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バッドデイ  作者: ふゆむしなつくさ
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(3)

 電車から降り、寒いのに普段以上の活気を感じる大通りを気持ち早足で歩く。10分ほど歩いたところで路肩ろかたへ入り、電飾でんしょくやありきたりなクリスマス・ソングで彩られた商店街を抜け、大学へ辿り着いた頃には、時刻は11時20分を回っていた。


 敷地内へ踏み入ってすぐの場所にある自動販売機で微糖びとうのホットコーヒーを買い、そのまま喫煙所へ直行する。そこは僕も今通った、大学の正門までが綺麗に見渡せる絶好のスポットだった。他にも門はいくつかあるが、少なくともいちばん人が通るポイントを見逃すことはない。


 備え付けのベンチへ腰を下ろすと、冷え切った板の温度が布越しに尻を侵食して危うく悲鳴をあげそうになった。いやぁ、この感覚にはどうも慣れないよ。最近はいっつも座ってるっていうのにね。


 手に持ったボトル缶のキャップを回すと、パキュ、と小気味の良い音が小さく響いた。そのまま中身を半分ほど一気に飲み干す。身体が内側からほのかに温められて、僕はそこでようやく一息をついた。


 当然のことだけど、キャンパス内は街の中とは違い、普段よりずっと閑散かんさんとしていた。学舎内はどうだか知らないけど、少なくとも外に関しては、人の姿はあまり見受けられなかったな。


 学期中はいつものように見かけていた運動系の屋外サークルの連中なんかも、誰一人いなかった。まぁ、サークルなんてのはよっぽどのやつ以外、基本的に自由なもんだからね。このくそ寒い中わざわざ身体を動かしに大学まで足を運ぶなんて物好きは、あまりいないんだろう。もっとも、今がクリスマスシーズン只中ただなかだって理由も、そりゃああるんだろうけどさ。


 そう、クリスマス。クリスマスだ。


 去年の四月、この大学でコヨリを見つけたあの日以来、僕はずっとコヨリのことを避けて過ごしてきた。


 幾人いくにんもの友人に囲まれ、恋人と共に楽しそうに過ごす彼女の姿を、見ていられなかったんだ。講義の合間や学生食堂、外を出歩いているタイミングなんかで時折ときおりコヨリ達の姿を視界に捉えてしまうたびに、僕は後ろ暗い、ひどくみじめな気分を味わうようになった。無論むろん、見かけなければそれでよかったってわけでもなくて、結局僕はなにかに付け、現在のきらきらした幸せそうな彼女と落ちぶれた自分とを比べて、心を沈ませていた。何というか、いつだって劣等感との戦いだったな。なんなら、成長した彼女に対して、逆恨みのような感情をいだいていたことすらあったくらいだよ。勝手だなんてのは重々(じゅうじゅう)承知してるけど、そういう時期もあったってことは、紛れもない事実なんだ。


 それなのにこうしてまたコヨリを探し回っているってのは、だから、今がクリスマスの時期だからって要素が、多分大きいんだろうと思う。


 去年はまだなんとかなったんだ。覚えたての煙草たばことアルコールで無理矢理頭の中を空っぽにしてさ、コヨリは今どうしてるんだろうか、なんて思考を麻痺させて、じっとやり過ごすことができた。


 ただ今年は、これは10日ほど前の話なんだけど、まだ残っていた講義を終えて大学からアパートへ帰る途中で、中学生くらいのカップルらしき二人組が、いかにも仲良さそうにじゃれあいながらクリスマスツリーを庭へ出している所を見かけてさ。それを見てたら、もしかしたら僕とコヨリも、あんなふうになれていたかもしれないんだよな、とか考えちゃってね。長いこと積もらせっぱなしにしてきた寂しさや人恋しさってやつがぶくぶくと膨れ上がってきて、いよいよ耐えられなくなったんだ。


 全く。自分のことを、クリスマスを楽しむことのできない連中の一人だ、なんて言っておきながら、結局僕も、見下しているはずのその言葉のもつ魔力に、どうしようもなくあてられちまってるんだな。


 でもね、僕から言わせれば、本当の意味でなんの期待ももたずにいられるやつなんて、それこそ少数派なんだと思うよ。これは別にクリスマスに限った話じゃなくてさ。胸糞悪むなくそわるい現実に見切りをつけて、世を捨てたふうに振る舞いながらも、僕らは心の奥底では、薄明かりのような期待を手放しきれずにいるんだ。ひょっとしたら、僕らはいつだって、何かが羨ましいだけなのかもしれない。けどそれを認めてしまうなんてあまりにもやりきれないもんだから、唾を吐き捨てることで蓋をして、自分を保っている――。 …いや、ごめん、余計な話だな。

 

