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短編小説

ラーメンは好きだけど。

作者: 一天草莽

 きらびやかなテーマパークは好きだけども、他の何よりも人混みが苦手、という気の毒な話がある。

 友達に誘われて一緒に行ってみたはいいものの、あまりの混雑ぶりに気分が悪くなって、肝心のテーマパークを十分には楽しめなかった、という私の友人の話だ。

 中学生のころから親しくしてきた十年来の友人である彼が落ち込みながら語ってくれた失敗談を聞かされた私はのんきに「アハハハ!」と笑っていたが、あれ、これってあまり他人事じゃないぞ、と思って我が身を振り返った。



 どう説明すればいいのか難しいものの、私にも思い当たる節がある。

 趣味でも人でも何でもいいけれど、例えば自分が好きでいるものがあるとして、それに自分の方は好かれていないんじゃないかと思える状況があるのだ。

 こちらが一方的に好きでいるだけの”片想い”とでも言えばいいだろうか。

 猫が好きなのに猫アレルギーだとか、犬が好きなのにガウガウと吠えられて近づけないとか、プラモデルが好きなのに手先が不器用で組み立てられないとか、歌うのが好きなのに練習しても音痴だとか、海外旅行に行きたいのに船も飛行機も怖くて日本から出られないとか。

 そんな感じで、自分が好きなものを十分には楽しめない状態。

 私にとって、それがラーメンである。

 すなわち、ラーメンは好きだがラーメンを食べるのが苦手なのだ。



 ラーメンを食べるのが苦手というか、具体的に言うと、熱い麺をすするのが下手なのである。小学生でも元気にすすっているが、ラーメンが好きなくせに私は勢いよく「ズズズズズッ!」と食べられない。

 無理して勢いよく食べようものなら「ズボボボ、ブホフェッ!」となる。だから無理はしない。なのに、むせて涙目になったのも何百回やら数えきれない。子どものころからずっと苦手だ。

 おお、ジーザス。ラーメン。

 恥ずかしさもあり、人前では絶対に食べられない。そのせいか出先ではラーメンを避けがちで、本当は食べたいのに勧められても断る始末で、人にはラーメン嫌いだと思われることも多々あった。

 悲しい。

 かといって一人でラーメン屋に入るのも億劫だ。周りの客の目が気になるというのも当然あるが、まずはやっぱり店員の目が怖い。本当かどうか怖くて一度も足を運んだことがないので実際には知らないけれど、本格派で売っているラーメン屋の店主はこだわりが強くて気に食わない客がいると追い返すに違いないという偏見がある。

 それが事実であれば私などは一発退場だ。

 テイクアウトも許してくれそうにない。



 ラーメンだけでなく、うどんや素麺も苦手と言えば苦手だが、うどんは麺が太くて短いし素麺は冷たいし、そもそもラーメンほどには好きでもないので今のところ実害はない。スパゲティや焼きそばは、そもそもすすらない。

 不幸中の幸い……というと大げさだが、麺類以外の食べ物は大丈夫だ。たいていのものは普通に食べることができており、とりあえず他人に注意されない程度には行儀がいい。

 なのに、どうも麺類だけが苦手なのである。

 すする、ということに問題があるとすれば肺活量の問題だろうか。

 あるいは前世で麺類にたたられるようなことをしたのかもしれない。

 ……ともかく、ここで私を救うのが自宅で気軽に食べることのできるインスタントラーメンの存在だ。



 日々の企業努力によってインスタントラーメンは実に種類が豊富でありがたい。どれを選んでもおいしいのでラーメン好きは頭を悩ませることになるが、今日は折角なので通好みのシーフードをいただこう。仕事以外では出不精で休日は引きこもり常連の私が海水浴に行く代わりだ。

 つい先ほどコンロにかけたヤカンで沸かしたお湯をたっぷり注いで三分待って、さあ食べよう……と思ったら熱い! じゃあ五分待って……いやいや待て待て熱い熱い! 十分待ってもまだ熱い。

 長く持った箸ですくって一口ごとにふーふーやっている自分が馬鹿みたいに思えてくる。必死なあまり顔中がじっとり汗まみれだ。冬ならいいが、夏は地獄。味もよくわからない。

 雪が降り積もる季節にコタツでぬくぬくと冷たいアイスを食べるように、酷暑を忘れるためのクーラーをガンガンかけて自然環境への配慮を失いつつある。せめてスープくらいは捨てずに胃袋で消化しようと残さず完食してから、いつもより早めにクーラーを切って扇風機に切り替える。

 とにもかくにもラーメンが熱いのが悪い。

 悪いというか自分には向いてない。

 おいしいのに。

 お店なら仕方ないので出されたものは熱かろうと急いで食べるが、私の他に誰もいない家で一人で食べるのに熱々のものを無理して食べることはない。ラーメンでなくても、好きなものは好きなように食べたらいいのではないか。

 沸騰してからしばらくたって、少しくらい冷めたお湯を注ぐことにする。

 解決!

