深みにはまる
「コチョーラン?」
「胡蝶蘭、だ」
呪文のように唱えた佑衣奈に、オレは鉢に刺さっていたプレートを引き抜いた。胡蝶蘭、と書かれている。白い、大きな花だ。
「お花って、毎日水をあげなくちゃいけない、あのお花ですよね? ゆいな、お花は嫌いです。面倒で」
「ものすごくそんな気はしてた。安心しろ、店員さんに、楽な花ってことで選んでもらった。室内に置いて、水は三日に一回ぐらいでいいらしい」
「いりません」
「や、る」
笑顔で拒否する佑衣奈に、半ばむりやり押しつける。
オレなりに考えて、ヨーコさんとこの帰りに買った花だ。朝逃げ出した佑衣奈──いま考えれば、自分をクビにしたヨーコさんに会いたくなかったのだろう──は、オレが帰るころにはちゃっかり家でくつろいでいた。
しかし、予想どおり、花とか嫌いなんだな。見た目はともかく、性格を知ってしまえば、こいつが花に水をやってる様子は想像できない。
「どうしてですか? ゆいな、お花がなくても生きていけますよ」
生死の問題を引き合いに出すほど、嫌なのか?
「こっちの世界ではな、花を贈られるのは名誉なことなんだ。やるっつってんだからもらっとけ。で、枯らさないように育ててみろ。毎日朝、昼、晩、と話しかけるんだ。胡蝶蘭に、愛を持て!」
「情操教育のつもりですか?」
「ぶっちゃけるとそうだ」
ちょっと安易だっただろうか。佑衣奈はしぶしぶと鉢植えを手に取り、大きな白い花を見つめ、そのままごとりとテーブルに戻した。
「愛なんて持てません」
「花子はな、おまえに巡り会うために、ここまで大きくなったんだ。土のなかでときを待ち、背伸びをして光を浴びて、おまえに愛されるために、ここまで美しく花を咲かせたんだ! そんな花子を、おまえは、見捨てるのか?」
「……ハナコって、このコチョーランの名前ですか?」
「そうだ」
佑衣奈は考えるように沈黙した。
「……どうしてもですか?」
まだ引っ張るのか。頷くと、佑衣奈はふう、と息を吐き出した。
「わかりました、もらい受けましょう。万が一枯らすようなことがあっても、許してくださいね」
にっこり。
「……その万が一は、ものすごい高確率で起こるだろ」
「そんなことないですよ。パートナーを信頼してください」
「信頼される行動をしてください」
「ケンカ売ってますか? 買いますよ」
こいつ……最初はそれでも猫被ってたんだな。顔は笑顔だし、いい方は柔らかいが、これじゃヤンキーのセリフだ。
「万が一でも枯らしてみろ、トメさんにいって、おまえの食事の量を人並みにするからな。毎日コンスタントに五人分食えると思ったら大間違いだ!」
びしゃーん、と、佑衣奈の背後に稲妻が見えた。
「……わかりましたよ」
こいつにとって、食の持つ意味はあまりにもでかいらしい。
そんなやりとりがあってから、数日。
オレは慈善活動に精を出し(相変わらず町の清掃が主)、佑衣奈は自由奔放に過ごし(それでも堕天使カードの獲得率は減っている)、惣太は時折ちょっかいをかけにやって来て(難なく返り討ち&もれなくお菓子パーティー)、柳原が高飛車に笑う(実を結んでないのに基本的に楽しそう)、そんな日々が過ぎていた。
水曜日、放課後。
今日は朝から暇そうに授業を聞いていた佑衣奈は、終業のチャイムにも反応せず、机の上に置いた胡蝶蘭とにらめっこしていた。
いつもながら、黒いワンピースのやたら広がるスカートが、教室のイスと実に不釣り合いだ。だいぶ見慣れたけれども。
「帰るぞ」
声をかけると、両手で頬杖をついたまま、こちらを見上げてきた。
「コーヘー、ハナコがちょっと元気ないんですが」
「そうか?」
のぞき込む。確かに、少し元気がないような気がしないでもない。
あれから佑衣奈は、学校ぐらいなら胡蝶蘭を持ってくるようになった。律儀に朝昼晩の挨拶をし、水を与え、枯らさないように育てているようだ。さすがに愛着も湧いてきたらしい。
「植物だって生きてんだから、調子の乗らない日もあるだろ」
「そういうものですかね。ハナコ、そうなんですか?」
帰ったらお水あげますから、などと当たり前に話しかけ、顔を上げた。
「じゃ、帰りましょうか。コーヘー、覚えてますか? 今日は帰りにたこ焼きを買ってくれる約束です」
……したか? そんな約束。
まあ、たこ焼きぐらいなら買わないでもないな──そう思いながら教室を出ようとして、こちらをじっと見ていた男子生徒と、ばっちり目が合った。
隣のクラスの……確か、斉藤光也。背が低く、なおかつ細い。中性的な顔をしている。偏見だが、裁縫とか得意そうな感じ。
「なに見てるんですか?」
