優しい朝は浅葱色 4
六月もあっという間に過ぎ、その日は来てしまった。
三宮教授のこだわりらしいが、帰ってきたらすぐにサークルも七月前半にある前期テストに備え休みに入ってしまうことになっている。たぶん誕生日の日が藍や桃に会えるテスト前では最後の機会になるのだろう。
駅の改札で一瞬足がすくむ。故郷に向かない足は本当はもう、回れ右をしてあの居心地のいい場所に帰りたがっている。
『大丈夫』
藍の声が背中を押した。
そして、俺は久しぶりになる帰省の途についた。
地元へは、新幹線と在来線を乗り継ぐ。
あの町を離れるにつれ、心が静かに痛み出し、その町が近づくにつれ、心が静かに疼きだした。
地元の駅に足をおろすと、梅雨空の雨の匂いがした。高校の時に通い詰めたその駅には、たいした思い出なんか一つも見当たらなかった。確かに時間を埋めるだけの友人ならいる。寂しさを紛らわせるためだけの彼女という役目の女もいた。けど……
「青!」
「?!!」
振り向くと、俺はその影に目を見開く。大きな手を振るその影は、俺がこの世でもっとも嫌う、その人だった。
「兄さん」
兄。園田碧は満面の笑みを浮かべて駆け寄って来た。後ろに見知らぬ女性を従えて。
「雨降りだから、迎えに来たぞ」
「え」
時間なんかいってなかったのに。そう、戸惑う俺の表情だけで兄はすぐに察して
「なぁに、新幹線の本数はそんなに多くないからさ」
嘘だ。たぶん。時間の許す限り、俺が出てくるのを待っていたのだろう。彼はそういう人間だ。
体の大きい兄の後ろで、遠慮がちに少しぽっちゃりした、でも優しそうな女性が遠慮がちにこちらを見ていた。
「あの」
「あ、あぁ。緑さん。紹介します。これが弟の青で」
兄は落ち着きなく彼女の背中に手を回すと、俺の方へと少し押した。緑と紹介された女性は、恥ずかしげに頭を下げる。
「あの。六甲緑と言います。はじめまして」
「園田の弟の青です」
俺も形ばかりの挨拶をする。一番この場で嬉しそうな兄は、ひときわ大きな声で
「やぁ〜。この人が、その」
「僕のお義姉さんになる方だね」
「そうなんだよ〜」
その体格に似合わず、顔じゅうに幸せをこれでもかって言うくらい浮かべて頭をかく。明後日結婚するんだろ。弟に紹介するくらいで照れるなよ。
「ま、立ち話もなんだ。さっそく飲みに行こう!」
「あ、私はここで」
小さな声が兄を引きとめる。兄はすぐにわかった顔で頷き、
「付き合ってくれてありがとう、緑さん」
緑さんは首をふる。美人じゃないが、その穏やかで少し母に似た目元で微笑む。
「私も、弟さんに会いたかったから」
そして、その目で俺を見た。
「碧さんの、自慢の弟さん。式の前に会えて嬉しかったです。今度、ゆっくりお話しましょうね」
「あ、はい」
それ以上は何も返事ができなかった。自慢?兄が自分を?ピンとこなかった。
「緑さん!それは内緒ですよ!!」
兄がおちゃらけた様子で自分の口に指をあてると、
「じゃ、また」
「ええ」
二人だけの言葉の要らないサヨナラを交わした。兄は緑さんを、見えなくなるまで見送る。
「良い人だろ?」
正直、良く分からなかった。
少なくとも外見は好みじゃなかったし。でも、短い会話の中でも彼女の人の良さは伝わって来たような気がした。
「そうだね」
短く答える。兄は途端に破顔した。
「よかった。お前に気に入ってもらえて。さ、飲みに行こう」
兄は俺の荷物を奪い取ってしまうと、他方の腕を俺に回して歩き出した。
やっぱり苦手だった。自分と何もかもが違う、この人は。でも、逃げないって誓ったんだ。藍のあの言葉に。
俺には待っている人がいる。
俺は走り去りたい衝動を抑えて、昔のような「良い子」の仮面を被った。




