3.2
夜を迎えたサラの塔に、初めて灯りが灯された。
ロウソクにしろアルコールにしろ油にしろ、灯りには火が必要だ。
レイモンドは、サラの塔に、火を持ち込もうとしない。
今日もランプを一つ、部屋の中に持って入ったが、レイモンドの手からランプが離れない。
今日のレイモンドは、いつもの格好ではなくモーニングをまとっていた。黒の光沢ある生地が、レイモンドの痩身を際立たせ、いつもより色気が強い。ゾッとするほどだ。
対して国王陛下はいたってラフで、狩にでも行ってきたかのようなスタイルである。リボンタイをしているレイモンドに対して、国王陛下はネクタイをしていない。
国王陛下より、メアリの方が着飾っていた。派手なドレスの上に、大きく結い上げた髪に虹色ガチョウの髪飾りをゴテゴテつけている姿は、とても聖職者には見えなかった。
と、いうか。
レイモンドと国王陛下とメアリのみで、室内に入ってきたが。
いいのか。従者とか、いないとダメなんじゃないのか、国王の立場的に。
いや、メアリが既に、メアリさえいればいい地位に就いているのか? 早すぎないか?
とにもかくにも、サラは国王陛下に一礼する。
「こんばんは」
「よいよい、表を上げよ」
ハリのある声に従い、サラは顔を上げた。
壮年の国王陛下は、髪の毛に白いものが交じるも肌つやはよく、姿勢もよい。黒髪黒目の顔立ちは年相応だが、年齢に伴う肥満は感じさせなかった。
声、姿勢、体格、三点から察するに、国王陛下は軍歴が長い。
かといって現役なはずはないが……。軍人とは相性が悪いんだけどなー。あいつら縦社会の集合生命体みたいなところあるから、協調性がない人間は嫌うんだよなー。
無言で突っ立ったまま、国王陛下の背後に視線を移す。
メアリが、余計なことをしゃべるなと、威嚇するようにサラをにらみつけている。
元々要望を口に出す前に他人が先回りして要望を叶えてくれないと、不機嫌をあらわにする妹だ。
今の聖女様と周囲がこぞってご機嫌取りをしてくれる環境を、手放したくないのだろう。
要望を察しても無視する性格のため、妹がいる家の居心地が悪く、任務任務で家に寄りつかなかった姉にはよく理解できる。
ランプを持ったレイモンドが、二人を振り返ったとたん、メアリは作り笑いに急変化した。
あ、うん、妹よりは元軍人の方が、相性が悪くないだろう。
「暗くてすみません。どうぞ、おくつろぎください」
レイモンドは上座を国王陛下に勧める。国王陛下が悠然と座ると、レイモンドは自分も席に着き、「妹さんも座ってよ、サラも」と勧めた。
一つのテーブルに、国王とレイモンド、サラとメアリが、お互い向かい合って座る形になる。
レイモンドは、初めてランプをテーブルの中心に置いた。ランプを置く、手袋に包まれた左手が、わずかに震えているのにサラは気づく。
サラが大丈夫かと問う前に、レイモンドが左手に下げた瓶を掲げる。
「じゃーん! ご覧ください! 陛下にアドバイスいただいた酒が完成しました!」
じゃーん、って……。いつまで11歳のつもりだ伯爵。
唖然とするサラとメアリをスルーし、国王陛下は相好を崩す。
「おっ、完成したか!」
「はい! 私はアルコールが飲めないので、アルコール度数の高さに、ニーズであるとは気づきませんでした。陛下が軍にいらしたころのお話が聞けてよかったです!」
「ははは、こいつは飲んべえの軍人しか気づかんよ。どれ、早く一口」
「はい! すぐに毒味いたしますね」
「待て」
国王陛下が真顔に変わり、グラスに注ごうとするレイモンドを止める。
「その酒の度数は?」
レイモンドは「え?」なんで止められたの? と言わんばかりの顔で答える。
「35%です」
サラはとっさに、レイモンドの手からグラスをひったくった。
「ダメです。死にます」
単に下戸というだけでも飲むには危険な度数だが、レイモンドはどう見ても慢性的な栄養失調だ。下戸+空きっ腹+高度数アルコールは命に関わる。
「私が毒味をしてよろしいでしょうか?」
国王陛下が真顔から、鷹揚な表情に戻る。
「すまんなサラ嬢」
「申し訳ありません陛下、姉は昔っから気が利かなくて」
メアリが会話に割って入った。
「いや、姉上は余の臣下ではないのだから、毒味をするのは筋違いなのだ。が、お前が毒味をしたところで意味がないしな」
「え、ええ、さようでございましょう? ですから、姉の察しの悪さが歯がゆかったんですの。本当に昔っからこの調子で、手がかかって困りますわ」
メアリに助けられたことなんて一回もないぞ。っていうか、人目がなくなると無視か舌打ちしかしない妹だったろう。
まあ、「気が利かない」「察しが悪い」は、相手が思い通りに動かないときの、メアリの口癖であることだし。
いいか。酒は好きだし。
グラスに瓶の中身を注ぎ、酒を一口、口に含む。
「!」
独特の芳醇な香り。体内に火が点ったような感覚。冷たく冷やされたはずの酒から、熱を覚える!
