2.7
「確かにいじめと取れる行動をしましたが、いじめるつもりはありませんでした」
翌日、昨日と同じくケーキと紅茶を一人分だけ持ってきたレイモンドに、サラは言った。
言ってから気づいた。
いじめっ子しか言わないセリフだコレ!
昨日、レイモンドが立ち去ってから、サラはレイモンドの、奇妙な媚びに対し、理由を考えたのである。
媚びが発する婀娜っぽさに、あてられたわけではない。
現在、レイモンドはサラを監禁中である。
監禁以前にはサラの命を助け、帰還中に倒れ、監禁後は衣食住すべてまかなった上で、性的軍事的いずれの要求もしない、手も握らない。
サラの疑問を一言で表す。
あの男、もうちょっとえらそうに振る舞える立場ではないのか?
かくしてサラは、暗闇で月を眺めながら、自身の行動を思い返したわけである。
・出会って初日に必要最低限しか話しかけるなと告げ、10日間ろくに会話をしなかった。
・帰還した初日に首を締め上げながら刃物で脅した
・首を絞められて生理現象で流した涙を、泣いたとからかった
自身の行動を思い返すと、怯えられる要素しかなかった。
レイモンド本人に追い出す権限はあるはずなのだが、 本人が出て行けと言わない以上、不必要に怯えさせたくはない。
サラはまっとうな人間性の持ち主である。いじめは唾棄すべき悪行と知っている。
自分が流させた(窒息に対する肉体反応での)涙に対し、「やーい、泣ーいたー」などと、いじめっ子のテンプレ行為をしたからには、誤解を解くのは責務である!
結論づけた後はぐっすりと眠り、朝食を取り、昼食をとり、スコープを常にのぞき、そして冒頭にいたる。
サラは無表情のまま、ケーキと紅茶をのせたトレイを片手に立つレイモンドに言う。
「リテイクをお願いします」
「あ、うん」
「泣かせようと思ってはいませんでした。あなたが勝手に泣いたのです」
ダメだーーーーー!!
口にしてから床に崩れ落ちるサラを、レイモンドは困ったように見下ろす。
「えっと……、ごめん……、私、いじめられたり泣かされたりしたっけ?」
崩れ落ちていたサラは、のろのろと起き上がって答える。
「押し倒して首を絞めてナイフを突きつけましたが」
「……」
レイモンドは、ぽかん、と口を開いた。
「監禁されたら、抵抗するのは当たり前じゃない?」
サラもぽかん、と口を開いた。
「私を監禁したところで、あなたの生殺与奪はスナイパーが決めるのですが?」
あ。
言ってから気づいた。これでは完全に、いや、今度こそ早急に誤解を解かねば。
「いえ、殺すぞ、と言っているわけではありません」
は、と自分の極端な無表情に気づく。この表情では説得力がない。
笑顔、笑顔だ。口角をつり上げ、歯を見せて愛嬌を見せるのだ。
「あなたに限らず、あらゆる生き物の生殺与奪は、スナイパーが握っているだけなのです。これは単純に事実を述べているにすぎません」
一瞬でレイモンドの表情が強ばり、すーっと顔が青くなった。
「あの、サラ、ご、ごめん……。本当に、ごめんね……」
おかしい、なんで命乞いみたいなことを言い出されているのだ。
「私、サラが喜んでくれるように、もっとちゃんとがんばるから!」
強ばった表情を笑顔に戻し、青ざめた顔のまま、レイモンドは謎の決意表明をして。
ケーキとお茶をテーブルに置き、足早に去って行った。
窓枠に三脚を立てられたら、もっと楽なのだが。
サラは肩にライフルを乗せ、立て膝の姿勢でスコープを覗いていた。
特に標的はいないので、引き金から指は遠い。
標的を狙うのであれば、この姿勢で一日過ごす程度楽勝なのだが。
単に周囲を観測するだけだと、どうにも気を抜いて楽を求めてしまう。
窓ガラスさえなければ、窓枠に三脚を固定できるのだが……。
「ひとの家のガラスを割るなど、暴徒のふるまいですからねえ」
朝食の残りのトーストを、床に置いた皿から取り、ぱくりとほおばる。
「今日も変わらず平和ですねえ……」
出勤や登校で賑わっていた街は、労働や学業の時間帯に入った。
通りを歩いている人間は、老人や子連れの女がちらほらいるだけだ。
畑に視線を移すと、農民も労働時間である。収穫期の終わりを迎えた今、スパートをかけているといったところか。
「暇なのは私ぐらいのものですか」
忙しそうにしている人々を見ながら、暇な自分を自覚するのは、なかなかに後ろめたいものである。
気持ちを切り替えるために、スコープを山の方角へ向けた。
スコープ越しに、石碑が見えた。文字が彫り込まれているようだ。
山に石碑?
国境の地の宿命たる墓碑銘か? 水の豊かな山間部の知恵たる災害記録か?
スコープの精度を調整して、石碑の文字を拡大した。
『心悪しき者、皆竜と化せ』
サラの背筋に寒気が走った。思わずスコープから目を離す。
たった一行彫られた文字から、おどろおどろしい怨念が噴き出しているように感じたのだ。
「竜……、ドラゴンの意味ですよね」
もう一度スコープを覗きこもうとした瞬間。
「サラー、ちょっとうるさくしていいー?」
レイモンドの声がした。
サラは呼吸を整えて、平静な声を扉の向こうのレイモンドに返す。
「どうぞ」
扉が開くと、ぞろぞろと入ってくる屈強な男たち。
「え」
男たちの手には、大量の祈祷文書書と大量のドレスがあり、無言で男たちはドレスをクローゼットにかけて、簡易的な祭壇をしつらえ、祈祷文書を祭壇に積み上げた。
何が何だかわからないまま、声をかけることもできず、一礼して立ち去っていく男たちを見送るしかないサラに、男たちと入れ違いに入ってきたレイモンドが声をかける。
「妹さんからプレゼントだって」
レイモンドの言葉を理解しかね、サラはオウム返しに問い返した。
「あの妹から?」
口に出した瞬間、頭が冷える。
「ラクール一族に、私の居場所を?」
私を売ったのか? レイモンドが、私を裏切ったのか?
心臓が冷たくなるような感覚を覚える。
妹を発端とする一族に謀殺されかけたときは、”裏切られた”という、怒りではなかったのに。
レイモンドには、”裏切られた”と、心臓が冷たくなる。
サラの表情を見て、レイモンドはあわてた。
「ちがうよ、サラ。一族の追っ手が来るんじゃなくて」
レイモンドは床にしゃがみ、安心させるようにサラと視線をあわせた。
「国王陛下がサラに会いに来るんだ」
裏切られた、という気持ちは消え失せた。
ただただひたすら。
「理解できません……」
なにゆえ、国家のトップが逃亡者に会いに来るんだ?
あなたをいじめる気はないので怖がらないでください、あなたの命を握っているだけです(監禁されているヒロインの弁明)。
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