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良いことってなんですか?


 戦車ロボットスイーツ事件から、数日が過ぎた。あの後、教師陣やクラスメイトに追求された柳原は、金田惣太のことを遠い親戚だといい、彼がスイーツ戦車ロボで現れたことについては、「あの子はパティシエのもとで育てられたので」、と説明した。柳原の説明も説明だが、これで納得するこの学校のやつらもどうかと思う。

 惣太は時折、佑衣奈をやっつけるためにオレの家や学校など、いたるところに現れたが──もちろん、すべて返り討ちなわけだが──まあ、慣れてしまえば、それでも平和な日々といえる。

 ただし、いっこうに佑衣奈の天使カードが増える見込みはなく、また、オレのしている『良いこと』にも手応えがないので、平和ではあるが進展のない日々だ。

 このままではいけない。

 なにか、手を打たなければ。

「というわけで、友達思いな俺は、こんなものを各掲示板に貼りだしてみました!」

 放課後。

 孝史は喜々として教室に飛び込んでくると、オレと、例によって学校に来ていた佑衣奈との前に、A4サイズの紙を出してきた。

 白黒で印刷されている。オレと佑衣奈の似顔絵(異様にうまい)の上に、「なんでも相談してください!」の文字。

「というわけでって……おまえ、オレのモノローグを引き継ぐなよ」

「なんでだよ、友達だろー?」

 よくわからない返しだ。手強い。

「かわいいですねー。『あなたの悩み、困っていること、やって欲しいこと、なんでもご相談ください。あの木下晃平と桜田佑衣奈が、たちまち解決いたします』……なんで、あの、の部分だけ太字なんですか?」

「そこは強調しなきゃなんないだろー。戦車事件以来、有名だからな、おまえら」

 悪い意味でな。

「良いお友達ですね、コーヘー。これで相談でもあれば、『良いこと』できちゃいますね。やっぱり人生、楽してのし上がらないと!」

「それが天使のセリフかよ……」

 げんなりとする。堕天使カードが降ってくる回数はさすがに減ったが、天使カードを手に入れられる日は本当に来るのだろうか。

「それとな、掲示板におもしろいもんがあったぞ」

 もう一枚、孝史は紙を出す。サイズは一緒だが、こちらは金色だ。折り紙のセットを買うと一枚は入っている、あのてかてかした素材。

『あなたのその負の感情を応援します。詳しくは下記へ──』という文句と、携帯電話の番号が記されている。

 名前は書かれていないが、これは確実に……

「柳原……」

「なにか文句がおあり?」

 金髪をこれ見よがしに払い、どこから見ても偉そうな柳原が登場した。聞かれたか……。

「犯罪になるようなことはするなよ、柳原。クラスメイトとして悲しいだろ」

 オレの言葉に、柳原はあからさまに嘲笑した。

「木下君が悲しい? あなたの感情が、私になんの関係があって? 私はやりたいことをやりたいようにやるだけよ。──それにしても、木下君は大変ね、パートナーの協力が得られなくて」

「ゆいな、協力してますよー」

 思わず身構える。しかし、いけしゃあしゃあといい放った佑衣奈の嘘八百に対しては、堕天使カードは降ってこなかった。最近分かってきたことだが、冗談として流せる程度の嘘、または自覚のない嘘なら、堕天使カードの対象にならないらしい。……いまのは、どっちだか。

「おまえのことだから、そうめったなことはしないだろうけど。あんまり目に余るようなら止めるからな」

「好きになさって」

 ふん、と鼻を鳴らし、柳原は踵を返す。普通のスリッパなのに、どういう仕組みなのか、カツカツと音をたてて教室から出て行った。

「あいつ、ナゾだよなー。性格はともかく顔はいいし、頭もいいし、しかも金持ちなのに、なんで大魔王だよ。晃平といい……それなりに恵まれると、おかしくなるのか?」

「おかしくなるとはどういう意味だ」

「おまえがおかしい、という意味だが」

 そう真剣な眼差しで答えられると、いくらオレでも軽くへこむんだが。

「ま、そんなことより、おまえらもう帰るんだろ? ゲーセン行かね? 新しいガンゲームが入るってよ。佑衣奈ちゃんも、どう?」

「行きます! ゲーセン行きます!」

 オレにしてみれば、孝史も十分ナゾだ。どうしてこんなにすんなりと、この状況に馴染んでいるのだろう。大物なのかなんなのか。

 オレは机のなかの物をカバンに詰めながら、少し思考を巡らせた。久しぶりにゲームセンターに行くのも、まあ悪くはないが。

「オレは今日はパス。おまえら、行くなら一度家に帰ってから行けよ。寄り道はだめだ。あと、コインゲームには手を出すなよ」

「え、なんでだよ、コーヘー。なんかあんの?」

「ちょっとな」

 隠すほどのことでもないが、変に騒がれるのもよくない。言葉を濁しておく。

 行く気満々になっている佑衣奈に不安を覚え、オレは孝史の目を見据えた。果たして、こいつに任せて大丈夫だろうか。 

「……孝史。これはたとえ話だが、佑衣奈はガンゲームのディスプレイに向かって、本物の銃をぶっ放すようなやつだ。くれぐれも、おかしなことしないように、しっかり監督してくれ」

