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障害はお約束


 木下晃平、十四歳。

 別に、カード集めが趣味なわけじゃない。

「やー、ギャルゲー的な展開だよなー。一つ屋根の下で暮らしてんだろ?」

 一枚、二枚、三枚、四枚……

「佑衣奈ちゃんかわいいし、なんか楽しそうだし、よかったじゃん。オレ応援するから!

ファイっ!」

 五枚、六枚、七枚、八枚……

「佑衣奈ちゃん来てからもう一週間か? 『良いこと』っての、ちゃんとやってんの? どーよ?」

 ……十八、十九……

「晃平、聞いてるか? おまえ、無視は悪いことだぞ。……さっきから、そのカードなに?」

 …………二十一枚。

「やってられるかー!」

 オレは机をひっくり返した。ばさりと、二十一枚の堕天使カードが宙を舞う。素早く自分の弁当を死守して、マイペースで机を直す孝史が恨めしい。

「物にあたるのも悪いことだぞ、晃平」

 わかってるよ。わかってるけど。

「聞いてくれるか、孝史」

 昼休み。オレは食事をする気になど到底なれず、教室の片隅でカードを数えていた。呼んでもいないのに机をひっつけて、弁当を食べていた孝史が心ない発言をしていたが、まあそんなことはどうでもいい。

 問題は、このカードの量。

 一週間で二十一枚。

 異常だ。

「あいつ、腹が減ったら、近所の店から物を盗んでくるんだ……だめだと教えたら、今度は恐喝まがいのことをくり返して、善良な方たちにメシをおごらせるんだ……。いくら注意しても屋根歩くし、二階、三階から飛び降りるし、物を壊すし……オレ、もう、胃が、胃が……!」

「コーヘー! メシー!」

 ガターン、と扉をぶちこわし、今日は一段と凄いゴスロリファッションの佑衣奈が教室に飛び込んでくる。黒のレースがそこらじゅうにあしらわれたワンピースに、編み上げ式の皮ブーツ。手には相変わらずの傘(カバンのようだが謎)。

 まわりが注目するのもかまわずに、だれも座っていない机を移動させ、その上にちょこんと腰を下ろした。

「トメさんがお弁当くれたんです。一緒に食べましょう!」

 トメさん……あんたは家政婦の鏡だよ……

「やー、佑衣奈ちゃん、あいかわらずすがすがしいほど縦横無尽だなー」

 孝史が褒め言葉なのかなんなのかわからないことをいっている。現れた翌日から中学に出没するようになったが、教師陣の努力も虚しく、自粛する様子もない。授業中だろうがなんだろうが現れる。おかげですっかり、オレまで変な人扱いだ。

「タカシ、昨日のチョコおいしかったです、ありがとうー」

 孝史は孝史で、佑衣奈餌付け計画を実行している。オレのまわりはこんなんばっかだ。

 げんなりと二人の様子を見ていると、天井からカードが舞い降りてきた。もう慣れたもので、片手を伸ばしてそれをつかみ、確認せずにケースに入れる。

「佑衣奈、物を、壊しちゃ、いけません……あと机に座るな、行儀が悪い」

「ラジャです!」

 いつもながら返事はいい。

「晃平、おまえの上から、最近よくカードが降ってくるよな」

「……まあな」

 クラスの人間も、オレの身になにか起こったらしいが関わらない方が懸命だ、ぐらいの認識らしく、あまり突っ込んでは聞いてこない。現代人の順応性の高さは恐ろしい。平和に生き抜く術を熟知している。

 ちなみに、見た目に似合わず怪力で、平気で大ジャンプをする佑衣奈の身体能力の高さについては、「以前はジャングルで野生の動物とともに暮らしていた」という我ながらやる気のない説明で、まわりの人間を納得させている。

「コーヘー、ちゃんと良いことしてますか? コーヘーにはカードみたいな判断基準がないから、難しいとは思いますが、頑張ってくださいな。ゆいなも、協力者としてがんばりますから!」

 本当に頑張ってくれ。いや、むしろなにもしないでくれ。

「おまえさ、一週間前までのぎらぎらした感じはどうしたよ。せっかく神になれるんだろ?」

「現実の厳しさを痛感しているとこだ。……いや、もちろん諦めたわけじゃない! オレは神になるために生まれた男だ!」

 そうだ、くじけている場合じゃない。オレがやらずにだれがやるんだ。

 この一週間、別にただ胃を痛めていたわけじゃない。佑衣奈には出来る限りの常識を教え──これが実を結んでいるとはどうしても思えないわけだが──、オレは思いつく限りの『良いこと』を実行していた。草むしりやゴミ拾いをしてみたり、公園の落書きを消してみたり、意欲的に募金をしてみたり……。

 だが、こんなことではないような気がするのだ。

 あの手紙には、なにが『良いこと』なのかの判断も託すとあったが、実はこれがいちばんの曲者なのではないだろうか。

 つまり、町の清掃や募金が、神としての仕事に繋がるのか、という話になるわけだ。

 繋がらないだろう。

 オレはなにも、ちょっと良い人、になろうとしているわけではないのだ。

「いいご身分ね、木下君。いとこさんと学校で一緒にお食事? 何様のおつもりかしら?」

 うるさいのが現れた。

 前から突っかかってきていたが、最近は特にひどい。オレが気に入らないというより、佑衣奈が気に入らないのだろう。校内にファンクラブさえある柳原の人気が、佑衣奈の出現によって二分されたという噂だ。どうでもいいけど。

