9.5
「死んじゃった……?」
レイのがく然とした顔から、誰を指しての言葉か察し、ゆえにサラは何も言わなかった。
サラを利用しても殺せず、積み木の城たる監禁の塔を、積み上げて待った母は死んでいる。
ドラコナはいつの間にか右手に持っていた扇を開き、レイとサラに向かって指した。
「ドラゴンはただの記憶の残滓。残りかすよ。助けてくれ、助けてくれと、苦痛と苦痛から逃れたい感情のみで動く物体だ。肉体ではない。
だから死体も残らぬのだ。その点ではサラ、お前がドラゴンの消滅装置を見抜いたこと、見抜いたところで穿てぬはずの、消滅装置を撃ち抜いたこと、ほめてやろうぞ」
「消滅装置?」
真っ青な顔をしたレイの疑問に、サラは答える。
「ドラゴンの背中の一点だけ、鱗が逆さに生えているのです。そこを狙撃すれば、ドラゴンは死ぬ。今夜、レイを襲ったドラゴンもその鱗を狙撃して殺しました」
ドラコナは皮肉げに笑った。
「生きておらぬものは殺してもおらぬがな。まあ、とかく、お前の申す逆さの鱗。逆鱗がドラゴンの消滅装置だ。
のう、蜃気楼だよ。
砂漠の民が伝え語る蜃気楼だ。
砂漠で遭難し渇き疲れた人間の目の前に、水をたたえた泉が現れる。
歓喜して渇きを潤そうと水を飲もうとすると、泉の水は遠ざかる。
飲もうとしては遠ざかる水を追って、人間は乾いて死に至る。
ドラゴンは、希望という蜃気楼を追いかけているのだ。
誰かが助けてくれるという希望を追いかけて、しかし、助かったという状況はドラゴンになるような人間にとって、勝手に現れるものなのだよ。
人間を人間として見ず、自分の希望を叶えるためにある、勝手に動く道具として見ているから、永遠に渇き続けるのだ」
レイが、心当たりがある顔をした。
「ドラコナさん、ドラゴンは助けられないの?」
すがるようなレイの声に、ドラコナは高笑いで答えた。
「はははははは。やり方はもう知っているはずだ。お前たちも蜃気楼を追うつもりか。はははは」
高笑いを残し、ドラコナは消えた。
レイは、力が抜けたように座りこんだ。
あわててサラは背中から抱きかかえる。
「だいじょうぶだよ、サラ。だって今、君がこうしてくれてるじゃないか」
サラは、腕の中のレイが、ペトルシアに着いた頃よりずっと重くなっているのに気づき、場違いにうれしくなった。
「サラ、自分で立てるんだけどね、もう少しだけ、このままでいい?」
「かまいませんよ」
抱きかかえたレイは、重くなった自分を自覚して、サラに全面的に体重をかけないようにしている。
冬の初めの夜は静かだ。獣の声がわずかに響くだけ。
互いの心音の方が、トクン、トクンと心地よい調べになっている。
ランプの灯りの下、レイモンドはいつもはめている、白い手袋を脱いだ。
先に左手、次に右手、手袋から現れた肌は日に当たらないためいっそう白く。
白い肌に、痛々しいやけど痕が、くっきりと残った両手だった。
「ドラゴンになる直前にね、お母さん、暴れてランプを倒しちゃってさ。火事になりかけたのを消したとき、やけどした」
「一人で消したんですか?」
「うん。人を呼んだら、お母さんが怒られるからね」
レイの口調は、ゆがんだ関係によって負った傷の、痛みに初めて気づいたような、痛みをこらえる口調だった。
「こわかったでしょう」
サラは心から言った。けれど、レイの声には、痛みはあっても恐怖はもうなくなっている。
「うん。あの日からずっと火がこわかった。でも、もうこわくない。サラの作ってくれた火鉢は、こわいどころか大好きだよ」
レイは、一呼吸おいて言った。
「人間の不機嫌も、返しきれない愛情も、もう何もこわくない。サラを失う以外、私に怖いものなんてない」
レイの冷たい手が、サラの頬に触れて熱がうつる。ショックで青ざめていた頬が、徐々に赤みが差していく。
「サラ、今日のケガは本当に軽いんだ」
「そうですね。いろいろなことがあったわりに、体の傷は軽そうです」
執着というものが、どれほどいびつな欲求であっても。
レイの執着だけは、受け入れてあげたい。
安心して執着して、身勝手で重すぎる愛情をぶつけてほしい。
絶対に彼を、一人になんてしない。
「今日のケガは本当に軽いから、明日一緒に、ピクニックに行かない?」
サラはレイを、背中から抱きしめて言った。
「もう少しこのままでいてくれるなら、いいですよ」
ドラコナといいサラといい、自分が愛してるもの以外を尊ぶ気持ちが薄いですよね(一族の特徴だったらやだな)。
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