13話 光明
「…え?」
そう声を漏らしたのは、青白い狐火を纏った、ゐづないなりだった。名の知れたゲーム配信者であり―普段から高フレームレートのモニタに食いついている彼女の真紅の瞳は、些細な揺らぎも見逃さない。
耳を覆いたくなるような高い音。一際高い音が響いたその一瞬、メタブルーのシルエットが『ブレ』た気がした。例えるなら、高い周波数で振動する物体を観察した時、残像が見えるような―。
状況の分析を始めたいなりを他所に、海咲はフロントガラスを睨み、叫んだ。
「マゼンタ!インドじ…ハンドルを左に!ティル・ナ・ノーグ地区に行く!」
「…承知しました!」
再び動き始めたメタブルーの猛攻を凌ぎつつ、マゼンタは運転手を操作する。入れ子構造とはいえ、ほぼラグのない動作で、バスはY字路左の道へと突き進んでいった。
『ティル・ナ・ノーグ地区』。日本、ギリシャ、ケルトの三神話から構成されるイリスにおける、ケルト神話の自治区である。どちらかといえば近代的な『高天原地区』や『オリュンポス地区』とは異なり、農村のような牧歌的雰囲気と、行方不明者の絶えない神秘の森が広がる領域である。バベルの塔を取り巻く『セントラル』に近い『ニューアイルランドシティ』を抜けてしまえば、そこは妖精の犇めく深い森。人気のない『迷いの森』ならば、無辜の民を傷つけることなく、暴走バスとメタブルーを処理できる。
「マゼンタ!」
いなりに呼ばれ、魔女は振り向いた。しかし声の先に、いなりの姿は無い。
「ここだよ、ここ!」
彼女の代わりに座席に置いてあったのは、電動マッサージ器。棒の先にこけしのような頭が付いた、オーソドックスなタイプである。
「『私』を奴にぶつけて!」
ぶうん、と。妖狐であるいなりが化けた電動マッサージ器が起動する。あまりのシュールさ加減に、マゼンタは困惑した。
「…は?」
それ以上に、どこか生々しさがあった。因みに彼女は、いなりの部屋には立ち入ったことがない 。今後二度と立ち入らないようにしよう―とマゼンタは心に誓った。もし仮にベッドの下あたりから同じものを見つけてしまった日には、少し気まずくなりそうだ。
「何それ、応援用ステッキ?」
魔術でメタブルーを角切りの細切れにした海咲は、愉快な気配を感じて振り返った。
「はい。がんばれー」
ぶん。マゼンタは、振動する電動マッサージ器を玉虫色の粘液に向かって放り投げた。ぶるぶると震えるピンク色のそれは、メタブルーに突き刺さると、徐々に粘液の中に沈んでいく。
「…」
「…」
マゼンタとメタブルーは、互いに見合っていた。出方を伺っていた、と言い換えてもいい。暫くその膠着状態が続き、横で触腕からローズを守っていたダンテは、思わず吹き出してしまった。
「…見てないで」
ぶーっというバイブ音を立てながら、まるで聖剣のように突き立っていた電動マッサージ器。そこから、幼い少女の声で怒号が響く。
「助けろ!!」
理不尽に怒られたマゼンタは、メタブルーの攻撃に合わせて空間転移魔術を使用した。メタブルーの周囲に自身を転移させると、いなり扮するバイブレーションを引き上げた。再び空間転移して元の場所に帰ると同時に、いなりが変化を解く。
「続きましては」
ショートコント、或いはマジックショーのような素振りで、マゼンタはメタブルーに会釈しながらいなりを指し示した。ぎょろ、と沢山の瞳を体表に浮かび上がらせたメタブルーは、その全ての視線でいなりに注目した。
「こちら」
マゼンタの言葉に、ぽん、といなりが変身する。リアガラスを覆うように現れたのは、学校の黒板だった。それで漸く、マゼンタはいなりの意図を察した。
バスは、ティル・ナ・ノーグ地区に入った。運転は、暫く直線で問題なさそうだ。
「それでは、皆さん。ご清聴あれ」
彼女は魔術で爪を硬質化させると、音の大きさを引き上げるブースト魔法陣を複数展開した。そして、いなり扮する黒板に突き立て、渾身の力で引っ掻いていく。
「ひい…っ!」
車両前方にいる海咲は、背筋が粟立つのを感じて、悲鳴を上げた。聴覚保護魔術を使った彼女の横で、メタリック・ブルーが弾ける。
至近距離で高周波の音を食らった玉虫色のメタブルーは、苦しむように体を震わせる。それは身を捩るように広がったり戻ったりしながら、玉虫色から元のメタリック・ブルーに姿を変える。
「では、僭越ながら一曲」
その様子を見て、マゼンタは表情を変えぬまま両手を黒板に添える。何としてでもそれを阻止せんと触腕を伸ばしたメタリック・ブルーを嘲笑うかのように、マゼンタは優雅に黒板の端から端までを引っ掻いていく。
耳を劈くような不快音に、ダンテは顔を顰めた。苦痛のあまりのたうち回るメタブルーから庇うように、彼はその大きな体でローズを覆い隠した。
メタブルーの体は、人間と同じように細胞の塊で構成されている。しかし、人間ほど細胞同士の繋がりは強くないため、高周波のように高いエネルギーを持つ音や光を受けると、バラバラに離れてしまう。痛覚を持たないメタブルーであるが、体がぼろぼろと崩れていくのは耐え難い苦痛であるようだ。
声にならない悲鳴を上げて、メタブルーはガラスを突き破って外に飛び出した。何とか音から逃れることに成功した彼らは、野山の上で互いに溶け合い身を寄せ合うことで、形を保とうとした。
そんな都合の良い、ひと塊の的を―『執行官』が見逃すはずは無い。
「それじゃ、他のメタブルーに宜しく。私の可愛さを語り継いでね」
飛び切りの火力で。ワルサーから、光が放たれる。暴走するバスの中から真っ直ぐに輝いた熱線は、死にかけのメタブルーたちを蒸発させるに十分な熱量を有していた。