「チヅル、こんにちはー。コーヘーはお偉い様ですよ、知らなかったんですか? いまのうちにサインもらっとくといいです」

 仁王立ちの柳原千鶴に、ご丁寧に立ち上がってお辞儀をして、佑衣奈がまたややこしいことをいっている。こういうわけのわからない礼儀はなぜかしっかりしていて、嫌になる。

「お偉い様? あらやだ、柳原財閥の令嬢であるこのわたくしとしたことが、世事に疎くてごめんなさいね。どういったお偉い様なのかしら?」

「柳原財閥のゴレイジョウ?」

 質問よりもそっちに気をとられたらしい佑衣奈が、きょとんと首を傾げ、そのままくるりとこちらを見る。

「金持ちのお嬢ってことだ」

「柳原財閥は、全国にデパート、ホテル、スーパーなんかを持ってるんだよ、佑衣奈ちゃん。柳原さんの父さん、よくテレビにも出てくるよな」

 そうそう、柳原権造。あの髭もっさおじさん。

「はー。お金持ちですか。感じ悪いですね」

 佑衣奈は佑衣奈で、にっこり笑ってそんな感想だ。おまえのが感じ悪ぃよ。

「そーだ、柳原さんとこの店に、泥棒入ったんだって?」

「……ああ、そのお話? ご心配ありがとう、たいしたことではないのよ」

 心配しているというふうでもなかったが、今朝の新聞に大々的に取り上げられていたニュースを口にした孝史に、柳原は複雑な顔をした。今朝から、何人もにいわれているのだろう。オレも、気になっていたニュース。

 新聞の見出しはこうだ。──『怪盗、現る』。

「たいしたことあるだろ、商品ごっそり盗まれたって、朝からテレビそればっかりだったじゃん」

「ええ……迷惑な話ではあるけれど、うちだけではないもの。むしろ良い宣伝効果よ」

「なんのお話ですか?」

 いつの間にか、トメさんの特大弁当を食べ尽くしたらしく、弁当箱を傘のなかに突っ込んで──このカバンらしきものに、容量の概念はないらしい──、姿勢を正して佑衣奈が問う。柳原は絵に描いたようにわざとらしく、鼻で笑った。

「あら、新聞もお読みにならないの?」

「ゆいな、日本語読めないんです」

 会話を見守り、頭上からゆっくり降ってきたカードを、オレは無言で受け取る。

 いうまでもない。堕天使カード。

「……佑衣奈、嘘をつくな」

 嘘をつくことも、カードゲットの要因になるのだ。これで、二十三枚目。

「昨日の深夜、駅前にある柳原デパートと、丸内百貨店と、ファットマーケットに泥棒が入ったんだよ、佑衣奈ちゃん。お金じゃなくて、宝石とかおもちゃとか、商品がいろいろ盗まれたらしい」

「はー、泥棒ですか。いけないことですね」

 さらりと返す佑衣奈に、オレははっとする。

 まさか、犯人こいつだったりしないか……?

 ──いやいや、昨日の夜はカードは降ってこなかった。こいつならやりかねないが、違う、違う。違うよな。違うっていってくれ。

「しかも、ただの泥棒じゃなくて、『怪盗』なんだ。──あ、中根さん」

 説明しようとして、教室を見わたした孝史は、窓際の一番うしろに座っている、中根紀美子に声をかけた。ストレートヘアにメガネという、地味でも派手でもないタイプ。昼休みだというのに、一人で弁当を広げている。弁当箱の横には、今日の新聞があった。

「な、なに?」

 ちょっと嫌そうな返事。

「ちょっとその新聞、見せてくれない?」

「……どーぞ」

 つ、と新聞をこちら側にずらす。立ち上がり、新聞を手にする孝史の横から座ったまま顔を出して、聞いてみた。

「なんで新聞なんか持ってきてるんだ?」

「別に。今朝、時間なくて」

 愛想のないやつだ。

 一方孝史は、新聞を手に意気揚々と戻ってくる。

「これ、これ」

 新聞には大きく写真が掲載されていた。夜の街、ビルの上に、影。人影といわれれば、人影に見えないこともない。しかもマントをしているように見えるそれは、『怪盗』と報道されたというわけだ。

「偶然、なにかが映ったんだろ」

 ばかばかしい。

「なにかってなんだよ、ビルの上に、こんなのないだろ。絶対人間だ! 怪盗が現れたんだって!」

 まあ、ゲーマーの孝史が好きそうな話題ではある。

「監視カメラとかには写ってないんだろ?」

 柳原に向けていうと、彼女はひどく冷ややかにオレを見下ろした。「そうよ」と一言。新聞に書いてあるでしょ、とでもいいたげだ。

「佑衣奈ちゃんは怪盗だと思うだろ?」

 黙って、食い入るように新聞を見ていた佑衣奈は、目線はそのままで、唇の端を少し持ち上げる。

「そですね」

 一瞬、ちょっとひとを馬鹿にしたような、悪役笑いに見えた。すぐにいつもの顔に戻ってしまったが。 

「そーじゃん、晃平、おまえこの怪盗捕まえろよ! これってすげえ『良いこと』じゃね?」 いや、そんな目を輝かされても。

「木下君がこの泥棒を? まさか。できるわけないじゃない」

 金髪をさっと払い、柳原が文字通り見下してくる。こいつ、ほんっと突っかかるな。

「コーヘーならできますよ。楽勝楽勝! 朝飯前ですね!」

 まあ、確かに。

「オレならできるだろうな。天才だから」

「……おまえさ、なんていうかさ。焚きつけといてなんだけど、冷めるなー、それ」

 孝史のテンションが急に下がる。失礼な男だ。

 確かに、世間が迷惑している泥棒を捕まえることは、少なくともゴミ拾いや募金よりは『良いこと』に近づくような気がする……やってみる価値はあるか。

 考え込んでいると、予鈴が鳴り響いた。いつの間にか、昼休みが終わる時間だ。

「佑衣奈、おまえ帰っとけ。ここいてもやることないだろ」

「はい、お腹空いたので帰ります」

「……いま、食べていたわよね?」

 不慣れな柳原が、眉をひそめる。オレや孝史は、それについてはもやはいうことはない。「いいか、教室のドアを開けて出て、階段を降りて、ちゃんと歩いて帰れよ」

「ラジャです!」

 満面の笑みで返事をして、佑衣奈はいわれたとおり、教室のドアを開ける。そのまま、姿が見えなくなった。

 よかった。最初に来たときには三階の窓から飛び降りて、冷や汗をかいたものだが。

 しかし、安心するのは早かった。

 ガシャーン、と窓の割れる音。続く複数の悲鳴。

 孝史が窓際に走る。……オレは、見なくても想像が出来た。

 二階の窓を割って出て行ったのだろう。

 確かに、教室のドアを開けて出て、階段を降りたのだろう。

 玄関から出て行けと、いうのを忘れたオレが悪いのか?

