契約妻として①
「今から王城へ?」
リディオ様から告げられた言葉に思わず瞬きをすれば、彼は頷いて言った。
「うん。報告だけしたらすぐ帰ってくるよ」
「……そう」
「……寂しい?」
尋ねられた言葉に反射的に首を横に振れば、彼は苦笑いする。
「間を置かずに振られると、それはそれで傷つく、かも」
「ご、ごめんなさい! その……」
口を開きかけたけれど、彼を困らせるかもしれないと思い口を噤むと。
「聞かせて」
「え?」
驚きリディオ様を見やれば、彼は微笑んで言った。
「言ったでしょう? 君の本音が聞きたいんだって。
契約書にも後で付け足しておこうか。
“お互い言いたいことは隠さず本音をぶつけ合う”って」
「! ……ふふっ、良いかもしれないわ。夫婦円満の秘訣よね」
私の言葉に今度は彼が目を丸くすると、「そ、そうだね」とどこか慌てたように言ってから私に話を促す。
「それで? 君の本音は?」
彼に促され、今度は意を決して口にする。
「本当は、あなたとこれからお屋敷の内見を考えようと思っていたの。
あなたには、これから一週間新しい生活環境を整えるための休みがあると聞いていたから、い、一緒にいられると思って、折角だから二人で考えようって……」
「…………」
先ほどまで笑みを浮かべていたリディオ様が押し黙ってしまったことに気付き、慌てて謝る。
「ご、ごめんなさい! 自分勝手な我儘を言って……」
「そんなの我儘なんて言わない。嬉しいよ、君から提案してくれるなんて」
そうリディオ様は言ってから、「よし」と礼装の襟元を正して言った。
「速攻家に帰ってくるよ」
「……え!? そ、速攻は無理なんじゃ」
「大丈夫。俺は勇者だから少しくらいなら許される」
「ゆ、許されるって……」
そう返しつつも、胸を張るリディオ様を見てクスクスと笑ってしまうと、「そういえば」とリディオ様は何か閃いたように手を打つ。
そして、私に一歩近付いた。
「!」
彼は近付いた距離から更に腰を屈め、私の顔を覗き込むようにして言った。
「せっかく結婚したんだから、可愛い奥さんから“いってらっしゃい”の口付けはしてくれないの?」
「……は!?」
一瞬何を言われたのか分からなくて。
言葉を頭の中で飲み込んだ瞬間にぶわっと顔に熱が集中してしまったのは不可抗力だと思う。
そんな私を見てお腹を抱えて笑う彼の肩を押しながら言った。
「私達は、“契約”結婚でしょう! ほら、早く行って!」
「ふふ、はーい」
そう言うと、彼は私から少し距離を取り、行ったことのある場所だけに展開出来るという瞬間転移の魔法陣を発動する。
そして、魔法陣が光を帯び、彼の体もその光に包まれる中で彼はひら、と手を振って告げた。
「行ってきます」
「……いってらっしゃい」
揶揄われたのを根に持った私がそっぽを向いて口にした言葉は、彼の耳に届いたかどうかは分からない。
そうして魔法陣と共に彼の姿が部屋から消えるや否や、私はその場にへたり込んだ。
(……い、いってらっしゃいの口付けってなに……!?)
あの人、そういうことを言うタイプだった!?
そもそも、そういうのを期待するタイプだったのかしら!?
(し、知らなかったわ)
でも、そうだったとしても安易に口にするのはやめてほしい。
だって。
「……期待、してしまうじゃない」
胸を抑えれば、鼓動が煩いくらいに高鳴っているのが分かって。
でも、期待してはいけない。勘違いしてはいけない。
これは契約結婚で、あれは彼なりの冗談で……。
…………。
「……〜〜〜あぁ、もう!」
部屋の内観、私が全部決めてしまおうかしら!!
なんて膨れながら、改めて屋敷の中の部屋を見て回るために部屋を後にしたのだった。
そうして、部屋の屋敷を見て回って思ったことは。
「……我が家は広かったのね」
確かに幼かったこともあり広いとは思っていたけれど、大人になった今でも広いということは分かる。
「長い歴史と共にお屋敷の老朽化も進んで変化を重ねてきたとは聞いていたけど、ここまで広かったなんて。
リディオ様も広いから、全ての部屋を覚えきるまでに少し時間がかかるかもと言っていたものね」
案内するうちに少しずつ焦り、必死に覚えようとしていた彼を思い出してクスクスと笑ってしまう。
「……そうか」
我が家が広く感じるのは、今ここに私しかいないからなんだわ。
叔父家族が移り住んでからは何かと使われることが多かったから、一人でいる時間がいつも恋しかった。けれど、今は。
「……いつ、帰ってくるかしら」
速攻帰ってくると言ってから、彼此三時間ほどは経過している。
彼は報告だけと言っていたけれど、国王陛下を始めとした王族の皆様に謁見するのに、いくら国を救った勇者であるからといえど、そんな短時間で済むわけがない、と思う。
……それとも。
(……本当に“魅了”の呪いが発動していたりして……)
考えがたどり着いた瞬間、脳裏に以前学園で見かけた彼が女性に囲まれている場面を思い出して……。
「〜〜〜あーーーもう!!」
違うでしょう、私! そこで嫉妬しているなんてどうかしているわ、と頭を抱えたその時。
「ご、ごめん! 遅くなった」
「!?」
不意に後ろから声をかけられ驚き振り返ると、そこには申し訳なさそうにしているリディオ様の姿があって。
その姿を見た途端、すぐに駆け寄り口にした。
「お、おかえりなさい!」
「!」
私がそう第一声に言葉を発すると、リディオ様ははにかみながら応えた。
「ただいま。遅くなってしまってごめん」
「い、いいえ、全然!」
ぶんぶんと首を横に振れば、リディオ様は再度謝ってから、「実は」と切り出した。
「もっと早く帰ってくるはずだったんだけど、ちょっと面倒なことになってて……」
「面倒?」
リディオ様の言葉に首を傾げたその時。
「邪魔したな」
「!!」
リディオ様の背後、今の今まで気付かなかった存在が現れたことで、私はヒュッと息を呑んだけれど、慌てて淑女の礼をして口にした。
「ご、ご無沙汰しております、王太子殿下」
「相変わらず硬いな、アメリア嬢は。いや、今はバルディ夫人と呼ぶべきだろうか?」
バルディ夫人。王太子殿下の口から飛び出たその姓に内心ハッとする。
(リディオ様、無事にご報告して認めていただけたのね)
そう、リディオ様が今日王城へと向かったのは、伯爵位の名前を“バルディ”にすることを進言するためだったのだ。
最初に尋ねられた時は驚いたけれど、またバルディという名が復活するのは素直に嬉しく思い、賛成したのだ。
……これはすぐ後に気付いたことだけど、いずれ契約を解除したら他の女性が彼と共に姓を使うことになるということは、今は考えないでおこう。
「いえ、今まで通りアメリアとお呼びください、王太子殿下」
「え、え、え、え、ちょっと待って」
王太子殿下と会話をしていた横で、リディオ様が慌てたように声を上げる。
「ふ、二人って知り合いだったの……?」
「「そうよ/そうだ」」
王太子殿下と二人で頷き、私が説明する。
「幼い頃からの知り合いなの」
「つまり幼馴染だな」
そんな王太子殿下の言葉に頷くと。
「…………えーーーーー!?!?」
今までに聞いたことのないリディオ様の絶叫が、広い屋敷の端から端(多分それくらい)まで響き渡った。