「おいしいですね」
毒ではない。だが、飲み過ぎの毒に注意、だ。
「そうか、サラ嬢」
「やったあ。陛下もどうぞ」
やったあ、て……。
サラの思いに気づかず、国王陛下のグラスにレイモンドは酒を注ぐ。
酒の香りを嗅いだ国王陛下の目が、明らかに輝いた。飲んべえの軍人はガチのようだ。
国王陛下がグラスを傾ける。
「これ! これだよ! 寒中の塹壕でほしい酒は!」
ぷはっと息を吐き出し、国王陛下は歓喜の声を上げた。
国王陛下! わかっておられる!
サラも脳内で同意する。わかっておられる、口に出すべきか? どんな表現で? と、いうか、わざわざ口に出すような同意かこれは?
無表情で考えているサラに、レイモンドが小首をかしげて問うてきた。
「サラ、私にはよくわからないのだけど、サラも同じような感想なの?」
会話を振られた!
内心激しく動揺するサラを見て、レイモンドがニコニコとする。国王陛下はのんびり答えを待っている。メアリは……、恥をかけと考えているのが顔に出ている。自分の顔に周囲の目がいってないと、露骨に顔に出るんだよな。
と、まったく表情を顔に出さずにサラは確認し、やっと口を開いた。
「寒中で来ない敵をひたすら待ち続けるときには、ぜひともこの酒で温まりたいですね」
レイモンドと国王陛下の顔が、いきなり明るくなった。
「レイモンド! お前の婚約者はわかってるじゃないか!」
国王陛下の、豪快な声が響く。
「いつ来るかわからん敵だが、たぶん今日は来ない! なぜなら雪が降っている! そんな日にほしいのは、燃料になる酒だ!」
サラも無表情のまま、言葉を多めに返答する。
「ええ。手っ取り早くあったまって、気分がよくなる強い酒。高級なブランデーなどより、さっと手軽にあおれる酒が必要です。北方で潜伏していた際に、これがあったらどれだけありがたかったかと」
「北方に征ったことがあるのか! コールドレッドシャークの卵に合うだろうな、この酒は。輸送船でもほしい酒だ」
「コールドレッドシャークの卵、確実に合いますね。あの日あの時これがあれば、を、人生で初めて考えました」
「あの……」
レイモンドがそーっと提案してくる。
「キャビアしたら……。瓶詰めが少し残っていたかと」
「「何もわかってない」」
国王陛下とサラの言葉がそろった。
「コールドレッドシャークを自分で仕留めて腹をさばいたら、卵があってラッキー、というときの話をしているのです」
「海水で既に塩味がついているのを、手づかみで食うときあてにほしいという話をしているのだ」
「なんなら卵にかけてもいいですね」
「いいな! さばいた腹に直接酒をぶちまけてもうまそうだ!」
軍人と話が盛り上がるとは!
魔獣の卵を酒のあてにする話など、口に出すほどの内容でないと思っていたのに!
レイモンドが笑顔のままで固まっている。メアリは笑顔すら浮かべず固まっている。
なんとなく二人とも、別方向に嫌そうにしている気がする。
メアリはわかるが、レイモンドは自分から話を振って、何を不満そうにしているんだ。
国王陛下はご機嫌に、レイモンドに酌をうながし、言った。
「今夜は気分がいい! レイモンド、頼み事があるのなら今夜のうちにねだってこい!」
国王陛下のグラスに酒をつぐレイモンドの顔から、一瞬で不満が吹き飛んだ。
「よろしいのですか!? なら、サラに私の心臓を吹っ飛ばさせてください!」
何言ってるんだコイツ……。
辺境伯は田舎の名家ご令息なので、スナイパーと国王の蛮族飲み会にはついていけません……。聖女の義妹はシラフでモラハラです……。
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