表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/23

チートって何?美味しいの?

素人投稿なので感想・アドバイス等お待ちしております。

(本当に素人なので時代考察・小説のマナーなんでもかまいません)


今後の励みにしたいので素直な評価をお願いします。

(低評価・高評価いろいろな方がおられると思いますので自分のお気持ちに従ってください)

1543年4月25日




目を開けば、いつもの天井でもあり初めてみたような気もする。




布団から体を起こし周りを見渡すとやはり同じ感覚をうける。


時間は昼頃だろうか?


自分の名前は憶えている。偏諱を受け河野通政から河野晴通になったのだ。

だが、おかしい事に約500年近く先の未来での知識や思い出も確かにあるのだから、おかしなことだと思う。

まだ気怠さもあるので深く考えるのは後にして水が飲みたいと思い体を起こし人を呼ぶ

「誰か居らぬか?」

「晴通様!目覚めましたか!!」

すぐ近くに居たであろう男からの返事が聞こえてきたと思ったら急ぎ部屋に入ってきた。

覚えている。垣生盛周(はぶ もりちか)で奉行職の1人だ。その垣生氏が居るっていう事は

きっと盛国(息子)に仕事を丸投げしたんだろうな。

「ああ、まだ本調子ではないが昨日の死ぬかと思うような状態と比べたらかなり良くなっているな。取り合えず、のどが渇いたから白湯でも持ってこさせてくれないか?」

「はっ」

っと一言いうとスグに部屋を出て近くにいた者に水を持ってこさせた。


「皆にも知らせを送る手筈をしたら私も城に戻りますので養生してくだされ。」

心底、安心した表情で盛周はそう声をかけてきた。

晴通も今は体調も落ち着いているので心配かけて申し訳ないと思いつつ盛国の心配もする

「そうだな、お前も早く帰らんと今度は盛国が熱を出すかもしれしな。」

「家督を継ぐ者が、この程度で熱など出されたら困ります。」

ニヤリと盛周は言い返してきた。

冗談なのにディスってこなくてもいいんじゃない?


それからは医者にも確認してもらい仕事を代行してくれていた弟の通宜みちのぶがやってきた。

「兄上!峠は越えたとのこと誠に安心しました。やっと、お家騒動も納まり家臣もまとまってきたと言うのに、また割れるかと思いましたぞ。」

「お前にも迷惑をかけたな。色々と代わりにやってくれているようで助かる。ありがとう」

「何をおっしゃいますか兄上。弟として当然の事です。」

未来の記憶で社畜だったこともあり弟のその笑顔は晴通には眩しかった。

和やかな雰囲気から晴通は一転、真面目に確認をした。

「して現状、誰か不穏な動きはあったか?」

まだ本家の叔父が来島村上に家督を譲ると言って1年しかったておらず、お家騒動が再度起こってもおかしくない状況なのだ。

「いえ。叔父上も村上も特に動きはございませんでした。大野利直殿が隠居して息子の友直殿が大野家を継がれました。あとは多少ざわつきましたが問題はございません」

「大きな変化が起きなかったのなら助かる。これまで、お家騒動の連続であったからな。」

晴通は安心した。それは通宜はも同じであった

「はい。また叔父上が村上を担ぎ反乱を起こされては溜まりませんからな。これで本格的に河野家を立て直すことができますな」

「うむ。そうだな改めて通宜、頼りにしているぞ」

晴通は未来の知識のことを話すか迷ったが今はなすと祈祷師を呼ばれそうなので成果を出してから道信には打ち明けることにした。


通宜が帰ったあと晴通はひとり考えていた


河野晴通であり20XX年、サラリーマンの冬。


トラックに轢かれたとか神様が~って事もなく世間的には一般的な生活で天寿を全うしたと言えるくらいの人生である。かわったことと言えば人1倍、地元(愛媛)の事が好きだったくらいだ。

その知識を鵜呑みにするならば多分、昨日(天文12年4月24日)が俺の死ぬ日だったのだろう。何故、死ななかったか考えても仕方ない、この後に河野家が無くなる未来を知ってしまった方がショックが大きい。

子孫で功績をあげた者もいるが個人の功績で河野家が霞んでしまっている。

だが私が生きたことに意味があるとすれば河野家をより良くしていき後世まで河野家の名を残す事だろう。

この得た知識はかなり使えるだろう天下統一は流石に難しいのも、その知識から分かるのだ。

その理由の一つに四国の石高の問題だ1598年(慶長3年)で四国全体で80万石くらいの石高だったはずなのだ、ちなみに1872年(明治5年)だと倍ぐらいになってたらしい。

