茜色の空の下で 2
着なれないスーツに身を包んで臨んだ入学式は、想像以上に賑やかだった。各サークルの勧誘が校門から式典のある会場にズラリとひしめきあい、誘う方も誘われる方も、勧誘が目的なのかそうやって騒ぐのが目的なのか分からないくらいの盛り上がりを見せていた。
こういった渦中に飛び込むには苦手だが、離れたところで眺めている分には嫌いじゃない。式典までの時間、そういった様子を式典会場になる講堂の二階から眺めていた時だった。
「あの」
背後から声。一瞬、河原の彼女かとも期待したが、振り返ると見知らぬ女性だった。服装からして同じ新入生のようだが、もしそれを差し引けば中学生くらいにしか見えない顔立ちだ。
「なにか?」
「あの、文学部の席はどちらでしょうか?」
どうしてそれを俺に聞く? 疑問に思ったが、視線を巡らせると係員らしき人の姿が近くにあった。あぁ、俺を係員に間違えたんだな。面白い。俺は内心でにやりとほくそ笑むと「こちらに」俺は知らない顔をして、その童顔の彼女と一緒に階段を降りた。
「こんなに、広くて人が多いって思わなかったものですから。すみません」
「いえいえ。迷う方は結構いるみたいですよ」
彼女は完全に俺を係員だと信じて疑っていない様子で、気さくに話しかけてきた。俺はますます面白くなってきて、そのまま二三言かわしながら席に案内した。
「はい、こちらに」
「ありがとうございました」
頭を下げる彼女に、俺は肩をすくめて見せた。
「ま、同級生同士、助け合いってことで」
「え?」
つぶらな瞳を瞬かせた、そして徐々に頬が赤くなってくる。
「え、えぇ! 係員の方じゃ」
「俺は経済学部の園田。そんなに老けて見えた?」
「はい。あ、いいえ。すみません!」
彼女、たぶん天然だ。俺は吹き出すと、時計を見上げた。
「そろそろだし。じゃ、行くね」
「あ、ありがとうございます。私は西宮桃と……」
その時だった。集まり始めた人ごみの中に、御影さんの姿が見えたのは。ざわつき始めた講堂内でよく聞こえないのも手伝い、勘違いの彼女の声は俺の耳にはほとんど届いていなかった。
彼女だ! 河原の、あの子だ!
俺は御影さんを見失わないように視線を止めたまま、西宮さんに気もそぞろに軽く手を挙げる。
「あ、じゃあ」
そして御影さんに向かって人ごみをかき分け始めた。式典が終われば、学部毎の説明会への移動がある。だからできるなら今、話しかけておきたかったのだ。
「御影さん!」彼女の後姿に声をかけた。
「園田君!?」
俺の名前を口にしてふり帰った彼女は、桜色のスーツに身を包み、春風のような笑みを浮かべていた。
俺はそんな彼女を目の前に、一瞬なんと言っていいかわからなくなった。御影さんは言葉に詰まった俺を見上げる。
「スーツ、似合いますね。見違えちゃった」
「そうかな」
やはり何故か彼女は緊張する。
「それより、写真……」
鞄に手をかけた時、着席のアナウンスが流れた。
彼女は周りを見回し
「あ。時間みたい。そうだ、待ち合わせしよっか。説明会終わったら、校門で」
「わかった」
何気にため口になったのに、思わず笑みをこぼしながら頷いた。
次につながる約束。悪くない展開だと思った。
文系の学部と行っても、文学部や英文に比べて、経済学部は男子の割合は大きい。俺は適当に男子が固まっている辺りに腰をおろした。
座ったとたん、隣の奴が声をかけてきた。
「初めまして。同じ学部やんな」
ここに座っているのだから当たり前だろ。と肩越しに相手を見た。人なつっこそうな顔立ちのそいつは、大きな目を細めこちら見ている。足元にはサークル勧誘のチラシが山になっていた。
「俺、梅田蒼汰ヨロシク」
何の躊躇も恥じらいもなく差し出される手に、こっちが恥ずかしくなった。奴は強引に俺の手を握ると、失礼な位の品定めを口にする。
「兄ちゃん、なかなかのイケメンやん。流行りの眼鏡男子ってやつ? 出身どこ? 同じ歳やんな。せや、名前は?」
矢継ぎ早の質問に、この席に座ったのに俺は激しく後悔した。せめてペースに飲まれない様にと咳払いする。