笑顔で、ずばりと佑衣奈が問う。
話しかけられると思っていなかったのか、斉藤がたじろぐ。そこへ、佑衣奈がたたみかけた。
「なに勝手に見てるんですか?」
「……おまえ、ほんとヤンキーみたいだから、それ」
なにガンつけてんだコルァ、と同じだ。こいつの目指すところがわからない。
「あの……木下君、だよね」
一度も話したことがないからか、気後れ感を全面に押し出して、斉藤が見た目どおりのか細い声で話しかけてきた。ああ、と頷くと、気まずそうにキョロつく。
「なにか用?」
「よ、用っていうか……ここでは、ちょっと……」
くちごもり、用件を述べない。
佑衣奈は笑顔だったが、煮え切らない斉藤の様子に、こいつのストレスが溜まっていっているのが手に取るようにわかる。暴れ出す前に、なんとかしなくては。
おそらく、教室内にまだ生徒がたくさん残っているという状況がネックなのだろう。ならば場所を変えようといいだす前に、まだ帰ってなかったのか、孝史が首をつっこんできた。
「光也じゃん、どしたの?」
斉藤に手を挙げ、挨拶。
「知り合いか?」
「おう、ゲーマー仲間」
……ああ、そんな感じ。
孝史の出現によって、逆に出鼻をくじかれた形になったのか、斉藤はかわいそうなぐらい動揺した。えっと、その、となにかをいいたそうにしている。
「わかった! あれだろ、悩み相談!」
孝史が、斉藤の手を取る。そこには、A4サイズの紙が握られていた。すっかり忘れていたが、孝史作の、「悩み相談承ります」のチラシだ。各掲示板に貼られ、ご自由にお持ちくださいのコーナーに置かれていたやつ。
「う、うん、そうなんだけど……」
そしてまたキョロつく。
……しょうがないな。
「場所を変えよう。どこか……人の残ってなさそうな教室にでも」
「じゃ、パソ部行こうぜ。どうせ準備室なら無人だろうし。な?」
なぜか孝史が仕切る。コンピューター部、略称パソ部。活動内容までは知らないが、帰宅部の孝史がよくゲーム目当てで顔を出していることは知っている。
ということは、斉藤光也はパソ部なのか。
「う、うん。じゃあ、パソ室に行こう」
コンピューター室、略称パソ室。だれも正式名称で呼ばない。学校内で、一番設備の整った、やけに綺麗な教室だ。
「行くか、パソ室」
「久々だなー」
荷物を持ち、移動開始。
うしろで、佑衣奈が鉢を抱えて、やる気のない声を出す。
「ゆいなは帰ってもいいですかー?」
「阿呆。おまえも来るんだ」
不満そうな佑衣奈を引きずって、西棟一階、パソ室へと移動した。
職員室で借りた鍵を差し込み、斉藤が戸を開ける。他の部員はまだ来ていないようだ。ずらりとデスクトップの並ぶ、無機質な空間を通り抜け、さらに奥の扉の鍵も開けた。ここが、パソ準備室。
「ごめんね、木下君、山本君、桜田さん。こんなところまで。山本君のいうとおり、これを見て……その、二人に、相談したいことがあって」
教室にいたときよりの数段てきぱきと話し出した。やはり、教室内に他の生徒がいたことが問題だったらしい。
教室の半分ぐらいの広さの準備室には、壁一面に本棚が並べられ、パソコン関係の資料が詰め込まれている。その前に、古い型なのだろうか、無造作に積み上げられた、埃まみれのパソコンが数台。端に重ねられていたイスを、孝史ががたがたと四脚下ろし、斉藤一人と、俺たち三人が向かい合うように並べた。
「気にすんなよ。それがこいつらの仕事だからさ!」
当事者でない孝史から、明るい返事。
まったく気にはしていないが、それを孝史がいうのはどうなんだ。
「で、なんなんですか、ご相談って。ちゃちゃっと済ませてしまいましょう」
こっちはこっちで、恐らく頭のなかはたこ焼きでいっぱいだ。
「あの、実は……木下君たちのクラスの、中根さんのことなんだけど……」
中根さん、というと、中根紀美子のことだろう。あまり話したことはない。
「ナカネさん、だれですか?」
「おまえ、接点ないからわかんないんじゃないか? あ、ほら、惣太の事件のときに、新聞を見せてくれたやつだよ」
「窓際の、一番うしろの席の。佑衣奈ちゃんもうしろ座ってるから、わかるんじゃない? 長い髪で、眼鏡かけてる子」
オレと孝史の説明に、佑衣奈は少し考えて、ああ、と声を上げた。思い当たったようだ。
中根紀美子は、特に目立つとか目立たないということはない、ごく普通、という印象の生徒だ。そういえば、最近は一人でいることが多いような気がする。ケンカでもしてるのか。女子は面倒で、よくわからない。
「中根が、なに?」
促すと、少しいいにくそうながらも、斉藤は続けた。
