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番外スナイパーは酔わせたい

本編に入れられなかった番外ギャグです。35話あたりの話。本編未読でもお楽しみいただけます。

 グツグツと湿った空気がこもる部屋。

 塔の上、自室のベッドのシーツまで、どこか湿っている気がする。

 ずる、とシーツに、レイの細く長い脚が伸びる、スラックスに包まれた脚は長く、サラのローブの間、つまりはサラの太ももの間に、膝が差し込まれている。

仰向けになったサラの体に、レイの体重がかかる。

 眼前にレイの顔がある。長いまつ毛におおわれた瞳はうるみ、白磁のような頬は紅潮している。しかし、存外大きなのどぼとけから発せられる、低めの声が理解させる。

 これは男で、雄なのだ。

 レイの額から汗が流れ、のどぼとけを滑り落ちた。

 ……調子に乗りすぎました。

 ベッドに押し倒されているサラは、やらかしたことを理解した。

 

 発端。

「お酒が飲みたい?」

 紅茶を飲みながら、サラはレイの言った言葉をオウム返しする。

 サラが監禁されている塔の部屋。いつものように三時のお茶とお茶菓子を運んできたレイは、今日も自分は茶菓子を口にしようとしない。

 茶菓子はそば粉のクレープである。とろりとはちみつがかかっている、素朴な菓子だ。これなら作れそうだ。レイに食べさせたい。と、自分の手料理しか食べない男の、くっきり目の下に刻まれたくまを見ながら考えていたら、だしぬけに言われたのだ。

「うん。何かにつけて会合とか社交とかさ、お酒がつきものじゃないか」

 なるほど。飲みニケーションというものか。サラには場にいることすら不可能な高等スキルである。

「ジュースを飲んでいればいいでしょう」

「ジュースは……ちょっと……。今は水飲んでるんだけど」

 ふむ。理由はいまだ話してくれないが、レイは栄養になるものを人前で飲むにも抵抗があるようだ。だからジュースでもダメなのだろう。

 しかし酒にもカロリーがあるのは、ピンときていないらしい。

 他のものなら、食事をろくに摂らないレイが、勘違いした結果栄養補給をしてくれるのはねがったりかなったりなのだが。

「ダメです。死にますよ」

 レイが下戸なのは、先日卒倒させたのでわかっている。

「それはまあ……、国王陛下にも言われてるんだけど」

「すごい人に言われてますね」

「うん……。成人したとき、晩餐会でお祝いに手ずから杯をいただいたんだけど……」

「たいへんな名誉じゃないですか」

「一口飲んだら気が遠くなって失神して、目が覚めたときには毒殺疑惑で大騒ぎになってた……」

 うわあ……。

 当時を思い出してきまり悪げにしているレイの表情から、上を下への大騒動になったのは想像がつくし。大スキャンダル一歩手前の実態がただの下戸だったことにあきれてもいる。

「そういうことがあったから、私にお酒をすすめる人はいないんだよ」

「国を傾けかけたらそうでしょうね」

 傾国の美貌を持つレイだが、そんなアホな理由で傾けられては、たまったものではないだろう。

「そこまでやらかして、なぜ酒が飲みたいんです」

 床の絨毯にお互い座っているので、視線は当然サラよりレイの方が高いのだが。レイはそれでも、器用に上目遣いをしてみせた。

「みんな、楽しそうなんだもん」

 かわいい!

 計算か? 計算なのかこの男。計算でないなら不器用極まりないぞ。危ないだろう。こっちの心臓が!

 いや、待て。酒の味が気になるというより、酔ってみたいのか。酔う? この色気だだ漏れ男が酔う? 危ないだろう。わるいおとなもいるんだぞ、世の中には!

