23話 大事な友達だから
メタブルーたちは、駆けていた。馬に、犬に、鳥に姿を変えて、一心不乱に走っていた。話が違う、と彼らは喚き、泣き、憤る。『仕事』を終えれば―可愛い我が子たちを解放してくれる、あの男は確かにそう言ったはずだった。しかし、彼らの卵は依然としてプラント内にあり、そしてダンテは人質ごとエネルギープラントを爆破するという。
必死の形相でイリスの街を駆ける彼らの周囲には、人影がなかった。自らの命と引き換えに『大演技』に臨んだ同胞たちの影響で、人払いが成されていたからだ。
傾き始めた太陽は彼らの様々なシルエットを同じように引き伸ばし、地面に焼き付けていた。そんな影の中に、大きな翼が映り込む。それは馬よりも速く、犬よりも機敏で、そして巨大な鳥だった。
「そんなに急いで、何処へ行くの?」
空から舞い降りた地雷系女子<花崎海咲>は、翼を広げてメタブルーたちの進路を塞いだ。たたらを踏んだ彼らを、海咲は見つめていた。
「また、邪魔をするの?」
そう言葉を発したのは、白い猫。海咲が最初に出会った、メタブルーであった。彼女―或いは彼の言葉に、海咲は首を振った。
「ええ、このまま逃げようとするのであれば。でも、そうじゃないんでしょう?」
敵意を剥き出しにした白猫をからかうように、弄ぶように。艶然と微笑んで、そう言い放った海咲に、白猫が威嚇するように鳴いた。そんな猫を諌めると、先頭を走っていた黒馬が、一歩前に進み出た。海咲はその堂々とした振る舞いに見覚えがあった。先程自身に異文化交流を試みた、リーダー格のメタブルーだ。
「我らはプラントに戻る。我々の卵が、彼処にあるのだ。ダンテは、大事な我らの子孫ごと、プラントを焼こうとしている」
落ち着き払った彼の様子に、海咲は口元を結んだ。
「それは大変。プラントに、卵―もしかして、人質に取られていたってこと?それで、命令に従っていたと」
先程、メタブルーはプラントの襲撃がダンテに命じられたものであると証言した。『なるべく苦しんで死んでこい』、などという命令には、誰しも従いたくないものだ。そこでダンテは、卑劣にも人質を用意した。俄には信じ難かったが、今となっては信憑性が高い。
海咲の問いに黒馬は首肯すると、足を鳴らした。他のメタブルーたちも、そわそわとしているようだ。海咲はそんな彼らに、滅多に見せない真剣な表情で尋ねた。
「…ねえ。私が貴方たちの仲間を殺した、って言ったらどうする?」
問いかけの意味を察して、黒馬は嘶いた。
「…存じている。しかし我々は一にして全、全にして一。同胞の肉体は死んだが、彼らは今もここにいる」
生命活動の停止こそあれど―彼らメタブルーに『死』という概念はない。彼らは互いに溶け合い、身を寄せあい、互いの意識を包括する。死してなお、彼らは彼らの内に秘められた、広大な銀河<情報空間>を漂う星になるのだ。
だからこそ、貴女を許そう。そう述べた彼に、海咲は手を差し出した。突然握手を求められ、彼は困惑した。そんな彼に、海咲は一歩間を詰めた。そして、決意に満ちた表情と共に、手を強く突き出した。
「できれば、手を組みたい。どうしても助けたい人が、プラントに取り残されてる」
マゼンタの安否がどうであれ、海咲はどうしても彼女の体だけは回収しなければならなかった。
妖怪や神霊などと違い、生物学的な進化を遂げた生命であれば、魂は内核と外殻に分けられる。そしてこの世界に於いて、デカルトの心身二元論でいうところの肉体に相当するのが、魂の外殻である。更に死者を蘇生する場合、必要になるのが魂の容れ物―外殻であり、これを完全に損失した場合には、幻夢境であっても死者は甦らない。従って、海咲はマゼンタの体を回収することに固執していたのだ。
「…承知した。手を組もう」
