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りんご飴と彼女

作者: anik

 サユリは後悔していた。

 足が痛い。

 家を出てまださほど時間は経っていないのに、履きなれない下駄のせいだ。鼻緒の当たる部分が見事に靴擦れになっていた。じんじんと鈍い痛みが不快でしかない。もう帰ろうか、そう幾度も頭をよぎるものの、一歩を踏み出すことさえ億劫である。

 その結果、彼女は座り込んだまま不機嫌さを醸し出し、二十分ほどが過ぎようとしていた。


 今日は、根津神社のお祭りだ。昼間の暑さが残るとはいえ、夜になって時折吹き抜ける風は弱々しくも涼しさを感じさせる。境内に無数に並ぶ屋台はどれも温かみのある電球に余るほど照らされ、宝石箱のように色とりどりの輝きを放っている。ツツジ園の脇に並ぶ鳥居や楼門もライトに照らされ、都会の一部であることを忘れてしまいそうな趣がある。

 屋台からの掛け声、客とのやり取り、射的の音、肉の焼ける音。入り乱れた喧噪は様々な人間模様を内包し、さざ波のように心地よく辺りを満たしていた。


「あーあ、せっかくのお祭りだったのに。」


 こんなはずではという想いがつい口をついてしまった。ネガティブさ満載の独り言を誰かに聞かれてはいないか、はっとしてサユリは辺りを見回した。歩いている人々は誰しも彼女の存在など目に入らない様子で、皆それぞれに祭りの空気に身をゆだねているようだった。両隣の庭石に腰掛けているのはどちらもカップルで、二人きりの世界にいる。

 そもそも、独り言があってもなくても、浴衣姿の女が一人で不機嫌そうにしているというのは、ちょっとした劇物の様相を呈している。それはサユリも十分理解していた。


「ユウタのばか。」


 少しでも気分を晴らしたくて、彼氏への文句を小さく声に出す。みっともないのは理解している。しかし、ちょっとぐらい変な女だと周りに思われてもいいやと投げやりな気持ちに駆られていた。祭りなんて一夜の夢のようなものだ。明日になればきっと誰も覚えてはいないし、そもそも見えていないに違いない。


「一緒にお祭りに行くの、すっごく楽しみにしてたのに。浴衣の着付け、どれだけ練習したと思ってるのよ。」



 サユリとユウタがくだらないことで衝突するのは今に始まった話ではなかった。映画を観れば解釈の違いで対立し、カフェで一休みすれば味覚が相容れず、お気に入りの漫画を貸し借りすれば「好きじゃなかった。」の一言で片付けられてしまう。

 冷静に考えれば相性が悪いようなことばかりでも、それでも、彼女は関係を解消しようと思ったことは一度もなかった。ちょっとした言い争いさえ、お互いが本音で向かい合っている証だと思えば嬉しかった。結局のところ、恋は盲目というのは真理なのかもしれない。


 しかし、まさか祭りで置いてきぼりになるなんて。


 駅で待ち合わせをし、ユウタが七分遅れてきたところまではいい。遅刻は遅刻だが、平均遅刻時間からするとまだ早く来た方だから、むしろ彼にしては頑張ったと認めよう。そこから神社まで徒歩五分。

 根津神社の祭りはこの辺りでは比較的大きいため、駅から神社へ向かう道には人の流れができていた。屋台は神社の敷地の外まで広がり、近隣住民には迷惑なことこの上ないが、神社の外周に面した道路は事実上一部封鎖され、敷地内と大差ない人混みで賑わっていた。

 想像以上に由緒正しいという神社に敬意を払い、祭りを楽しむ前に様子を伺いがてらまず参拝しておこうと二人は決めていた。わたあめ、たこ焼き、焼きそば。様々な匂いを潜り抜け、奥へと歩みを進める二人に事件が発生するまで長くはかからなかった。

 

本日の事件、それは名付けるならば、りんご飴・チョコバナナ戦争。



 くだらないケンカの引き金を引いたのが何だったのか、サユリは既によく覚えていない。ああ、りんご飴の屋台とチョコバナナの屋台が隣り合っていなければこんなことにはならなかっただろうに。


「だって、りんご飴は、りんごと飴が合わさってこその食べ物だもの。どっちがメインでどっちが添え物なんて考えるのは邪道よ。」


「いや、チョコバナナの語順からして、バナナが本体なのは間違いないだろ。チョコで飾られたバナナなんだから。」


「だから、私の言い分も聞いてってば。」


「そっちこそ俺の話を無視してるじゃん。」


 自分の意見に耳を傾けない相手との平行線の果てに脱出を試みたのは、ユウタだった。


「じゃ、もう俺帰るわ。」


 心底うんざりした様子でそう言い残した彼は、人混みに消えた。

 取り残されたサユリも怒りのまま帰ろうと思ったが、靴擦れのせいもあり、なんとなく境内から出られないでいた。もしかしたらすぐに謝ってくるかも、そんな期待をしたくないのについ目線はスマホに向かってしまう。来ない連絡を待つうちに二十分ほど経っていた。



 祭りの賑わいは変わらない。けれどサユリの心はそうではなかった。


「…もう、本当に帰っちゃうんだからね。」


 待てどもユウタから着信もメッセージも来ない。今回のケンカは二人の関係の終わりの合図なのだろうか。普段ならすぐに仲直りできていたのに、今回は違ったのかもしれない。せいせいする、と胸を張っていたいのにサユリの心はもやもやして仕方がなかった。とりあえずごめんねとメッセージを送信することはできる。そうやって場を収めてきたことも何度もある。これまではいくらケンカしたところで翌日には元通りに笑いあっていられた。


 潮時、なのかもしれない。


 相反するいくつもの感情がぐるぐるする。少なくとも、謝る気分にはなれない。このまま連絡を取らなければ、自然消滅になるのだろうか。遠くを見るようなぼんやりした思考しか浮かばないまま、サユリはようやく庭石から腰を上げた。靴擦れは変わらず痛む。駅前にあったコンビニで絆創膏を買えば多少マシになるだろうか。

 足を踏み出そうとしたその瞬間、目の前に差し出されたのは、赤く艶やかな丸。


「サユリ、見つけた。」


 ばつの悪い顔で立つユウタの姿。差し出した左手にはりんご飴、右手にももう一つりんご飴を握っていた。噛みしめるように発する言葉が、真っ直ぐにサユリに向けられる。


「俺はさ、間違ってたとは思わない。でも、何っていうか、くだらないことでサユリとケンカしたい訳じゃなくて。」


「うん。」


「さっきは頭を冷やしたくて。それで、一人になってりんご飴のこと検索してみたんだ。そしたら、外国にもあるらしくて。」


「へえ。」


「フランス、だと、ポム・ダムールって呼ぶんだって。」


「フランス語…よくわかんないけど、ポムって果物だっけ。あ、りんご?」


「そう。直訳して愛のりんご。それを見て、俺、真っ先にサユリに教えたくて。」


 ユウタが差し出すりんご飴をサユリは受け取り、二人で頬を赤らめ笑いあう。

 来年も、その先も、また一緒にお祭りに来られるといいな、そう同時に考えていたことはまだ知らない。

りんご飴のことを考えてできました。

男サイドのアナザーストーリーも書こうかと思いましたが、文字にしたところでただのノロケ話になりそうです。


東京都文京区の根津神社のお祭りは素敵です。

九月に行われますので、ぜひ足を運んでみてください。

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