3話 愛すべき仲間たち
翌日。空は、澄み渡っていた。イリスの今日の天気は晴れ、晩夏にしては涼しい日であった。
昨晩の停電は長引いたようだが、幸いにも停電がアダチタウンの一区画以外に広がることはなかった。お陰で海咲は、寝苦しい夜を過ごさずに済んだ。
海咲は帰り道に買ったタピオカ・ドリンクを片手に、機械仕掛けの鉄の棒―正しくは『箒』―に跨っていた。彼女の翼―魔女箒『震電』は、フレームに流体金属を用いた特殊品。本来の姿は此方で、昨日見せた翼の形態は流体状のフレームが変形した姿である。
彼女は震電の背面ブースターを吹かすと、列を成す六本足の乗用車の上空を悠々と飛行する。視線の向こう、大通りの先にロシアの宮殿のような、ピンク色の可愛らしい建物が見えてきた。
学校終わりの海咲は、黒いセーラー服に身を包んでいた。水曜日の昼下がり、インターンのある生徒は午後の講義を免除される。海咲も、その一人であった。ただし本日の日直になっていた彼女は、昼休み中に日誌を片付けてから学校を出なければならなかったのだ。このまま行くと遅刻が確定してしまうので、彼女は少し慌てていた。
石畳の上に着地すると、海咲は震電をペンダントに格納した。玩具のように態とらしいハートのペンダントは、彼女の親友がプレゼントしてくれたものだ。
「守衛さん、こんにちは」
「うわん!!!」
「はい鼓膜なくなっちゃった。あーあ」
守衛―妖怪『うわん』に挨拶をすると、海咲はそそくさと門をくぐる。ジェットエンジン並の超大轟音で『うわん』と叫ぶだけの謎妖怪に構っていると、時間と鼓膜がいくらあっても足りなくなってしまう。
海咲は懐からIDカードを取り出すと、ゲートの中に入る。丸みのある、まるでお菓子で出来た宮殿のような外装とは裏腹に、内装はシンプルで無機質だ。少し駆け足で、調度品の一つもない、ガラス張りの廊下を抜けた先。扉の上に『執行部』の文字が浮かぶ部屋に辿り着く。霧状の文字列は海咲が扉を開けるとふわりと歪み、そして直ぐに元通りになった。
「ふぉ」
扉の奥は、広いオフィス。人影は疎らで、デスクには空きが多い。窓際に座っていたカニのような宇宙人が、海咲を見るなり鳴き声を発した。
「ふぉっふぉ」
その様子を見て、海咲はダブルピースをしつつ朗らかに返事をした。
「ふぉっふぉっふぉっ」
にこやかに笑った―ように見えたカニに、海咲は笑顔を返した。
「日本語でおkです、部長」
愛想だけは素晴らしい―満面の笑顔でそう宣うと、海咲は自身のデスクに荷物を下ろした。部屋の隅、四つのデスク。ファイル置き場と化している一つを除いた三つが、海咲たちインターンのための座席である。残りの二人は、既に来ているようであった。
がちゃりと扉が開き、二人の少女が現れる。海咲は、彼女たちの姿を認めるなり手を振った。いなりとマゼンタ、二人とも海咲の気の置けない友人である。
「海咲さん、お疲れ様です。お昼は取られました?」
「ううん。日誌書くので精一杯で、お腹ぺこぺこ大回転の舞」
「そう思って、今買ってきました。どうぞ」
そう言って海咲にサンドイッチを差し出したのは、病的に細い小柄な少女。彼女は現世フランスの由緒正しき家柄の出で、名をマゼンタ・デエーといった。少し目の下にクマが見える彼女の双眸は、妖しい輝きを放っていた。生真面目な彼女のデスクの上はきちんと整頓されており、デスクの横には黒いとんがり帽子が掛かっている。
「たすかる。ありがとマゼンタ、私これ好き」
「好き!!??!!?!」
ぶしゅう、と煙でも吹きそうなくらい頬を紅潮させたマゼンタは、突然の推しのファンサにひっくり返った。彼女の髪色は目の覚めるような緋色だが、彼女の顔色はそれよりも遥かに赤かった。
因みに発端となった海咲は、マゼンタの奇行を完全に無視した。彼女は危篤状態のファンガールに一瞥もくれることなく、黙々とサンドイッチのフォルムを剥がす。
「こーら、マゼ子。大きな声出さないの」
そんな彼女を窘めたのは、海咲とは色違いの白いセーラー服を纏った少女。名前を、ゐづないなり。背丈は、海咲の肩くらい。好物である油揚げと同じ色の髪に、ぴょこりと飛び出た狐の耳。もふもふと腰から揺れているふわふわの尻尾は、九つに分かたれていた。彼女は席に着くなりごそごそと荷物を漁り、ペットボトルのお茶を海咲に渡した。
「はいこれ私から」
「ありがと、おいなり。かたじけない」
「抜け駆けですか!??!?」
「マゼンタ、うるさい」
インターンが揃ったことを確認して、副部長がするすると這い寄ってくる。彼は中年に差し掛かった働き盛りの男性で、尻尾が九つのいなりとは対称的に、九つの首を有していた。ヒドラ―九つの首を有する大蛇、それが『他人の九倍働く男』―執行部副部長の名前であった。