9.7
空になった荷車を工業学校に置いて、サラとレイモンドは高原を行く。
さほどけわしくない山道は、ハイキングよりピクニックがふさわしい。
「冬が来たね」
「ええ」
常緑樹は青々としているが、葉が落ちる木はすっかり茶色い葉を落としている。
人の気配がない高原。野生動物も冬ごもりを始めた。
崖下となる部分に、ぽっかり平たい空間があった。
「サラ、お弁当食べたい」
「そうですね。お昼にしましょう」
淡々と、ナップザックから敷物を取り出して敷き、敷物の上に弁当を広げる。
金属製のコップに、サラは蕎麦でできた茶――蕎麦茶をポットから注いでレイに渡した。
「ありがとう。……あったかいね」
「そうですね。あたたかいのはよいことです」
サラも蕎麦茶を一口すする。ペトルシアに来て初めて飲んだが、この蕎麦茶というものは実にいい。
独特の香ばしい風味も好ましく、水分補給にも適している。
サンドイッチをレイにわたし、自分もサンドイッチを一口かじる。
薄切りのあっさりした牛肉の味が、力を与えてくれる。
熱と食べ物は、力だ。
サラは蕎麦茶をもう一口すする。
やはりいい茶だ。標的を待ち伏せしているときには、この茶を携帯しておきたい。
体に入りすぎた力をほぐし、おそらく尿意への耐久性が高い。
轟 !
来たか。
サラは背中のライフルを抜く。
セフティレバーを外す。
狙いを定める。
眼前に現れたドラゴンに!
「サラ、待って」
レイはまた、サラを止めた。
今度はやさしい声音で、立って歩いてサラの前に立った。
姿勢良く立って、レイはドラゴンと、母であったドラゴンと対峙した。
サラは……、声をかけるのをやめた。
「お母さん」
レイはドラゴンに向かって、告げた。
「お母さん、私は幸せだよ」
レイの背中は背筋が伸びて、背も高い、男の背中だ。
「私はこんなに大きくなった。大人になって、ちゃんと仕事をして、失敗も多いけどその分がんばって生きてるよ。愛する人と一緒に生きてる」
レイはドラゴンに向かって、両手を広げる。
「私は幸せだよ。どれだけ苦しいことがあっても、私は幸せだ。だから、お母さんは決して助からない」
咆吼!
ドラゴンが吠えて威嚇する。レイは微動だにしない。
「私はお母さんを助けない。私以外にも、もう誰にも助けさせない。あなたは決して助からない」
ドラゴンは高原の土を足でひっかき、羽をばたつかせる。苦しんでいるのだろう。駄々をこねるような動きで。
「おやすみ、お母さん。もし、あなたに次があったら、今度は正しく人を助けて」
ガクリと、折れるようにドラゴンの首が垂れた。羽の先から、光の粒に変わっていく。
他人が苦しむことでしか、苦しみから逃れる術を知らないドラゴンは、苦しみが消えない事実に耐えきれない。
消えるしか、ないのだ。
母だったドラゴンが、今度は光の粒に変わり、光の粒がすっかり消え失せるまで、レイは黙ってじっと、愛しげに消えゆくものを見つめていた。
おぎゃあ。
ふいに耳に入った産声に、サラは思わず目を見開く。
レイもサラの方を振り返る。
「今の、聞こえた?」
「ええ、レイも聞こえたのですね」
世界のどこかで、ドラゴンは人間としてやり直せるらしい。
サラはライフルのセフティレバーを戻そうとして、急回転し、崖上を撃った。
「サラ!?」
レイの驚きの声と同時に、体が花や草木に覆われた、イノシシ型の魔獣が降ってくる。
ズシン、と重い音を立てて、仕留めた魔獣は地面に落下した。
サラはライフルのセフティレバーを戻し、背中に担いだ。
「レイ、ごちそうですよ。今から料理します」
人生で一番の笑顔で、サラはレイに頼んだ。
「手伝っていただけますか?」
ドラゴンを倒したぞ! ごちそうの時間だ!
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