「佑衣奈ちゃん……わかっててやってんじゃないか、あれ……」

 そうに違いない。

 舞い降りた堕天使カードをつかみ、オレは絶望的な気持ちで首をゆっくりと振った。

 ……二十四枚目。


「安直ですねー」

 夜。駅前の繁華街へとやってきたオレに、勝手についてきた佑衣奈はずばりといい放った。

 秋口とはいえ、日が暮れるとやっぱり寒い。ジャケットじゃなくてコート持ってくるんだった。

「うるさい。なにもやらないよりは、やったほうがましだ。文句いうなら、ついてくるな」

 だいたい、家を出るときにはいなかったのに、どこからわいたんだ。

「だって、ゆいなはコーヘーの協力者、パートナーなんですよ。お手伝いしますよ」

 歩き続けるオレの隣まで追いついて、どこまで本気なのか、そう訴えてくる。ちらりと目をやると、いつ着替えたのか、昼間と格好が変わっていた。少しだけひらひら具合を抑えたワンピースに、黒のロングコート。思えばこの一週間、同じ服を着ているところを見ていないような気がする。

「そうだ、お腹空きませんか? あったかい紅茶と焼き鳥まんを差し上げます!」

「盗みをするなとあれほどいっただろうが!」

「誤解ですよ! ちゃんとコンビニで買いました! 中華まんは、レブンがいちばんおいしいんです」

 差し出された缶紅茶と、焼き鳥まんを受け取る。堕天使カードが降ってきていないところをみると、どうやら本当のようだ。

「トメさんが、お小遣いをくれたので」

 ……トメさん……。

「それで、どこに向かっているんですか? 怪盗さん、今日も現れるんですか? どこに? いつ?」

「やれることはやるんだよ」

「つくづく、安直ですねー」

 かっちーん。

「おまえほんっと性格悪いな!」

「そうなんですよ」

「なんで笑顔で大肯定だよ、転職失敗だろ絶対!」

 管理者の世界のシステムがどうなってるのか知らないが、こいつを天使にしたのは絶対に間違ってる。見習いとはいえ。

「怪盗さんが現れたのは深夜二時、今日もいらっしゃるかどうかはわかりませんが、まだ九時ですよ。さすがに早くないですか?」

「リサーチだ。今日捕まえられるとも思ってないしな」

 憮然として、オレは答えた。とりあえず地下鉄に乗って駅前まで出てきてみたが、昨日の今日で同じところに怪盗が現れるとは思っていない。ただ、どういう状況で、どうやって現れたのか、夜に現場を見ておきたかったのだ。

「コーヘー、せっかくだからお食事しましょうー。南口にあるファミレスがキャンペーン中で、なんとマロンプリン半額なんですよ」

「おまえ、こっち来てまだ一週間だろ、なんでそんな駅前事情に詳しいんだよ」

「夜な夜な徘徊してるんです」

 ……知らなかった。木下家の部屋を自由に使えと提供しただけで、さすがに夜の行動までは把握していなかったが……夕食後にこっそり抜け出してたってことか。

 オレの家はそれなりに豪邸だし、両親は海外だし、家政婦のトメさんがなにもかもやってくれるからいいけど、考えてみればいきなり女の子が家に押しかけるというのは、普通は受け入れがたい大事件だ。金銭的な問題もある。グリーンリバーは、そこんとこ考えてなかったんだろうか。

「リサーチとか、意味あるんですか? 警察に任せればいいじゃないですか」

 オレがやろうとしていることを根底から否定する発言。オレは、立ち止まった。

 つられて止まる佑衣奈をじっと見る。九時だというのに減る気配を見せない、オレたちを追い越す人の群れ。オレたちを囲む、光り輝く数々のビル。

 そのなかで、明らかにこいつだけが異質だ。

「ゆいなに見とれてるんですか?」

「寝言は寝ていえ、阿呆」

 真剣に聞いてくる佑衣奈を一蹴し、オレは踵を返した。少し戻ったところにあるコンビニに入り、スポーツ紙を手に取る。どさくさに紛れて佑衣奈がレジに菓子の山を出したが、それは無視。