加賀100万石に対して四国80万石

「今から10年くらいで四国統一出来たらワンチャンあるかもだが……細川いや三好を敵に回すのか。」

現状、予州家・家臣団や国人衆は来島騒動で一致団結したことによってまとまっている。(来島除く)

「天下も四国統一も置いておき、伊予の守護大名として伊予の平定を目指すか。」

その為にも石高を上げたいな。

この得た知識で何か使えるものはないか思案しながら横になった。


①農業の改革?・・・否

選別・正定植え・出穂・千歯扱ぎ・肥溜め等の名称はわかるがいつ、どこで、何を、なぜ、どのようにするのか分からん。


②関所を減らす帆別銭をさげる?・・・否

この辺の関所を減らしたり帆別銭をさげた、ところで買い付ける物も無ければ売れる者も余裕がない状態じゃあ商人はこない。

税を減らしても商売が成り立たんと意味がない。


③椎茸栽培?・・・可?

可能性はあるが江戸時代でも山を買って椎茸を求めて破産した者もいたようだ。

念の為に山を領地に持つものに見つけたら報告するようには言っておこう。


④蝋燭の開発・・・可?

ハゼの木はあるが量産できるほどは無いから、先ずは木の植林から始めようか?

大野家にやらせるか?


⑤川の治水?・・・否

戦がなくなって始めた事業たから現状では資金や他国との事もある最低でも伊予を平定後の予定だな。


⑥伊予絣の生産・・・否

綿が売るほど無いのと藍染の職人も必要になってくる。それに綿を生産していると民の食糧事情に影響が出る可能性がある。


⑦みかん・・・否

周防から買い付けなくてはならないが関係が悪化してしまっているので買い付ける金ができても商人が嫌がるだろう。


⑧地引網・・・可

魚の漁獲量のアップから魚油・魚肥・貝殻類を肥料として田畑に使える。

これは・・・来島にさせるか?来島村上氏は有能なことに間違いはない。事前に諸将への根回しをしておけば来島の信頼回復につながるかもしれん。

後は二神氏にもやってもらうか地域差があるか知りたい。


⑨ドロマイト鉱石・石灰岩・・・否

銅はいいが、それ以外は西園寺を利することになるので論外。そういえば砂鉄が東予でとれたはずだが反射炉とか無理だな名前は知っていても理論や構造がわからん。


⑩砥部焼・・・可?

製作自体は出来る。商人の誘致が必要か

試しで作って信長の茶器みたいになるかもしれんし少数は作ってみるか。


⑪中山栗・・・可?

徳川将軍に絶賛されたらしいから上手くすれば行けるかも?だがこれも商人問題だな。


⑫伊予の青石・・・否

石垣や庭石だが輸送の問題がある。


⑬一領具足・・・否

まとまめて買うには内乱で疲弊しているから、そんな余裕はない。


そんなことばかり、この5日間考えては思いついたものは紙に書き残していった。


結論・・・・・地引網しか直ぐ出来そうな事がないだと。マジか!

増えた漁業は「おかかさん」を中心に売ろう。

何が「現代知識チート」だ使えん中途半端な知識ではないか。


……。


まてよ?冷静に考えれば商人がいれば、もしかしてイケるのではないか?


売る物は中山栗・砥部焼・楠の木炭・青石は小さくして磨けばお守りになる。


問題の商人か……。


情報収集も兼ねてやらしたいな。


信用出来て商人として一流でなくては困る。中途半端な機関だと足を引っ張られかねん。


信用できる家臣として垣生盛周を呼ぶことにする。


「垣生盛周、参りました。・・・殿何かありましたか?悩んでいると顔に書いております」

会うなり開口一番に盛周はそう言った。それほどに顔に出ていたとは驚きつつ晴通は話した。

「そうか?実は河野家に忍者の真似事をする、お抱え商人を作り情報収集をさせようと思っいるのだが良き人材がいないのでな」


と苦笑いを浮かべながら軽く頭をかいてみせた。すると垣生氏が


「ならば1人、良き者を知っております。村上清月むらかみ せいげつという者で今出で商いをしており、なかなか切れ者です。お会いになりますか?」

晴通は少し考えてから答えた。

「ふむ。他に当ても無いしな。ただ、こちらの準備が出来てからになるので当面は垣生氏の奉行職で出来る範囲で口利きしてくれ。その中で村上なる者を見極めて会うかどうか決めよう。」

「はっ!かしこまりました。」


「あと、ついでなのだが今年から伊予川が氾濫したらどの地域にどれくらいの被害が出ているか記録を残して欲しい。そしてその地区を検地して生産、出来たものは5公5民とする上に伊予川が氾濫したらその田畑の税は免除しよう。」

