17話 『今です』
アカデミアにおける水曜日の午後の講義は、『実技』の時間である。『死』という概念から遠い彼らは、往々に見知った顔を相手に殺戮の時間を楽しみ、そして帰路に着こうとしていた。
今しがた血を吸ったばかりの刀を傍らに置き、制汗シートで体を拭った少女。彼女は替えのシャツに着替えつつ、ふとスマートフォンを開いた。そして慣れた手つきでSNSのアプリを立ち上げる。
「は?」
ある報道機関による投稿を見かけたその少女は、思わず声を漏らしてしまった。トレンドを開いて、情報の真偽を確かめる。複数の著名メディアが、ヘリコプターによる空撮動画を上げていた。どうやら、これはフェイクではないらしい。
切羽詰まった様子でキャスターの女性が叫んでいる動画。そこには、メタリック・ブルーに輝く巨大な怪獣が映っていた。
「皆さん、ご覧下さい!イリスの街を怪獣が闊歩しております!周辺住民の皆様は、くれぐれも様子を見に行くことなく、速やかに避難してください!繰り返します、避難してください!」
ヘリコプターの先、怪獣は真っ直ぐに大通りを歩き、進行方向にある建造物を薙ぎ倒していた。その様子はどこか滑稽で冗談じみており、非日常的だ。メタブルーは何かに憤るように、目の前のアパートをなぎ倒した。セントラルを抜けて、郊外に出てきたメタブルーにとって、周辺の建物は脆く矮小な段差にしかなり得ない。
メタブルーは咆哮し、そして触腕を振り回しながら猛進する。電信柱を薙ぎ倒し、商業施設を吹き飛ばし、前へ前へ。憎しみに淀んだ赤色の単眼は、エネルギープラントを睨んでいた。
「何処の神の姿を真似たのでしょうね」
その様子をスマートフォン越しに眺めていたマゼンタは、徐にそう呟いた。海咲はさあ、と答えると、二人を連れ立って上司に指示された配置へと向かう。
先の反省を活かし、カルキノス部長の判断で聴覚遮断魔術付きの耳栓が支給されていた。店一つの在庫を丸ごと買い取り、何とかウルタール兵士の分も含めた人員分を確保出来た。
「耳がむずむずするよう」
取り敢えず狐耳の方に耳栓を付け、いなりはそう言った。ヘッドホン派である彼女には、耳栓は少し不快に感じるようだ。
「死ぬよりマシでしょ」
身も蓋もないことを言いつつ、海咲は指示されたテントに到着した。海咲といなりは同じテントにて機材の操作を担当している。そしてマゼンタは、公安の魔術部隊と共にエネルギープラントを防衛するための結界の維持に協力する手筈となっていた。
「では、私は中にいますので。愛してますよ、海咲さん」
「突然なに?」
ひらり、と手を振って、マゼンタはエネルギープラントの中に入っていく。最低限の人員を残し、他は避難が終了したエネルギープラントの中は、静謐そのものであった。かつかつとやる気に満ちた様子の足音を響かせた彼女に、海咲といなりは顔を見合わせて苦笑した。
「さあ、御せるかな、我らの『レッドデビル』を」
魔術に対する造詣に関しては、本職の公安職員より遥かに深いだろう。その結果、あれが拙いあれが良くないやる気ありますか??などと舌打ちに舌打ちを重ね、いつの間にか主導権を握っている。それが、マゼンタ・デエーという女の生態である。
「まあ、公安には素直に従うでしょ」
「マゼンタのロックンロールが恭順を許すとは思えない」
「…確かに。気の毒だな、公安の人たち」
うんうん、といなりは頷いた。年寄りの妖狐もお手上げのロックンロール。それが、マゼンタ・デエーという女の生き様である。
ところで。エネルギープラント内、ガラス張りのエントランスエリアには、ダンテ麾下のウルタール人部隊が展開していた。彼らはフル装備で、文字通り戦争に臨むような体勢であった。その人数は、四十人ほど。
「…ん?」
マゼンタの背中を追っていた海咲の視線は、違和感を覚えて大きく揺れた。ダンテ麾下のウルタール人兵士の人数が、多すぎるのだ。一瞬とはいえジェットに乗った彼女は、船のキャパシティを概ね把握していた。座席数からして、乗員は二十数人が限界の筈である。しかし、兵士の人数はどう見積ってもその倍。プライベートジェットのどこに、そんな人数が隠れていた。
「…ねぇ、いなりちゃん」
自身が抱いた違和感について、海咲がいなりに知らせようとした―その時。地響きが轟いた。
今はウルタール人の分身について語っている場合では無い。海咲はスマートフォンを開くと、業務に使用しているチャットアプリを開いた。二人は、チャットを凝視して副部長からの指示を待つことにした。ここからは音声が通じにくくなるので、以降の指示はチャットから行われる手筈となっていた。
遠くから、咆哮が響いた。どこか悲しげで、そして怒りに満ちた声色からは、隠されることも無く敵意が滲んでいる。触腕が伸び、土煙が立つ。野山に囲まれたエネルギープラントに向かって、メタリック・ブルーの怪獣が歩みを進める。
「はぇー、でっかい。ひんやりして気持ちよさそう」
そう呟いた海咲の声をかき消すように、メタブルーは絶叫した。そして、獲物に向かって爆進する。少しずつ姿を最適化させていったメタブルーは、今やその中心で赤色の一つ目が爛々と輝く、メタリック・ブルーの巨大なヒトデの様であった。無数に伸びる触腕は、器用に地面を蹴り上げて、見た目より機敏に駆け回っていた。
その様子を視界の端に捉えながら―海咲たちはチャットを凝視していた。最後のメッセージは十秒前。『まだ引き付けます』―とのことである。
今か今かと待ちわびて、海咲はボタンに手をかける。手のひらに汗を滲ませながら待っていた少女たちに、遂にその時が訪れる。
メッセージは、一言だけ。―『今です』。