「コーヘー?」

 そのまま無言で、コンビニの二軒先にあるコーヒーショップへ。佑衣奈はおとなしくついてきた。

「ココアのLサイズとスコーンとチョコシフォンとホワイトクッキーと……」

「キャラメルマキアートとココア、両方Sサイズ」

 オーダーをして、ドリンクを受け取って席に着く。佑衣奈は実に不満そうだ。

「コーヘー、女の子をデートに誘いたいなら、甘いものは必須ですよ?」

「…………」

「冗談です」

 ココアをおごってやるだけ譲歩だと思うが。

 オレから殺気を感じたのだろう、佑衣奈は話題を変えてきた。

「新聞なんて買ってなにを? あ、深夜まで時間潰すんですか?」

「ちょっと真剣に、話したいことがあってな」

「ゆいな、面倒なお話はいやですよー」

 ……先日聞いたところによると、嫌いなものは「努力」といっていた。他には、夢、希望、愛、といったものが嫌いらしい。なんでこいつ天使なんだろう。本気で不思議。

「オレはオレなりに考えたんだが──佑衣奈、怪盗なんてもんが、この世界にそうそう現れると思うか?」

「さあ。どうでも良いです」

 まあ、そういうやつだよな。

「怪盗なんてな、小説、漫画、ゲーム……要するに創作の世界の代物だ。少なくとも、一般人が宇宙旅行しようかというこの時代に、出没するようなもんじゃない」

「はあ」

 まったく身の入ってない様子で、佑衣奈があいづちをうつ。オレはキャラメルマキアートで喉を潤し、続けた。

「ついでに、空から降ってきた前職悪魔の天使見習いなんてのも、異常だ。三流漫画の世界だな。しかも性格悪い」

「コーヘーがそれをいいますか」

「どういう意味だ」

「他意はないです」

 佑衣奈がオレのドリンクに手を伸ばしてくる。ぺちりとそれをはじいた。

「しかも卑しい」

「結局なにがいいたいんですか?」

 いいたいことは山ほどあるが、とりあえずいま問題としていることだけにしておこう。

「いいか、まるで漫画やゲームの世界の出来事が、この矢粉市内で一週間に二つも起こってるんだ。おまえの出現と、怪盗の出現、なんの因果関係もないというほうが不自然なんじゃないか」

 佑衣奈は、ゆっくりと瞬きをした。

「ゆいなを疑ってます?」

「……正直ちょっと疑ったけど、おまえならもっと派手にやるか、完璧にばれないようにやるかどっちかだろ。あの中途半端な写真はおまえらしくない」

「よく見てますね」

 にやりと、佑衣奈は笑った。ときどきこいつはこういう顔をする。恐らく、この性格悪そうな顔のほうが、素なんだろう。

 オレは、コンビニで買ったスポーツ紙をテーブルに広げた。そこには、昼に学校で見たのよりも大きい、「怪盗」の写真。

「おまえ、こいつ知ってるだろ」

 とん、と人影らしきものを指す。

 佑衣奈は眉一つ動かさずに、逆に聞いてきた。

「どしてですか?」

「勘だ」

 根拠は三つ。一つは、おかしなできごとが、短い期間に市内で二つも起こったということ。二つ目は、教室で最初に写真を見たときの、佑衣奈の反応。

 そしてもう一つ。

「グリーンリバーからの手紙だが……」

 オレは新聞の隣に、中本サンから受け取った例の手紙を置いた。

「『そんなきみのゆめをかなえよう。きみがほんきなら、きみのしょうらいのゆめを、おおきなこえでさけんでみよう』……全部ひらがなだ。つまりターゲットは、幅広い年齢層。しかも、オレが『神』と叫んだことで、白紙だった二枚目に詳しい事項が記されたということは、『神』だけを想定したものではないな。二枚目の、この文面──」

 二枚目を、さらに隣に示す。

「『努力ではどうにもならないだろうと思われていた、イマジネーション溢れる夢を信じる者のみを対象としたプロジェクト』──な? 一言も神とは書いていないんだ。それにこの書き方は、複数を対象としているとみるのが自然」

 これは、二枚目を読んだときから気になっていたことだった。

『イマジネーション溢れる夢』を信じたのがたまたまオレで、その夢がたまたま神であっただけで、たとえば他の人間がオレと同じように封筒を受け取っているとしたら……。

「だれかがオレのように、管理者の世界の人間を協力者として得ているのだとしたら、怪盗騒動ぐらい簡単なことだろう」

 ふう、と、佑衣奈は深くため息を吐き出した。

「たくさんしゃべりますねー」

「……聞いてたか?」

「聞いてましたよ。さすが、やっぱり頭いいんですね」

 にこりと、佑衣奈は笑った。ということは、肯定ということか。

「ゆいな、べつに隠すつもりはなかったですよ。聞かれませんでしたし」

「で、こいつ、だれ?」

 このままではのらりくらり話題を延ばして、腹減っただのなんだのいい出すのは目に見えていたので、さっさと本題に戻る。佑衣奈は一息ついて、少し嫌そうに、新聞から目を逸らした。

「……たぶん、ソータです。天使ですよ」

 ……天使?

「なんで天使が怪盗なんだ? 堕天使カード大盤振る舞いになるだろ」

「知りませんよー。ソータは第一級天使です。ゆいな、嘘なんてつかないですよ」

 まあ、こいつが天使なんだから、怪盗やってるのが天使でもおかしくはないか。

 しかし、こいつは天使見習いなのに、あっちは第一級天使って、不公平な話だ。

「ソータには会いたくないですけど……コーヘーがどしてもソータを成敗したいなら、協力しますよ。あの子、頭弱いですから、会うのは簡単だと思います」

「……おまえ、だったら最初から協力しろよ」

「だって、ゆいなはソータが嫌いなのですよ」

 私情かよ。

「でも、協力します。協力者ですからね」

 そういって、佑衣奈はいつもの笑顔を見せた。つかめないやつだ。

「では、行きましょうか、コーヘー」

 彼女は立ち上がった。その目には、いたずらを始める子どものような光が見えた気がした。

 ……大丈夫か?


