1、吉川良平、頼まれる。
「俺のカノジョをやってくれ」
騒がしい学食で言い渡された言葉に、吉川良平は口にくわえていたかまぼこを、ぼとっとお椀に落としてしまった。
最低料金一八〇円のかけうどんの汁が跳びはねて頬に当たったが、もはや拭う気にもなれないらしい。
「ふ、ふへっ?」
顔を歪めた良平だったが、しかし、目の前に座っている二ノ宮晃二は、まったくの真顔で繰り返した。
「だから、俺のカノジョをやってくれ」
「なにが『だから』だよっ。丁寧に繰り返すなっ!」
憤懣やるかたない様子の良平だが、晃二の方は至って冷静だ。
お互い、まだ高二の十七歳で青春街道をアクセル全開だというのに、良平はともかく、晃二はクールすぎる観がある。医者を勤める父親似のせいもあるだろうが、なんとかならんもんかと思えてならない、良平の悩みの一つである。
ちなみに、良平と晃二がどういった間柄なのかというと、簡単に言えば、お隣りさんという間柄だ。
中一の頃、良平が晃二の隣の家に引っ越してきて早五年目、クラスも五年間一緒という腐れ縁も手伝ってか、すっかり仲良し子良しと化した今日なのである。
「なあ、今の話、マジで言ってんの? 冗談っしょ? もう、良ちゃんマジでビビっちゃった~っ。晃二ったらきかん坊なんだからぁ~」
気を取り直し、もう一度かまぼこをくわえた良平に、晃二は学食メニューで最高額である日替わりA定食のハンバーグの手を休めて続けた。
「大マジだ」
ぼとっと、またもやかまぼこがお椀に戻る。
良平は「う~ん……」と右を向いて悩み、左を向いて悩み、うつむいて「う~ん……」とうなった後、「あのな」とシビアな顔つきで晃二を見た。
「……晃二、よく考え直せ。俺は男だ。OK?」
「OKだ」
「じゃあ、お前のカノジョになるのは無理だ。OK?」
「NOだ」
「なんでだっ! 分かりやすく説明してやっただろっ! お前はアホかっ!? いや、アホやっ! 間違いないっ!」
「それもNOだ。オレはアホじゃない。本気で言ってるんだ」
「だから怖ぇーんだよっ!」
必死でまくしたてる良平にも、晃二の対処はよほど冷たい。
「うるさい。とにかく、人の話は途中で茶々を入れずに我慢強くしっかり最後まで聞け」
「……はーい」
幼稚園の保育士さんのような説教を始めた晃二に、良平は聞き分けのいい幼稚園児のように返事を返すしかなかった。変に冷静沈着に説教を始めた晃二は、キレる寸前五秒前の合図なのだ。
「取り敢えず、時間は昨日に遡る。昨日の朝、俺は下駄箱に一通のラブレターが入っていることに気付いた」
「あらあら。毎度の事だからって、当たり前みたいに軽~く喋りやがって。ちょっとはこっちにまわせよな。まったく、顔はいいわ、頭はいいわ、タッパはあるわ、金持ちだわ。ほんと、世の中不公平――」
「黙って聞け」
「……は、はい……」
手に持っていた二本の割り箸で、良平の両眼を突き刺そうとしている晃二に、良平は、あわわわわ……と、顔面蒼白になり、吃って返事をするしかなかった。
「とにかく、放課後に指定の場所まで言って、俺ははっきり断わった。そしたら、相手がしつこいのなんの。で、言わばすったもんだになりました」
「ふーん、モテる男は辛いよなぁ。でも、そういう話をマジで悩み事として持ち込まれ、真剣に聞いてやっている俺の方がよっぽど不幸だと思うんだが。自然と顔も半笑いになってしまうんだが。どうだろう?」
「とにかくまだ続きがある。茶々を入れずに我慢強くしっかり最後まで聞けと言ったばかりだろ、この粕汁が」
「な……! 粕汁はおいしいぞ! 悪口に使うなよ!」
ツッコミというより注意をした良平を無視して、晃二はそのまま続けた。
「で、あまりにもしつこいもんだから、俺はとうとうこう言った。『悪いけど、今、付き合ってるカノジョが――」
「あっ!」
晃二の言葉を遮って、女の子の声が二人の間に割り込んだ。
良平と晃二がほぼ同時にそちらへ目をやると、一人の女の子が親子どんぶりの乗ったお盆を手に立っている。
茶髪のボブカットに切れ長の目が印象的な、キリッとした顔立ちの可愛らしい女の子だ。
彼女を目にした途端、あからさまに嫌な顔をした晃二に、良平は首を傾げた。
「どなたさんなの?」
箸を握ったまま動かない晃二の手を引っ張って訊くと、
「どーもーっ。昨日の放課後、晃二さんにフラれちゃった池端しのぶでーすっ!」
と、女の子は喜々として自己紹介を済ます。そして、さりげなく否応なしに晃二の隣に座った。
(……なるほど、晃二の苦手なタイプだ)
良平は、胸中こっそりと思っていた。