「正直荷が重いけど……わかった、任せとけ、友よ」

 がっしりと、固い握手を交わす。

「先に帰れよ、オレはもう少しやることがあるから」

「ラジャりましたー!」

「おう、じゃ、また明日……は、土曜か。月曜にな」

 二人が教室から出て行って、さらに五分ほど待ち、オレは立ち上がった。ポケットにつっこんであったメモを取り出し、確認する。

 今朝、下駄箱にクッキーとともに入っていたものだ。

『瓦通りの、ドンドンバーガーにて待つ。一人で来られたし』


「おせーよ!」

 ドンドンバーガーの自動ドアが開くと同時に、怒鳴られた。

 オレは、目の前に立ちふさがる人物を凝視し、思わず眉を顰め──そのまま、店を出ることにした。

 だめだ。

 知り合いだと思われたくない。

「おい、こら! 木下晃平! どこへ行く!」

 ……フルネームかよ。

 仕方なく、もう一度向き直る。

「金田惣太……とりあえず、マントとシルクハットをとれ」

「てめえ……! さては狙ってるな! やらねえからな! これはオレのだ!」

 …………。

 スルーして、ポテトとウーロン茶を注文する。うしろからぎゃーぎゃー聞こえてきたが、聞こえていないことにして、トレイを受け取って二階へ上がった。目立たないよう、一番奥へ座る。まあ、佑衣奈のように窓を割って飛び降りるようなことはしないと思うが。自信ないけど。

「なあ、おい、無視すんなよ」

 少し寂しそうに、金田惣太が追ってきた。律儀にもシルクハットとマントはとったようだ。それでも、ファーストフード店に燕尾服──しかも着ているのはどう見てもお子様だ──というだけで、十分目立っている。

「なんの用だ?」

 惣太が向かい側に座ったところで、ずばりときりだした。わざわざ佑衣奈抜きで、このオレだけを呼び出すぐらいだ。よほど重大な用事だろう。罠という可能性も考えないではなかったが、こいつがそんな気の利いたことをできるやつだとも思えない。

「よ、用ってほどじゃねえんだけどよ……」

 惣太は目を逸らした。恥じらうな。誤解される。

「用がないなら帰るが」

「お、おい! こっちは朝から待ってたんだぜ! 帰んなよ!」

 ……朝から?

「オレを試したんだろ? ちゃんと待ち続けたんだからよ、話ぐらい聞けよ」

「まさか、あのメモを見て、すぐ来ると思ってたのか? 学校をさぼって?」

 確かに、時間の指定もなにもないのは、妙だとは思ったが。

 惣太はきょとんとしている。……自分なりに納得しているなら、まあ、いいか。 

「──聞こう。用件は?」

 惣太は身を乗り出した。

「これはあくまで、敵を知る、という意味で聞くんだけどよ……その、佑衣奈は、おまえんとこで、どんな感じだ? ちゃんとしてるか?」

「……佑衣奈?」

 ぴん、ときた。

「教えてもいいが──見返りは?」

「は?」

「オレだけ情報を提供するのは、フェアじゃないな。なにか、オレにとってプラスになる情報があるなら、それに見合うだけの情報を提供しよう。この世界、そんなに甘くないんだ、惣太君」

 ぐ、と惣太はひるむ。茶色の髪をわしゃわしゃと掻いた。

「じ、じゃあ、千鶴のことで知ってる情報、全部やろう!」

「いらねーよ」

 なんのプラスにもならないじゃないか。

「どうしろってんだよ! そっちの知りたい情報がなんなのか、知らねーだろ、こっちは!」

「確かに。なら……今回のこのプロジェクトについて聞こうか。神になれる逸材だと判断される基準、とか──」

 落ち着き払って、ウーロン茶を飲みながら、できるだけさりげなく尋ねる。『良いこと』がなんなのか、お手上げ状態なのだ。佑衣奈相手では埒があかないが、惣太なら、もし知っていることがあればポロリというはず。

「知らねーよ、そんなの。ヨーコに直接聞けば?」

「ヨーコ?」

「グリーンリバーのトップ。今回のこれ、始めたやつ」

 グリーンリバーのトップ……社長の名は、緑川真之介だったはずだ。手紙にもそうあった。表のトップが緑川真之介で、裏のトップが『ヨーコ』なのだろうか。

「会えるのか?」

 ごくあっさりと、惣太はうなずいた。

「いま、この矢粉に来てるぜ。駅前の……なんだっけ、でっかいホテル。オレと千鶴は、ちょっと前に会ったから、まだいると思うけど。グリーンリバーの封筒さえあれば、アポとかいらねえし。佑衣奈から聞いてねえの?」

 ……佑衣奈……。協力者として最低限のこともしてないんじゃないかアノヤロウ。

 なら、いまは特に、こいつから知りたい情報もない。

「──で、おまえは佑衣奈のなにが知りたいんだ? オレの知る限り、好きなやつとかはいなさそうだから安心しろ」

 色恋に興味があるとも思えない。惣太は目に見えて赤面した。

「だ、だ、だれも、そんなこと聞いてねーだろ!」

 はいはい。

「オレは、ただ、ちゃんと寝てるかとか、ちゃんと食ってるかとか……そういうことをだな……向こうの世界では寝なくても平気だけどよ、こっちでは寝ないとそのうちガタがくるんだ。あいつ、そういうの、無頓着だから……」

「ちゃんと食ってるか、については欠片も心配するな。っつーか食い過ぎだ。寝てるかどうかは知らないが……」

 ……寝てないんじゃないか?

 後半は飲み込んでおく。寝てないとでもいおうものなら、熱血惣太がなにをするかわかったもんじゃない。

 しかし、やっぱり、管理者の世界では寝なくても平気ということなのか。寝ないとガタがくるなら気をつけておかないと──確かに、変に意地を張りそうだから、寝ないでいるうちにある日ばったり倒れそうだ。

「おまえ、佑衣奈のためにわざわざ悪魔にまでなって、追ってきたのか? 前は優秀な天使だったんだろ? 佑衣奈といい、転職がはやってんの?」

「転職?」

 惣太はいぶかしげに、鸚鵡返しに聞いてきた。

「佑衣奈が?」

「……違うのか?」

 この反応はなんだ?