 店を出て、彼女はすぐに傘カバンから携帯電話を取り出した。携帯電話を持っていることにも驚いたが、予想に反してブラックのシンプルなそれには、ストラップ一つついていない。

 なにやら話したあと、新聞を買ったさっきのコンビニに戻ろうとして──立ち止まった。

 さっきはいなかった、人相の悪い若者が六人、コンビニの前に座り込んでいる。

 マナーのなってないやつらだ。

 ここで見て見ぬふりをするのは、神になる者としてふさわしくない。声をあげようとすると、佑衣奈が先に口を開いた。

「邪魔ですよ」

 ……直球だなー。

 こちらからは表情は見えないが、いつもの声音だ。「お腹空きました」と同じテンション。

「あー?」

「なんだと、このガキ」

 予想どおりの反応が返ってくる。男四人、女二人のうち、長い金髪を編み込んだ男と、スキンヘッドにニット帽の男が立ち上がった。睨め上げるような視線。

「……おい、佑衣奈、もうちょっと……」

 いい方というものが。

 しかし、オレの言葉を遮り、佑衣奈はスキンヘッドに一歩近づいた。

「どいてください」

 ──それほど狭いコンビニではなく、奴らがたまっているのはゴミ箱が並ぶ端の辺りなので、別にどかなくても人は十分に通れる。だからといって、彼らがここでたむろしていてもいい、ということにはもちろんならないが。

 注意している、というよりは、佑衣奈がケンカを売っているような構図だ。通行人とコンビニ客、店員が、我関せずを装いつつも息を飲むのがわかる。

 と、空気も読まずにコンビニの自動ドアが開いた。出てきたのは、明らかに奴らの仲間らしい、アフロの男。

「ねェー、タイちゃん、このコが邪魔だってさー」

 馬鹿にした口調で、座り込んでいる女が話しかける。タイ、と呼ばれたアフロは佑衣奈を見て、ぼとり、と菓子の詰まったコンビニ袋を落とした。

「姐さん……!」

 ………………?

「おいてめぇら! ね、姐さんに、なにした!」

「なんにもしてねぇよー。姐さんってだれだよ……あっ」

「まさか、ゴスロリのユイナさん……!」

「一夜でここらのヤンキーしめたって、あの伝説の!」

「えっ、ヤクザの若頭の愛人とかいう、あのっ?」

「やっべーよ、オレらやっべーよ!」

「すいません、すいませんっした! 命だけは……!」

 ……………………。

「おいしそうな、お菓子ですね」

「てめぇらー!」

『ハイ────!』

 ……目の前で繰り広げられる珍事を、オレはぼんやりと見ていた。

 ヤンキーどもがコンビニに押しかけ、菓子やらジュースやらを山ほど買って、佑衣奈に献上するさまを、どこか遠くの世界で起こっているできごとのように、ただ見ていた。

 ああ、そうか……。

 悟り、オレは遠くのネオンに目を細める。

 こうやって、堕天使カードは増えていったんだな……。

「ところで姐さん、そちらの眼鏡のかたは……弟さんですか?」

 萎縮しまくった様子で、リーダー格らしいアフロがオレを見る。失礼な。

「コーヘーはゆいなのパートナーです」

「す、すいません、失礼を!」

 どう解釈したか知らないが、まあなんとでも思ってくれ。

「おまえ、たかが一週間で、どうやって伝説になったんだ」

 問うと、佑衣奈はにこりと笑って、

「知りたいですか?」

「……いや、いいや」

 実演されそうで怖い。

 佑衣奈は、巻き上げた菓子の山を傘カバンにごっそり突っ込むと、落ち着き払ってヤンキー連中に向き合った。

「もしお暇でしたら、協力していただきたいんですけど」

 ものすごく柔らかい物腰なのに、そこはかとなく恐ろしいのはなぜだろう。

 一も二もなく承諾するヤンキーを待たせておいて、佑衣奈はコンビニで画用紙と太マジックを買って出てきた。では行きましょう、とオレたちをいざなう。

 協力します、っつってたから、なにかをする気なのは確かだろうが。いいしれぬ不安がつきまとう。

 佑衣奈のうしろを、ぞろぞろとついて歩く。繁華街からだんだんと離れていき、ほどなくして、街の灯から遠ざかった、薄暗い公園にたどり着いた。

 頼りない街灯が、落書きだらけの公衆トイレや遊具を照らしている。しかしそれよりも目を引いたのは、そこに集まった数十人の影だった。

 どいつもこいつも人相が悪い。なんていうか……実際に見たことはないが、要するに、ヤンキーの集会というやつだろう。

「お待ちしてました!」

 なかの一人がドスの利いた声でそう声をあげ、ざわついていた皆が静まる。

 ……まー、もー、こんなことでは驚くまい。さっきの電話で呼び出された、ということなのだろう。

 コンビニヤンキーが、やや物怖じしている。佑衣奈はオレの手を取った。

「行きましょう」

「オレもかよっ」

「お顔を売っておくと、役立ちますよ」

 ……それはそうかもしれないが。おまえのその行動と発想は、明らかに天使じゃないぞ。

 結局、集まっているヤンキー連中の前に、二人で出て行くことになる。

「みなさん、紙とペンは持ってきましたかー?」

 佑衣奈は幼児の遠足を引率する保護者のように、両手を口元にあてて声を出した。

 おー! と盛り上がる公園。異様すぎる。

「ではいまから、何枚か見本を書きますから、真似をして書いてください。そですね……一人、最低でも二十枚。書いたら、駅前を中心に、このあたりに配りまくってくださいね」

「……どうするんだ?」

「ソータをおびき寄せるんです」

 佑衣奈は、うしろのベンチに腰を下ろした。数十人のヤンキーが見守るなか、さきほど買った画用紙に、マジックでなにやら書いていく。五枚ある画用紙すべてに、子どもの落書きのような顔──おそらく、『ソータ』なのだろう──を描き、それぞれに、大きな字で、