「園田青。埼玉出身。あんたが現役合格なら歳は同じだな」
聞かれた事だけにさっさと答え、無視するように前を見据えた。俺はこういう馴れ馴れしい距離の近い奴は苦手だ。できるだけ話しかけるなという雰囲気を出すが、稀にその雰囲気を乗り越えてくる人間もいる。残念ながら奴はその種の人間だった。
結局奴は式典中、ずっと話しかけてきた。一体俺の何が気に入ったのか、学部毎の説明会にも隣にはりつき、終わる頃にはすっかり呼び捨ての『友達』にされていた。
「青はサークル決めた?」
説明会が終わり、気持ちが待ち合わせの場所に向かう俺に梅田は尋ねた。俺は冷たい目で首をふる。
「別に。梅田くんは選択肢が多そうだね」
たくさんのチラシに皮肉をぶつける。だけど、皮肉すら通じないのがこういった輩の羨ましい所だ。
「蒼汰でええってば。俺は、もう決めてるで」
蒼汰は俺を見つめ
「映画部や。なぁ、これから見にいかへんか」
「遠慮する。人と待ち合わせしているから。じゃ」
きっぱり断り背をむけた。蒼汰が後ろで何か言っている。これ以上関わりたくない。俺は適当に流すと校門へと急いだ。
校門に向かう。遠くからでも彼女の春色のスーツはすぐに見つけることが出来た。
「ごめん、待った?」
背中から声をかけると、彼女は柔らかい笑みで振り返り首を横に振った。
「さっき来たところ。説明会、どうだった? なんだか高校と全然違うから、混乱しちゃった」
そういう割には明るい声だ。たぶん新しい生活の始まりに少しテンションが上がっているのだろう。
「俺も。でも、選択科目だと、結構そっちと重なるの多そうだな」
「うん。あ、そうだ! 良かったら探検を兼ねて、学食に行ってみない?」
「いいね」
俺は迷わず頷いた。
俺たちは説明会の内容や、選択科目や新生活についてあれこれ話しながら食堂に向かった。 場所は事前に来ていた時に覚えていたので迷いはしないが、とにかく今日は人が溢れていて、簡単には前に進めなかった。それでも、彼女と話していればそういった遅遅とした人の流れも気にならなかった。女のお喋りは好きじゃなかったが、不思議と彼女とは話のノリがあって、会話は心地よかった。話しながら、彼女はこの大学の寮で二人部屋なこと、バイトをしようか迷っていること、サークル見学はどうしようか。と先日と違って、今日は色々聞かせてくれた。こちらの事もいくつか質問され、一人暮らしを始めたというととても羨ましがっていた。
「ね、カメラ、趣味なの?」
ふと思い出したのかそう訊いてきた。
そうだ、食堂についたらあの写真を渡そう。そう思いながら頷く。
「良い趣味ね。どうして好きなの? 誰かの影響?」
他意のない質問の筈だった。だけど、俺は一瞬口を噤む。何故なら、俺が写真を撮るようになったのは……。
「レンズの向こうには自分はいないから」
「え?」
彼女が不思議そうに瞬きをした。俺はすぐに誤魔化すように笑ってみせる。こんな意味、別に人に話すことじゃない。
「特に意味はないってことさ」そう軽く話を濁した。
そうこうするうちに食堂が見えてきた。自販機でもないか周りを見渡している時、無神経な大声が後頭部に直撃した。
「なんや、青。もう彼女ゲットしたんか?」
隣に座っていたアイツだ。無視を決め込みたかったが、彼女の方が反応してしまい、困った顔で足を止めてこちらを見上げた。俺はイラッとする気持ちを押し殺し、ゆっくり振り向いた。
「そういう言い方されたくないね。彼女とは……」
言いかけて困った。何と言えばいいんだろう?
俺の顔をみた蒼汰は首を傾げ、からかい半分ににやつきながら歩み寄ってきた。
「こんな可愛い子、どこで捕まえたん?」
「だからお前こそ、サークルのぞきに行くんじゃなかったのか?」
なんとか話をそらそうと話題をふると、蒼汰は待ってました、と言わんばかりに目を細めた。
「今から行くところや。どう?そっちの彼女、映画好き?」
「え、まぁ」
急に話を振られ戸惑う彼女は、それでも頷いて見せた。
それを見て蒼汰は満足げに頷くと
「じゃ、決まりな。一緒に映画部にGo!!」
そういって、強引に俺の腕を掴んだ。