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30話 心縛呪釘<ラスティ・ネイル>

 監視室。白磁器のようだった清潔な壁は、黒く焦がされていた。青いシルエットに向け、海咲は熱線を放つ。青い軍服―ダンテはそれを、ひらりと避ける。


 ネコ科の筋肉の密度は、他の哺乳類に比べて高い。それ故に、彼はその巨体にも関わらず俊敏な挙動を見せていた。


「十劫 雷迎 盲冥の彼方」


 自動追尾の魔術弾を弾幕のように射出すると、海咲は両手にワルサーを構えた。そしてそれを、円環のように分裂させる。


「有量の諸相尽く―その一切合切を棄却する。簡易詠唱―『紅蓮巡錫』!」


 九つの弾丸が、青白い尾を引いて放たれる。ダンテは三つを叩き落としたが、残りの六つを避けきれなかった。弾丸の軌道は、巡礼者の如く。不規則に変動し、歪曲し―そして全て同じ位置に収束する。


「ぐっ…」


 胸に一撃を受けたが、問題ない。しかし―ウルタール最高の耐魔術兵装が、斯くも容易く焼き切られるとは。


 魔術と反応して融解した軍服を一瞥し、ダンテは唸った。距離を取られては敵わない、正に騎虎の勢い―彼は猛獣のように踊りかかった。


 対する海咲は、舌打ちをした。全弾当たれば、心臓ごと蒸発させられたのだが。


 それに、この果敢な攻めである。距離を詰められては、敵わない。海咲は震電―翼を広げると、縦横無尽に駆け巡った。しかし狭い室内では、逃がれられる範囲は限られている。切り降ろされた爪の一撃を魔術弾でいなした彼女は、そのまま彼の鳩尾に向けて力任せの蹴りを放つ。


 爆発と共に噴き出した魔力に、ダンテは吹き飛ばされた。しかし彼は、大振りなキックで体勢を崩すその隙を、見逃さない。


「『心縛呪釘(ラスティ・ネイル)』」


 ダンテは篭手を突き出した。海咲はそれを、間一髪で避ける。錆びついた爪は、海咲の体には触れず―しかし海咲は小さく悲鳴を上げた。


 胸部に鈍痛。魔術的な解呪も効かず、何を食らったのかも分からない。海咲は血を吐くと、自身に回復魔術を行使した。その勢いのまま、痛覚の一部を遮断する。


 彼女は、攻めあぐねていた。最初こそ、『ネコ科の筋肉は速筋』『猫ちゃん息はぁはぁで草』―などと甘い考察の元、持久戦を試みたのだが、それが失策だった。まんまとダンテのペースに飲まれて、このざまである。


 それに、彼女の切り札である『裂衝(アグネーアストラ)』も、この閉鎖空間では使えない。超大火力をこのような狭い場所で放とうものなら、誘爆によりダンテの企みを助長することになる。


「苦しいだろう?それが、私の心の痛みだ」


「…っ」


 海咲は、この苦しさを知っていた。胸をきりきりと苛む、この鈍痛を。物理的な痛みよりも、寂しさと虚しさが込み上げてくる。自傷行為にも似た、辛く疼く心の痛み。その疼きは、今なお薄く残る、彼女の手首の切り傷に似ていた。


「この辛さを―他人に味合わせたいの、貴方は」


「いいや。この辛さから解放しようというのだ」


 話が噛み合わない。当然か、と海咲は思った。彼は本当に、地獄から故人を蘇らせられると信じているのだ。だからこそ、誰かに想われている自身や部下たちの命を、省みることをしない。そして、彼らの無事を祈る人々の、心の痛みも。


 爪を振りかぶった彼に、海咲は魔術的な盾を構えた。猛獣の膂力で振るわれたその一撃は、海咲を壁まで吹き飛ばした。


「―ぐぅ…っ!」


 肺の中の空気が抜けていく。呼吸が苦しくなり、思考回路が悲鳴を上げる。ダンテは、爪を振り抜いた。風切り音と共に、海咲の体は壁に縫い付けられた。


 腕に、足に。ずきずきと疼くその痛みからは、彼の冷え切った心が伝わってくる。


 何も刺さっていないはずなのに、海咲は動けなくなった。それはまるで、心を縛る見えない釘に、縫い止められてしまったかのように。


「貴様の気持ちも理解できるぞ、海咲。友を守りたいのだろう、分かるさ。無力とは、苦しいものだ」


 ダンテは、もがく海咲の胸に、錆びた爪を押し当てた。


「安心しろ。あの世での苦しみは、長く続かない」


 そして、彼は爪を突き刺した。ゆっくりと、じっくりと。自身の『胸の痛み』を伝えるように、海咲の中に爪を沈めていく。苦痛に顔を歪めて悲鳴を上げる海咲に、ダンテは言い放った。


「貴様は直ぐに、友に会えるだろう」


 だから、と彼は言葉を続けた。


「もう、邪魔をするな」


 血が噴き出して、海咲は体をだらりと落とした。びくびくと淫らに痙攣するその体からは、精気が抜けていく。動かなくなった彼女に黙祷を捧げると、彼は踵を返し、少尉に連絡を取ろうとした。


「…待ってよ」


 その背後で、炎が燃え上がる。生命活動を完全に停止させたはずの海咲の体は、発火していた。


「まだ続けるか?」


 呆れた顔をして振り返ったダンテに、海咲は問いかけた。


「…メタブルーは、地獄に行けるの?」


「…何が言いたい」


「そのままの、意味だよ」


 再び精気を取り戻した海咲の瞳は、決意に満ちていた。見えない『釘』によって穴だらけにされていた彼女の体は、元通りになっていた。彼女はまるで不死鳥のように―火の粉を放ちながら、立ち上がる。そして、赤い粒子を振りまきながら、その機械仕掛けの翼を広げた。


「カミーユさんに会いたい気持ちは、よく分かった。でも、貴方を想う人の気持ちを、無視していいの」


「…分かったような口を」


 それまで冷静だったダンテは、初めて不快そうに眉を顰めた。そんな彼の様子に、海咲は憤った。


「鈍感な振りしてんなよ、タンポポ」


「賢しいだけの小娘が。誰かを―愛したこともない癖に!」


 怒号と共に、ダンテは突貫した。彼に呼応するように、海咲も飛翔する。魔術弾と不可視の釘が交錯し、白い部屋に火花が散った。




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