『ソータのバーカ』

『ソータは頭が弱いんです』

『ソータは逆上がりが出来ません』

『え、ソータはそれでも十五歳?』

『まぬけでかわいいソータくん』

「佑衣奈……悪口は、いけないことだ……」

 堕天使カードが降ってきて初めて我に返る。佑衣奈は、てへーと笑って(なんで照れるんだ?)、その五枚をヤンキーのボスらしい人物に手渡した。

「こんな感じで、書いてくださいね」

 ──このときオレには、止めることが出来たはずなんだ。

 一連の出来事に圧倒され、阿呆みたいにただ見守ってしまったことを、オレは激しく後悔することになる。


 翌日。

 昨夜の体験が嘘のように、平和な午後。

 五時限目特有の、どうにもだるっとした空気のなか、中本サンが国語の授業を展開している。長い長い物語教材が終わって、期末テストを意識しているのか、文法の授業だ。

 正直、眠い。

 決して授業がつまらないわけではない。しかし、昨日の夜更かしと、満腹感とが手伝って、まぶたが重い。

 昨夜は、夜の街に残りたがる佑衣奈をむりやり連行し、タクシーで帰宅。部屋に押し込んで、抜け出さないか時折確認までした。住み込み家政婦のトメさんも、佑衣奈が夜な夜な抜け出していることは知らなかったらしい。管理者の世界の住人には、睡眠という概念がないのかもしれない。

 帰りのタクシーのなかで、佑衣奈は、これで近いうちに「ソータ」が現れるといっていた。幼稚な悪口を書いたビラを配ることに、どんな意味があるというのか。

 授業の内容よりも、そんなことばかりが頭のなかをぐるぐるしている。その、よくいえば幸せな時間を破ったのは、またしてもあの女だった。

 コンコン、と静かなノック。

「はぁーい」

 中本サンがチョークを置き、黒板横のドアを開ける。

 そこに立っていた人物を見て、教室内がにわかにざわついた。

「佑衣奈ちゃんが……!」

「ノックして、ドアから入ってきた!」

「すげー!」

 部外者が(しかも授業中)、校内に(しかも教室)に入ってくるだけで、十分異常事態なはずなのだが、それまでの登場が奇抜すぎて、だいぶハードルが下がっていたらしい。

 今日も今日とてひらひらびらびらの、ゴスロリファッションだ。

「お邪魔します」

 ぺこりとお辞儀をする。あろうことか、中本サンは「静かにねー」といっただけだった。止めるなりなんなりしろよ。

「……おまえ、学校来るなっつってるだろ」

「ゆいなは、コーヘーのためを思って来ましたのに」

 オレの隣を通過するとき──授業中に来たときは、一番うしろの特設席に座ることになっている──声をかけると、佑衣奈は声をひそめもしないでそう答えた。

「オレのため?」

「はい。ソータを連れてきました」

 連れてきた?

「きゃ──っ」

 窓際から悲鳴が響いた。佑衣奈に集まっていた視線が、一斉にそちらへ移動する。

「なんだあれっ?」

「戦車?」

 窓際から続く声。中本サンが窓際に移動し、あらー、と声をあげる。だれか一人が立ち上がったのを皮切りに、ぞくぞくと窓際に集まった。

 オレも立ち上がり──目を見張った。

「戦車……か? なんだあれ」

「なんだよなんだよ、なんかおもしろいことになってね?」

 喜々として孝史が寄ってくるが、こちらはそれどころではない。いままさに校庭に入ってきた戦車のようなもの──佑衣奈の口ぶりからすれば、あれに乗っているのがソータなのだろうか。

「なんかの撮影かな?」

「いいにおーい」

 窓を開けた女生徒から、そんな感想が漏れる。たしかに、教室内には、甘い香りが漂ってきていた。

 オレは佑衣奈の手をつかみ、よく見えるように窓際へ移動する。

 遠目には戦車のように見えたそれは、明らかに戦車ではなかった。

 ぎりぎり校門を通れるぐらいの大きなキャタピラは地面についておらず、アニメのロボットのような手足がむりやり伸びている。子どもが想像するようなお粗末な戦車に手足をくっつけたもの、といった感じだ。デフォルメされているかのように、パーツの一つ一つがまるまるとしていて、まるでリアリティがない。戦車ならば出入り口になるはずの上部には半円形のドームがあり、そこが操縦席になっているのだろう、人影が見えた。

「でかい、おもちゃ……?」

 思わず、つぶやく。しかし、どしんどしんと地面を響かせながら、移動してきているのが現実だ。

 これはもう、科学力がどうの、という話ではない。

 この非常識さには覚えがある。

「佑衣奈……」

 絶望的な気分で名を呼ぶと、佑衣奈は誇らしげに、

「ちゃんとソータを連れてきましたよ! ゆいな、お仕事早い!」

「もうちょっとやり方があるだろう!」

 しかし堕天使カードが降ってこないところをみると、この場合まわりに迷惑をかけたのは佑衣奈ではなく、あくまで「ソータ」という解釈になるのか?

「木下君、桜田さん、あれ、あなたたちのお友達ー?」

 騒然とした空気をものともせず、中本サンがほんわかと聞いてくる。

『違います』

 ハモった。

 だが、オレたちに聞いてきた時点で、きっとだれもがオレ関係だと思っているのだろうとわかる。くそう。否定できない。

「「佑衣奈──! 出てきやがれこのやろ──!」」

 戦車ロボットから怒号。マイクでも内蔵されているのか、うわんうわんとこだまする。

 クラス中の目線が佑衣奈へと向き、佑衣奈はついと目を逸らした。

「「てめぇがここへ逃げ込んだのはわかってんだ! いますぐ出てこいっ! 佑衣奈のパートナーも逃げ隠れしてんじゃねえぞ──!」」

 ……オレのことか。

「さ、コーヘー。あれに乗っているのがソータですよ。あとは煮るなり焼くなりご自由にどうぞ」

「おまえな……この状況で、オレにどうしろというんだ」

 とはいったものの、放っておくわけにもいかない。体育の授業中だったらしいクラスの面々が遠巻きに戦車もどきを見守っているのが見えるが、このままあんなのに暴れられたらケガ人が出かねない。

