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2話 アダチタウン・デストラクション<後編>

 事務所には場違いの、揶揄するようなカーテシーをお見舞され、若頭はわなわなと顔を紅潮させる。


「殺せ!」


 若頭の掛け声と共に、少女に向けて斉射された銃弾は、炎に巻かれて地面に落ちる。鮮やかな赤い炎の壁が、少女の眼前に立ち上ったのだ。口の周りの触手を広げた若頭に、その少女は悪戯な笑顔を浮かべた。


「降参するなら、伏せていて」


 豹変したように目尻を釣り上げた少女の名前は、『花崎海咲』。入国管理局が誇る(自称)美少女エージェントにして―。


「その方が、楽に殺せるからさ」


 ―裏社会では名の通った、正真正銘の『怪物』である。


 彼女は、懐から取り出したペンダントにキスをする。恥じらうようにどろりと溶けたメタリックなハートは、彼女の背中に絡みつく。駆動音と共に広げられたのは、機械仕掛けの堕天使の翼。赤い粒子を放出しながら、海咲は翼をはためかせ、飛翔した。


「―はぇ?」


 呆気にとられた男の顔面に、厚底ブーツの分厚い踵がめり込んで、爆ぜる。放出された火属性の魔力は、男の顔を吹き飛ばした。


「う、撃て!撃ち殺せェ!」


 再び斉射された銃弾は、海咲の体を包み込んだ翼に阻まれた。からからと音を立てて落ちた銃弾は、赤く熱されて煙を吹いていた。


「お返し」


 体を翻らせ、威嚇するように翼を広げた海咲の両手の中には、拳銃が握られている。エーテル―魔力の源を粘土のように捏ねて形作られた、ワルサーP38。彼女のルーツの一つであるドイツ製のその銃は、スーツ姿に向かって火を噴いた。


 スタイリッシュなスタイルで銃を乱射した海咲の目は、敵の姿を捉えていない。何故なら―魔術師である彼女には、この距離で狙いを定める必要がないからだ。


「どこ狙ってやが…っ?!」


 通常の物理法則を無視した曲線的な軌道で、魔術により編まれた銃弾は男たちのスーツを穴だらけにした。魔術による自動追尾に支配された魔術弾の群れは、一切の調度品を傷つけることなく生命だけを蹂躙する。


「これで上司も風通しが良くなった―そう思わない?」


 斉射を終え、生存者も撃ち殺した海咲の背後から、鼻の長い組員が風の刃を放った。彼女は天狗の攻撃を躱すと、振り返って微笑んだ。


「ひっ…」


 殺される。そう思って、若い天狗は目を閉じた。襲い来る痛みに備えて硬直した彼の鼻先に、柔らかいものが触れる。


「お兄さん、初めて?すっごく硬くなってるよ、ここ」


 海咲は、天狗の鼻先にキスをした。特に意味は無い。意地の悪い彼女は、鉄火場童貞らしき天狗を、からかいたかっただけである。


「…え?」


 惚けた顔で海咲(運命の人)を見つめた天狗は、艶然と微笑んだ少女に顎下から脳天までを穿たれて絶命した。


「おい、『孔雀』ちゃんよ」


 『孔雀』―見た目は最高だが頭は悪そうな鳥女、という意味の蔑称である。裏社会での自身の通り名で呼ばれた海咲は、くるりと可憐に振り返った。


「『かわいい』が抜けてるよ、ボス」


 事務所の奥。赤ら顔で角の生えた初老男性が、彼女に声をかける。この暴力団の組長だろうか、彼は部下を従える立場にあるようで、数人の武装した組員を侍らせていた。旗色が悪いことを察したのだろう。敵意がないことをアピールするために、彼の両手は上げられていた。男は部下に指示し、傍らにあったアタッシュケースを開かせると、彼女に見えるように置かせた。


「かわいいアンタを買いたい。幾らで見逃してくれる?」


 アタッシュケースの中身は、高価な宝石。一つ一つ丁寧に梱包されたそれらは、見る者を魅了する怪しい輝きを放っていた。


 しかし海咲は、呆れたように鼻で笑った。当然の話である。この人は人を烏か何かと勘違いしているようだ。鏡を見れば宝石より煌めくものが見られるのに、何故態々石ころを眺めねばならないのか。


「そうだな、ホ別で五万も出してくれれば寝てあげてもいいけど―」


 因みにアタッシュケースの総価値は、時価にして数千万円。しかし彼女は、その程度で買えるほど安くはない。


「貴方の面子は大丈夫?」


 くすり、と。男の心を弄ぶような、年齢らしからぬ艶やかさ。妖艶に笑った少女に、組長は苦笑した。これは、一本取られた。小娘に寛恕を乞うヤクザが、一体この世のどこにいるだろう。彼はアタッシュケースを閉じさせると、代わりに腰に差した拳銃を抜いた。


「最期の言葉は考えた?詰める指の在庫は十分?」


「何。礼儀を知らない糞餓鬼には、引き金に掛ける指だけありゃ十分さ」


 狙いを定めて、引き金を引く。男性の所作には、一部の隙もない。唯一問題があったとすれば、喧嘩の相手を間違えたことくらいである。


 容赦なく組長の眉間に魔術弾を叩き込むと、海咲は側近の鬼たちの間に体を滑り込ませた。一瞬、誤射を恐れて組員たちの動きが止まる。彼女は、その瞬間を見逃さない。赤熱したエーテル刃が『孔雀』の羽根のように広げられ、少女のターンと共に翻った。それは残りの組員の体を、一瞬のうちに溶断する。土砂崩れのような音と共に、床に落ちた死体。それらに一瞥もくれてやることなく、彼女は立ち上がった。


