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バッドデイ  作者: ふゆむしなつくさ
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(4)

「ただいまくらい言いなよ」

 

 あきれるほどの寒さを堪えながら実家へと戻った僕にとんできた第一声は、妹のそんな叱責しっせきだった。いやはや、たまんないね。


 外気の冷たさと今家へ入ることでのわずらわしさを一瞬天秤にかけて、結局家の鍵をコートのポケットへ突っ込みながら、まるで睨んでいるかのように鋭く僕を見据える妹の姿を一瞥いちべつする。


 いかにも暖かそうなニットの部屋着で、手にはミルクティーの500ミリペットボトル。風呂から上がったばかりなのか、普段は少し癖のあるふわっとした黒髪が、切り揃えられた肩口まで一直線に下りていた。外見だけで言えばどちらかというと華奢きゃしゃでゆるめな印象を受ける女の子なんだけど、彼女はもうずいぶん前から、僕に対しての当たりがひどく強い。


 多分、妹は僕のことが嫌いなんだろうな。まぁ当たり前だ、こんなしょうもない男が自分の兄じゃあね。情けなくもなるってものだろうさ。


「母さんは?」


 車が無いことには気付いていたし、どこへ出かけていようがさして興味もなかったけれど、かけられたばかりのお叱りを有耶無耶うやむやにするために、手近てぢかな質問を放る。


 妹はそんな僕の薄っぺらい意図なんてお見通しだとでも言わんばかりに数秒こちらを睨み続けたかと思うと、視線を外して並んだ食卓椅子の一つに腰掛け、ミルクティーを一口あおってから、ぶっきらぼうな声音こわねで「買い物」と呟いた。


「そう」とだけ適当に返して、二階の自室へ向けてを進めはじめる。階段に足をかけようとしたところで、ふと伝えることがあったのを思い出した。


「そうだ、アキハ」

「…なに」


 さっきまではやたらとめ付けてきたくせに、今度はこちらを見もしない。別にいいけどさ。むしろ目を合わせるよりよっぽど気が楽だ。


「明日は帰ってこないから、僕の分のご飯とかは用意しなくていい。母さんにも、そう伝えておいてくれないかな」


 妹は少し黙りこくってから僅かに俯いて、

「…お兄ちゃんの分なんて、最初から無い」と言い捨てた。

「なら良かった」


 伝えるべきことを伝えて、僕は早々(そうそう)に階段を上り始める。率直に言ってしまえば、僕は妹とあまり長く顔を突き合わせていたくなかったんだ。なんというか、僕は妹に、引け目というか申し訳無さというか、そういった感情を抱いているところがあった。その感情は両親に対しても少なからず持っていたけれど、妹に対してが一番強くてさ。


 本当なら今年も、実家に戻ってくるつもりはなかったんだよ。実際、ふらふら大学へ出向くにしたって、アパートからのほうがずっと楽だったしね。少し前に、長期出張中だと聞いていた父から電話で『今年は帰ってやれ』なんて言われなきゃ、いつもどおり、一人暮らしのアパートで過ごすつもりだったんだ。


「ねぇ」


 階段を半分ほど上ったところで、後ろから声が聞こえた。左手で手すりを掴んだまま振り返ると、いつの間にか席を立っていた妹が、見るからに不機嫌そうな面持おももちで僕を見上げていた。そして、そんな雰囲気とは裏腹に静かな口調で言う。


「お兄ちゃんさ、帰ってきてからも毎日どこか行ってるみたいだけど、なんのために出かけてんの? 毛玉だらけのコートなんか着て」

「別に僕がどこへ行ってたって構わないだろう?」

「いいから、答えてよ」


 やれやれ、何だか今日はいつにもまして突っかかってくるな。


「…大学へ行ってるんだ。なんのためにって訊かれても困る」

「…ふうん」


 微塵みじんも納得してなさそうに、妹が反応する。そりゃそうだ、大学が長期休みに入ったから帰ってきてるんだって事くらい、妹も知ってる。まぁ、実際大学へ行ってるんだから、嘘ではないんだけど。


「じゃあ質問を変えるけど、なんのために明日も出かけにいくの? それも夜通しで」

「うん?」


 僕が返す言葉を選ぶ間もなく、妹は続ける。


「お兄ちゃん、クリスマス・イヴを一緒に過ごすような友達がいるようにも、ましてや恋人がいるようにも、全く見えないんだけど」


「…勝手に決めつけるなよ」


 しぼり出すように小さくそれだけ口にして、僕は逃げるように階段を早足で上がり、乱暴に自室のドアを開けた。


 部屋に入って後ろ手にドアを閉め切るまで、階下の妹が身動きをとる気配は、ずっと無かった。




 電気もつけず、外したマフラーだけを適当に放り投げる。コートも脱がずにそのままベッドに寝転がって、右腕を被せて目を覆い隠す。


 本当にお前はろくでもない奴だな、と自己嫌悪の念がひたすらに沸々(ふつふつ)と湧き上がってきて、なんだか笑いそうになった。


 実の妹にこれ以上無いほど完璧に図星を突かれて、八つ当たりみたいに吐き捨てて。本当にお前は、情けない野郎だな、と。


 そんなことをどうしようもなく思いながら、それでも一方で考える。

 けれど、だったら一体、どう答えれば良かったんだろう。どう答えるのが、正解だったんだろうか。


 そうだね、うん、そのとおり、僕には友達と呼べる相手も恋人と呼べる相手も、もうただの一人だって居やしないんだ。だから、友人と遊びに行ってるわけでも、恋人とデートに出かけてるわけでもない。じゃあ毎日何をしているのかといえば、これが恥ずかしい話でさ。もうずっと片想いを続けている女性や気の合う誰かにもしかしたら会えるかもしれないと、ふらふら出歩いてるんだ。というのも、こんな絵に描いたようなひとりぼっちでも、やっぱりどうして、一丁前に人恋しくなるタイミングってのはあるみたいでね。周囲との最低限のコミュニケーションすらさぼってきた分際で、虫の良い話だってのはわかってるけど、どうしても、もしかしたらの期待は捨てきれなくてさ。結局ぐだぐだと諦めきれないまま、毎日意味もなく大学まで足を運んでいる、というわけなんだよ。恥知らずにもね。


 なんて。

 そんな風に、自分の救いようのない現状を、ありのまま吐き出せば良かったのだろうか。


 そんなの、僕だってごめんだ。


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