婚約破棄と決意
そして、ついにその日はやってきた。
「アメリア。君との婚約を破棄させてほしい」
珍しく、今日は婚約者様が私に会いにくるからと、これまた従妹のものである洋服を着せられたかと思いきや、私と向かい合って座るなり婚約者様から開口一番告げられた言葉がこれである。
……それも、予想通り隣には従妹の姿があって。
(ついにやってきたわね)
愚かなこと。この家が破滅の一途を辿る一方だということも知らずに従妹と、なんて。
それでも知らないフリをし、社交辞令のため一応尋ねる。
「理由をお聞かせ願えますか」
そう尋ねると、婚約者様は申し訳なさそうに口にした。
「僕は、君ではなく彼女を愛しているんだ。
君は確かに完璧だったが、君と僕との間に恋愛感情はなかった。
それなのに結婚するなんて間違えていると思うんだ」
分かっていたことだけれど、ここまで愚かだったとは。
結婚する前に別れを切り出してくれたのは不幸中の幸いだったわね、と婚約者様のお馬鹿さ加減に頭を抱えたくなるのを何とか堪え、言葉を噛み砕いて口にする。
「……つまり、あなたは私の亡き両親とあなたの両親とで取り決められた婚約が、嫌で嫌でたまらない、と」
「いくらなんでもそんな言い方はないわ!」
従妹がいらぬ口を挟んできたため、私もすかさず返す。
「でも本当のことでしょう? キャロライン。
あなただってそうよ。私と私の婚約者様が婚約を解消した後ならまだしも、婚約している状態で私を差し置いて仲睦まじくしているのを学園の生徒に見られ、裏で専らの噂になっているのをまさかご存知でない?
バルディの名を汚す一家の恥晒しも良いところよ」
「は、恥晒しですって!?」
従妹がヒートアップする。
これも、私の策略のうち。短気ないつも通りのキャロラインだ。
(ま、その姿を婚約者様に見せたことはないだろうけど)
婚約者様が驚いているのが何よりの証拠ね。
「えぇ、そうよ。それにね、私の亡き両親の形見から何から全て売ったお金で着飾り、領民をも蔑ろにする。
あなたのその伯爵令嬢らしからぬ捻じ曲がった根性が許せないわ」
「う、嘘だろう……?」
意外にも言葉を発したのは婚約者様だった。
私は肩をすくめる。
「残念ながら、本当のことよ。見たでしょう?
この家の有り様を。家の家具は最低限残して売り払われ、家宝であった置物、使用人も誰一人残っていないのが証拠よ。
あなたが目にして信じていたものは、全て紛い物の偽りであり、今目にしているこの現状こそが真実なのだから」
「そ、そんな……」
愕然とした様子の婚約者様はさておき、私は意地の悪い笑みを浮かべて言葉を発した。
「あなたお得意の助けを呼ぶなら今のうちよ? キャロライン。
あなたには甘やかしに甘やかしてあなたをダメにしてくださる両親がいらっしゃるものね」
「……っ、お父様、お母様あ〜〜〜!!」
「キャロライン!?」
婚約者様のことを振り向くこともせず、キャロラインは案の定涙を流して部屋を出ていく。
行き先は言わずもがな、婚約破棄騒動を知っているだろう両親の元だ。
……ほら、案の定騒がしい足音が近付いてくるもの。
私は怒りと興奮とで震える心を落ち着かせるため、自分が淹れた紅茶を一口飲むと、目の前にいる放心状態の婚約者様に向かって口を開いた。
「……アルベルティ様」
いつもなら幼馴染の間柄であった私が名前を呼ぶところを、わざとアルベルティ、と彼の生家である伯爵家の家名で名を呼んだのは、ほんのささやかな意趣返しだ。
案の定驚いたように目を丸くする彼に向かって告げる。
「確かに私とあなたは、婚約者というよりは幼馴染として育ったかもしれません。
私にも至らぬ点はあったかもしれませんが、それでもあなたの婚約者であろうと努力はいたしました。
……残念ながら、あなたのお心には響かなかったようですが」
「ア、アメリア……」
私の名前を呼ぶ彼に返答することなく立ち上がると、隠し持っていた魔法陣が描かれたメモを手に言葉を続ける。
「そうですね、私は“アメリア・バルディ”ではなく、これからはただの“アメリア”として生きることにします。