晃二の好きなタイプを解説すると、髪はロングのストレートで、もちろんカラスの塗れ羽色、和服の似合う茶道家元風のお嬢様がお好みなのだ。
趣味はお茶やお琴やお華で、性格はもちろん、恥ずかしがり屋で引っ込み思案、かつ、気品漂うおしとやかな女性という、まさしく大和撫子の代名詞を夢見ているようなアホなのである。
(そんな女の子いるかな~? いたら天然記念物だよな)
と思えてならない良平であるが、しかし晃二の理想は更に留まるところを知らない。なんと、事もあろうに出逢いのシーンまで夢見ている奴なのだ。
例一に、図書館で、高い位置の本が届かなかった彼女に代わって取ってあげるバージョン。
例二に、雨宿りをしている彼女のもとへ、自分も雨宿りをするバージョン。
例三に、電車に揺られてぶつかってきた彼女を、力強く支えてやるバージョン。
……と、まあ、一八〇㎝の図体に似合わず、なかなかのロマンチストくんであり、肉食系の池端しのぶは、例に漏れず晃二の苦手なタイプに属するのであった。
「似てると思ったら、やっぱり晃二さんだったんですね。考え直してくれましたか?」
「いや、俺はお前とは付き合わない。昨日も言ったが、俺は」
「カノジョがいるなんて、どうせデタラメに決まってます。本当にいたら、さっさと教えてくれたはずです。そうでしょ? 晃二さん?」
「うう……」
押され気味になっている晃二に、良平は面白そうににんまりと笑う。常日頃、自分を小馬鹿にする者が他人に気圧されている様子は、絶景かな、一種ざまーみろという充実感が生まれる。
そんな良平に気付いてか、晃二はテーブルの下で、思いっきり良平の弁慶の泣き所を蹴っ飛ばした。
「いてっ!」
叫んで涙目になっている良平に目もくれず、晃二は無表情でハンバーグをもぐもぐと食べている。
(サイコパスめ……)
テーブルの下で、弁慶の泣き所を優しくさすりながら、良平は必死に怒りを抑えていた。
「晃二さん、どうしてお付き合いはダメなんですか? いいじゃないですか」
「嫌なものは嫌なんだ」
「何事も試してみないと分からないでしょ。せめてお試しで一週間だけでも」
「嫌だ。とにかく嫌なものは嫌なんだよ。オレにはカノジョがいるし」
なんとか冷静を装って頑なに断わり続ける晃二に、しのぶは、「しょうがないなー」と妥協案を持ち出した。
「カノジョがいるから付き合えないというのは分かりました。でも、カノジョがいらっしゃるなら見せて下さい。見せてくれるまで、私は諦めきれません。今週の土曜日、私はイトコを連れていきますから、晃二さんはカノジョさんを連れてきて下さい。そしたら、私も諦めがつくと思います」
自分に言い聞かせるように強い口調で言い切ったしのぶに、晃二はなにやら考え事をしている様子だったが、
「分かった」
と、快く引き受けた。
初めは「?」と首を傾げていた良平だったが、先ほどの「俺のカノジョをやってくれ」の台詞を思い出し、みるみる青ざめていく。
しのぶは違う席からの女子の呼び掛けに気付き、
「それじゃあ、時間と場所は後ほど連絡します」
と言い残して、さっさとお盆を持って席をはずしてしまった。
真っ青な顔で珍しく無言の良平に、晃二はなんでもない事のようにとどめの台詞を吐いた。
「というわけだから、オレのカノジョをやってくれ」
「ふざけんなっ! どうやるんだよっ!?」
「女装しろ。カツラはこっちで用意する。そうだ。姉貴に服を借りて、ついでに化粧もしてもらおう」
「絶対にやだよっ! 一人で勝手に困ってろ。ごちそーさま」
返却口に行こうと背を向けた良平に、晃二は次の瞬間、なんとも痛いところを突いてきた。
「明日からの一週間、食堂のカレーライスをおごってやる」
「なにっ!?」
次の瞬間、先ほどまで興味なさげだった良平が、ぐるりと凄い勢いで振り返った。その瞳はキラキラと輝いている。
しかし、おねだり得意に輪を掛けてがめつい性格のためか、良平もなかなかに抜け目がなかった。
「ふーん、カレーかぁ。なんかいまいち物足りねーよなぁ」
瞬時に、わざとらしく納得いかないという顔つきに変化させる良平に、晃二は不思議そうに腕組みをする。
「なんでだ? 福神漬けがお替わりし放題だぞ」
「おりよっかなー……」
面白くなさそうな顔つきで、わざとらしく架空の空き缶を蹴る振りを始めた良平に、晃二はダメもとで告げてみた。
「カツカレーにしてやる」
「やるっ!」
またもやキラキラおめめを復活させた良平に、
(安い友で助かるよ……)
晃二は、ふー……やれやれ……と額の汗をさりげに拭った。
読んでくださって、ありがとうございました。
次回に続きます。