3.6
手のひらにぬるりとした感触がして、サラは自分自身の手を見た。
血がべったりと貼りついている。サラ自身の血ではない。
「レイモンド様!」
サラを守るため覆い被さったレイモンドの背中に、大きなガラス片が突き刺さっていた。
傷口から血が流れている。
ドラゴンが窓を破った風圧で刺さった窓ガラスだ。
ドラゴンが、再度、吠えた。
空気が、ゆがむ。
サラは背中のライフルを抜いた。
「威嚇ですか? 威嚇? 威嚇などしようがしまいが」
サラは素早くライフルに弾をこめる。
「殺す」
銃口をドラゴンの眼球に向けた。
ドラゴンは体長6メートル。前回撃墜したものより大きい。同じく赤銅色の鱗が、弾丸を弾く硬質であることは知っている。
よって、眼球から頭の中身をぶち抜く。
サラはセフティレバーを外す。引き金を引く!
瞬間、文字通り足が引っ張られ、サラの体勢が崩れた。
弾丸がそれ、ドラゴンの鱗をかすめて空に消える。
即座に体勢を立て直そうとするサラに、足を引っ張る者が訴えた。
「やめて! サラ!」
足首をつかむ手は血でべっとりと濡れていて、その血は彼自身が流している血だ。
「理由は?」
サラはレイモンドを見下ろす。問う。
「生殺与奪はスナイパーが決める。そして私は殺すと決めた。もう殺さない理由はない。殺すべき理由しかない。それでもなお生かしてくれと願うなら、願うのではなく祈りを延べよ。理由らしく聞こえる祈りを述べよ!」
「お母さんは怒られたら死んじゃうんだ!」
レイモンドが絶叫した懇願は、あまりにも幼く、純粋な、彼の魂の傷だった。
サラはレイモンドを見下ろした。
出血がひどい。元々慢性的な栄養失調だ。すぐに治療せねば命に関わる。
この男はなんと死にやすい。
「そうですか、あれはあなたの母親ですか」
サラはドラゴンに銃口を向け、引き金を引いた。
至近距離でライフル弾を、ドラゴンの、翼に、足に、腹に、頭に、浴びせ続ける。
ドラゴンの体が塔から離れた。赤銅色の鱗はライフル弾を弾くが、ライフル弾の貫通力は、強い痛みをドラゴンに与える。
「弾切れです」
サラの言葉と同時、痛みに耐えかねたドラゴンが、空に向かって飛び上がった。
そのまま、ドラゴンは逃げ去っていく。
サラは膝を突き、床に倒れ伏すレイモンドの手を握った。
塔を恐る恐る上がってくる、使用人たちの足音が聞こえる。
「だ、旦那様ー……」
サラは大声を張り上げた。
「デュマ医師を呼んでください! レイモンド様が大けがです!」
そして、レイモンドの耳元でささやいた。
「どこにも行ったりしないから、生きて、レイ」
「あの……、奥様……」
メイドが、背後から声をかけてくる。
奥様ではないと訂正するコミュ力が、サラにはない。
「奥様、あの……、本当にこの部屋のままでよろしいのですか?」
大破した窓を男性使用人が、板を立てかけて塞いでいる。サラの希望で、スコープで観測する隙間を板の間に作ってもらった。
破壊されたテーブル、吹き飛んだクローゼット、中身のドレスはぼろきれと化している。 中心に置かれたベッドに守られて、陶器の鉢は奇跡的に無事だった。代わりにインテリア類は皆ガラクタになった。
「東の国には、臥薪嘗胆という言葉があるそうです」
「あ、はい……」
よし。きちんと説明できたようだ。サラは内心ガッツポーズをする。
説明という行為は苦手なのだ。
説明したところで結果に変更がない事項ならば、説明する必要性を感じない。
結論と最低限の結論に至る理由だけ述べれば、充分だと思う。コミュ障である。
世の中は、なぜか説明を求める人間が多数派なので、相手をあえて不快にすることもあるまいと説明をするが……。
必要性を感じない行為がうまいはずもない。
しかし、今のはなかなかうまくやった方だと思う。サラの説明リーグ今年度MVPではかろうか。
臥薪嘗胆。
ドラゴンは殺すという、決断に変更はない。
にもかかわらず、レイモンドの懇願につい、逃がしてしまった。
破壊されたままの部屋に住むのは、情に流されやすい自分への戒めのためだ。
忘れるな。殺せ、と。
レイモンドは、未だ伏せったままである。
ガラスは無事除去できたのだが、栄養失調で弱った体に、大出血は負担が大きすぎた。
今も点滴が外せない。
そう、点滴のみなのだ。
「伯爵はまだ食事を摂らないのですか?」
サラの問いに、メイドは首を振った。
「ええ。旦那様はいつもなら、我々に隠れて少量の食べ物を召し上がっているのですが……。今はご自身で自由に動けませんので……」
サラはメイドの説明を咀嚼する。彼女の説明は、サラのMVPの百倍うまい。
「用意された食事、となると食べないで、盗み食いで飢えをしのぐだけで生きている、と。今は盗み食いができないので点滴生活なわけですね」
メイドは少し「言い方がさあ……」という表情になったが。口にせず「さようでございます」と答えた。
「原因に心当たりはありますか?」
「わたくしには……、いえ、今、屋敷に勤めている使用人すべてが、存じ上げないかと。我々が屋敷に参りましたときには、もう、旦那様は食事をとられなくなっておられましたので」
「屋敷に来られたのは何年前ですか?」
「8年前です。8年前、旦那様がご当主となられた歳、使用人がすべて入れ替わりました。我々は皆よそ者です」
と、すると、レイモンドが11歳以前に、食事を採れない原因がある。
使用人がすべて入れ替わるのも、全員を領外から雇うのも妙だ。何かある。
「うわっ、なんだコイツ、奥様、薄気味悪い鳥がいるんですが。捨てちまっていいですかい?」
思考に割って入るように、窓に板を張っていた男性使用人が、窓から離れず声をかけてきた。
サラは窓により、下を覗きこむ。
薄気味悪い鳥、が何か確認すると、サラはすばやく手を伸ばし、鳥をまだ打ち付けられていない板の隙間から引っ張り入れた。
引っ張り上げたものの見た目は、白くて小さいカラスだ。羽を痛めて飛べなくなっているらしい。体長は20センチ程度。
引っ張り上げたサラは、結論を言った。
「これはコダマガラスという魔獣です。飼います」
ドラゴン絶対殺すマンヒロインに、鎮まりたまえする辺境伯でした。
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