緋色に染まる片想い 3
夏合宿の頃には、俺とスミレが本当に付き合っているんじゃないかと、部内で暗黙の了解になっていた。否定するのも間が抜けていたし、スミレ自身が自分は彼女ではないのを自覚している所があったから、俺は捨て置く事にしていた。
合宿は大学からそう遠くない海辺の町だった。ユースに5日間だけのステイになる。
俺は窓から入り込む夏の夜風が届ける、どこからかの風鈴の音に耳を澄ませながら合宿の準備をしている時だった。玄関のチャイムが鳴る。時計を確認すると良い時間だ…一体…。
「はい?どちら様で…」
訝しながら玄関を開けた時だった。強引に足が挟まり、ドアを閉じれない様に手がかけられた。見ると、知らない黒髪の女…
「私を捨てたわね…赦さない…赦さないわ…」
低くぐもった声。ドアをこじ開けようとする力は、女の物とは思えない!
「何だよ」
「他の女になんか渡さな〜い」
ガンガンと扉が音をたてる。しかし、そいつは怯む気配すらなく…
「いい加減にしろっ」
俺は逆に思いっきり扉を開いた。相手は勢いあまり転倒する。その長い黒髪がずるり、肩に落ち…
「何のつもりだよ」
俺は腕を組んで相手を見下ろした。
「蒼汰」
「あれ?ばれとった?」
蒼汰は苦笑すると小道具の鬘を拾い上げる。
「やっぱし役者はむいてへんな」
「それより何だよこんな時間に連絡もなしに」
ムスッとする俺に奴はニヤリとすると
「今夜なら逃げられへんと思てな。邪魔するで」
俺の肩を軽く叩き勝手に部屋に入って来た。やられた…俺は舌打ちすると、肩をすくめた。 蒼汰は俺の部屋に上がり込むと、大きな荷物を降ろした。
「泊るつもりか?」
「ええやん〜。明日早いんやし、その方が合理的やろ。ほら、酒も持ってきてやってんから、泊めてや」
蒼汰は胡坐を組むと、勝手に自分の持ち込んだものを広げ始める。だから…どうして、こいつはこんなに無神経に人の懐に入り込もうとするんだ?俺はいらついて、テーブルの上のビール缶を取り上げた。
「お、青はビールからか?」
「何のつもりだよ」
睨む俺に、蒼汰は涼しい顔で
「それはこっちのセリフやで。ま、聞きたい事も山ほどあるし…興奮せんと座れや」
まるで自分の家の様にふるまうと腕を引っ張り、俺は無理やり座らされてしまった。蒼汰はプルトップをあげて、こっちによこす。受け取るのも癪なので無視すると、苦笑して俺の前に置いた。
「乾杯ってのも変やけど。久しぶりの再会にかんぱ〜い」
蒼汰は自分の缶をつけると、一口ビールを流し込んだ。
「それ飲んだら帰れよ」
「なぁ、スミレちゃんとは付き合ってんのか?」
俺の言葉を無視した。蒼汰はじっとこちらを見る。俺はため息をつくと
「別に…スミレがそう言ったのか?」
「いや、本人はまだだって言っとった」
訊いたのか。俺は居心地の悪さを誤魔化すように、ビールに手を伸ばす。
「なぁ。どないしたんや?俺達、なんか気に障ることしたか?スミレちゃんの事も…付き合ってないのにあんなの生殺しやで」
「お前に関係ない」
ビールはすぐになくなった。空になった缶を机に転がすと、蒼汰を見据える。
「あのなぁ…心配したってんやんか。桃ちゃんもお前も…水くさいで」
桃の名前を聞くと、胸が痛んだ。ちょうど蒼汰が座ってるあたり…そこにあの日、彼女は座っていて…。
「藍ちゃんの事は、もうええんか?」
蒼汰があの日の桃に重なる。どうして、俺の中に入って来ようとするんだ。もう…ほっておいてくれよ。
「俺はお前に何も頼んじゃいない。お節介もいい加減にしろよ。それに…」
また、残忍な自分が顔を覗かせる。そうだ、こいつだって傷つけてしまえば、俺の前から姿を消す。そうすれば、俺は自由だ。
「人のこと、とやかく言えないだろ。いつまでも女々しく他人の女追いかけ回してさ。いい加減、目を覚ませよ。お前が惨めになるだけだろ。こっちが見てられないっての」
「青…」
