二人きりの生活②
「準備は良い?」
リディオ様に差し出された手を見て小さく頷き、恐る恐る手を差し出すと、その手をギュッと握られる。
「じゃあ、行くよ」
そう口にしたリディオ様の身体が魔法の光を帯び、ふわりと音もなく宙に舞う。
足元が地面から離れ、代わりに訪れた浮遊感に悲鳴を上げかけた私に、リディオ様が私の手を引き寄せて言った。
「大丈夫。絶対に離さないよ。下を見ないで、遠くに目を向けてごらん」
そう言われ、彼の言う通り景色に目を向けると。
「っ、わぁ……」
「どう?」
あまりの綺麗さに感嘆の声を漏らす。
「凄い、私達、本当に空を飛んでいるのね……!」
初めての魔法にテンションが上がってしまう私に向かって、リディオ様はクスッと笑みを溢す。
「良かった。お気に召してもらえたようで」
「でも、浮遊の魔法ってかなり魔力量が消費されるのではないの? その上私まで便乗させてもらって……」
「大丈夫。元はと言えば御者や馬車がない不便な生活を強いてしまっているのは俺だからね。
移動の手段は、大体が浮遊の魔法になってしまうと思うから、慣れてくれたら助かる」
「慣れ……」
思わず反芻してからそっと右手を見やれば、痛くないくらいに強く握られている手が視界に入って。
(こ、この距離感に慣れなければいけない、ということね……)
「アメリア?」
至近距離で顔を覗き込まれ、咄嗟に後ろに身体を引きそうになったのをグッと我慢し、笑みを浮かべた。
「だ、大丈夫。慣れるのは、少し難しそうだなと思っただけ」
「アメリアは高所恐怖症?」
「そ、そういう問題ではないというか……、慣れられるよう頑張ります」
「不便をかけるけれど、よろしくね」
その言葉に首を横に振ってから、手を意識しないように前を向くと、リディオ様が言葉を続けた。
「最初は怖いかもしれないけど、でも、慣れると本当に便利なんだよ。
馬車での移動で一週間とかかる場所にも、速さにもよるけれど最速で半日くらいで着いてしまう」
「!? そ、それは本当に凄いことなんじゃないかしら!?」
さらりと放たれた言葉に驚き振り返った私に、リディオ様は少し顔を赤らめ、頬をかく。
「あぁ、まあ、そうだね。俺は元々風属性の魔法が得意だから特別速いと言われている。
そのせいで、勇者一行からも王族からもまあ良いように使われるんだけど」
「でも、それって凄いことではない? 王族からも、勇者一行だってとても強い魔法使いばかりの先鋭部隊の中で頼られるのって、相当な実力だと思うもの。胸を張って良いと思うわ」
「! ……アメリアの言葉は、魔法みたいだね」
「えっ?」
不意に思ってもみない言葉を言われ驚く私に、リディオ様ははにかみながら言う。
「いつも、俺が欲しい言葉をくれる」
「で、でも、あなたは凄いとか、褒められ慣れていると思うけれど」
「確かに褒められることはあった。だけど、どうしても信じられなかった。
周りは俺を辺境伯家の子息という肩書きで見ていたし、両親に言われた時も、優秀な兄達がいたから素直に受け取ることが出来なかった。
勇者と呼ばれるようになってからは余計に、どうせ上辺だけの言葉だろうと人を信じることが出来なくなっていた。
……でも、君だけは別」
「!」
繋いでいた手を包み込むように両手で握られ、戸惑う私に彼は微笑む。
「今朝も言ったと思うけれど、君だけは、出会った時から俺自身を見ていた。
だから、いつだって君の言葉は真っ直ぐ心に響いてきて、素直に受け取ることが出来る。
……それに、君の瞳に俺が映る度、俺は心から安心するんだ。
君といる自分が、一番自分らしくいられるから。
だから、契約結婚を頼んだ。一緒にいたいと思った時に浮かんだのは、君だけだったから」
「……!」
思いがけない言葉に目を瞠った私に、リディオ様はパッと片手を離し、私から視線を外して言う。
「もうすぐ君の言っていた“思い出の地”に着くね。
ご両親に挨拶しないと。『娘さんと一緒にいさせてください』って。
契約結婚だということもきちんと誠心誠意話してお許しを得なければ」
紡がれる温かな言葉と表情、繋がれた手に鼓動がより一層高鳴って。
それと同時に、苦しいくらいに見て見ぬふりをしていた感情が心の中で暴れ出す。