……私の大好きな両親と共に、“バルディ伯爵家”と私はいなくなったと。
あなたのご両親はこのことをご存知かどうかは存じ上げませんが、そうお伝えくださいませ」
「っ、待ってくれ、アメリア。僕は……っ」
「あなた様のご両親には申し訳ございませんでしたと。
私とあなたの間の婚約はなかったことにしてくださいと、平身低頭に責任を持って謝罪もしておいてくださいね」
「アメリア!!」
婚約者様、いえ、アルベルティ様が私の名を呼んだのと叔父家族が扉を乱暴に開け、部屋に怒鳴り込んできたのはほぼ同時だった。
そして、叔父は私にツカツカと歩み寄って来たかと思うと、バチンッと身体が吹っ飛ばされる勢いで強く私の頬を打った。
「!?」
アルベルティ様がいるにも拘らず、すっかり化けの皮が剥がれたいつもの叔父を見て、全て策略通りにことが運んでくれたことに心からの笑みがこぼれ落ちる。
「あはははは!!」
嬉しい、やっと、こんな人達から解放される。
気が狂ったような笑い声を上げる私を見て、叔父家族は仰天し、従妹がこれまた面白いほど策略通りに転がってくれる。
「お、お父様、やっぱり変よ。家から追い出すべきだわ」
「そうよ、この貧乏神がいるから、我が家は火の車なのよ!」
「そうだ! お前がいるからだ! 出て行け!!
お前のような奴は、伯爵家に相応しくない!!」
キャロライン、母親、そして父親と続く言いたい放題の言葉にさすがに堪忍袋の尾が切れる。
「……伯爵家に相応しくない? 私が貧乏神だからこの家が火の車に? 笑わせないで。
私の父が、母が守って来たこの家を全て滅茶苦茶にし、台無しにしてきたのはあなた達でしょう!?」
「「「!?」」」
今まで私が声を荒げたことはなかった。
大声を出すなんて、淑女にあるまじきことなのだから。
でも、もう関係ない。
私はこんな叔父家族に乗っ取られた伯爵家とはおさらばするのだから、最後に全て本音をぶちまける。
「この家を潰したのは他でもないあなた達よ!
私は精一杯頑張ったわ! 使用人の仕事も、領民達をあなた達という魔の手から逃したのもこの私!
残念だったわね、私があなた達の操り人形だと思ったら大間違いよ!!
……けれど、あーあ残念だわ。勇者パーティーが旅立ってしばらく経ったけれど、彼らに頼めばよかった。
ここには魔物よりも恐ろしい人達がいるってね!!」
「黙れ!!」
叔父が怒って私に向かってくる。
それをひらりと交わし、足を引っ掛けてあげれば派手に転ぶ。
それを見て高笑いして見下ろした。
「あはは、本当愉快で無様な姿ね。愚かで、馬鹿なのはあなた達の方だわ。
……私は絶対に許さない。私の両親を侮辱し、蔑ろにしたあなた達を決して神も赦しはしない!!」
そう言うや否や、私は窓から外へ飛び出る。
幸いここは応接室であり屋敷の一階だったため、彼らからは見えない屋敷の側面に移動すると、持っていた魔法陣が描かれたメモに自分の魔力をありったけ込める。
刹那、魔法陣は私の足元に顕現した。
この魔法陣は、私の唯一のお守り。
両親が亡くなった際に、さるお方から頂いたものだ。
(さすがにこれは、と首を横に振ったけれど……、やはり頂いておいてよかったわ)
眩い光に身を任せるように、瞳を閉じる。
(あぁ、やっと私、解放されるのね)
両親の唯一の形見であった屋敷も守ることは出来なかったけれど。
それでも、あの人達を野放しにするよりは良かったのだと。
そう自分に言い聞かせ、次に目を開けた先には聳え立つ高い城門が。
「っ、あなたさまは……」
傍に立っていた二人の門兵に向かって淑女の礼をし、口にする。
「バルディ伯爵家が長女、アメリア・バルディと申します。
突然の訪問、ご無礼をお許しください。
私から取り急ぎお話しさせて頂きたいことがあるため、国王陛下に拝謁願いたく存じます」
アメリア・バルディという名で門兵が慌てて動き出す。
それを静かに見つめ、心の中で呟く。
(お父様、お母様。親不孝者でごめんなさい)
そうしてゆっくりと、閉じられていた門が目の前で開かれていくのだった。
このお話にて、第一章完結です!
次話よりざまぁの処遇+契約結婚のお話に入ります。