「転職なんて、そうそうしねーよ。オレは、その、こっちに来たかったから、特例だ。佑衣奈は……」

 言葉を濁す。いいにくいことなのだろう。

 佑衣奈情報をエサに聞き出そうとも思ったが、それはなにか違う気がして、オレは黙って続きを待つことにした。元天使だというだけあって、惣太は真っ直ぐなのだ。いま逡巡しているのも、きっと、自分の損得とは別のところに原因があるのだろう──おそらく、佑衣奈が話していないことを、第三者が話してもいいのかという、葛藤。

 しばらく、沈黙が続く。

 惣太は意を決したようだった。

「……転職じゃねえよ。クビになったんだ。あいつは、悪魔を辞めさせられて、天使にさせられた」

「クビになった?」

 どう考えても、天使よりは悪魔に向いている。おかしな話だ。

 続きを促すつもりで惣太を見たが、あわてて首を左右に振られた。

「勘弁しろよ、あとは佑衣奈に聞けって! あんたに話してねえってことは……なんつーか、気にしてんのかもしれないしよ、これをネタにからかうような真似はすんなよな」

「おまえ……」

 オレは思わず、惣太を見つめた。

「悪魔、向いてないぞ、絶対」

「な、なんだとっ!」

 褒めているんだが。

 気分を害したのか、惣太はぶつくさとなにやらぼやきながら、やけ食いのようにポテトを食べ始める。──そういえば、管理者の世界の住人がみんな大食いなのかとも思ったが、こいつは人並みのようだ。

「安心しろ。佑衣奈の衣食住については、オレが保障する。オレんち裕福だし。なにかおかしなことがあれば……まあ、気が向いたら報告もしてやる」

「おまえ……」

 惣太は顔を上げ、目を輝かせてオレを見た。

「いいヤツだな!」

「まあな」

 別に、オレが惣太の嫌がることをしても、これといってメリットはないわけだし。実利はもちろん、精神的にプラスになることもない。

「ただし、どうせそっちはそっちで、『悪魔カード』を集めなきゃいけないって話なんだろうが……ひとさまの迷惑になるようなことしてみろ──」

 ただじゃおかないからな、といいかけて、少し考えた。

「──佑衣奈に嫌われるぞ」

「……ぐっ。な、なにいってんだよ、関係ねーよ、あいつに嫌われるとか別に!」

 こっちの方が響くだろう。わかりやすいやつだ。

「オレはな、天使とか悪魔とか関係なく、佑衣奈に勝つことが目的なんだ! ケチョンケチョンにぶちのめして、ぎゃふんといわせてやる!」

 セリフのチョイスが古めかしいなー。

 佑衣奈のことを意識していることがイヤというほど伝わってきて、いっそ微笑ましいが……あいつが惣太のことを嫌いといっていた事実を、教えてやるべきだろうか。

 まあいいか。いわない方が面白そうだ。

「オレはもう帰る! 悪魔として、やることは山積みなんだ! ──あ、今日あんたと二人で会ったことは、千鶴にいうなよ」

「わかったよ」

 惣太は手にしていたシルクハットからマントを取り出し、ばさりと背中にまとった。シルクハットを頭に乗せ、ご丁寧に自分のトレイをダストボックスの上まで運び、階段へ向かう。

 最後に振り返った。

「今日はありがとな!」

 ……なんて礼儀正しいやつなんだ。

 あいつがパートナーだったら、もう少し楽だったろうな……。

「さて──」

 残っているウーロン茶を飲みながら、オレは思考を巡らせた。

『良いこと』をしなくてはならないのは、もちろんだが……その前に、佑衣奈のことをどうにかする必要がありそうだ。

 へらへらと、転職したとかいっていたが──手の内をさらさないで、なにがパートナーだ。

 頬杖をついて、早くも赤く染まりつつある空を眺める。視線を落とすと、奇天烈な出で立ちの惣太が、風を切って道を行くのが見えた。

 やることが山積みだといっていた。なにをするつもりなのかは知らないが。

 こっちも、ただ立ち止まっているわけにはいかない。


 自宅の前で、満面の笑みの佑衣奈と、憔悴しきった孝史と鉢合わせた。

「コーヘー! お帰りなさい! ただいまー!」

「晃平……! オレ、頑張った……」

 テンションの反比例。

「よく頑張ったな、孝史。オレはおまえを誇りに思う!」

 すっかり忘れていたが、学校で別れてから堕天使カードが降ってきていないのだ。佑衣奈の破天荒ぶりは、いまの満足げな表情からだいたい想像がつくので、孝史の頑張りは相当のものだったろう。

「ホントにやったよ……モデルガンだかなんだかわかんないけど、傘からすげえ重い銃出してさ……」

 ……本物だろうな。

「クレーンゲームのガラス、たたき割ろうとするんだよ……ちゃんと金入れてやらせてみたらうまくてさ……菓子とるやつなんて、ゲーセン中のを制覇してさ……その場で全部食っ、食って……」

「泣くな。おまえは頑張った、頑張ったさ!」

 どうにかなだめすかすと、孝史はぼそりと「帰るわ……」とつぶやき、原始の人間のように肩を落として歩いていった。佑衣奈が元気いっぱいに手を振っている。

「タカシは紳士ですねー。わざわざ送ってくれました」

「おまえ、迷惑かけたんだろ。この数時間でげっそりやつれてたぞ、あいつ」

「迷惑なんてかけてないですよ」

 自覚があるのかないのか、本当に判断が難しい。この邪気のない笑顔に騙されそうになる。──いや、違う。おそらく、なにもかもわかってやっているのだ。デビル佑衣奈なのだ。

「ゆいな、おりこうでしたよ。堕天使カードも降ってきてないでしょう?」

 ほら、この発言! もうわかってるとしか思えない!