 ネットを検索したら出てくる中身のないバイラルメディアのような展開だ。

 ……他の方法を考えてみることにする。



 まずは猫舌を治したらどうだろう。

 一説によると猫舌は生まれついての体質ではなく、ただ単に熱いものを食べるのが下手なだけらしい。これはネットなりで調べてもらえばわかるが、食べるときの舌や口の使い方が間違っているそうだ。

 なので私も一時期ちょっと本気で練習してみたことはあるが、相変わらず熱いものは熱い。色々言いたいことはあるけれど、猫舌だからといって舌だけが熱いのではないのだ。唇も熱いし、口の内側も熱いし、のども胃袋も熱い気がしてくる。

 もっと言うと、熱いものを食べて体全体が熱くなってくるのも苦手なのだ。汗をかくのも嫌いである。

 ……というか、食べるのが下手ってなんだ。うっかり熱々のものを口に含んでしまって「熱い熱い!」と苦しんでいるときに、それって食べ方が下手だからなんだぞって言われたら怒りはしないが余計なお世話だ。

 しかしこれは言い訳に聞こえて自分でも情けない。

 この件について私は卑屈である。

 食べるのが遅いのを指摘されるたび「熱いものが苦手なんです」というと、まあ半分は冗談だろうが「男のくせに猫舌アピールするな!」というお叱りの言葉をかなりの確率で言われてきた。こちらとしてはアピールではなく熱いものを避けるための防衛本能なのだが、それはともかくこの「男らしく」というのが実に厄介で、ラーメンを食べるのにも「ズズズッ!」と勢いよく食べなければ女々しいだとか、食べ方がみっともないとか言われる。

 わからなくはないが困ったものだ。

 ふーふーと息を吹きかけるのも、人前でやるには一回か二回くらいが限度だ。あまりに熱心に何度もふーふーやっていると、怒られることはなくとも笑われる。ラーメンではなく顔が熱くなってしまう。

 恥をかいてまでラーメンは食べたくない。

 なぜなら好きなものは万全の状態で味わいたいからだ。

 小心者の私だけなのか他の人もそうなのか知らないが、緊張すると味を感じなくなる。それではあまりにも「もったいない」ではないか。



 食べるのが下手なことに理由があるとすれば、親のしつけの厳しさもあったかもしれない。しつけが厳しければ食べるのもうまくなっているはずだろうと普通の人は思うかもしれないが、私の場合はそうではない。

 ちょっとでも間違ったことをすると怒られるので、失敗しにくくて怒られにくいことをするようにはなるが、それはつまり怒られずにすむ簡単なことだけを選んでするようになるので、新しいことや苦手なことには挑戦しなくなるのだ。

 つまり問題を解決するのではなく、問題に蓋をしてなかったことにする。

 思い返してみると子供のころはラーメンをあまり食べなかった。すする音がうるさいとか、ラーメンの汁が飛び散っているとか、麺がのびきる前に早く食べ終われとか、まあ周りの小言がうるさいので避けていた。

 しかも熱いのとか辛いのとか当時から苦手だった。

 やけに堅物な性格をしていた親がラーメンを好きではなく、体に悪い食べ物だと考えていた点も原因にはあるだろう。

 なのに大学へ進学して一人暮らしを始めたらドハマりした。あまり口にしていなかっただけで、もともとジャンクフードやB級グルメといったものが好きだったのかもしれない。ラーメンが好きでいろいろな種類のラーメンを買い比べてみたこともあるが、味音痴なので正直よくわからない。