(……リディオ様、それは心臓に悪すぎるし、誰だって勘違いしてしまうと思う)
勘違いしてはいけない、
期待してはいけない、
傷つきたくない。
そう思うのに、蓋をした感情が今にも決壊しそうなほどに溢れそうになる。
(あなたは、契約で隣にいる私の本当の気持ちになんて気付いていないでしょう)
なんて罪深いひと、と気付かれたくないけれど気付いてほしいその気持ちを、繋がれた手にそっと込めてみたのだった。
そうして降り立った場所は、海が見渡せる崖の上だった。
「……綺麗」
ポツリと呟いた私に同調するように彼が頷く。
しばらくその景色に二人で魅入ってから、彼が言葉を切り出した。
「君のご両親は、この景色が好きだったんだね」
「えぇ。私も、この海によく連れてきてもらっていたわ」
「君も、好きなんだね」
そう言われ、視線を逸らして言った。
「確かに、前は好きだった。けれど、今は少し苦手かも」
「……無理はないよ」
リディオ様はもう魔法を使っていないというのに、私の手を握る。
その手の意味を尋ねるのは憚られ、代わりに黙ってギュッと握り返した。
彼がどこまで両親が亡くなった時のことを知っているかは分からない。
けれど、私は今までに彼を含め、誰にも話したことはなかった。
全てを知っていたのは、伯爵邸でお父様に仕えてくれていた家令くらい、だっただろう。
(今でも、話す勇気はない)
そんな両親の話をリディオ様に尋ねられたらどう返そう、と俯いていた私の心配は杞憂だった。
「バルディ伯爵、夫人。私がこれからアメリアを夫として守ることをどうかお許しください」
「リディオ様?」
不意に耳に届いた言葉に驚いている私をよそに、彼は海に向かって言葉を続ける。
「そして今この場で、アメリアと結婚の誓いを立てるところを、証人として見守りください」
「え……」
こんな話は聞いていない、と驚く私に向かって、彼は手を離し一歩下がると言葉を発した。
「私、リディオ・カルディアは、アメリア・バルディが望んでくれる限り、夫としてあなたを守り、幸せにすることをここに誓います」
「……!!」
それは、本来結婚式に行う誓いの言葉のようで。
彼は戸惑う私に向かって説明してくれようと口を開きかけたけれど、それを制して代わりに言葉を発した。
「私、アメリア・バルディは、リディオ・カルディア様のお望みのままに、妻としてあなたを守り、そして……、私が感じている幸せをお返しできるよう尽力することを、ここに誓います」
「……!」
私の言葉にリディオ様は、困ったように笑う。
「だから、君から俺は十分すぎるくらい貰っているんだって」
「良いの、それでは私の納得がいかないから」
「……君、結構頑固だね?」
「あなたこそ」
じっと見つめ合ってからお互い同時に吹き出して笑う。
そして彼がパチンと指を鳴らすと。
「! 指輪……」
そう、箱の中には二つの大小違うお揃いの指輪が入っていて。
リディオ様は笑って言った。
「結婚指輪。契約とはいえ、夫婦になるから用意したんだ。
シンプルなものにしたから、普段も付けていられると思う」
「あ、ありがとう……」
まさか、指輪を作ってくれているとは思わなかったから驚いている内に、彼が私に、私から彼にその指輪を付けることになって。
互いに触れた指先が冷たく震えてしまったけれど、それはリディオ様も私も緊張しているからだと分かり、二人でまた照れ隠しに笑みを溢す。
そして、付け終えてから嵌められた指輪を見て呟いた。
「……綺麗」
そうポツリと溢すと、リディオ様から尋ねられる。
「気に入ってもらえた?」
「えぇ、とても。まさか作っていただけるとは思わなかったから、凄く嬉しい。ありがとう」
リディオ様とお揃いだと思うと、余計に嬉しくて心からの笑みを浮かべれば、リディオ様は少し慌てたように言う。
「それは、良かった。これで正真正銘夫婦となったわけだけど……、問題が一つ残っていて」
「?」
首を傾げると、リディオ様は頬をかいて言った。
「実は、まだ伯爵位を正式にはもらっていないんだ。
いや、きちんと叙爵することは決定しているんだけど。名前が決まらず、保留にしてもらっているんだ」
「そうだったのね……」
「そこで提案なんだけど」
リディオ様の提案に、私は耳を傾けたのだった。