「ぼくと中根さん、家が近所で、幼稚園からいっしょなんだ。その、中学に上がってからは、あんまりしゃべんなくなっちゃったけど……。気づいてるかな、最近、中根さん、いつも一人でいるみたいなんだ。イジメとかじゃ、ないなら、いいんだけど……あの、気になって、っていうか……」
ごにょごにょごにょ。尻すぼみ。
「はっきりいったらどうですかー。そんなんじゃ、ナカネさんに嫌われちゃいますよ」
「そ、そんな、ぼくは別に!」
恐らく深い意味はないであろう佑衣奈の発言だったが、斉藤は過剰に反応する。青春ってやつだ。
「要するに──」
孝史が身を乗り出した。
「中根紀美子が、クラスの女子からイジメを受けてるのではないかを調査し、もしそうなら、なんらかの手を打ってくれ、って話?」
まあ、まとめればそうなんだろうな。
「そう、そういうことなんだ。ぼくじゃ、クラス違うから、ちょっとよくわからないところもあって……頼むよ、木下君、桜田さん」
潤んだ瞳で懇願されてしまった。
どう考えても、厄介そうな話だ。厄介なのには間違いない、のだろうが。
頼まれてしまったものは、むげにもできない。
「わかった、できるだけのことはしよう」
「ありがとう! ぼくにもできることがあれば、何でもするから!」
ということで、なし崩しに、オレと佑衣奈は活動を開始することになってしまった。
不安だ。
「ゆいなちゃん、情報ーっ!」
どーんどーん、ぱふー。
斉藤の依頼を受けてから、数日間、佑衣奈は自ら志願し、中根紀美子密着調査を行っていた。
派手な外見とは裏腹に、隠密行動も得意らしい。昼間は学校、朝晩は家にまで調査に行っていたようだ。オレはというと、もっぱら聞き込み調査。とはいえ、ことを大きくするのは問題なので、できるだけ目立たないように、それとなく。
単におもしろがっているだけなのだろうが、こちらの世界に来てから初めて、オレの思惑どおりに動いていた佑衣奈が、夜、けたたましく部屋に押しかけてきた。明日の英語の予習をしていたオレにかまわず、傘カバンからマル秘マークの入ったメモ帳を取り出し、勝手にベッドに座り込む。
「ご静粛にー」
自らうるさくしておいて、そんなことをいう。雰囲気重視。
「おまえ、数十分前になにしでかした? 堕天使カードが降ってきたぞ」
「ご静粛にー」
…………。こういうときは、なにをいっても無駄だ。
「……今日はもう、中根のとこに行かないのか?」
とりあえず話題を変え、辞書を閉じ、キィ、とイスを回す。向き直ると、はい、と佑衣奈は頷いた。
「何日か密着しましたけど、もう十分ですのでー。ナカネさん、ほんと、友だちいないですね。学校では話しかけられなければだれとも話しませんし、放課後や休日もだれとも会ってないですよ。塾でも、メンバーが学校と同じだからですかね、いつも一人です。お家は普通の一軒家なんですが、優しそうな両親と弟さんがいましたよ。お家にいるときの方が、まだ明るい感じですね」
メモを見ながら、ぺらぺらしゃべる。こいつ、どうやって家のなかまで調査したんだ? 昨夜は堕天使カードは降ってこなかったから、例えば不法侵入でも、大義名分があればいいということなのだろうか。
結構適当だな、堕天使カード。
「サイトーのいっていた、イジメっていうのがどういうものかよくわかりませんが。これってイジメなんですか?」
「……そう聞かれると、正直、ちょっとな、確証はないが。以前は中根も、女子何人かでつるんでたのは確かだな。あからさまな嫌がらせはなくても、女子って陰湿らしいから、影で悪口とかなんとか、あったのかもしれない」
オレが直に中根の陰口を聞いたわけでもないし、中根がなにかされているのを見たわけでもない。ただ、クラスのやつらにそれとなく聞いたこととを合わせて考えれば、集団無視の状態である可能性が高い。中根が女子から、空気のように、ないもののように扱われているのだ。
想像するだけで、それはきつい。
「感じ悪いですねー。ナカネさんも、がつんといえばいいのに」
「おまえとは違うんだろ」
世の中みんな佑衣奈みたいなら……と考えかけて、あまりに恐ろしい想像に、オレは戦慄する。絶対嫌だ、そんな世界。
「どうするんですか、コーヘー? とりあえずサイトーに報告? ゆいなはですね、直接ナカネさんに話を聞いてみるのも、ありだと思うんですが」
珍しくアクティブに、そんな提案をしてくる。
オレは、素直に驚いた。
「おまえ、やる気だなー。そうだな、それもありかもな」
教室のなかで聞くのは問題だろうが、まわりに知り合いがいない状況なら、接触してもいいだろう。