「──先生」

 仕方なく、中本サンのもとへ進み出た。

「ちょっと、校庭へ出ていいですか」

「どうぞ出まくってー。で、帰ってもらいなさい」

 笑顔の上に見える青筋が怖い。

「晃平、おまえ勇者だなー。あいつ止めに行くの?」

「神といってくれ」

「神関係ねーじゃん」

 孝史の正論に切なさを感じていると、佑衣奈が身を乗り出した。

「コーヘーは神ですよ! だからこそ、あのにっくき怪盗をやっつけるのです!」

「え、あれが例の怪盗なの?」

「うそー!」

「それよりあれナニ? 撮影?」

「佑衣奈ちゃんの知り合い?」

 ……ああ、事態がどんどんややこしく。

「とにかく行きましょう、コーヘー!」

 佑衣奈は喜々として、オレの首根っこをつかんだ。ぐい、と持ち上げられる。

「ち、ちょっ……」

 まさか。

「ゴーです、コーヘー!」

「うわあ──!」

 投げやがった! 

 ぐわんとオレの全身が振り子のように揺れたかと思うと、次の瞬間には空中に投げ出されていた。胸の辺りがうっとする浮遊感。当然のことながら、そのまま落下する。

 こ、これはちょっと……ここ三階なんだけど──!

「よいしょっと」

 景色がぐるりとまわった。

 お手玉をキャッチするようなかけ声とともに、オレは佑衣奈に抱きかかえられていた。

 先回りして着地していたらしい。

 すぐには声が出せず、涼しい顔をしている佑衣奈を見上げる形になる。

「さあ、決戦の時です!」

「お、おまえな……」

 声が震えている。佑衣奈はオレを地面に立たせると、傘カバンからクリーム色の拡声器を取り出した。

「「あーあーあー。よし。ハイ、どうぞ」」

 チェックまでして手渡される。……やるしかないか。

「「佑衣奈! やっと出やがったな! てめえ、今日という今日は許さねえ!」」

「「えー、そこの戦車ロボットの君! とりあえず話し合おうじゃないか! まずはそこから出てきたまえ!」」

 右手で拡声器を持ち、左手は腰にあて、声を張り上げる。隣で佑衣奈があかんべーをしているのが見えたのでどついておいた。敵を刺激するのはよくない──もう手遅れという説もあるが。

「「なんだてめえ! てめえが佑衣奈のパートナーか!」」

「「オレは木下晃平、十四歳、おひつじ座のA型だ! こちらは姿を見せて名乗っているのに、戦車ロボに乗ったまま挨拶もなしとは、フェアじゃないんじゃないのか!」」

 沈黙。

 がしょん、と半円形のハッチが開き、茶髪の少年が顔を出した。身軽な様子で、そのままジャンプし、戦車ロボットの前へ着地する。

 オレよりもなお背が低い。目の大きな童顔。黒いスーツに黒マント、黒シルクハットが異様に似合っていない。

 なるほど。佑衣奈の書いた、『え、ソータはそれでも十五歳?』の意味がよくわかる。どう見ても、小学校五、六年生だ。

 彼はシルクハットに手を突っ込み、そこから拡声器を取り出した。……それもカバン?

「「たしかに、マナーがなってなかったな、非礼を詫びる! オレは金田惣太、悪魔だ!」」

 いうと同時に、カードのようなものを投げつけてきた。カードをキャッチするのには慣れているので、難なくつかむ。名刺だ。

『悪魔見習い 金田惣太』

 …………。悪魔?

「おい、一級天使とかいってなかったか」

「そですよ。転職したんですかね。だめですねー、最近の若者は、ころころ職業変えて」

「まったくだな」

「まったくですよね」

 皮肉は通じなかったが、まあそれはおいとくとして、どうやらこいつも転職をしたくちのようだ。はやってるのだろうか。

 オレは拡声器を持ち上げた。

「「惣太君、君は天使だと聞いていたんだが、悪魔に転職したのか?」」

「「よく聞いてくれたな!」」

 うわんうわん。ボリュームを上げたらしい。

「「佑衣奈! てめえが天使になったって聞いて、オレは天使の地位を捨て、悪魔になったんだ! なんでだかわかるか!」」

 佑衣奈もまた、自分用の拡声器を取り出す。

「「興味ありませーん」」

「「てめえを倒すためだコノヤロウ! おまえなんか大嫌いだ! アホー!」」

 うん。いいやつそうじゃないか。

「おい、晃平」

 いつの間にか、校庭には人だかりが出来ていた。オレのクラスの奴らと、他のクラスからも何人か、興味本位で降りてきたらしい。教師陣までいる。授業はどうなってるんだ。

 声をかけてきた孝史は、仲間だと思われたくないのか、人目をはばかるように距離をおいて、

「拡声器いらないだろ」

 律儀につっこんできた。

「「おまえはツッコミ担当か」」

「おまえ、それこそ拡声器通すなよ! うるせえよ!」

 実に律儀だ。

 確かに、オレたちと金田惣太との距離は十メートルほど。まあ、拡声器が必要な距離ではない。

 でもなんかこう、雰囲気ってもんがある。

「「で、惣太君。君はどうして、授業中の学校にやって来たんだ? 君のその考えのない行為が、ここの生徒や先生たち、ならびに近隣の方々に、多大な迷惑をかけているという事実についてはどう思う?」」

「「うるせえ! 知るか! でもごめんなさい!」」

 あー。オレ、こいつ嫌いになれないなー。

「「オレはな、佑衣奈をおびき出すために怪盗のまねごとをしてやったんだ! 新聞に載れば、オレに気づいてのこのこやってくると思ってな! まんまとひっかかりやがったなマヌケ佑衣奈! 今日こそケチョンケチョンにしてやる! はーっはっはっはっ!」」