「コーヘーは、ソータとどんなお話をしたんです?」

 天気でも聞くように、さらりとそんなことを聞いてきた。佑衣奈には、惣太に会うとは一言もいっていない。惣太もおそらくいっていないだろう。

 一瞬、返答につまる。

「なんて。うそですよ。興味ないです」

「……おまえ、……」

 なにかをいおうをしたのだが、うまく言葉にならなくて、オレは首を振った。きっと無駄だ。なにをいっても。

 家のなかに入ると、すでにいい香りがしていた。夕飯は、トメさん特製のビーフシチュー。佑衣奈の大食いっぷりはすっかり浸透したらしく、大鍋いっぱいに作られていた。

 トメさんは、佑衣奈のことについてなにも聞かない。オレはそれなりに信頼されている。おそらく、親には報告ぐらいしているだろうが。

 第三者が家のなかにいるというようなぎこちなさは、もう最近ではなくなっていた。当たり前に三人で夕食をとり、順番に風呂に入り、リビングでくつろいで部屋に消える。

 今日もそうして、当たり前に時間が過ぎた。

 しかし今日は、二階の自室に戻ろうとしたところで、明日の弁当の下ごしらえをしていたトメさんに呼び止められた。

「晃平さん、考えごとですか? 今日はぼんやりしてましたけど」

 花井トメ、五十八歳。いままでに怒ったところを見たことのない、実に穏和な女性。住み込みなので、家族のようなものだ。

「ちょっとね。たいしたことじゃないよ」

「ならいいんですが……それと、佑衣奈さん、今日は元気ないですね? あの子は無理をしそうだから、心配です」

 オレは目を見開いた。

「元気が、ない?」

 どこが?

 くすくすと、トメさんは笑う。目の下にできる、柔らかいシワが優しい。

「女の子は複雑なんですよ。男の子がしっかりと、見てあげなくちゃだめですよ」

 ……女の子。なぜだろう、佑衣奈とその単語がどうしても結びつかない。なぜだろうって、まあ理由はわかってるんだけど。

「──おやすみ、トメさん」

「はい、おやすみなさい」 

 直接の返事はせず、挨拶だけ残して二階に上がった。

 今日、惣太がいっていたことと、いまのトメさんの言葉とを、考える。いままでのオレの認識では、佑衣奈は自分勝手な快楽主義者、だったのだが。

 もしかすると、そういう自分を演出しているふしがあるのかもしれない。──いやいやいや、確実におもしろがっている部分もあるとは思うが。

 難しいな。確かに複雑だ。

 自室の部屋のノブに手をかけて──隣の、佑衣奈に貸している部屋の方へ、目をやった。

 木下家のゲストルームだ。タンスやベッド、一人用のミニテーブルセットなどが完備されている。好きに使えといったが、そういえば自分仕様にカスタマイズされた様子もない。佑衣奈のことだ、家具すべてをモノトーンのびらびらに飾ってもよさそうなものなのに。

 オレはたぶん、あいつのことをなにも知らない。

 ドアノブから手を離し、佑衣奈の部屋の前へ移動する。少しためらったが、戸をノックした。

「佑衣奈、ちょっといいか?」

 バシン、と不自然な音。

「どぞー」

 何ごともなかったように、笑顔で戸が開かれる。

「……また窓から抜け出そうとしてたな?」

「なんのことですか? むやみに疑うのはよくないです」

 間違いない。いまのバシンは窓を閉める音だ。

「コーヘーったら、こんな時間にレディのお部屋に何ですか? お母さんが悲しみますよ」

「そりゃ大変だ」

 問答が馬鹿らしくなって、部屋に入る。ひどく片づいていた。私物はすべて傘カバンに入っているのか、佑衣奈が部屋から一歩出てしまえば、彼女と結びつく物はなにもない。

「おまえ、寝てないだろ」

 シワ一つついていないベッドが目に入った。佑衣奈はあっさりと頷いた。

「寝ている間に、なにが起こるかわかりませんし」

「……なにが起こるんだ?」

「世界は危険に満ちていますよ」

 オレは閉めた戸に体重を預けて、腕を組んで佑衣奈を見据えた。佑衣奈は木の丸イスをミニテーブルの下から引き出して、そこに腰かけオレを見上げる。

「小言ですか?」

 反省などしたことがないくせに。この、私悪くありません的な態度が実にかわいくない。

「惣太が心配してたぞ、寝てないんじゃないかって。トメさんも、元気がないっつってた」

「そですか」

 それがなにか? とでも続きそうだ。

「天使カードを手に入れるのも大事だが……っつーかおまえの場合、堕天使カードをこれ以上増やさないのが大事なんだが。それよりまず、健康管理だ。気をつけとけよ」

 こちらを見ていた佑衣奈の表情はそのままに、ごく自然に、彼女は問いを口にした。

「どうしてですか?」

 質問の意味がわからない。

「……どうして?」

「どうして、健康管理が必要なんですか?」

 問いをくり返す。純粋に不思議そうな顔。

 当たり前すぎて、どう答えたものかと言葉に詰まっていると、彼女は沈黙の意味を勝手に解釈したようだった。

「ゆいながどうにかなっても……たとえば、突然死んでしまうようなことがあっても、代わりのパートナーが派遣されますよ。コーヘーは、なにも心配することないです」

 にこにこと、そんなことをいってきた。

 オレの頭のなかが、混乱し始める。こういうセリフが出てくる理由がわからない。こいつはなんなんだ? 本気でいってるのか?

