18話 執行部の『最終兵器』
副部長のメッセージを見てボタンを叩きつけ、音量のスライダーを最大限に引き上げた。そして耳を塞いだ彼女と同時に―『うわん』、と声が響き渡った。
並列に六十個並べられたメガホンは、うわんたちの声を魔術的にブーストした。発せられた音はエネルギープラントを取り囲むように張られた結界を、霊子の結合を破壊するばかりの勢いで揺らしていた。
ヒュージ・メタブルーの体は、振動していた。狂ったように痙攣した彼らには、互いを支える余裕が残されてはいなかった。触腕の先端を形成していたメタブルーから、順番に―死に絶えていく。植物が枯れていくように、指先が壊死するように―ぼろぼろと崩れていく体躯を省みず、尚もメタブルーは突進を続ける。
第二波、第三波と音波攻撃は続けられた。メタブルーは少しずつ、しかし確実に小さくなっていった。しかし作戦の成功にも関わず、ヒドラ副部長の顔色は冴えない。カルキノス部長も、ハサミの手を握り締め、祈るようにメタブルーの姿を仰ぎ見た。
第四波が発せられた後には、メタブルーは広場の芝生を踏み締めていた。つまりは、広場内の全てが、触腕を振り回す彼らの攻撃範囲に入ったということである。
ストレスを解放するように唸りを上げたメタブルーの触腕は、嵐のように暴れ狂った。癇癪を起こした子供のような動作であるが、サイズ感は大怪獣である。メタブルーはテントを破壊し、機材を破壊し―『うわん』と鳴くだけの謎の妖怪で編成された『聖歌隊』をぺしゃんこにした。
うわん、と断末魔を叫んだうわんたちに気を取られ、海咲は一瞬、メタブルーから目を離した。苦痛に耐えかね、気が触れたように暴れてもなお、メタブルーはエネルギープラントに向かっていた。そして怪獣はいつの間にか、海咲の目と鼻の先にいた。ぶん、と振るわれた丸太のような触腕に、海咲は反応できなかった。
「…え?」
呆けた顔をした海咲。目の前の機材が吹き飛ばされて漸く、彼女の意識は現状に追いついた。自身を取り巻く風景が緩慢になり、刹那の間に思考が回る―タキサイキア現象の中、海咲はいなりの方を向いた。彼女だけは、絶対に逃がす。そう決意して、海咲はいなりを助けようと手を伸ばした。しかし、一つだけ―誤算があった。
「逃げて」
海咲よりも先に動いたいなりは、海咲の体を突き飛ばした。彼女の小さな体躯にしては、強い力。それは、海咲の体を触腕の向こう側に飛ばすには十分過ぎた。
海咲は、地面を転がった。その直後、二人がいたテントは、機材諸共吹き飛ばされた。エネルギープラントに張られていた結界に叩きつけられた残骸は、赤い色を伴いながら地面にぱらぱらと落ちた。
「…間に合った」
海咲は体を起こしながら、そう呟いた。誤算はあったが、上手くいった。茂みの向こうに転がったきつね色を確認して、海咲はそう確信した。衝突の瞬間、海咲はいなりを魔術で押し出したのだ。
残念ながら背後にいた公安の隊員は助けられなかったが、安心して欲しい。ここは幻夢境である。公安の隊員が地獄送りになるのは日常茶飯事で、そして一週間後には職務復帰しているのも日常茶飯事である。
「体力切れで撤退…はしてくれなさそうか」
海咲の視線の先、最終防衛ラインである、エネルギープラントの結界。青白く揺れる蒼銀の盾に、メタリック・ブルーの触腕が映る。風を切って叩きつけられた触腕は、結界に接触するなり爆散した。
その光景を見ていた少女は、罠にかかったメタブルーを鼻で笑った。プラントのエントランスの中、ガラスの向こうで目を見開いた海咲とは対照的に、余裕のある素振りで立つその少女は、傲岸に言い放った。
「貴方の嫌いな高周波を放つ壁ですよ。さぞ痛いでしょう」
とは、公安の魔術部隊に内緒で、勝手に結界の術式に細工した魔女の言葉である。プラント内で結界の定礎に協力していたマゼンタは、公安魔術部隊が組み上げていた術式に無断で数行書き足して、半ばハッキングのような形で機能の実装を行った。その効果は絶大。メタブルーの触腕は、結界に当たる度に弾け飛んでいった。
「さすがです。この結界は維持出来そうですか?」
しゅる、と舌を伸ばしつつ、ヒドラ副部長は優秀なインターンに問いかけた。前線の指揮をカルキノスに任せ、彼はエネルギープラント内で後方指揮に徹していた。
彼の期待に反して、少女は頭を振る。
「無理ですね。外付けエンジンなしでこれを維持するは、魔術師の数が少なすぎます。オマケに、公安謹製の結界術式は燃費がカスすぎて、とても維持なんて―」
