夏の夜に散った橙 3
祭りの後はいつもどこか寂しい。結局祭の間は藍には会えず解散した。行きと違って、口数の減った俺たちは、本当に花火が消える様に静かに別れた。
家に帰ってから、携帯画面を睨みつける。扇風機の低い音だけが支配する部屋。
メールくらいはしてもいいだろうか。でも、もしかして…蒼汰にはメールがあったっていうことは、俺は避けられているのか?気になって送信履歴の自分の文面を読み返す。だたの挨拶文のような内容に、彼女を不快にさせる要素を見いだせない。なら…特に返信がないのは意味がないのだろうか?でも、そんなに楽観視しても…。そんな事を考えているとき、急に掌の中で携帯が鳴った。
一瞬驚いて取り落としそうになる。この着信音は…藍だ!俺は急に緊張が走る頬をひきつらせながらボタンを押した。冷静を心がけ、電話に出る。
「はい。園田です」
「青くん?こんな時間にごめんね。藍だけど…」
声を聞いたとたんに心臓が飛び跳ねた。息苦しささえ覚えて、思わず正座する。
「どうした?」
「ん…用事があって、お祭り間に合わなくてごめんって…伝えたくて」
彼女の話し声の後ろは何やら騒がしい。
「気にするな。用事なら仕方ないよ。それより今、どこ?」
「ん…駅。今から寮に戻るところ」
時計を見上げる、もう10時…いくら駅前で人が多くても、女性が独り歩きするには安全ではない時間だ。
「な、少し待てる?迎えに行くよ」
「え…でも」
「10分で行くから。いいな」
断られるのが怖くて、俺は強引に電話を切ると部屋を飛び出した。
会いたい…それしか頭になかった。
自転車のペダルを思いっきり踏み込む。本当なら駅までは自転車で20分はかかる。でも、こんな時間にそんなに待たせられない。熱帯夜のまとわりつくような暑さの中、俺は必死に自転車を走らせた。
今までの自分じゃ、こんな時間に誰かのために必死に自転車をこぐなんて滑稽な行動は考えられなかった。でも実際、今、俺はただ彼女に会いたい…それだけの感情で動いている。走らせながら、花火の光に照らされた蒼汰の横顔と、自分の手を握った桃の細い指を思い出す。
そして…ようやく俺は自分が彼女に御影藍に恋をしているのだと認めた。
駅に着くと、彼女は大きな鞄を足元に置いて佇んでいた。急いで駆け寄ると、この暑さを忘れさせるような涼しげな笑顔で迎えてくれた。
「すごい!本当に10分で来ちゃったね」
「約束は…守るって」
上がる息を整えながら自転車を降りた。
彼女は花火よりもきれいな目で俺を見上げる。
「たった二週間ぶりなのに、すっごく久しぶりみたい」
「そうだな」
同じ感覚だった。それだけのことでも嬉しくなる。
俺は彼女に聞きながら自転車に荷物を積むと、寮に向かい肩を並べて歩き出した。彼女は相変わらず元気で、旅の疲れを感じさせなかった。帰省中の事やさらに父方の実家の山口に行ったことなど、楽しそうに話すその横顔は、見ていて飽きない。
「ところで、花火、どうだった?」話を振られ。一瞬ドキリとする。
俺は取り繕うように笑う。
「綺麗だったよ。まぁ楽しかったんだけどさ。蒼汰は部長と紅先輩を見つけて以来テンションおとしやがって…桃は…」
少し考える。掌に握られた感触が蘇った。
「浴衣、可愛かったよ」
なんとかそれだけをいうと、藍は少しさみしげな顔をした。
「そっかぁ…」
沈黙。
やばい。こんな空気にするつもりじゃなかったのに。心の中で舌打ちした時、前方に明かりが見えた。よく使うコンビニだ。俺は良い事を閃くと、彼女を振り返った。
「ちょっと待ってて!」
自転車を止めると急いでクーラーのきいた店内に飛び込んだ。
数分後、コンビニから出てきた俺の手には、小さな花火セットが握りしめられていた。自分で、蒼汰みたいな子供っぽい行動をとってしまったことに、恥ずかしくなる。でも、彼女が喜ぶ顔がどうしても見たかった。
「今から、花火しない?俺と二人で、こんな小さいのじゃ、ちょっと物足りないかもしれないけど…」