蒼汰の顔色が変わる。
ほらな…やっぱり、こいつだって…。俺に背を向けろよ。早く…。そう、俯いた時だった
「ぷ…なんやそれ。あはははは」
蒼汰が笑いだした。
そして、俺の頭をぐりぐり撫でると
「お前、俺の事、そんな風に心配しとったんか。ほんまに…」
蒼汰は一通り笑うと、涙目で俺を見た。
「あんな、俺は別に周りにどう見られてもええねん。紅先輩を好きな気持は、ほんまもんやからな。青は…ほんまに、かっこつけやなぁ」
「なっ」
かっとした。
俺は反論の言葉を探すが、すかさず
「塚口先輩が言うとった。青は寂しがりのくせに人間を怖がってる野良猫みたいな奴や。ああ見えて、人一倍コンプレックスを抱えてるんちゃうかってな」
俺は唇を噛む。塚口部長は相変わらずだ。蒼汰は落ち着いた目で俺を諭すように話す。
「あんな。女と男の友情って正直、難しいかもしれへんけど。俺くらい信じろや」
蒼汰はそういってほほ笑むと、頭を撫でる手を止めて、またビールを差し出した。
「お前、自分の好きな所ないんか?言うてみ?」
俺は無愛想に差し出されたビールを受け取るが目をそらす。すごく嫌だった。人に知られたくない部分をずけずけ言い当てられて、さらされるのが…でも…。
「言われへんのやったら、俺が言ったる。朝まででも、一日中でも」
それ以上に、塞いでいた心は温かく軽くなっていくのが、不思議と心地よくて…。
「だから、友達を自分からなくすようなアホは真似はやめとき?俺は青のアホな所知ってても、友達やで?」
俺は肩の力を抜くと、久し振りに笑った。そして、ビールで蒼汰の額を小突く。
「お前、ほんまにアホやな」
俺のぎこちない関西弁に、蒼汰もほほ笑んだ。
その夜、俺と蒼汰は結構な量の酒を飲んだ。蒼汰の持ってきたのがなくなると、俺の家にあったワインや焼酎を開ける。さすがの俺も、酔いがまわって来て、ろれつの回らない舌で蒼汰に
「だいたいさぁ。紅先輩のどこがいいんだよ」
そう聞くと、蒼汰も大概赤いくなった顔で
「一目惚れ…それに尽きるな。こう、ハートにずば〜んっと、なんやろ。もう、絶対、この人と一緒にならなぁアカンって、お告げが下りたみたいな」
そう、大げさなリアクションで手を掲げる。
「馬鹿。神崎川先輩がいるだろうが」
ふと、蒼汰を見つめる藍の切ない瞳を思い出した。応援なんてしてやらないさっさと蒼汰に振られてしまえばいい思いっきり傷ついて…泣いてそんな想いにピリオドを打ってくれたらそしたら俺は…綺麗事抜きで、本気でそう願う自分がいた。卑小だとは自覚している。それでも…。
「ま、俺のライバルにするには不足ない相手やな」
蒼汰の声に我に返る。
こいつみたいに、素直に爆走できたら気持ち良いだろうな。なりふり構わず、自分の気持ちを貫くこいつが、俺には羨ましかった。
「お前の方に不足ありすぎだっての」
俺がすまして言うと、ボトルを空けた。アルコールに視界が霞んでくる。
「それにしてもさぁ…青って、その外見反則やんなぁ。俺が女やったら惚れてるわ」
「やめろよ、気持ちの悪い」
顔をしかめる。
春日にしたってそうだけど、この外見…半ばコンプレックスにすらなりつつある。こんな見てくれのせいで、色々誤解を受けるんだ。
「別に得する事なんかないよ」
「そんな、素直に自慢にしたらええやん」
蒼汰は机にもたれていた体を起こすと、肘をついてそれに自分の顎を乗せた。
「頭の良い奴、運動ができる奴、器用な奴…外見がええのも、なんかの才能みたいなもんやって。もっと堂々とせいや。俺がお前やったら、もっと自信もって好きな女にもアピるのにな」
物は言いようだと思った。一種の才能?そんな風に考えた事はなかったが…
「明日から、5日間も一緒なんやから、少しは頑張れよ」
「はいはい」
俺は肩をすくめると、ごろんと寝転がった。
心地よい眠りが訪れようとしていた。遠くでまだ、風鈴の音が聞こえていた。