佑衣奈は、にこー、と笑った。
「ですよね。では登場です! ナカネさーん!」
「……登場?」
嫌な予感。
佑衣奈は傘カバンに手を突っ込むと、そこからなにか大きなものを引き抜いた。
大きさの概念を完全に無視して、傘から取り出されたそれは、ぼん、とベッドに放り出される。
嫌な予感は的中した。
ベッドには、横たわる中根紀美子の姿。
「ああ……」
がくりと、オレはうなだれた。
「あの堕天使カードは、これか……」
中根は、気を失っているようだ。ジーンズにパーカー姿で、あろうことか、手足は布で縛られている。完全に誘拐だ。
「佑衣奈、おまえはな……!」
「小言はあとですよー。ゆいなはですね、経過より結果重視なんです。手っ取り早いでしょ?」
そういって中根を拘束していた布をはずしていく。ひょい、と彼女を持ち上げ、壁にもたれさせるようにて、ベッドに座らせた。履いていたスニーカーを脱がせ、床に置く。
ぱん、と佑衣奈が手を叩くと、中根が目を開ける。ぼんやりとした様子でまわりを見て、やがて佑衣奈と目が合った。
「……桜田佑衣奈?」
寝ぼけているような、破棄のない声。やがて意識がはっきりしてきたのか、目がぱっちりと開く。
「……なにこれ」
混乱を端的に表した一言。
スニーカーを履いていたということは、外出中に佑衣奈に捕まったのだろう。頭を抱えてばかりもいられないので、オレは一芝居うつことにした。
「中根、大丈夫か?」
膝を折って、床にしゃがむ。
「木下君?」
「道に倒れてたらしいんだ。こいつ、救急車とかそういうのわからなくて、とりあえずここに運んできてさ。病院行くか?」
中根は、ゆっくりと目を瞬かせた。
「……どうして、倒れたんだろ。本屋行こうと思って歩いてて、急に頭がくらくらしたような……」
「心配ですねー。ちゃんと食べてますか?」
まったく心のこもらない佑衣奈の言葉だったが、中根はオレの説明を信じたらしい。佑衣奈に向かってありがとうとつぶやく。
どうして倒れたんだろう、の答えは、想像はつくが、知りたいような知りたくないような。だれかに殴られたとかいわれたら、どうしようかと思った。良かった。
「ここ、木下君の家? ごめん、迷惑かけて。帰るね」
まだ混乱はしているようだったが、そういって木下は立ち上がろうとした。学校でのイメージより、幾分明るい。
「だめですよ! そりゃあもう、奇っ怪な状態で倒れていたんですよ、ナカネさん。急に動くのは命取りです! これでも飲んで、落ち着きましょう」
佑衣奈が、どこからともなく──十中八九傘カバンから──ペットボトルの緑茶を取り出す。どうしたんだ、こいつのこのテンション。
「あ、ありがとう」
「どうぞどうぞ。コーヘー、お菓子とかないんですか?」
「……あるけど」
佑衣奈のテンションを訝しく思いながらも、机の上にあったやごなんを箱ごとベッドの上へ持ってくる。木下は圧倒されたように恐縮して、もう一度ベッドの上に落ち着いた。
「とりあえず、目も覚めたことだし、電話入れといた方がいいな」
オレは思い立って、携帯電話を中根に手渡した。もう七時を回っている。両親が心配してるに違いない。
「あ、そうだよね……大丈夫、持ってるよ。ありがと」
中根はポケットから携帯電話を取り出し、電話をかけた。こういう気配りが、決定的に佑衣奈に不足していると思う。急に姿を消せば、まわりの人間が心配するだろうとか、中根の予定に支障が出るだろうとか、そういうことは考えないのだろうか。……考えないんだろうな。
「なあ、中根。ちょっと気になってたんだけど……最近おまえ、一人でいること多いよな。佐久間たちと、ケンカでもしたのか?」
佐久間というのは、一学期には中根とよく一緒にいた女子だ。オレは気にもとめていなかったが、リサーチの結果出てきた名前。佐久間リカ。クラスのなかでも、わりと目立つタイプ。
中根は、不快そうに眉を顰めた。
「別に」
一言。とりつく島もない。
嫌な沈黙が流れる。
佑衣奈は、マイペースにやごなんを口に放り込み、自分用に用意していたらしいペットボトルを開け、一人おやつタイムを満喫している。中根もまた、ただ動かずにいることに耐えかねたように、ペットボトルの茶を口に含んだ。
「……うっ」
「飲みましたね」
にやり。佑衣奈の邪悪な笑顔。
オレは頭上から降ってきた堕天使カードをキャッチした。
「……佑衣奈、なにを飲ませた?」
「飲ませただなんて。ナカネさんが自分で開けて、自分で飲んだんですよ」
「毒じゃないだろうな! 中根、大丈夫か?」
うつむいていた中根は、ペットボトルのフタを丁寧に閉めて、くいと頭を持ち上げた。うつろな目で、オレを見る。