「オレは……そんな心配してねえよ。ただ、おまえが体調不良にでもなったら……なんつーか、かわいそうだろ」

 いい慣れない言葉に、一瞬躊躇する。なにか違っているような気もしたが、あえて言葉にするなら、こういういい方しかないような気もした。

「かわいそう? でもそれは、コーヘーには関係ないことですよ」

 ……どう説明したものか。

 いわゆる常識は通用しないのだろう。オレは少し考えて、アプローチを変えてみた。

「知ってるやつが体調不良で苦しんでたら、ふつーに考えて心が痛むだろ。痛むってことは、つまり、オレにとってマイナスなわけだ。オレにとってマイナスなことがないように、パートナーとして、協力しろ」

「なるほど」

 納得したようだ。

 どうやらこいつを、オレの持ってるものさしで測ることは出来ないらしい。そういう意味では惣太はわかりやすいから、管理者の世界の住人だから、ということではなく、単にこいつが変なのだろう。ふつうじゃない。

「おまえさ……」

 答えはわかっているような気もしたが、聞かずにはいられなくて、オレは口を開いた。

「天使カード手に入れるために、努力とか、してるか?」

「してません」

 ごまかされるかと思ったが、ずばりと小気味の良い返事。

「というかですね、どうすればいいのか、わかんないんですが」

「『良いこと』するんだろ。堕天使カードは簡単に降ってくるから、ちょっと良いことするだけで、降ってくると思うぞ。一日一善、なにかしろ」

 オレに課された『良いこと』をしろという条件と違って、佑衣奈のは目に見えて結果がわかる。それこそゴミ拾いでも何でも、やってみればいい話だ。

 しかし佑衣奈は、きょとんとして、さらに疑問をぶつけてきた。

「良いことってなんですか?」

 その質問は、オレにとって、意外に重いものだった。

 この真っ直ぐな目に見つめられて、ごく一般的な「常識」を口にすることは、なぜだかためらわれた。

 口ごもるオレにかまわず、佑衣奈は続ける。

「それって、意味があることなんですか?」

 理屈をこねれば、何とでもいえた。

 でもそれは佑衣奈の、オレの求めている答えではない気がして、黙るしかなかった。


 ピーンポーン。

 土曜の朝十時きっかり。天気は快晴。ジーンズにシャツ、そろそろ必須となった上着を着込み、手みやげの入った紙袋を携え、オレは柳原家のインターホンを押した。

 幼稚園から一緒だから、柳原家には何度か来たことがある。昔は大勢のクラスメイトやら知り合いやらを集め、ことあるごとにパーティーを催していた。中学に上がってからは、やってないな。オレが呼ばれていないだけか?

 久しぶりに訪れてみたが、相変わらず、家という感じがしない。塀に囲まれた公園施設の入り口に立っているような気分だ。確か敷地内に、本宅と別宅、プール、体育館、テニスコートなどがあったはず。

 こんなところで育つから、ああいうひねくれたのになるんだな。

「──はい。どちらさまでしょうか」 

 インターホンから、厳かな声がした。低い男の声だ。警備員やら使用人やらがいっぱいいるから、そのうちのだれかだろう。

「千鶴さんのクラスメイトの、木下晃平です。千鶴さんはご在宅でしょうか」

 しばしの間。門の右手奥──ここからではよく見えないが、確か詰め所のようなものがあったはずだ──から、黒いスーツを着た男がやってきて、門のロックを開けた。

「どうぞ、お入りください」

 そこら中に設置されているカメラで、どうせオレの姿は確認されていたのだろう。

「どうも、こんにちは」

 かるく挨拶をする。門の向こうに道が延び、数十メートル先にもう一つの門、それからやっと本宅の玄関だ。無駄なつくりとしか思えないが、金持ちはこういうもんなのだろう。

 黒スーツが無言でオレを先導し、しばらく歩くと、いかにも洋風然とした本宅──土足のまま入るのが、どうしても納得いかないのだが──までやってきた。映画なんかで見るような、赤絨毯の敷かれた螺旋階段を上り、数々の肖像画やら壺やら花やらが飾られた廊下を行く。

 黒スーツが立ち止まり、戸をノックした。明らかに不似合いな、「CHI・DU・RUの客室」というプレートが微笑ましい。確か他に、「CHI・DU・RUの部屋1」「CHI・DU・RUの部屋2」「CHI・DU・RUの衣装室」「CHI・DU・RUの音楽室」……などがあったはず。たぶんまだまだいっぱいある。