「「おびき出されたのは君のほうなんじゃないのか。街に配られたビラを見て来たんだろ」」

「「そうですよー。今日、ゆいなが街をうろうろしていましたら、ゆいなを探してたソータとばったり会ったので、ここまで誘導したんです。まぬけはソータでーす」」

「「それは実に間抜けだな」」

「「やーい」」

「「うるせ──!」」

 がん、とソータは拡声器を地面にたたきつけた。拾ってきたらしい数枚のビラを、こちら側に見せつけてくる。

「どういうことだ、このふざけた落書きと悪口は! おま、おまえ、なんの権利があって、こんなひでえことするんだ!」

 ショックだったらしい。

「「それはですねー」」

 佑衣奈は、そっと拡声器をオレに託した。二歩ほど前に進み出て、両の拳を顎の下に置き、惣太を見る。

「佑衣奈は、どうしてもソータに会いたかったんです。でも素直になれなくて、こんな方法をとってしまいました。いまも本当は、会いに来てくれて、凄く嬉しいんです。こんなゆいなは、お嫌いですか?」

 ヤツの背後に花が飛んでいるのが見える。

 惣太は十メートルこちらからでもわかるぐらいに赤面し、わざとらしく咳払いをくり返した。

「き、嫌いってわけじゃ、……ねえけどよ」

 佑衣奈は二歩うしろに戻り、もう一度拡声器を持つ。

「「ウソでーす」」

 ……こいつ、どこまでも悪魔だ。

「てめえ……! やってやる! 本当に殺ってやる! いくぞ、スイーツ一号!」

 惣太はぐっと膝を曲げ、そのまま高く跳び、戦車ロボットの操縦席に滑り込んだ。ハッチが閉まる。持ち上げられる、まるまるとした手。

 これは、やばいんじゃないのか?

「「惣太君! こんなところでそんなものを動かしてはいけない! 君は前職は天使だろう! 悪いことをするのは心が痛むはずだ!」」

「「痛んだ心は、佑衣奈を倒せば晴れるんだー!」」

 なるほど。

 それにしても、さっきからこのいい匂いはなんだろう。教室にいたときから感じてはいたが、校庭に降りてからより強く匂う。

 この、焼きたてのパンのような匂いと、クリームのような匂い。デパ地下で、スイーツコーナーの隣を歩くときに誘惑してくる、あの匂いだ。

 ……スイーツ?

 いまこいつ、スイーツ一号っていわなかったか?

「佑衣奈……あれ、食い放題だぞ」

「ラジャですー」

 ばっと傘を開き(開くんだ……)、佑衣奈は空へと舞った。傘を持ってない方の手を、手套のように構え、まるで刀で斬りつけるように、素早く動かす。

 シュシュシュ──風を切る音。

 音を確認したときには、戦車ロボットは細かく切り刻まれ、四方八方へと散る。

 佑衣奈は空中で傘を閉じ、チャックを開けると、そこから手裏剣のように、おびただしい数の円盤を投げた。

 円盤の上に、次々と霧散した戦車ロボットが乗っかっていき──

 ──たくさんのおやつが、出来上がった。

「ゆいな、すごーい」

 着地と同時に自分でいう。円盤は皿だったようだ。がしゃがしゃ、と地面に落ちるスイーツたちと、どしんと落下する哀れな惣太。

「やはりな……あの戦車ロボットの成分は、パンとケーキとチョコとクッキーと生クリームと果物だったか……」

 どうりでまるまるとして、いい匂いがするはずだ。仕組みは分からないが、この一週間ほどで、なんでもありにはだいぶ慣れた。

「……パイ生地とカスタードも……使ってあるぜ……!」

 地面に倒れ伏し、惣太が成分を追加してくる。まあそのへんはなんでもいいんだが。

「ソータは、お菓子でなんでも作れるんですよ。それなりにおいしいですし。お得な特技ですねー」

「なんでもって……戦車ロボもかよ」

「はい、なんでもです」

 がぜん管理者の世界に興味が湧いてきた。気になるじゃないか。

「それで、ソータ」

 わらわらと生徒たちがおやつタイムを始めるなか──ほんとに現代人の順応性の高さというか、したたかさには感心する──佑衣奈は惣太のもとへ歩み寄り、茶色の髪をぐいと持ち上げた。それじゃヤンキーだろ、まるっきり。

「あなたのパートナーはだれですか?」

「そうだな……これだけ迷惑をかけたんだ、それぐらいは教えてもらおうか」

「迷惑っつーか、授業潰れてショーが見れて、食いもんもらえて万々歳だけどな」

 ちゃっかり、ケーキ部分をほおばりながら、孝史がちゃちゃを入れてくる。

「ぱ、パートナーは……」

「私よ」

 背後から、声がした。

 この凛とした、高圧的な声……

「この私よ。なにか、文句がおあり? まさか、惣太の探している神候補が、あなたのことだとは思わなかったけれど」

 ……柳原千鶴。

 金髪縦巻きロールの柳原が、仁王立ちでこちらを見据えていた。

「柳原、おまえ、なんでまた……」

 柳原は、緑色の封筒を取り出し、びしりと突きつけてくる。つまり、こいつも中本サンの作文に、なにか普通ではない夢を書いたわけだ。

「私の将来の夢は、大魔王! その第一歩として、神を目指す木下君を倒させていただくわ!」

 …………大魔王。

 会話を聞いてしまった数人が、スイーツを食べながらもドン引きしているのがわかる。

「せいぜい、抗うことね! ほーっほほほほほ!」

 高飛車な笑い声がグラウンドにこだました。

 愕然とするオレの隣で、佑衣奈はもりもりとスイーツを食べまくり、その前方では惣太が気を失っていた。

 どうしたものか。

 オレはもしかしたら、なにかとんでもないものに巻き込まれようとしているんじゃないのか……?

「さ、教室に戻りましょうかー」

 頭上でチャイムが鳴り、ごく平和な中本サンの声が響く。

 ──くじけるものか。

 オレは、神になる男だ!









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