 なんでも美味しく感じる。

 おかげで本格的なラーメン屋にも行かず、安物のインスタントラーメンを食べて満足できているのではあるが。



 ラーメンはラーメンでも、一番好きなのはインスタントラーメン。

 大学を卒業してからもそれは変わらない。

 職場でも昼食にカップラーメンを食べている人がいないではないし、小腹が空いたときに食べたくなるインスタントな味は間食や夜食にもピッタリである。

 インスタントと言いつつ、子供のころは三分間でさえも長く感じて静かに待てなかったものだが、大人になると三分くらいすぐ過ぎてしまう。

 よし、今から三分だな! と思って、時間が来るまでちょっと別のことをしていたら、たまにお湯を入れていたことを忘れる。

 嘘をついた。

 たまに、ではなく、よく忘れる。



 思い返すまでもなく、つい先日も忘れていた。

 お湯を入れたのを忘れて一時間近くも放置していたら、すっかり完全に麺がのびていた。ぐずぐずになったカレー味のインスタントラーメン。スープは一滴も残っておらず、どろどろのカレールーを混ぜたようになっている。細長かったはずの麺も水分を吸収して太くなり、うどんのように膨らんでいた。

 ラーメンへの冒涜だ。

 こんな状態を見れば普通のラーメン好きは絶望の淵に叩き落されたような気持ちになって、いつもよりも不味くなったラーメンを泣きながら口に運ぶのだろうが、普通でないラーメン好きの私は天啓を得たかのように食欲が刺激された。

 どうだ。

 これがまた普通以上においしいかもしれぬ。

 最高の食べ方だ!

 ……正気を疑わないでくれ。

 ラーメンはのびてもおいしい。これに同意するのは世間の何割くらいだろうか。

 梅雨の季節は袋を開けたスナック菓子が一時間もせぬうちに湿気でふやけてしまうが、ふやけたスナック菓子はしなしなになって食感が悪くなり、パリパリのポテチが大好きな子供も浮かない顔をする。しかし私はそういう溶けてベトベトになったチョコみたいなものでも喜んで食べる。



 そもそもラーメンとは何だ。

 ラーメンにとっての「おいしさ」とはどこにある。

 先ほどからラーメンのことばかり考えているうち、私にはそれがわからなくなった。まあ考えたところでわかる訳もないので徒労かもしれないが。私なんぞ料理人でもなければ料理評論家でもなく、普通の人と比べてもグルメ指数が低い馬鹿舌なのだ。

 けれど暇なので考えてみる。

 果たしてラーメンにおいて最も大事なのは味か、香りか、見た目か、麺かスープか食材か。

 あるいは全部だろうか。

 スープだけを飲んでみてもおいしい。しかし麺だけで食べても味的には物足りない。具はそれだけ食べてもおいしいが、もやしもナルトもチャーシューも、極論すればラーメンのメインというより付け合わせだ。

 ではやはり重要なのはスープか。

 物は試しとスーパーで買ってきたパスタをラーメンのスープに入れてみる。作り方は一般的なラーメンと同じように熱湯に入れて三分でやってみるけれど、パスタの茹で加減でよく聞くアルデンテとかいうオシャレな奴はきっとこれくらいだろうと適当に考えておく。

 とりあえず麺状のものがスープに入っているので見た目はそれほど悪くない。

 ……が、口に含んでみると全く合わない。

 子どものころから豚骨や醤油のスープにつけて食べていれば話は別だが、しっとりしたパスタは皿に盛ってフォークで食べる洋風の料理だと舌が覚えている。これだったら素直に熱いラーメンを食ったほうがいい。

 次は素麺だ。熱い季節にはちょうどいいんじゃないかとウキウキ気分で作ってみたけれど、期待感は徒労に終わった。ゆでた後に何種類か用意していたラーメンのスープにつけたが、なかなか麺に味がしみこまない。

 つるつるすべって喉越しは抜群だが、やはり冷たいつゆで食べたくなる。

 では、そばだ。素麺よりはいいんじゃないかと思ってラーメンスープへ。

 しかし普段ちっとも食べないせいで作り方が間違っていたのか、すぐに麺がちぎれてしまう。それは私の問題だから置いておくとしても、思っていた以上にそば粉の味が強くてスープと不協和音を鳴らす。

 最後にうどんである。なんとなく合いそうだな、と思って作ってみれば、なんとなく合う。けれど他のものに比べれば、というくらいのシナジーだ。

 成功か失敗かで言えば失敗に近い気もする。やはりうどんにはうどんのスープがよく似合う。

 何事にも適材適所があるということか。

 そもそも素人が挑戦した程度でおいしくなるのなら、もうすでに新しい商品として市場に出回っていただろう。

 やはりラーメンは現在知られている状態のラーメンこそが完成形である。

 調査終了!