「お入りなさい」

 高圧的な声。黒スーツが戸を開けて、オレを促す。

 部屋のなかは、ホワイトローズがちりばめられているという異常っぷりだった。

「なんの用かしら、木下君」

 部屋に入って、まず問いが投げかけられる。待ちかまえていた柳原千鶴は、どういうわけか、白と水色ベースのドレスを着ていた。

 黒スーツは仰々しく戸を閉めて、姿を消した。

「……すごい部屋だな」

「今月のテーマは、欧州の庭園よ」

 室内なのに庭園ってどうなんだ。

「崇高でしょう? ここで心を洗うのよ」

「まあ、なんつーか、存分に洗ってくれ。あ、これ土産」

 紙袋から箱を出し、ご丁寧にティーセットの用意されているテーブルに置く。ホワイトウッドの丸テーブル。こんなのどこで買うんだか。

「おみやげって……やごなん? あいかわらずセンスが迷走しているわね」

「やごなんは矢粉名物だろ。オレ好きだけど」

「なにが名物よ。矢粉土産にこれを買う人なんていないわよ」

 やごなんは、白あんの饅頭だ。どこの土地にも名前を変えて存在するたぐいの、ごくシンプルな茶色い饅頭。ちょっとまわりが歯にくっつく。

「……で、わざわざ土曜日の午前に、何なの? 私たち、そんなに仲が良かったかしら?」

 柳原は、花柄の白いカップに紅茶を注ぎながら、やや不機嫌そうにもう一度尋ねてきた。オレはテーブル脇にある白いイスに腰をおろす。

「実は、頼みがあって来たんだが」

「呆れるわ。私が木下君の頼みを聞くわけがないでしょう」

 とかいいながら、しっかり紅茶とか出すあたり、こいつはいいやつだと思う。

 柳原もイスに座り、渋々といった様子でやごなんの包みを開ける。クッキーが乗せてある皿の隣に、無造作に箱ごと置いた。食べたかったから買ってきたんでしょ、とでもいいたげだ。

「おまえさ、グリーンリバーのトップに会ったんだろ? オレも会いたいんだが、どこに行けば会えるのか、教えてくれないか?」

 やごなんの包みを開け、口のなかに放り込む。んまい。

 柳原は眉を顰めた。

「桜田佑衣奈に聞けばいいでしょう。惣太もだけど、ヨーコさんとは自由にコンタクトできるはずよ」

「オレの協力者は非協力的なんだ」

 今朝話を持ちかけたら、良い返事だけ残して、目を離した隙に逃げやがった。まあ、あいつがいると聞きづらい話もあるから、ちょうど良いといえばちょうど良い。

 それにしても、やっぱりグリーンリバーのトップは『ヨーコ』なのか。

「なら、惣太に聞いたら?」

「なんでだよ。いいじゃん、オレら友達だろ」

 柳原は、かっと顔を赤くした。

「だれが友達よ! ライバル! 敵でしょ!」

「確かにオレは神を目指してて、おまえは魔王を目指してるが、現時点ではお互い夢を追うドリーマーだ。仲良くしようじゃないか」

「イヤよ!」

 全力で拒絶か……。

 柳原は乱れた呼吸を整え、お行儀良くイスに座り直した。絵に描いたように優雅にティーカップを口元に運び、ふう、と一息。

「仲良くするのはイヤだけど……ヨーコさんの居場所ぐらい教えるわ。駅前のトリプルタワーに入ってるホテル、イタスオのロイヤルスイートに泊まってるはずよ。仕事でこちらに来ていて、しばらくは滞在するっていっていたわ」

 イタスオ……惣太に駅前のでっかいホテルといわれた時点で、もしかしたらとは思っていたが。数年前にできた、豪華路線で話題のホテルだ。

「グリーンリバーの社長って、緑川真之介って人だろ? ヨーコさんってのは、なんなんだ?」

 ごく何気ない質問だったのだが、柳原は苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「会えばわかるわ」

 いいたくなさそうだ。確かに、直接聞けばいい話ではある。

「とりあえずそれが聞きたかっただけなんだ。悪いな。そっちも、なんか困ったことがあったらいつでもいってくれ」

 せっかくなので、紅茶を飲み干す。立ち上がろうとしたとき、柳原が剣呑な目つきでこちらを見ていたのに気づいた。

 よく見ると、その目は青色だ。カラコンってやつだろう。

「なんだよ」

「私、魔王になろうとしているのよ。困ったことがあったとして、本当にあなたに相談したら、どうするの? 手助けでもするつもり?」

 ああ、そういうことか。

 オレは立ち上がり、上着を羽織る。

「実は、それについてはたいして心配してないんだ。おまえ、つんつんしてるけど、いいやつだしな」

 そういう意味では、佑衣奈のようなやつが魔王を目指さなくて良かったと、心底思う。ちょっと勝てる気がしない。

「それに──」

 いいかけて、柳原の頭上に目がいった。空間が揺れたように見えたのだ。目を凝らせば、なにかあるような、ないような──やがてそれはカードの形をとり、彼女の元へと落ちる。

『小悪魔カード』──かわいらしいイラストつきだ。

「あの悪魔見習いが、そうそう悪行を働けるとも思えない」

「あの、バカ……!」

 怒りを露わに、柳原がぐしゃりとカードを握りつぶす。どうやら、惣太が良いことをしてしまった場合、『小悪魔カード』が降ってくるらしい。天使、堕天使のセットはわかるが、悪魔、小悪魔っておかしくないか……? 確かに、情けなさは伝わってくるけども。他になかったのだろうか。

「じゃあな、また学校で」

 そういって部屋を出ようとすると、柳原は無言で立ち上がり、壁に掛けてあった手のひらサイズのベルを鳴らした。すぐに、黒スーツが現れる。

「お客様のお帰りよ」

「は。──どうぞ、こちらへ」

 ……疲れるなー。

 ともあれ、これで『ヨーコ』さんの居場所がわかった。

 手みやげを買っていこう。


 善は急げ、ということで。

 オレは柳原家を出てすぐに地下鉄に乗り、先日訪れたばかりの矢粉駅にやってきた。怪盗騒ぎのあった、例の繁華街がある駅だ。

 新幹線を含め、複数の鉄道が集まってくるこの矢粉駅には、地元民だからいまいち実感が湧かないが、それなりに各地から人がやって来るらしい。いつ来ても、人混みが出来上がっている。