「だい、じょう、ぶ」
ロボットのような、平坦な声。……大丈夫そうには見えない。
「佑衣奈ぁ……!」
「なんで怒るんですか、この方が、効率的に話を聞けますよ? ちょっと、いうことを聞きやすくなっちゃうお薬を、飲ませただけです」
「飲ませただけです、じゃない! 話したくないことを無理に聞き出すようなことをするな! それぞれ、事情ってもんがあるだろう!」
「話したいけど、話せないだけかもしれないじゃないですか。コーヘー、頭固いですよ」
こいつ、本当になにもわかっていない。薬を飲ませてむりやり吐かせるなんて、おかしい。
「もう飲んじゃったんですから、今更です。聞かないんですか?」
「…………」
オレはため息を吐き出して、天井を仰いだ。
どうしたものか。
こういうやり方は間違っている。間違っているが。
たしかに、飲んでしまったものは……有効活用してもいい、……かな。
「中根」
ごほん、と咳払い。
「最近、一人でいること多いよな。佐久間たちと、ケンカでもしたのか?」
ほぼそのままに、質問をくり返す。中根はうつろな瞳で、ひどくゆっくりと、オレを見た。
「ケンカなんて、してない」
ぼそぼそと、つぶやくような声。
「じゃあなんで、一人でいるんだ?」
「だれも、わたしと、話さない。わたしが、悪い。いい気に、なってた、から」
根気よく質問をくり返すと、中根は、なぜ一人でいるようになったのか、話し始めた。
まとめると、こうだ──
一学期につるんでいた五人のうちの一人が、二学期に入って、他のクラスの男子に告白するだの何だの、という話になった。オレはそいつとは話したことはないが、バスケ部で、背の高い男だ。まあ、もてそうな雰囲気はある。
告白するにあたり、その男子に彼女はいないのかとか、好きなやつはいないのかとか、好みはなんだ、趣味はなんだ──そういった調査をするようになった。結果、他の四人が、そいつのまわりをうろつくことになったらしい。
で、まあ、ここからは想像のつく話だが、その男子は、最近よく見かける中根のことが気になってしまい、あろうことか、中根に想いを告白。その男子に想いを寄せていた女子は大ショック、他の三人は、中根を裏切り者扱い。
そこから、そもそも気に入らなかったのよね、いい気になっちゃってさ、みたいな展開になり、話しかけても答えてもらえないようになり、それが女子中にひろまり……やがて、自分から話しかけることもやめてしまった。
──という、第三者が聞けば、実にばからしい話。
中根が帰っていく様子を窓から見ながら、オレはため息をついた。
「めんどくせーな」
そんなことで、と思ってしまうんだが。そんなことで、だれかを無視したり、仲間はずれにしたり、という展開になるものなのだろうか。くだらない。
だが、当事者にとっては、くだらないではすまない問題だ。
「女の子って、そういうものですよ、コーヘー。ちょっと会話のテンポはずしたりしたら、もう、なにあの子ウザーイ、ってことになるんです。ナカネさんのは、結構ちゃんとした理由がありましたけど」
「ちゃんとした理由? あれが? っつーか、管理者の世界にも、そういうのあるのか?」
「ありますよー」
あるのか……どんどんわからなくなるな、管理者の世界……。
「で、どうするんですか?」
ベッドから、上目遣いにこちらを見上げ、佑衣奈が聞いてきた。
どうするのか、といわれても。
解決はしたいが、そんなややこしいこと、どう解決すればいいのか。
未知の世界だ。
「でも、なんとかしないとな」
中根のことを思えば、このままでいいわけがない。話しかけても答えてもらえないというのは、想像以上に、辛いことだろう。
「ゆいなとしてはですね、放っておけばいいと思うのですが。いわゆるイジメって、絶対なくならないと思いますよ。みんなが経験していくことですよ。いつかは、ああそんなこともあったな、ってなります、きっと」
「……そういうもんかな」
確かに、イジメっていうのは、大なり小なり、昔からあったものなのだろう。
なくならない、といわれれば、なくならないものなのかもしれないが。
「なくならないことと、なにもしないことは、違うだろ」
オレは、そう思う。
「じゃ、がんばってください、コーヘー。ゆいな、結構協力したんで、今後ナカネさん問題がどうなるのか、楽しみにしてます」
「楽しみにって……おまえも、どうにかする方法を考えろよ」
ただでさえ、女の世界の仕組みはわからないのに。
方法ですか、と聞き返して、佑衣奈はにっこり笑った。
