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26話 『汝等ここに入るもの、一切の望みを棄てよ』

 『プロメテウス』地下六階、最深部。無機質な白い壁に囲まれた部屋に、エネルギー炉が鎮座している。それは大気中からサイクロトロンによる脱霊子技術で霊的エネルギーを抽出する、最新鋭の装置であった。その内部にはイリスの街を数日稼働させるだけの莫大なエネルギーが貯蔵されており、一度完全に制御不能となれば数キロに渡る岩盤を吹き飛ばすほどの力を秘めていた。


 それは言わば、地獄の門に対する『マスターキー』。使用されれば、間違いなく地獄の門が開かれる。


 そしてそのエネルギー炉の真上、床の全てが強化ガラスで覆われた監視室には、二つの人影があった。一人は、大柄な獅子にして、元陸軍大佐。もう一人は小柄な猫の女性。彼らは無言のまま、機械の前に立っていた。


 制御自体はコンピュータで行われており、上階のサーバールームから操作されていた。既にあらゆる権限はイリスの中枢に移管され、エネルギー炉はリモート操作されていた。


 だからこそ。ダンテは手ずから、強化ガラスに爆弾を取り付けた。これが起動すれば、床が落ちてエネルギー炉が剥き出しとなる。その状態で爆弾により上階を落とせば、エネルギー炉は瓦礫の下敷きとなり、如何に強固に守られていたとしても衝撃により爆発するだろう。プライベートジェットの火砲があれば、このように煩雑な手段は必要無かったのだが、撃墜されてしまったものは仕方がない。


「…カミーユ。もう少しだ、もう少しで、君に―」


 そう呟いたダンテを、ローズは見つめていた。物静かに、そしてその心の中では、めらめらと炎を燃やしながら。ローズは、ダンテの手を取った。そしてぎゅっと、抱き寄せる。


「不安か、マイ・レディ」


 こくり、とローズは頷いた。彼女は無言のまま顔を上げると、ダンテの瞳を見つめた。


「大丈夫、上手くいくさ。私はここで死ぬだろうが―目を覚ませば、煉獄にいる。そして煉獄からは、星空が見えているはずだ」


 彼ら『ソルダ・デ・モール』は、帰還のことを全く想定していない。自身諸共プラントを爆破させ、地獄から蘇る。それが、彼らのプランであった。外殻(肉体)は滅びてしまうが、代わりは作り出せる。本国からメタブルーを送ってもらえば、それを外殻として転用することが可能だからだ。彼らは既に、全員自身や蘇らせたい相手のコピーを用意していた。


「残り、一時間を切った。イリスの民には気の毒だが―悪いが、我儘をさせてもらおう」


 懐中時計を見て、彼は決意に満ちた瞳でエネルギー炉を睨んだ。


「地獄の門は、必要ない。我々は、死を超越するのだ」


 ローズにそう言い聞かせ、彼は顔を上げた。その時だった。ダンテが所持していた電話が鳴り響く。ダンテは手より遥かに小さなその端末を器用に操作すると、空中に八枚の花弁が広がった。その内の一つを開き、彼は部下の報告に耳を傾けた。


「ダンテ様、報告です。公安共の遺体を放置していた地下三階で、暴動が発生しました。『遺体が襲ってくる』との報告が上がっています。恐らくは―」


「マゼンタ・デエーか。確実に殺した筈だがな」


 赤毛の魔女。やはり、死霊術師は『死』を操る術に長けている。旗色の悪さを感じ取り、自身を仮死状態にした―粗方、そのような手品を使ったのだろう。


「爆弾の設置は何割終わった?」


「九割を超えています。け、計算上は、この状態でも炉を破壊可能ですが―」


 尉官は声を上擦らせた。プラントと道連れになることは理解していたものの、蘇る保証はない。いざ死ぬとなると、尻込みをしてしまうのは仕方がないことだ。ダンテはそれを察して、何も言わなかった。


「…分かった。取り敢えず、三階は制圧しろ。爆弾の設置が終わり次第、起爆する」


「承知しました」


 敬礼をして、少尉は通話を切った。ダンテは、大きく息を吐いた。イリスに通告した時間より、一時間早くなってしまったが、彼は爆弾を起爆するつもりだった。三階の暴動に乗じて、イリスから邪魔が入らないとも限らない。それに、デミ・ショゴスの残党の動向も気になる。施設に隠した奴らの卵ごと、早急に纏めて焼いてしまおう―彼はそう思い、懐から起爆スイッチを取り出した。


 安全装置を外し、グリップを握る。あとは、ボタンを押すだけである。自身を強く抱き締めたローズに手を添えて、彼はスイッチを押し込んだ。


 しかし、スイッチのカチリという音が鳴る前に、それは床の上を転がった。ダンテの死角から打ち出された魔術弾が、彼の手からそれを吹き飛ばしたからだ。


 痛みを訴える手を見つめた後、彼は振り返った。純白の監視室に於いて、異質な黒色。厚底ブーツの音を響かせて、その少女は現れた。


「随分と、地獄にご執心なのね」


 艶やかな黒髪に、ビビット・ピンクのインナーカラー。執行部のエージェント―花崎海咲である。


「地獄観光、そんなに楽しかった?」


 揶揄うように微笑んだ海咲の両手には、ワルサー<銃>が握られている。


「ああ、堪能させて貰ったとも」


 壊れてしまったスイッチを一瞥して、彼は溜息をついた。そして、両腕に付けられていたリングを打ち合わせる。リングは瞬く間に変形し、彼の拳を包み込む篭手となる。篭手からは、日本刀を思わせる、三本の刀身―長爪が伸びていた。


「二度と釜茹で饅頭が食べられなくなるのは惜しいよ」


 そして、彼は拳を握り締めた。彼の決意に呼応するように、爪は赤い錆に包まれた。


「…どうしても、諦めてはくれない?」


「ああ。私には、命を捨ててでも会いたい人がいる」


 ダンテは、決意を込めてそう述べた。彼の気持ちが波涛となって、痛いほど伝わってくる。海咲は、少しだけ目を伏せた。


 彼女にも、命を捨ててでも会いたい人がいる。今は何処にいるのかも分からない、大切な人が。だからこそ、海咲にはダンテの想いが理解できた。それ故に、彼女はダンテに挑む覚悟を決めることができた。


 彼の主張は、正しいと思う。イリスの民だけが、『死』を楽観視できる。それは、健全とは言い難い。


 しかし、それを正す為に自身の友人を、マゼンタを犠牲にすることは、彼女の心が許さない。


「じゃあ、地獄に送ってあげる」


 故人に会いたいなら、まずお前が死ねばいい。私の友人は、誰一人として奪わせない。


「彼女の―カミーユのいないこの世こそが、私にとっての地獄だよ、レディ」


 友達を助けるためなら、他人の願望を踏み躙る。そんな海咲の邪な決意を感じ取り、ダンテは武器を構えた。


「…ローズ。三階の動乱を食い止めてくれ。道理を知らん小娘は、ここで私が食い止める」


 白い猫は頷いて、奥の扉に消えていった。ダンテはそれを見届けて、海咲に肉薄した。


 最早、対話に意味は無い。これは、互いの我儘のぶつかり合いだ。『勝てば官軍』―勝利した方が、願いを叶えられる。シンプルでいい、とダンテは笑った。


「始めようか―殺し合いを!」


 『汝等ここに入るもの、一切の望みを棄てよ』―そう銘文が刻まれた地獄の門の上―最後の決戦の火蓋が、切って落とされた。




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