2.3
二階建てのギルマン邸に張り出した塔内部。
中心から半径1.5メートルほどの、石造りの部屋だが、一部の壁面と床はレンガでできていた。
石造りの部分は西側で、窓は四つあり、いずれも窓ガラスと鉄格子がはめられていた。
石の床には絨毯が敷かれており、天蓋付きのベッドがある。
ベッド下には冷えを防止するためだろう、絨毯の上に木製の足が高くできている。ベッドに敷かれたシーツは洗濯されていて、掛け布団は羽毛布団という高級さだ。
高級なのは布団だけではない。
絨毯は異国の砂漠地帯特有の手織りの品。シルクとウールでできている。
そして部屋の調度品は、値段ではなく血統の問題の高級品だ。
不戦協定締結時代の鉄兜に鎧。先祖の肖像画は、小さく分厚い鉄の額に入っている。
最後は高貴な育ちの人間特有の、もてなすための高級品。
一脚しかない椅子に対し、不釣り合いなほど大きい丸テーブルは、鏡のように磨かれている。 当然のように姿見とクローゼットもあった。クローゼットの中には、サイズがいかようにもなるシルクのネグリジェが数着。姿見の前には、香水と化粧品、保湿用のクリームが数種類置かれている。
姿見の近くには、大きな鉢が三つ置かれていた。分厚く深い陶器で、3つともなみなみと水がたたえられてある。推測するに、一つは飲み水、一つは顔や体を洗うためのものだろう。もう一つは何のためかわからない。
他にも、花が生けられた花瓶など、急ぎしつられられたらしき調度品も多くあった。
中央部のベッドは広く、サラの小さな体では、足を伸ばしてもベッド枠が遠かろう。
現在、ベッドに寝ているのはレイモンドだが。
サラはベッド下の床で、ライフルを抱えて座っている。
レイモンドは目を閉じて、静かにベッドに横になっていた。
デュマ医師が点滴の針を、ゆっくりとレイモンドから抜いた。
「しばらくは安静にするように」
サラはデュマ医師に詳しく問う。
「具体的にはどのくらいの期間ですか?」
「伯爵が自分で立って歩くまでは、寝かせたままにしてください」
「了解」
デュマ医師は、座ったままのサラを案じて言った。
「あなたも長旅でお疲れでしょう。屋敷の人にベッドを用意してもらって寝ることですな」
サラは黙って首を振る。
「スナイパーに必要なものは、耐久力と持久力です」
「医者が一番嫌いな患者はなんだと思いますか?」
「わがまま者ですか?」
「怠け者です。ですが、考えを改めねばなりませんね。一番嫌な患者はスナイパーです」
「あいにく、まだ患者ではありません」
「治療は予防から始まります」
プロフェッショナルは、万策尽きるか、相手をつぶすまで折れはしない。
サラは狙撃のプロフェッショナルだ。医療のプロフェッショナル相手には折れた。
「わかりました。誰か屋敷の人を探してきます」
サラは立ち上がった。
「待って!」
背後からした声にサラは振り返り、デュマ医師は目を丸くした。
「お、起きています! 私は起きて、歩けま、す!」
レイモンドががばっと起き上がって、声を上げたのである。
とっさにサラがレイモンドを抑えようとしたのに対し、デュマ医師はあくまでもプロフェッショナルであった。
「では、どこまで歩けるか見せてください」
デュマ医師の指示に、サラはレイモンドの手を取ろうとしたが、レイモンドは、あのあぶなっかしい笑顔でサラの手を遠慮した。
そして、長い足を腹から出たばかりの子鹿同様におぼつかなくさせて、一歩、一歩、進んだ。
サラは思わず、息を呑んで彼を見守った。子鹿が歩くときに、誰でも感じる感情を口にした。
「がんばってください……」
レイモンドはうれしげに、サラの声援にまた笑顔で応えた。一歩、一歩。
一歩。
「着いたよ! サラ!」
ドアノブに寄りかかって、レイモンドは無邪気にサラに手を振った。
サラは、違和感を感じた。
まるで、無邪気であればサラがやさしくなるのを、理解しているかのような無邪気さだと感じたのだ。
「先生、もう自分のベッドで寝ます」
デュマ医師はレイモンドの言葉にうなずき、
「よいことですな。点滴を移動させましょう」
と、点滴台とトランクを持って立ち上がり、ドアまで行ってレイモンドに肩を貸した。
「ラクール嬢、あなたもお休みください」
「おやすみ、サラ」
相変わらず白手袋に包まれた手を振って出て行くレイモンドと、デュマ医師を見送り、サラはミリタリーブーツを脱いだ。
親切にしてくれるのはありがたい。
「でも……婚約などするべきではなかった……。結婚だの恋愛だの……濃密な人間関係はめんどうくさい……」
いつになく、自分がは油断しているのを自覚した。
ああ、違うな。
サラがスナイパーとして業をみがいたのは、並大抵の努力ではない。
妹と父と一族に、すべての努力を無碍にされ、殺されかけた。
サラの働きは、一族にずいぶん貢献したはずだ。
油断じゃない、生きのびて余裕が生まれた副作用で、自分を守ろうとする気力が失われている。
今、必要なのは深い眠り。人間として不備なく機能しているならば、休息と栄養で気力を補給できる。
理解したサラは深く眠った。
目を覚ますと、気力は回復した。
しかし、部屋の扉は閉ざされて、開かなくなっていた。
瀕死だった男が立って歩く姿を応援した直後、そいつに監禁されました(なんでや)
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