「ゆいなは、放っておく、に一票です。または、ナカネさん以外の女の子全員にヤキ入れます」
「どっちもなしだ」
「ですよねー」
こいつの思考は、ほんとにどうにかならないのか。
「ですから、楽しみにしてるんです、コーヘーがどうするのか」
この一言に、オレは急に小さな緊張を覚えた。
試される、気がしたのだ。
気軽に首をつっこんでしまった中根問題は、思いのほか大きな意味を持ってくるのではないだろうか。オレの、神への道において。
その日の夜は、ぐるぐると考えごとをしてしまった。あまり眠れないままに朝を迎え、働かない頭をこづきながら、学ランに着替える。
一階のダイニングに下りると、いつもどおり、トメさんの手によって朝食が準備されていた。ベーコンエッグとトースト、ミルクティー。オレはコーヒーより紅茶派だ。そして、断然、レモンよりミルク。
「おはよう」
「おはようございます、晃平さん」
「ございます、コーヘー」
おはようの部分をちゃんといえ。
そろそろ慣れたが、朝からこのこってりしたゴスロリファッションを見るのは、やはり気が滅入る。
「コーヘー、ハナコがやっぱり元気ないです。どうしましょう」
食卓には、花子も連れて来られていた。最近、佑衣奈とこの胡蝶蘭は、完全にセットになっている。
見ると、いまにも枯れそうにしおれていた。
「水やってるか?」
ずぼらなこいつでも問題ないように、少量の水で十分なはずなのだが。
「ちょっと前から元気がないので、たくさん水をあげているんですが。ハナコ、どうしたんですか? 悩みごとですか?」
「日光が足りないとか」
「そうなんですかねー」
二人して、白い花をのぞき込む。だるん、と元気のない姿だ。
「佑衣奈さん、お水を毎日?」
リンゴを切ったものを食卓に運び、トメさんが声をかけてくる。佑衣奈が頷くと、トメさんはきゅっと眉を下げた。
「胡蝶蘭は、少しのお水でいいんですよ。毎日もお水をあげたら、根腐れしてしまうんです」
「ネグサレ? 根っこが、腐るんですか?」
佑衣奈が目を見開く。腐ってるんですか、と花子に話しかけるが、当然返事はない。
「元気がないと思って水をやりすぎたのが、逆効果だったわけか」
えー、と佑衣奈が声をあげた。
「ハナコ、もうだめですか?」
「まだ枯れてませんから、大丈夫だと思いますよ。少し、私に預けていただけますか?」
佑衣奈がこちらを見る。いいですか、という顔だ。世話をしろといったことを、忠実に守ろうとしているらしい。
「そうだな。そうしてもらえ。おまえじゃ、どうにもならないだろ」
「ならないです」
きっぱり。
「お願いします、トメさん。名前はハナコですよ」
トメさんは、優しく微笑んだ。
「任せてください。元気になったら、お返ししますね」
それにしても、花一つ枯らさないようにするのも、大変だ。水が少なくていいということは、やりすぎたらだめってことになるのか。奥が深い。
「おまえ、結構必死だな。そんなに、食料が大事か?」
少し意地悪ないい方をすると、佑衣奈はきょとん、とこちらを見た。
万が一枯らせたら、食事の量を人並みにするという条件……まさか、忘れてはいないと、思ったが。
しかし、佑衣奈はすぐにいつもの笑顔になる。
「当然ですよ。食は生活の基本です」
……素直に、そんなの忘れていたと、いえばいいのに。
ややこしいやつだ。
学校では、中根紀美子はいつもどおり、一番うしろの席で一人、過ごしていた。昨日の今日で気になるものの、どう行動したものか考えあぐねて、結局ただ見守る。
佑衣奈は朝からきっちりついてきて、授業を聞いている。オレがどうでるのか、楽しみにしているのだろう。
中本サンにいうのもありかな、とちらりと思ったが、やめておく。こういう問題は、教師がからむと、逆にややこしくなることがあるものだ。
そうこうしているうちに、昼休みがやってきてしまった。孝史が机をくっつけてきて、佑衣奈もイスを運んでくる。佑衣奈の表情がきらきらしていて、オレはげんなりした。
「コーヘー、コーヘー、なにもしないんですか? ほら、今日もナカネさん、一人ですよ」
「……なにが楽しいの、おまえ」
「楽しいですよ。わくわくです」
本当に楽しそうだ。
「晃平、中根さんのこと、未解決なんだろ? どうなの、光也に報告とかは?」
孝史もせっついてくる。斉藤のことはすっかり忘れていた。
「そうか、報告しなきゃな……」
ともあれ、事情はわかったのだ。報告をすべきだろう。
……いや、本人が進んで事情を話したわけでもないし、厳密にはオレが調査したということでもないのだから、話さないべきなのか? どうなんだ?