 小学生がやる夏休みの自由研究じゃあるまいし。

 他の方法も考えてみることにする。



 すするのが苦手ということなら、ひょっとすると長い麺がダメなのかもしれない。

 なので、そのままお湯を注ぐのではなく、インスタントの麺を事前に砕いておくことにした。天才的ひらめきだ。すすらずにすむよう、できるだけ小さく短くなるように徹底的に砕く。これでもか、これでもかと叩き砕くのは意外と気分がいい。

 それからお湯を注いで、いつものように三分待つ。

 見た目はまあ、ラーメンとは別の食べ物だと思えば悪くない。口に入れてしまいさえすれば味もそんなに変わらない。

 しかし困ったことに箸で食べにくい。米粒くらいの大きさだと箸を使って食べるのは面倒だ。楽しくなるあまり麺を小さく砕きすぎたかもしれない。カップを傾けてスープごと口にかっこめば大丈夫だが、熱いのが苦手なのにできるわけがない。

 おかゆを食べるようにスプーンでなら食べやすいかもしれないが、フォークならともかく、ラーメンにスプーンは邪道な気がする。それにスプーンを使ってしまうと熱いスープごとすくってしまう。普通に長い麺を箸で食べていたころよりも熱くて、ラーメンを味わうどころじゃない。

 いくら食べにくかろうと箸で食べた方がよい。

 あと、やっぱりラーメンは長い麺じゃないとラーメンを食べた気がしない。上下からプレスされた平たいハンバーガーを食べさせられているような気分だ。最終的に感じる味が同じならいいというものでもない。



 いっそ冷めたラーメンをおいしく食べる方法はないだろうか。

 その場合、最初に来る問題として、温度が低くなるとスープに油が浮いてくるという無視できない問題が発生する。熱いのが苦手だからといって最初の段階で水を入れると麺がやわらかくなりにくく、かといってお湯が冷めるのを待っていれば麺がのびてしまうので、普通の人はこれをおいしいとは感じないだろう。

 それに冷めたいスープは味も何か変になっている。いわゆる旨味が死んでいるのか、そのまま飲んでもおいしくない。

 温かいほうがおいしいのは何もラーメンに限った話ではなく、冷めた料理は一般的に評判が悪い。

 しかし、ここで大事なのは、あくまでも「普通の人は」という部分だ。

 個人的に家で作って食べる料理の場合、採点するのは自分自身だけなのだ。

 そう、つまり、私がおいしいと思えばその料理や食べ方は正解なのである。



 ……あっ。

 さあ本日二杯目のラーメンを食べようと思ったら、割り箸を割るのもへたくそで泣きたくなる。先の方で片方が折れて、残った方がL字になった。

 そう、これは命を刈り取る形だよ……。いや刈り取れない。

 ともかく、うまく使って食べる。

 かなり苦労したが、これがまあ普通においしい。やはりラーメンは正義だ。

 もぐもぐ。

 ここまで長々とやっていてふと気が付いたけれど、実は苦労したほうが美味しく感じるのかもしれない。

 運動した後の弁当はおいしいとか、働いた後のビールはうまいとか、食べるのに手間がかかるカニがおいしいとか。

 そう思うと、意外と私はこのラーメンの食べにくさに愛着を持って生きてきたんじゃないかと思えてきた。

 非の打ち所がない完璧なものではなく、欠点があるからこそ好きでいられるというか……。

 あれこれ手を打ってきたが、楽になればいいというものでもない。

 インスタントな世の中だからこそ、と結論付けてしまうと安易な社会批判と説教臭さですべてが台無しになってしまいかねないけれど、まあ、猫アレルギーでも猫を飼ったらいいし、吠えられたくらいで犬をなでるのをあきらめてはならないし、手先が不器用でもプラモデルを組み立てて遊べばいいし、音痴でも歌ってみれば楽しいし、船や飛行機が怖くても海外旅行に興味があるなら行けばいい。

 そうやって苦労とともに培っていく思い出にも価値や楽しさはついてくる。

 たぶん。

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[一言] 今夜はラーメンを食べようと思いました!そう言えば、みそきんの発売か...。今夜買いに行こっと。
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