金色のエンドロール 7
廊下に出ると、蒼汰の背中が見えた。そのさらに先に、教授にさらわれるような紅先輩の細い背中。
「待ってて行ってるやろ!」
蒼汰の叫び声が早朝の澄み渡った廊下に響く。
廊下を走りぬき、階段を降り、辿り着いたのは校舎を出た先にある人気のない駐車場だった。職員用のその駐車場には、金木犀の古い木があって、その甘酸っぱい香りが場に不釣り合いなくらい広がっていた。
「紅さん! どうして何も言ってくれないんです! 俺、俺……」
藍と俺が辿りついた時、紅先輩が教授の車に乗り込むのを蒼汰が止めたところだった。あがった息で、彼らを見守る。
振り向くと、藍は不安げに掴まれた手首の反対の手で俺の腕を掴んでいた。
「梅田。彼女は……」
教授は苦しそうな顔で間に入ろうとする。それを、紅先輩の細い手が抑えた。静かに立ち上がったその体は、さらに細くなっていて、今にも消えてしまいそうだ。
雨上がりの冷えた空気に、先輩は小さく吐息を漏らした後に、枝葉に光る雫のような声を零した。
「映画、素晴らしかったわ。感動した」
「俺」
蒼汰は言葉にならない想いが溢れすぎて、何も言えないようだった。紅先輩は切れ長で優しく哀しい瞳を細めた。
「もう、貴方には私達はいらないって、わかった」
「え……」
弾かれるように蒼汰は顔を上げる。
「貴方は、十分大きくなった。映画も、人間も。もう私達がいらないくらい」
紅先輩は憂いを帯びた横顔で俯くと、自身の体を抱きしめるように腕をまわす。
きつく抱きしめているその指先が細かく震えていた。
それは
「もう、私とは会わない方がいい。これ以上は……貴方の為にならない」
この別れが
「なんでや! そんな事あらへん。俺はええねん! 紅さんが誰を好きでも、愛してても。紅さんを支えられるんやったら。その為に俺は……」
彼女にとっても
「私は貴方に十分助けられた。今まで、ありがとう。あの映画を見て、貴方はもう大丈夫だって……安心した」
その身が引き千切れるほど
「紅さん!」
酷く酷く
「さよなら」
辛いものだって物語っているようだった
車のドアが閉じられる。
「嫌や! なんでや! なんでや! わからへん! 紅さん!」
蒼汰の悲痛な叫びはもう、あの陽炎の横顔には届かない。
奴の真っ直ぐで、強くて、揺るがない想いを振り切るように車が出て行った。追随を許さない無慈悲なほどの速さでその姿は遠く小さくなっていく。
「なんでや……」
蒼汰が膝をつき、力なく地面に蹲る。不意に振り上げた拳には、名前のつけられない痛みが握りしめられていた。奴は何度も何度もその痛みをぶつける様に、アスファルトに拳を打ちつけた。
「蒼っ」
駆け寄ろうとする藍の手を、俺は引っ張る。
俺達が簡単に入れるもんじゃない。ましてや慰めるなんて事なんて。
アイツは、この彼女を一目見た瞬間から、自分のすべてを投げ打って彼女を支えてきた。俺達の知らない苦しみも、悲しみも、葛藤もみんな乗り越えて、たった一人の女性のためだけに走り続けていた。そんなアイツに、俺達がかけられる言葉なんてあるはずがない。
できるのは、黙ってアイツの帰れる場所を作って待って置くくらいだ。
「行こう」
金木犀の香りは濡れたアスファルトに落ちたアイツの涙さえ、優しく包みこんでいた。
その日一日、蒼汰がサークルに戻ってくる事はなかった。映画の上映も喫茶の方も、去年の経験がある二年が頑張ってくれたおかげで、大きな混乱はなかった。
俺達三年には自由時間が一切なくて、学祭を見て回る余裕など微塵もなかったが、その忙しさのおかげで気持ちを塞がずにいれたような気がする。
最後まで残って片づけをしながら、明日は出てくるだろうか。アイツの蹲った背中を思い出しながら、深くため息をついた。