妙な薬を使って自白させましたとは、とてもいえない。
「あれ、柳原さん」
孝史の言葉に、ちらりと中根の方を見る。相変わらず、一人で弁当を広げている。
その中根の元へ、柳原が近づいていった。なにか、話しかけているようだ。……なるほど、柳原は、そういう女子のいざこざとは、無関係な感じするもんな。佑衣奈と同じ、良くも悪くも別格だ。
クラスの女子とつるんでいるところも、あまり見かけない。かっこよくいえば、一匹狼。
「なに話してるんでしょうね。気になりますねー」
「おまえ、本当に楽しそうだな」
てへー笑いが返ってきた。
……まったく。オレは、この繊細な心をこれだけ悩ませているというのに。
「なんかさ、ほかの女子、中根さんの方に注目してね? なんで話しかけてんの、無視じゃないの、みたいな! こわいねー」
孝史のいうとおり、一学期に中根といた女子たちが、ちらちらと中根を見ていた。眉を顰め、仲間うちで一言、二言、なにやら交わし、きゃははと笑う。良い感じはしない。
オレは立ち上がった。
とにもかくにも、行動だ。
「なあ、中根とケンカでもしたの? おまえら、一学期は一緒にいただろ」
そう切り出すと、彼女らは顔を見合わせる。リーダー格の佐久間が、少し笑いながら、こちらを見た。
「してないよ、ケンカなんて。どうしてー?」
「だれも中根に話しかけないだろ」
「だって、紀美もこっち来ないじゃん」
ねー、と示し合わせたように笑う。
「知ってる? こないだ紀美さ、また新聞持ってきてた」
「学校に新聞だよ、ウケる!」
「いつも一人で本とか読んでるよね」
……こいつら。
オレは、正体のよくわからない苛立ちが、胸の辺りまでせり上がってくるのを感じた。
くだらない、本当にくだらない。
昨日のテレビの話題で盛り上がっているような、そんなテンションで、口にしていることがこれだ。
くだらなくて、醜い。
「おまえら、うるさい。いい加減にしろよ」
思わず、感情のままにいってしまった。
佐久間たちはもう一度顔を見合わせ、
「うるさいって」
「ごめんなさい」
笑いながら、謝罪の言葉を吐く。
かっと、頭に血が上りそうになる。
「晃平、弁当の時間なくなるぞー」
うしろから、孝史が呼んだ。
「ゆいなが食べちゃいますよー」
続いて、佑衣奈の声。
引っ張られて席に戻ると、孝史は盛大にため息をついた。
「いまのは助け船だぞ。おまえ、あれはまずいよ」
「ゆいなはおもしろかったので、オーケーです」
「……わかってるよ」
力無くつぶやく。
こういうことをしたかったのでは、なかったのに。
「女は、魔性の生き物なんだ。って、じいちゃんがいってた。もっと策戦練らないと、いまみたいに返り討ちだ」
……耳が痛い。
「しかもな、たぶんあいつら、たいして悪気ないだろ。そこが難しいよなー」
「あれ、悪気ないのか?」
「ないんだよ。ぷち佑衣奈ちゃんだな」
「ゆいなのは、悪気ありますよ」
やっぱりあるのか。
ふと、中根と目が合う。中根は、こちらを睨みつけていた。
もしかしたら、ものすごい失態を、しでかしてしまったのではないだろうか。
案の定、その日の帰り、中根に呼び出された。
「余計なことしないで。どういうつもりなのか、知らないけど」
下駄箱と反対方向にあるため、人気のない階段。中根は憤りを露わにして、オレを睨む。
「……おまえ、頭にこないのか?」
「ほっといてよ、木下君に関係ないでしょ? おもしろがられて、余計長引いちゃう。ちょっと我慢すれば、そのうち終わるんだから」
質問には答えず、一方的にそういって、中根は階段を駆け下りていった。
「ほらー」
残された沈黙に、佑衣奈の明るい声が降ってくる。上から見ていたらしい。
「……なにが、ほら、なんだよ」
「放っておけばいいって、ゆいないいましたよ。コーヘーは『良いこと』しようとして、事態を悪い方向に転がせちゃったんです。このあとの展開わかります? 『ナカネさんったら、キノシタ君味方につけて!』『感じ悪ーい』『もっといじめちゃえ!』ですよ」
いい返せない。そのとおりなのかもしれない。
オレは、階段から身を乗り出している佑衣奈を見上げた。
「だからって、なにもしないのは違うだろ。悪いのは佐久間たちで、中根はなにも、無視されるようなことはしてない」