 と、完全に無表情をたもったまま考えたサラは、レイが小首をかしげて。

「ダメ?」

 と聞いてきたのに陥落した。

「酔うだけでよいなら、なんとかしましょう」

 世の中にはわるいおとなもいるのだ、自分とか。

 

 窓に打ち付けた板の隙間に設置した三脚、三脚に固定したライフルのスコープを、サラは覗き込む。

 スコープに写るのは夕暮れも近い空。秋の早い宵が来る前に、一時だけ見える銀色の影である。

 肉眼では、謎の反射する光としか見えない上空を飛ぶもの。

 翼の生えた銀色の筒のような形状の魔獣だ。

 飛行速度はそれなりだが、狙撃は標的を点でなく、線をなぞるように撃つものである。

 サラの指が引き金を引いた。

 銃声が響く。

 魔獣が落下していく。

「タエコー、すみませんがー」

 サラはドアに向かって、階下にいるであろうメイドに声をかけた。

「はい奥様」

 パカっと床が開き、タエコの頭がひょっこり出る。

「お呼びでしょうか」

 サラは内心の驚愕は表情に表さず、淡々とメイドにツッコんだ。

「拾ってきていただきたい物があるのですが……。それよりいつから床が開くようになったんですか」

「元忍びゆえ、隠し通路を作るのがくせでして」

「性的さのない特殊性癖はやめてください」


 性的なら特殊性癖でもよいかと言うと、まあそんなことはないと思う。

 が、いじめたときの反応がかわいい男をちょっといじめたいというのは、特殊性癖ってほどでもないと思う。

 夕食を持ってきたレイに、仕留めた魔獣を見せるサラの内心である。

「レイ、酔うだけならこの魔獣でできますよ」

 穴の開いた、翼の生えた銀色の筒。筒の底には粘液がたまっている。

「それ、たまに見るけど何?」

 レイがこてんと首をかしげる。サラは筒を軽く降る。

「ウィンドスライムです」

「スライム!?」

 ぎょっとするレイのリアクションは納得だ。スライムは大きさこそ小さいが、粘体性の体で人体に張り付き、分泌液で溶かして捕食する、おそろしい魔獣である。

「そんなの素手で持っちゃ危ないよサラ!」

「問題ありません、これは外殻ですから」

「外殻?」

 火鉢に火を入れ、中の灰にウィンドスライムをつっこむ。

 おそるおそる、レイがサラを守るように、火鉢の前に立つ。

 健気である。安全だと教えるのをもうちょっと後にしたいぐらいだ。いや、まだちょっと以上いじめてしまってはダメだな!

「この銀色の筒は、ウィンドスライムの外殻です。外殻で空中を飛び、野鳥などを捕食しているのです。ふだんは人間を食べないので、あまり目視できるところまで下降しないのですよ」