 コートのポケットから取り出した煙草たばこに火をつけて(まだ未成年だけれど、咎められたことは一度もない)一口目ひとくちめを深く吸い、煙を吐き出しながら、もう幾度となく繰り返してきた、コヨリにどうやって話しかけるかのシミュレーションにまた考えを巡らせる。


 きっとコヨリは、僕が同じ大学に通っていることをまだ知らない。というより、気付かれていない。それは確かだろう。別に根拠があるわけじゃないけど、一年半以上も避け続けていたんだ。向こうがどう認識しているかってのも、なんとなくわかってくる。なら僕は、まるで今初めてコヨリだと気がついたみたいに、偶然をよそおってさりげなく声をかければいい。そのうえで、自分の現在の、孤独に足の先から頭のてっぺんまで浸かっているような状況を悟られないように振る舞えれば、ベストだろう。大丈夫なはずだ。もしかしたら、懐かしい顔との再会を、大げさに喜んでさえくれるかもしれない。


 精神に染み付いてしまっている悲観的な考え方を断ち切るために、あえて都合の良い方向へ考えるよう努める。そうでもしておかないと、自分から話しかけるなんて、できそうになかった。


 一度思考を打ち切って、煙草たばこの灰を灰皿へ落とす。それから、カモフラージュ用に持ち歩いている文庫本をポケットから取り出し、適当なページを開いて膝の上に載せ、待ち伏せの準備を整えた。かじかんだ指先を温めるためにコーヒーのボトル缶を掴み、今日こそはコヨリに会えるようにと願いながら、両手で包む。じわじわと伝わってくる熱がやたらと心地よく感じられて、僕はしばらく、そのままの体勢を続けていた。




 さて、それから周囲が薄暗うすぐらくなるまでの5時間以上を、度々屋内へ移動したり簡単な食事を取ったりしながらも僕はキャンパス内で過ごしたわけだけれど、その間に何があったかは、君にも容易よういにわかるんじゃないかと思う。

 そう。何もなかったんだ。


 『何もない』があっただとかくだんない気休めを言うつもりはない。本当に何もなかった。


 コヨリが僕の前に姿を見せることもなかったし、物好きな通りすがりの誰かが気に留めて声をかけてくれるなんてこともなかった。


 落ち着いた素振そぶりを上辺うわべつくろいながらも内心では過敏かびんなくらいに周囲を気にして、結局たった一言すら人と喋ることも出来ず、いたずらに時間を浪費しただけ。

 こんなまるっきり無駄な一日ってやつを、ここ一週間ほど諦められもせずに続けてるわけだ、僕は。


 ずっと続いた曇り空の中で、雨は結局振らなかった。


 今日ここへきてから十本目になる煙草たばこの吸い殻を灰皿へ捨てて、僕はベンチを立った。数ページも読み進めていない本をポケットに仕舞い、突っ込んだ手はそのままで歩き出し、大学を出る。


 大学から駅までの道の途中で、一度コンビニに寄り、少なくなった煙草を買い足した。二人いた店員は両方とも若く、多分自分と同じくらいだろう男女で、ひょっとしたら同じ大学に通っている奴らかもしれなかったけど、これといって見覚えはなかった。


 正直な話をすると、僕は別に、会う誰かはコヨリじゃなくても構わないと、そう思ってたんだ。そりゃあ『誰に会いたいか』といえばコヨリなのは確かだよ。それは間違いない。


 でもさ、考えてもみてほしい。コヨリは既に、誰よりも一緒に過ごしたい大切な相手ってやつを、とっくに捕まえてるんだ。それも、今の僕なんかでは足元にも及ばないような理想的な相手を。


 一年半以上同じ大学に通う中で少しずつ知ったことだけど、コヨリの恋人は、僕のような反感を持った奴の目線から見てもこれといった欠点の見つからない、こういっちゃなんだけど良い男でさ。いろんな意味で優秀なのに、人と良好に関わっていく上で好まれる隙の多さや柔軟さをしっかり持ち合わせていて、嫌味を感じさせない、とでも言えばいいのかな。いつも集団の中心にいて、男女問わずたくさんの人に好かれて。


 それでいて恋愛ではうわつかずにずっとコヨリ一人を想い続けているんだから、もう呆れちゃうよな。略奪してやろうなんて対抗心すら持てないくらい、大きなへだたりがあるんだ、僕と彼を比較したら。


 コヨリにはもう自分を幸せにしてくれる大事な相手がいて、そのことを頭から外せるほど、僕は前のめりにはなれない。


 だから、別にコヨリじゃなくても良かったんだ。同性だろうが異性だろうが、関係ない。本当に、誰でも良かった。たったひとりでも気の合う誰かと出会えたら、それで。


 …よっぽどの奴でもない限り、人と関係をはぐくむのにはそれなりの努力ってやつが必要で。その努力をずっとおこたってきたってのに、必要になった時には都合よく誰かに隣に居てほしいだなんて、虫の良すぎる話だとは、思うけどさ。

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