「そうですか?」
佑衣奈が、こちらに飛び降りる。
すとん、と前に着地して、まっすぐオレを見た。
「本当にそうですか? 立場が変われば、ナカネさんだって、同じことするんじゃないですか? 全部見てきたわけでもないのに、ナカネさんは悪くないって、いえますか?」
あくまで、佑衣奈は笑顔だ。
オレの頭のなかに、いつかの佑衣奈の問いが響く。
良いことってなんですか、と。
「コーヘーの思う『良いこと』は、結局、自分にとっての『良いこと』でしかないんですよ」
す、っと、佑衣奈の笑顔から、柔らかさが消えた。
「『良いこと』をして、満足しました?」
ひどく冷たい声。初めて、こんな表情を見る。これが、佑衣奈の本当の顔なのかもしれない。
なぜ、それを為すのか──告げられたキーワードが、脳裏に蘇った。
これでは、ただの自己満足だ。
「じゃあ、ゆいなは先に帰りますね」
にこりと笑い、オレの隣をすり抜け、階段を下りていく。
オレはなにもいえず、拳を握りしめた。
そんなに、オレは、間違えたのだろうか。
思うとおりに行動したことが、それほどいけないことなのか。
「満足なんて、してねえよ……」
つぶやいて、踵を返す。佑衣奈を追いかけようと階段を駆け下りて、驚いて立ち止まった。
黒い塊がうずくまっている。
「……どうした?」
佑衣奈だ。手すりにつかまって、小さくなっていた。
「なんでもないです」
さっと立ち上がり、そのまま歩き出す。オレは思わず、佑衣奈の手をつかんだ。
「なんでもなくないだろ。おまえ……なんだこれ、あつっ! 熱あるだろ! いつからだ?」
手が熱いような気がして、額に触れてみれば、じゅわっと音がするぐらいの熱だ。
「なんでもないです、ってば。そんなことより、帰りましょう」
「おまえ、ふざけんなよ!」
怒鳴りつけ、むりやり佑衣奈の手を引く。保健室に連行し、イスに座らせ、問答無用で熱を計らせた。
「なに怒ってるんですか?」
「うるさい」
そりゃ、怒りもするだろう。
なんなんだ、こいつ。
ピピピという音に、見てみれば、恐ろしくも三十八度六分。
オレの方が、目眩がした。
普通なら、ふらふらになるはずだ。
「おまえな……どうして、これで、学校なんかに来てるんだ」
「いっている意味が、よく、わかりませんが」
そうだ、こいつはこういうやつだ。
まったくもって、イラつく。
「……病院行くぞ」
保険がきかないとか、いってられない。
診断結果は、風邪。
トメさんにいって粥を作ってもらい、味がしないと嫌がる佑衣奈にむりやり食べさせ、苦いと吐き出す薬もむりやり飲ませた。
疲れからきたのだろう、とのことだ。
心当たりなら、ある。
「……おまえ、寝てないだろう」
佑衣奈の部屋のベッドに、半ば力ずくで寝かせ──力ずくが通用するあたり、やはり弱っているのだ──、いつかと同じ問いをくり返す。
「寝てますよ」
堕天使カードが降ってきた。明白な嘘だ。
「あっちの世界では……寝てる隙に、敵に襲われでもしたのか?」
佑衣奈は黙っている。
「あのな。こっちの世界では、寝てる間に敵が来るとか、なにかに襲われるとか、九十九パーセント、ない。しかもここは平和な日本だ。安心しろ」
「はーい」
心のこもらない返事だ。
きっと、オレのいったことなど、まったく心に届いていないのだろう。
「……もし、残りの一パーセントが不安なら、オレがここにいる。これで百パーセント安全だ。だから寝ろ。とにかく寝ろ。三日ぐらい寝続けろ」
「三日、ですか?」
フトンから顔だけ出して、佑衣奈がこちらを見た。
「三日間、そこにいるんですか?」
「…………、いる」
いってしまったものは仕方がない。こいつ本当に三日寝そうだな、とは思ったが、決意して肯定する。やってやろうじゃないか。
「そですか」
一言残し、ごろんと壁側を向いた。
時計の音だけが、妙にくっきり、聞こえてくる。佑衣奈の顔は、こちらからでは見えない。
「……コーヘー」
背を向けたままで、話しかけてきた。
「ハナコ、元気になりますか?」
「なるよ」
見えなかったが、きっと佑衣奈は笑ったのだろう。
そうですよね、という声を最後にして、やがて寝息が聞こえてきた。