したい。ダンテはそう思っていた。お陰で、愛するローズと共に生きることができるからである。
「行こう、マイ・レディ。ここは私たちには暑すぎる」
彼の言葉に、ローズは再び首を振った。
「いいえ、ダンテ様。ここで待ちなさいと、仰せつかっておりますので」
仰せつかる、か。君は私の召使いだったはずなのだが。一体誰が、君に命令をしたのかね。
ダンテはそう言いかけて、苦笑した。どうやら、自分は他人にローズを使われて、嫉妬しているようだ。
「…っ」
そこまで考えて、彼ははっとした。そして、彼はローズの方を振り向いた。
いる。いるのだ。この世界に私を除いてただ一人―ローズが傅いていた、女性が。
ぶおん、と。辺りに、重い音が響いた。何かが、近づいてくる。重厚なエンジンの音を響かせて、赤毛の魔女の運転よりも、遥かに荒いハンドル捌きで。土煙と共に丘を飛び越えて、武装したトラックが現れる。排気ガスを撒き散らし、槍と炎を装備したそれは、まるで世紀末の雰囲気だった。
その運転席には、一人の猫が乗っている。サングラスを掛けている彼女は、ローズと同じ青白い毛並みの、色艶のよいウルタリアン。ひと目で分かる美人―美猫で、ローズと同じ華奢な体つき。否―ローズが、彼女を真似ているのだ。
「御機嫌よう、タンポポ男。お届け物よ」
夢にまで見た、その姿。強気な声、鋭い眼差し。服装こそ粗末ものを着ているものの、その気品は全く損なわれていない。嘗ての亡き妻の姿をした彼女は、赤い花束を抱えてトラックを降りると、それをダンテに手渡した。
「カミーユ、なのか…?」
花束を受け取り、彼は亡き妻の名を呼んだ。ダンテの声には応えず、彼女―カミーユはくすりと笑うと、ローズに手招きした。
「ふん。来なさい、ローズ。そんな女々しい男、置いていきましょう?」
女々しい―。彼女の言葉は尤もだ。いつの間にか、ダンテはへたり込んでいた。その瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。
ああ、なんという奇跡だろう。これを奇跡と呼ばずして、何と呼べば良いだろう。彼女は、ここにいた。そして私も、ここにいる。
駆け出したダンテによって、花束から赤い葉が舞い散った。それは煉獄の火の粉と混ざり合い、そして彼らを温かく包み込んだ。
「カミーユ!」
もう二度と、離すものか。ダンテは、カミーユを抱きしめた。自身の名を呼んだ夫を、妻は優しく抱き返した。そして、優しくキスをする。
「…嘘よ、私のダンテ。愛しているわ」
そう言って彼女は、微笑んだ。飾らない、真っ直ぐな言葉。ローズは敵わないな、と思った。そんなローズの視界は、ぐるりと回転した。ダンテの大きな手が、彼女のことも抱き寄せたからである。
赤い火の粉の散る中。三人のウルタール人は、抱き合っていた。少し苦しそうに、ローズが身動ぎをする。しかし、彼女は―幸せそうに微笑んでいた。彼女の表情に口元を緩めると、カミーユは夫にお礼を述べた。
「…私のために、ローズ諸共イリスに風穴を開けようとしたのでしたっけ?ふん、タンポポ馬鹿の考えそうなことですこと。まあそうね―少しだけ、嬉しかったわ。ありがとう」
彼女は大人気なく泣いた大きなライオンをあやしながら、笑った。そして、ダンテの手をグッと引きよせ、手首に嵌められたリングを投げ捨てた。泣きじゃくる獅子の手には、心を磔にする錆び付いた篭手は、もう必要ないからだ。
「行きましょう。煉獄を案内してあげる。紹介したい友達が、沢山いるの―」
三人を乗せて、トラックが走り出す。窓ガラスのない、吹き曝しの後部座席には、ダンテとローズが座っている。そして彼らの間には、赤いブーゲンビリアの花束が置かれていた。ダンテはふと気がついて、花束を抱えた。送り主は不明、しかしよく見るとリボンの裏側に手紙が縫い付けられており、記名なき花束の送り主から、コメントが入っていた。
『お饅頭のお返し。海咲より』
そう言えば、奢ったな。中身のない―良く言えば飾らない一言に、ダンテは思わず笑ってしまった。
トラックは煙を噴き上げて、燃え盛る炎を掻き分ける。
目的はなし。行き先もなし。しかしダンテには、愛する者があった。
「ずっと一緒よ、ダンテ」
「私も。お傍におります」
「…私もだ。愛する妻たちよ」
三人の猫たちは―この広く過酷な世界を駆けて行く。しかしその未来は、眩いほどに輝かしいものだ。灼熱の溶岩が吹き出す地の底、燦然と輝く三つの星は、寄り添うように旅立った。それはまるで―赤く気高い、ブーゲンビリアの花のように。




