銀色の光と時間 9
『どうして、そんな哀しい顔をするの?』
『哀しい?嬉しいんだよ。実花が自由になれて』
『そんな。お兄ちゃんはずるいわ。いつだって一人で先に行って、私を置いて行ってしまう。私はずっと……』
『駄目だよ。それ以上口にしたら駄目だ』
『お兄ちゃん』
「あ〜!やっぱ駄目ですよ!」
俺は皮膚の内側からこそばされるような気持ち悪い感覚に鳥肌を立てながら台本を置いた。そして読み合わせの相手を軽く睨みつける
「どうして読み合わせの相手がおっさんなんですか」
「俺は仮にも教授だぞ。おっさんとは失礼な」
三宮教授は口を尖らせて反論した。横で聞いていた蒼汰と春日はこらえきれずに噴き出す。
「あははは。ここまで気持ち悪いと、大根の青じゃなくても演技できへんよなぁ」
「おい、顧問になんてこと言う。だいたいだな、こんな武士の風上にもおけないような奴の相手何か、俺で十分なんだ」
意味がわかるようなわからないような事を言うと、台本を持ったまま腕をくんでこちらを横眼で睨む。
「そうやんな。せっかく教授が絶好のチャンスを作ったって言うのに。お前はアホじゃ」
そう、彼らはあの日、藍を一晩泊めたくせに結局何にもしないで帰した俺を責めているのだ。今はオリエンテーションで藍や桃、他の二年や新入生がいないのをいいことに、言いたい放題だ。
「俺は哀しいよ。こんなに健康で、体格にも恵まれ、イケメンなのに、実は据え膳も食わないヘンタイだったなんて」
教授は演技がかった口調で肩を落としてみせる。
「もしかして、先輩。まだ……」
春日が馬鹿にした目でこちらを見る。スミレと付き合いだしてから、多少風当たりは柔らかくなったのに、最近は何故か上から目線だ。
「馬鹿。お前と一緒にすんな」
「え?青の初体験っていつなん?」
「そんなもの。こ……」
蒼汰のタイミングの良い質問に答えそうになって、はっとする。
「どうして教えないといけないんだよ」
「え〜。いいやん〜。今『こ』っていったやんな。じゃ、高校?1年?2年?それとも…」
「最近のガキはませてるなぁ」
面白いがって教授も煽る。どうして、野郎が集まると、こんな話ばっかになるんだ?中学生じゃあるまいし。肩をゆする蒼汰を無視して、春日を見た時だった。
何故か春日が真っ赤な顔をして震えている。
「どうした?」
風邪でもうつしたか?顔を覗き込むと、春日はせっぱつまった顔をあげ
「あの。やっぱり大学二年にもなってまだって、変ですか?」
「はぁ?」
静まりかえる部室。
あ。俺がさっき言った何気ない一言をこいつは気にして……。
「え、あ、変って事は……なぁ?」
こんな所でこんな暴露されても困る。俺はうろたえて蒼汰にふる。蒼汰も顔をひきつらせていた。
「そうそう、早けりゃええってもんでも……ね、教授」
教授にパスする。教授も引きぎみに薄笑いを浮かべながら
「あ、ま、まぁ。お前には芦屋がいるんだし。焦る事は……」
「相手がいるから困ってるんじゃないですか」
俺たちは閉口する。
正直、勝手にやってくれ。そう投げ出したい気持ちだった。ま、こいつらの付き合いも順調ということなんだろう。
俺は肩をすくめると無責任に
「ま、頑張れよ」
そう、春日の背中を叩いたのだった。
「あ、それはそうと。読み合わせ!」
蒼汰が場の雰囲気を変えるようにそう声を上げる。
「おぁ。そう、そうだな。こいつの大根ぶりはひどいもんな」
「すみませんね」
「よし、俺がここは一肌脱いだる」
蒼汰が弾むような声で台本を教授から奪った。俺は辟易して
「だから、野郎じゃいくらなんでも」
「ええからええから。もう、青は今日は帰り」
「?」
蒼汰はいたずらっぽく笑うと、無理やり俺を部室から追い出した。
家に帰って台本をぱらぱら捲る。
始めはカメラ班にも入る予定だったのに、役の方がうまくいかなくて、今は外されていた。
最後の作品。カメラを構えたいのに。
カメラの前で演じるのは本当に少ないが、今日練習していたようにナレーションみたいに声だけの部分は割りとある。こっちの撮りが終わればカメラに戻っていいとの事だが…それがなかなかうまくいかない。
「はぁ」
台本を睨んでも仕方ない。気分転換にでも買い物に行くか…。台本を丸めて後ろポケットに差し込み上着を引っかける。若葉の季節には今夜は肌寒かった。
どこのコンビニにするか考えながらドアを開ける。
「きゃっ」
「あ、すみません」
廊下の誰かにぶつかったかと思い慌てて見ると
「桃」
そこにはしりもちに顔をしかめる桃がいた。
「ごめん」
「ううん」
手を引いて立たせると、桃は苦笑いをやめて
「これから出掛けるの?」
「あ、いや。飯でも買いにコンビニに……。桃こそ、何か用?」
「ん」
少し話しにくそうに口ごもると
「ま、とりあえずコンビニ行こ」
そう濁して階段へと歩き出した。
もしかして、練習相手に蒼汰からでも頼まれたのか?ふと考える。だとしたら、わけがわからない。藍を寄越したり、桃をけしかけたり…何にしてもお節介だ。一度話す必要があるな。
そんな事を考えながら鍵を閉めてるうち、桃が見えなくなった。
「桃!?」
慌てて俺は彼女の背中を追いかけた。