 しばらく駅のあちこちにビニールシートがはられていて、工事やってるなとは思っていたが、数年前、よりでかくより豪華に生まれ変わった。そのとき一緒に出現したのが、いまでは矢粉のランドマークとなっている、トリプルタワーだ。なかには、豪華ホテルイタスオや、柳原んとこがやってるデパートなどが入っていて、駅の構内からそのまま行けるようになっている。

 まったく勝手がわからないままに、オレは警備員がずらりと並ぶ、ホテル特有の緊張感を持つエントランスを横切り、イタスオの受付カウンターまでやって来た。グリーンリバーの『ヨーコ』さんに会いたい旨を伝え、緑色の封筒を差し出す。

「承っております」とかなんとか笑顔でいわれ、拍子抜けするほどあっさりと、三十階にあるロイヤルスイートに通された。

「いらっしゃい、待ってたわ」

 甘ったるいハスキーボイスで迎えたのは、長い黒髪の、年齢不詳の美人だ。ホテルの一室とは思えない、どちらかというとオフィスビルにあるような部屋。イスにゆったりと腰かけ、デスクの向こう側から、美女がこちらを見ていた。

 彼女の他には、メイドさんのような女性が控えているだけだ。この部屋数がいくつなのかもわからないロイヤルスイートに、二人だけなのだろうか。

「木下晃平君ね? ヨロシク。アタシは緑川真之介。ヨーコって呼んでね」

 ばっちーん、とウィンク。

 間。

「……男性の方ですか?」

「立派なオトコよ。このカッコはシュミ。好きなのはオンナのコ。なーんて、なにいわせるのよ、んもう!」

 んもう、と同時にむせかえるような香水の匂いが漂ってきた。中本サンの比じゃない。

 とばしまくりのテンションにやや圧倒されつつも、どうにか我を取り戻し、挨拶をしておくことにする。

「初めまして、木下晃平です。──これ、つまらないものですが」

「アラ、やごなんね、アタシこれスキよ。礼儀正しいコね」

 いや、自分でいうのもなんだが、礼儀正しい子は初対面の第一声で相手の性別を確認しないよな。失礼なことをしてしまった。

「本当は、佑衣奈と来るべきなのでしょうが。ご挨拶と……いろいろ、聞きたいことがあって、伺いました」

「んまァー、まだ十四歳でしょ? なによ、そんなかしこまっちゃって。だめよ、若いコはもっと奔放にやらなきゃ。堅苦しいことは、大人になったらイヤでもできるんだから」

 デスクにあった煙草を手に取ると、隣のメイドさんがすかさず火をつける。ヨーコさんは、ぷはーっと煙を吐き出してから、「あ、タバコ平気?」などと聞いてきた。

 大人なのは間違いないのだろうが、十分奔放に見える。

 ……っつーか、本当に男か? 何歳だ?

「とりあえず座って。ミナ、緑茶用意して。せっかくだから、コレいただきましょ」

「かしこまりました」

 メイドさんが深々と頭を下げる。ミナさんというらしい。……どこかで見たことがあるようなないような。黒髪ショートの、控えめな印象の女性だ。

 ヨーコさんは、隣の部屋にオレを促し、ソファを勧めた。洋館のリビング、といった部屋だ。淡いクリーム色のソファセット、中央にはレースのクロスがかけられた、木製の大きなテーブル。花が飾られている。

 ……この部屋にメイドさんがいて、饅頭と緑茶を食すアンバランスさ。立ってみてわかったが、ヨーコさんは黒い布と和服の生地とを縫い合わせたような、不思議なワンピース──チャイナドレスに近いかもしれない──を着ている。和洋折衷といえば聞こえはいいが。

「晃平君、どう? がんばってる? 新しいプロジェクトだから、アタシももう、ドキドキのワクワクなのよー。ちなみにキミが第一号、千鶴ちゃんが、第二号よ。実はね、お友達も一緒がいいかなって思って、わ、ざ、と、同じ学校内から選出したの。心憎い演出デショ? 褒めてー!」

 ……対応に困る。

「柳原については……本気ではないのかなとは、思っていました。でなければ、惣太のような、致命的に悪魔に向いてない人材は選ばないでしょう。というか……オレも、同じ理由で、不安はあります。本気ではないのではないか、と」

 神になるための評価対象となる、『協力者を立派に育て上げる能力』。佑衣奈相手に、どこまでできるのか。そもそも、限りなく不可能に近い人材が、わざと選ばれているのではないか──そんな危惧を抱いてしまうほどのミスキャストだ。

「それを聞いてどうするの?」

 煙草を片手に、ヨーコさんは妖艶に笑んだ。

「やめる?」

「やめません」

 そうだ、最初から、そう簡単に実現できない夢であることは承知している。

「でしょー? だからキミなのよ。アタシの目に狂いはなかったわ」

 ミナさんが、緑茶と、丁寧に皿に並べられたやごなんを持ってきた。自分は座らず、無言でヨーコさんの背後に控える。メイドさんの格好をしているが、むしろ従者といった感じだ。