そう言いかけて、マゼンタは舌打ちした。彼女は「典型的なお役所仕事」と悪態を吐き捨てると、公安魔術部の魔術師たちと形成していた並列処理ネットワークから自身を強制的にエリミネイトする。そして逃げるように、彼女は一歩後退した。同時に、魔術師たちの何人かがその場に倒れる。
「―無理ですよ。このように過負荷で魔術管が破裂してお陀仏です。だから、術式の設計は任せろと再三申し上げたのですが…口だけ達者な、まるで海咲さんみたいな」
「辛辣ですね」
耳から血を垂れ流した魔術師を一瞥した後、マゼンタは鬣を弄んでいたダンテに視線を移した。崩壊した結界の中で、彼は爛々とした双眸を光らせていた。ダンテが手を翳すと、兵士たちが一斉に手投げ弾を準備する。
「スタングレネード構え!」
結界によるダメージも含め、メタブルーの損耗は激しいようだ。今まさに体を崩れさせる彼らは、溺死寸前のように喘いでいた。しかし、死に体とはいえ―その巨躯は健在。この程度のスタングレネードを集めたところで、仕留め切れるとは言い難い。ダンテと彼の率いる兵士たちの表情は冷静そのものであったが、決して状況は芳しくない。
公安の魔術師たちの中には、情けなく這いずって、エネルギープラントの奥に逃げ出す者までいた。しかし―マゼンタには、逃げるつもりは一切なかった。彼女は、勝利を信じて疑わなかったからだ。あまりにも落ち着き払ったその様子に、ダンテは興味を惹かれた。
「死が怖くないのか、死霊術師は」
メタブルーが触腕を振り上げる。ダンテの腹心である少尉の掛け声で、スタングレネードが一斉に放たれた。泣き叫ぶように爆発する、スタングレネードの雨。飽和攻撃を受けたにも関わらず、メタブルーの巨躯は止まらない。このままでは触腕のひと薙ぎで、全てが失われてしまう。
「いいえ。死ほど恐ろしいものはありませんが―」
最早誰も、ヒュージ・メタブルーの暴虐を止められない。そう―一人を除いて。
「―生憎と私には、守護天使がいますので」
マゼンタは、ウルタール兵士の前に進み出る。『余計なことをするな』―とでも言いたげに。そして彼女は特等席で―眼前の光景に耽溺した。
「…素敵です―海咲さん」
恍惚と―『推し』の勇姿を見つめる彼女の視線の先には、一人の少女。黒いセーラー服に身を包み、インナーカラーの入ったツインテールと、金属製の翼をはためかせる。泣き腫らしたような地雷メイクで鋭い視線を飾り立て、その少女はメタブルーと相対していた。広げられた諸手の中には、二丁の長大なライフル―カラビーナー・アハトウントノインツィヒ・クルツ<Karabiner 98 Kurz>が握られている。
体躯の差は正に、巨人と人間。一太刀でも浴びれば、彼女は即死する。しかし、強大な敵を前にしても、花崎海咲は怯まない。それは仕事への責任―否。イリスの民を守るため―否。少女を駆り立てているのは、決意であった。もう二度と―『友人を失わない』という、強い決意。生き別れた親友の顔を思い出す。辛そうで、苦しそうで、もう二度と―そんな思いは、誰にもさせない。
「私の友達を傷つけるなら―」
祈るように束ねられた、二丁の銃口。彼女の決意の重さに引き寄せられるようにして、霊子が収束していく。それは、『友達を護りたい』という純粋な意思に反して、赤黒く邪悪な輝きだった。醜悪で、暴力的で―欲望に満ちた、赤色。それは、友人の為に他人を殺すことを厭わない、少女の歪んだ願いの色。
「焚べられた薪のように、焼けてしまえ」
一度放たれれば雲を衝き、天を裂き―そして星を穿つアグニの火。暴虐と破壊を象徴する、烈火の閃光。其の名は―。
「裂衝!」
ぱちり、と。海咲の右目に血のような真紅のスパークが散る。それを嚆矢として、悪辣で我儘な―赤い光が迸る。それは、シヴァ神にも通じる、破壊の力。周囲の霊子を枯渇させるほどの魔力を込めて放たれたその光は、青々とした芝生を蒸発させ、メタブルーの体躯を包み込み、捩じ切り、焼き潰す。超高圧に曝された霊子は千の鳥が鳴くような高音を発し、粘液体の結合を完膚無きまでに破壊した。
光が放たれたのは、十秒にも満たない。しかし、満身創痍の怪獣に止めを刺すには、十分過ぎる威力だった。風穴が空き、煙を吹きながら崩壊していくメタブルーを、ライフルの銃口が睨んでいた。そして、その『視線』はゆっくりと下ろされた。
赤黒いスパークを湛えた右目を閉じて、海咲は背後を振り返る。そして小さく、マゼンタにブイサインを送った。