「かしこまりました。新田はいつ頃始めましょうか?」

「3年後としよう」

「では、そのように執り行います。」

取り合えずその場しのぎだが遊ばせている土地もこれで多少は石高も増えるだろう。

あ!あれも頼んでみるか。晴通は帰ろうとする盛周を引き留めた。

「もう一つあったのを忘れていた。千歯扱ぎと名付けているのだが、これを見てくれこの板の部分を足で押さえ数把を持ってこの歯に挟み一気に引く抜けば脱穀がかなり楽になると思わないか?」

説明されてもピンとこないのか「はあ」と生返事を返してくる。

その顔に少し笑ってしまうが「取り合えずやってみてくれ」と言えば承知してくれた。



平岡房実に人を送って湯築城まで呼ぶ要件としては砥部焼と中山栗の生産にチカラを入れさそう。

と言っても砥部焼も砥石を使うというのと、そこからできた真っ白な焼き物に藍色の絵を入れるという事だ。中山栗も「桃栗三年柿八年」というのだスグには難しいだろうが。

「殿、平岡様が参られました」

「通してくれ」

スグに通させた。

「殿、平岡房実でございます。お呼びにより参上しました」

「ご苦労であった。実は平岡家に2件、頼みたいことが出来たのだ。それのうちの1つが、これになる」

そういって晴通は試作させておいた砥部焼を見せた。

「これは何と美しいですな。」

平岡が褒めたのに気を良くした晴通は砥部焼の大皿を平岡に手渡した。

「よく見てみると良い」

「はっ。有難く存じます。」

「この技法を習得した者を平岡家に任せるので今後、この砥部町を中心にこの新たな焼き物を砥部焼として生産に入れ。上手くいけば外交の手土産に使えるし商人を呼び込む話題にもなるだろう」

その言葉に驚きながらも真剣な表情に切り替わり返事をした。

「はっ!」

晴通は箱から本を取り出し平岡に渡して言う。

「次に頼みたいのは中山地区についてだが尋ねたい。多くの農家に栗の木があり美味だという話を聞いたのだ。そこで本格的に栗の生産をしてほしい。その際の注意点などをここに記しているのでこれを参考にしてくれ。」

「はっ!砥部焼と中山栗の件必ず成功させてみます」

「頼んだぞ平岡殿」


そうして平岡房実は帰った。






晴通が房実に渡した本は何気に清良紀より早い農法の本になります。

砥部焼

 「砥部焼」という呼び方が初めて出てくる文献は、大洲藩士人見甚左衛門栄智が元文五年(1740年)に筆写した『大洲秘録』である。この書物の中に、砥部の大南村と北川毛村の特産物をあげ、「陶茶碗之類ヲ造リ出ストベヤキト云」、「陶器茶碗鉢類トベヤキト云」とあり、このころよりも前に砥部では陶器(土物)が生産され、特産物として有名だった。

 しかし、今日の砥部焼、すなわち、磁器としての砥部焼の起源は、安永6年(1777年)で、同じく大洲藩政下の時代であった。時の大洲藩主加藤泰候かとう やすときが砥石屑を利用して磁器創製を思いたったことに始まる。安永4年(1775年)、泰候侯は、加藤三郎兵衛に命じて磁器の製造を計画した。三郎兵衛は、大阪の砥石問屋和泉屋治兵衛の媒介で肥前大村藩長与窯の工人安右衛門外4名を迎え、麻生村の御用油師門田金治を主幹とし、宮内村の杉野丈助を工場指図役として製作に当たらせた。丈助は同年3月、五本松上原に窯を築き、外山産の砥石屑を坏土及び釉薬の原料として製造に着手し、その後2年半余りにわたり幾度か失敗を重ねつつ苦心研究を続けた。失敗の原因が釉薬の不良にあることを、時たま、筑前上須恵窯より来ていた信吉なる者に知らされ、彼の勧めに従って筑前より釉薬原料をとりよせ、これを用いて初めて完全な磁器を作ることができた。これが砥部磁器の起源であって、安永6年12月10日のことである。なお、丈助は、釉石を他国に頼るのは不利であるとして近郷の山野を探し求めた結果、三秋村(現伊予市三秋)に良石を発見し、調合の方法を研究し釉薬に応用することができた。こうして彼は砥部磁器の陶祖と仰がれるに至ったのである。

ちなみに夫婦喧嘩をしても割れないので喧嘩器とも言われている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
「正定植え」は漢字が違うと思います。 http://seikasya.town.seika.kyoto.jp/essays/seijoue 花山城の合戦にも記載があるようです。 たくさんの転生者がいる…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