 刹那、ビィイーーーーッ! とすさまじい鳴き声が響き、レイがとっさにサラをかばって抱きしめた。

 思わず胸が高鳴るが、レイが青い顔をしているので、急ぎ説明する。

「安心してください。今のが仕留めた証拠です」

「え?」

 ぎゅう、とサラを包み込むように抱きしめるレイの手を、あやすように放していく。

「ウィンドスライムは、夜にならなければ外殻から出られないのです。ほら、まだ夕方でしょう?」

 レイがこくんとうなずいたので、説明を続ける。

「そして熱に弱い。外殻ごと火鉢に突っ込んでしまえば、グツグツおいしく煮えて、ただの飲み物になってしまうわけです」

「そ、そっかぁ……」

 レイがハッと気づき、「ごめん」と謝って抱きしめている状態からあわてて離れた。

「いえ、ありがとうございます」

 ときめいたのを顔に出さないレベルには、サラの表情筋は死んでひさしい。

 対するレイは真っ赤になってぷるぷると震えている。勘違いで抱きしめたのが恥ずかしいようだ。

 説明不足だったこちらが悪いのだが……グっとくるものがあるが特殊性癖ではないと思う。

「ご安心いただいたようなので続けますと、飲み物になったウィンドスライムは、酩酊成分があるのです」

「酩酊成分?」

 サラはグローブをはめた手で、ウィンドスライムの外殻をつかみ、火鉢から引っ張り出した。

「本来は獲物を捕食するためにある、体液に含まれる成分です。まあ簡単に言うと、アルコールなしで酔っぱらうんですよ」

 レイの顔がパッと明るくなった。

「サラ、私が酔ってみたいって言ったから……」

「ええ、まあ。酔わせてみたらどうなるか見てみたいという、好奇心にかられまして」

「ありがとう! やっぱりサラはやさしいね!」

「やさしくはないですよ」

 普通にサディズムである。

 トクトク、と外殻から液体になったスライムをカップに注ぎ、レイに手渡す。

 さあ、どんな姿を見せてくれるのか。

 サラの内心に気づかず、レイはカップの中身を、一息に飲み干した。

「……からい」

 酒がダメなヤツの味覚だな。

 赤い舌をちろりと出して眉をひそめたレイに、のん兵衛の感想を持つ。

「いかがですか?」

「んー」

 答えを考えているレイの目が、とろんとしてくる。

 顔から首筋まで、白い肌がどんどん真っ赤になり、ふらり、ふらりと体がかしぐ。

「レイ?」

「んー……」

 答えになっていない、鼻にかかった甘い声を出して、レイはシャツのボタンを外し始めた。

「あの、何をしてるんですか?」

「んー……」

 ぽうっと前のボタンをすべて外したレイは、やっと甘ったるい声で返事をした。

「あつい」

 浮いていたあばらは薄くなり、それでも赤く染まった肌にうっすらと陰影を作っている。 きれいな縦型のへそに、汗がたまっていた。

 淫蕩。酩酊したレイは、淫蕩としか言いようがない。

「サラ」

 急に立ち上がろうとするので、あわててサラはレイを支える。火鉢の上に転ばれてはたいへんだ。

 次の瞬間、レイがすさまじい力でサラの腕をつかむ。ぐるりと天井が見えた。

 ベッドに押し倒されていた。

 レイに不覚を取った!?

 色気にあてられたごときで、自分より圧倒的に非力な男に押し倒されたことに、油断した自分への怒りを覚える。それでもスナイパーか!

 上に覆いかぶさってきたレイの膝が、ローブ越しにサラの膝に割り入ってきた。

 彼の顔は、淫蕩なままだ。

 理解。……調子に乗りすぎました。

「レイ、すみませんでした。どいてください」

 流石に身の危険を感じたサラの言葉に、レイがぽつりと答える。

「やだ、あつい」

 舌足らずな返答に、これは本気で突き飛ばすか、と右手をごきりと鳴らした。

 しかし、サラの顔にしずくが落ちた。

「やだ、サラ、置いてっちゃやだ」

 淫蕩な中に、悲痛さがあふれたレイの表情に、サラの動きは一瞬止まった。

 瞬間、レイが自分を支えきれなくなり、どさっと体が降ってくる。

「レイ、レイ、大丈夫ですか? レイ?」

 ドキドキと高鳴る心臓。サラはレイを突き飛ばすのがかわいそうになってしまっている自分に気づく。レイは舌足らずに、甘ったるく答える。

「あつい、あつい、溶けちゃうよ……」

 かわいそうだが、これはまずい、これは完全に事に及――。

「私の体、溶けてるよう……」

 ……?

 それは及んでから言うセリフではないか?

「レイ、あの、今、世界がどんな風に見えてるんですか?」

 レイは鼻にかかった声で、ぐずぐず泣きながら訴える。

「世界なんてどうでもいい。サラ、私の体、溶けてお湯になってきた……。こわいよ、置いていかないで」

 ……グロい夢と現実の区別つかなくなってるじゃないですか。そりゃ怖いでしょうよ。

 サラの頭がすっと冷える。

「レイ、置いて行ったりしませんから、ちょっとどいていただけませんか?」

「やだ、私がお湯になっちゃうのに、サラにしみ込んでいけないもん」

「なんて?」

 さらに頭が冷えていくサラに、レイは泣きながら訴え続ける。

「一人でお湯になっちゃうんてやだよう。サラ、置いてかないで、サラにしみ込ませて」

「しみ込ませて?」

「くっついてないと、サラに私がしみこめない。こぼれちゃう……」

「私の表皮どうなってる設定なんですか?」

「一人でお湯にしないで……。私もサラの体液に取り込んで一部にしてよう……」

「それ特殊性癖でもGのヤツです!」

 突き飛ばそうとするサラであったが、怯えて自分にすがるレイの姿を見ると、どうしてもかわいそうになり――。と、いうか自分のせいでもあるので――。

 一晩そのままの姿勢で、ぐずぐず泣かせてやらざるをえなかったのである。

 

「サラー、せっかく昨日のスライム、一口飲んだとこから何にも覚えてないから、もう一回飲みたいな」

「あなたは二度と酔わせません!」

 スナイパー、翌朝の体、バッキバキ。

2025/7/5

よろしければ、ブクマ、評価などお願いいたします。いつもありがとうございます。

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