「はい、終わり。出て来ていいよ」


 海咲がそう言うと、物陰から白猫が顔を出す。恐る恐る、警戒しながら姿を現した猫の獣人に、海咲は笑いかけた。


 その笑顔を見て警戒心を緩めたのか、彼女は海咲に歩み寄った。


「御礼は言わなくていいよ、仕事だから」


 そう言ってはにかんだ海咲に、彼女は好感を覚えた。何と、謙虚なのだろう。悪魔のような金属の翼に、訳の分からない黒とピンクの体毛。見知らぬ種族ではあるが、執行官を名乗る少女は、随分と友好的な種族のようだ。


 海咲は目線を合わせると、彼女に手を差し出した。この街の作法には詳しくないが、これは恐らく『握手』というものだろう。


 おずおずと、彼女は手を差し出した。海咲はそれを優しく包み込み―表情を変えぬまま、透明な手錠を掛けた。


「だって、貴女が()()()()()だもの。アニマル・ビデオがお金になるのは知ってるけど、不法就労は重い犯罪ですよ、ウルタール人(ウルタリアン)の方」


 唖然とした猫の獣人―ウルタリアン。何を言われているのか―彼女は一瞬理解出来なかったようだが、手を包む冷たい感触は、言葉より鮮明であった。


「…騙した、のね。悪い人」


「いいえ?」


 別に、助けに来たとは言っていない。この猫―ウルタール人は、何を言っているんだろう。とんだ被害妄想だと思う。残念だが、『ネコと和解する』ことは出来ない。このまま、保健所<地獄>送りにしてやるとしよう。


「そっちが勝手に期待しただけでしょう?」


 首を傾げた海咲。そして彼女は手錠をもう片方の手に掛けようとし―後ろに突き飛ばされる。即座にワルサーを召喚した海咲の目の前で―ウルタールの猫の形が、崩壊する。


「…ええ」


 四肢は崩れ落ち、頭がひしゃげていく。ぼとりと落ちた瞳は、メタリック・ブルーのスライムに姿を変える。惚けた様子の海咲を小馬鹿にするように、全身を粘液状に変身させた『それ』は、機敏な動きで窓へと向かっていく。


「―待て!」


 海咲は叫んだ。咄嗟のことに、彼女は上手く反応できなかった。その隙に、青白いスライム状に姿を変えた猫は、窓に空いた小さな穴から飛び出していく。彼女が居た場所には、薬剤のようにケミカルな青さの粘液が残されていた。


「逃がさない!」


 窓を叩き割って外に出ようとした海咲であったが、視界の隅にあった何かに蹴躓いた。それは軽い音を立てて、壁にぶつかった。


「…玉?」


 海咲の目は、それを追っていく。音の正体―青く光る玉は、開け放たれたままのアタッシュケースに当たって動きを止めた。元々はそのケースに入っていたのだろうか。粘液に塗れたケースは、無残に荒らされていた。


「何だろう、これ」


 玉のサイズ感は、ピンポン玉に近い。一見硝子のように見えるその玉は、まるで星空を内包しているかのように美しかった。海咲は粘液塗れのそれを魔術で拾い上げ、懐から取り出したビニール袋にしまう。


 それにしても、あのスライム擬きは何だったのか。人に化けるゲル状の怪物に、いい噂は聞かない。


「…ぴえん。これじゃあ、アタランテ先輩の悪口を言えないな」


 金色に光るリンゴに気を取られ、勝てるはずの駆け競べに敗北した、女狩人アタランテ。彼女と同じように、私はまんまと光る玉に目を奪われてしまった。


 私のバカ―と彼女は自分を叱咤すると、急いで外に出た。来る時にも感じた、足元を仄かに漂う、赤錆の匂い。生理的な嫌悪を催す八本足の飛蝗の群れは、静寂を取り戻した裏路地に戻ってきていた。


 海咲は眉を顰めた。今日は明らかに、吸血赤飛蝗(スイーパー)の数が多すぎる。建物の隙間、山のように蠢く飛蝗の群れを不審に思った海咲は、炎魔術を行使する。


 逆巻く炎に追い散らされ、飛蝗たちは波が引くように消えていく。それに伴い、ゴミ袋と共に飛蝗に覆い隠されていた『それ』が顕になった。


「…参ったな」


 先程、スライムに姿を変えたウルタール人。血の気のない、青白い顔が揺れる炎に照らされている。飛蝗に食い荒らされ、文字通りの虫食いになったその体は、まだほのかに温かかった。


「私が―手を下すまでもなかったって、コト」


 海咲の視線の先。明滅していた電灯は、ぱちりと落ちた。同時に、夜の帳が降ろされる。踊り狂っていたネオンサインすら、死に絶えたように静かになった。この区画全体の電気が、止まったのだ。


 どうにも最近は、停電が多い。


 海咲は指先に、火を灯した。それはゆらゆらと回るように、飛蝗の息づく路地裏を照らす。


 煌びやかな夜の街。その一区画、停電の影響で、穴が空いたように暗い街。それは全てを飲み込む奈落のように、不吉なものを予感させた。




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