 オレは乾いた喉を緑茶で潤わせ、気になったことをもう一つ、口にした。

「さっき、がんばってるかと、聞かれましたが……あなたが把握していないのは、おかしな話ですよね?」

 もし、本当に把握していないのだったら、このプロジェクト自体意味を為さなくなってしまう。佑衣奈のカード制度と同様に、評価されていないと困るのだ。

「アラ、鋭いわね。ずっと監視されてるのって気分悪いだろうから、そこんとこはオブラートに包んで流しちゃおうと思ったのに。そーよ、把握してるわ」

 にこにこと笑顔を返された。ちゃらけた女装の変な人かと思ったが、やはり頭は切れるのだろう。駆け引きで勝てそうな相手ではない。

「ついでに、なんでここに来たのかも、なんとなく予想ついてんのよねー。マジメな晃平君のことだから、ゴアイサツってのも本当でしょうけど」

 タバコを灰皿に押しつけ、長い指で、がさがさとやごなんの包みを開ける。口に放り込まれるやごなんを見ながら、オレは黙って続きを待った。

「あわよくば、具体的にどうやったら神になれるのか──良いことってナニをすればいいのか、聞こうと思ったのが一つ。でもそれより、佑衣奈のこと、知りたいんでしょ? あのコは自分のこと、話さないから」

「教えていただけるんですか」

「まーね」

 ヨーコさんは、さらさらの長い髪をかき上げた。

「キミが佑衣奈について知ってることは、元は悪魔だったけどクビになって、天使にさせられたってことね。どうしてそんなことに、って思ってるでしょ。悪魔の方が向いてるのにって」

「思ってます」

 大まじめに頷くと、彼女は吹き出した。

「そのとーりよ! あのコにとって悪魔は天職だった。あの若さでぐいぐいまわりを追い抜いて、トップクラスの成績を修めたわ」

 天職か。なるほど。天性の悪魔ってやつだな。

「なのに、どうして、クビに?」

「これは管理者の世界の話だから、ちょっとキミにはわかりづらいかもしれないけど……」

 そう前置きをして、ヨーコさんは一度瞳を伏せた。それから、さっきよりも厳しい目で、こちらを見据える。

「あのコはね、破壊をしすぎたの。善悪が根本的にわかっていないの。──知ってる? 悪魔が破壊をするのは、広い意味で安泰のためなのよ。もし、世の中に、病気が一つもなかったらどうなる? 災害が一つも起こらなかったら? だれも死ななかったら?」

「…………」

 答えは想像できたが、口にしたくなかった。

「世の中はね、マイナスとプラスがバランス良く在るからこそ、成り立っているの。どちらか一方がなければ、そもそもその概念は存在しなくなってしまうの。イヤねー、世の中って」

 オレは多分、相当不機嫌な顔をしていたのだろう。そんな顔しないで、とヨーコさんは苦笑した。

「でも、あのコは違う。悪魔の仕事に、目的っていうものがなかったの。ただあのコにとって、それはアタリマエだった。それは、こっちの意図するところではないわ。──だから、クビにした」

「つまり、天使見習いとしてのこちらでの生活は、あいつにとってのリハビリだと? ……そのために、こんな場を用意した、と?」

 もっといえば、オレは体よく利用されているというわけだ。ただし、いい方は悪いがそのための餌も用意されているわけだから、お互い様ということになるのだろう。

「あんまり、オトナの事情を察するもんじゃないわよ、晃平君」

 にっこりと、ヨーコさんは笑った。明らかな肯定だ。

「クビにした、ということは……あなたは、こちらの世界で大々的にプロジェクトを立ち上げ、グリーンリバーという企業のトップを務めるだけでなく、管理者の世界でも、相当な権力者であるわけですね」

 あら、と微笑む。

「いまの会話で、そんなとこまで考えが及ぶのねー。賢いコ、スキよ。アタシは、管理者の世界では神の一人をやってるわ。あっちには神がいっぱいいるから」

 さらりといわれてしまった。……このちゃらい女装男が神か……ちょっとイメージ崩れたな……。

「あと、もう一つね。神になるための評価基準までは教えられないけど、これは千鶴ちゃんにもいったことだから、伝えておくわ。夢を掴むための、キーワード」

 急に話題を変えてきた。オレは慌てて佑衣奈情報を頭の引き出しにしまい込み、別の引き出しを開ける。

 確かに、あわよくば、どうすれば神になれるのか具体的に聞きたい気持ちがあったが、まあ無理だろうと思っていたのだ。それが、キーワードを聞けるなんて。

「なんなんですか?」

 促すと、ヨーコさんはもったいぶるように緑茶を飲んで、こちらを見据えて唇の端を上げた。

「『なぜ、それを為すのか』」

 ……なぜ、それを為すのか?

「それが、キーワード?」

「そ。あとは自分で考えてねー。けっこー奥が深いわよ、コレ。我ながらいいキーワード!」

 自分の行動の意味を、よく考えろということだろうか──思考に入ろうと黙り、いやいや帰ってからにするかと思い直す。ここで考え込むのも迷惑だろう。

「さ、聞きたいことはこれだけね。スッキリできたかしら?」

 話は終わりといわんばかりにシメに入られて、オレは少し考えた。

 最後にもう一つ、質問を加える。

「もう一つだけ──どうして、このプロジェクトを始めたんですか?」

 俺の考えが正しければ、それはおそらく、佑衣奈のためだ。あいつが、ちゃんと、やっていけるようになるため。

 ヨーコさんは、一瞬驚いたように目を開き、それからにやりと笑って見せた。

「佑衣奈から聞いてないの?」

「建前なら聞きました」

 ヨーコさんは目を細め、再びタバコを手にとる。ミナさんが火をつけると、ゆっくり吸い込んだ。

「ヒマつぶしよ」


 その日の帰り、オレは花屋に立ち寄り、鉢植えを一つ、購入した。









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