第92話 禁忌の領域
「――いいぜ、乗ってやる」
俺は静かに呟く。
今この瞬間、元勇者に対する印象が少し変わった。
あいつは最低な人間だが、それがとことん突き抜けている。
我欲のために命を懸けられる男だ。
不利な状況にあると決して心が折れず、逆転の瞬間を狙って牙を剥いている。
それを真正面から捻じ伏せてみたくなった。
このまま幻創魔術の連打で、元勇者を一方的に嬲り殺すことは簡単だ。
しかしきっと俺の心の中にしこりが残る。
本当の復讐とは、相手のすべてを否定することではないか。
才能も実績も誇りも矜持も肯定した上で、尚も無惨に踏み躙るのだ。
挑発に乗る形になるが、それで構わないと思う。
ここから挑発に乗った上で、完膚なきまでに叩き潰すのだ。
俺は堂々と歩き始める。
互いの距離が縮む中、不浄剣を掲げてみせる。
杖の先端が鋭利な刃になった。
「いくぞ」
俺はその切っ先を胸に突き刺す。
さらに魔眼を完全解放し、本気の幻創魔術を行使した。
規格外の魔力干渉が発生する。
――俺の存在が、歪んでいく。
その時間は一瞬とも永遠とも感じられた。
肉体が、塗り変え
られる感覚だ。
現実と虚構が
混ざり合って
混沌
を
成立させる。
いよいよ 禁忌の領域に
踏み込んだ。
気付けば元勇者が目の前にいた。
虚ろな顔のまま固まっている。
まるで時が止まったかのように反応がない。
俺達は何もない白い空間で向き合っていた。
転移扉を使った記憶はない。
だけど実際にこうして立っているのだから、無意識に発動させたのだろう。
(……いや、そう思い込んでいるだけなのか?)
思い込みが現実を押し退けて優先される。
まさに幻創魔術の特性である。
俺は自分に最大出力の術を施した。
それくらいの現象が発生しても何ら不思議ではなかった。
納得した俺は己の身体を見下ろす。
服装はいつものままだが肌がおかしい。
基本的には透明で、極彩色の何かが血液のように内部を流れている。
具体的にどうなっているのかは不明だ。
幻創魔術は俺をどんな風に改変したのだろうか。
実際に戦ってみれば分かるかもしれない。
そう考えた俺は、目の前に立つ元勇者に視線を向ける。
元勇者は未だに固まっている。
試しにその首に触れてみると、火花と共に頭部が破裂した。
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