ざけんな、と叫んだ白猫を制して、黒馬は頷いた。そして海咲の姿を借り、手を握り返した。自分と握手するのは初めてだ、などど海咲は思った。
それにしても私の手、細くて綺麗で可愛すぎないか?私が殺人鬼だったら切り取って保存してると思う。そして百年後には美少女のミイラとして国立博物館に展示されてしまうだろう。美少女の悲しい性だな。美少女税だ。
「ありがとう。じゃあ私も御一緒して…」
「ダメだよ」
自分のコピーと上機嫌な握手をした海咲に、冷水のように浴びせられた声。海咲は言葉の主の方へ視線を向けた。じりじりと照りつけるような太陽より、眩しい金髪。そこに立っていたのは、ゐづないなりだった。
「あ、おいなり」
能天気に自身に手を振った海咲の頬を―彼女は思い切り叩いた。夏空の下―青天の霹靂に、海咲は固まった。現状把握を放棄して、困惑に満ちた視線を向けた彼女に、ゐづないなりは吐き捨てた。
「いい加減にしてよ!」
友人に怒鳴られて―漸く海咲の意識は現実に追いついた。
「明らかに、インターンの域を超えてるよ!」
捲し立てるように、必死に。いなりは、そう叫んだ。彼女は海咲の腕を掴んで、ぐいと引っ張った。その様子はまるで、駄々をこねる子供を叱る、母親のようだった。
「ね、あとは他の人達に任せよう?ここなら、軍隊だって―」
「私は、マゼンタを見捨てられない」
いなりの提案に、海咲はそう反論した。彼女は自身の姿をしたメタブルーに、先に行くよう目配せをした。大きく頷いて、黒馬が駆け出した。残りの面々もその後を追う。あとには、二人の少女と蝉の声だけが残された。
「やめてよ!私は見捨てようとしている、みたいな言い方」
「そうでしょ。私、いなりちゃんがそんな冷たい人だと思わなかった。もう、いいよ」
ふい、と顔を背けて飛び上がろうとした彼女に、いなりは巻きついた。彼女は大蛇に化け、海咲の翼を押さえ込んだのだ。突然のことに驚いた海咲は、そのまま地面に叩きつけられた。ぎゅっと体を押さえつけ、いなりは言葉を続ける。
「…『あの時』は上手くいった。でも、『あの時』は上手くいかなかったでしょう?いつだって無事に帰れるとは限らない!」
だから、もうやめてよ。そう叫んだいなりを、海咲は振り払った。翼を箒に戻して、自身を鱗の隙間から抜き出させ、強引に空に駆け上がったのだ。重力と慣性に引きずられ、いなりは地上に取り残される。
「…だから、私一人で行くんでしょ。…心配してくれてありがと。副部長たちに宜しく」
小さく微笑んで。海咲は空の彼方に消えていく。一瞬の間に、彼女の姿は見えなくなった。傾き始めた太陽は、少女の姿に戻ったいなりの影を、細く長く引き伸ばしていた。
「バカ。本当に、大バカ。人の気も知らないで。そんなに死にたきゃ勝手にしろ」
だん、と地団駄を踏んで、彼女は歩き出した。海咲とは、逆の方向である。
『あの時』。瀕死の自身とマゼンタを庇い、海咲が命を懸けて怪物を倒した、あの時。
『あの時』。海咲の大切な友人を助けるために、皆で遠い星の彼方に向かった、あの時。何もかもが失敗して、皆死にかけて、そしてどうにか生き残った、あの時だ。
一度目は、上手くいった。二度目は、何とか生き延びた。なら、『正直』で有名な三度目は―。
「…っ」
大バカは、私も同じか。
「ほんと、バカ。せめて―『手伝って』って、言ってよ…っ!」
いなりは踵を返し、走り出した。晩夏、蝉の声が響く、夕暮れの街道であった。彼女は携帯電話を取り出すと、電話をかける。知り合いのドライアドに『ある物』を発注するためだ。
そして、一人走り去る少女の背後。『高天原地区』全土に向けて退去命令が発令される。低い音で鳴り響くサイレンは、この世の終わりを知らせるように重々しかった。