俺の顔をキョトンと見つめる彼女の口元が、みるみる緩んだ。そしてそれに手をあててクスクスわらうと「ありがと」そういって頷いた。
俺たちはそのまま、寮の近くの公園に向かった。火消し用のバケツの代わりに、コンビニで買ったクッキーの缶からクッキーを取り出して水を張る。
「手持ち花火なんて、本当に久し振り」
藍はそう言ってほほ笑むと、カラフルな花火を一本選んだ。
「じゃ、つけるよ」
ライターで火を灯す。
じりじりと紙の焼ける音がして、焦げくさい匂いに次いで火薬の香りがしてきた。暗闇に光が生れ、その鮮やかな色彩は目を輝かせる彼女の顔を照らし出した。
「わぁ!キレイ綺麗!青くん、早く!!次つけなきゃ!!」
「あ、あぁ。そうだな」
ロウソクがないものだから、火が消えていまう前に新しい花火に火を移す…炎のリレーでつなげていかないといけない。
「ほらっ!消えちゃう!」
「待てって」
俺は慌てて違う花火を彼女の炎に近づける。
弱まる明かり…しかしすぐに新たな花火に火がついて、闇を照らす明かりは再び息を吹き返す。
俺たちはそんな調子で、二人の割に騒ぎながら炎を途絶えさせることなくすべてに火をつけた。
残ったのは二本の線香花火。さすがにこれはリレーで点けるわけにはいかない。藍と俺は一本ずつ持ちながら、肩を並べて座った。
吹き抜ける火薬の匂いを孕んだ夏の夜風に、すぐ傍の彼女の髪が揺れる。手を伸ばせばすぐに触れられそうな…彼女の柔らかそうな頬。俺は急に緊張してきて、線香花火を手持無沙汰に見つめた。彼女はそんな俺の様子に気付きもせず、線香花火の紙の部分をくるくる回しながら、愛らしい大きな目でこちらを見上げた。
「ね、青くんは、線香花火する時…どんな事考える?」
「どんなって…そう、しょっちゅうするもんじゃないからな」
こんな時に限って、突き放すようなことしか言えない自分が情けない。藍は困った顔で笑い
「確かにそうだけど…。私はね、占いをするんだ」
そうして、そっと自分の線香花火と俺のに火をつけた。
「最後まで落ちなかったら…願いが叶うって」
「へぇ…」
そう言われると、思わず口を噤んで真剣に線香花火を見つめてしまう。
小さな橙の塊は、やがて適当な大きさに丸くなり…爆ぜるような小さな華を咲かせ始める。
「青くん、何かお願いしてる?」
秘密を囁くような声。願い…俺はそっと真剣に花火の先を見つめる彼女を伺い見た。願いならそうだ…君に、もっと近づきたい…。
「あぁ。してるよ」
俺は短く答えると、爆ぜる炎が勢いを失い、柳のようにその形を変えていく様を見詰めた。それは彼女も一緒で…。
「このままだと、二人ともうまく行きそ…」
そう彼女が言った時だった。風も何も吹かないのに、二人同時に橙に輝く小さな願いの塊を地に落としてしまった。
「あ…あ〜あ」
彼女は残念そうに溜息をつく。
俺は苦笑しながら「ま、何事も簡単じゃないってことかな」そう背中を叩いて立ち上がった。片づけを始めようと背を向ける、しかし、藍はまだ寂しげに消えてしまった花火が残した白い煙を見つめていた。
「…そんなにへこむなよ。どんなお願いしたんだ?」
何気に聞いただけだった。けど、彼女は小さな声で…こう言った。
「恋が成就しますようにって…お願いしたの」
心臓が止まるかと思った。鋭い痛みに、彼女の丸まった背中を見つめる。え…どういう事?それは、藍が誰かに…ただの占いでもこんなに落ち込むほどに…恋してるっていう事?
「あ…ごめんね。手伝うね」
藍は我に返ると、慌てた様子で花火の残骸を片付け始めた。俺は、その横顔に何も言えなかった。
彼女を送った帰り道…自分についた花火の煙に、苦しい痛みを覚え…あんなに会いたかったのに、会いに行った事…それ自体を後悔した。来週からは学祭用の映画の製作が始まる。10月末まで…カメラマンの俺は、結局演者になった彼女を、いやでも毎日追わないといけなくなる。
彼女が好きな相手…誰なんだろう。
胃のあたりが熱くなるのを堪えながら、願いが白く消えた夏の夜空の下を、一人自転車を押しながら考えた。