桜色の旋風 6
上着と鞄を手に慌てて外に出る。
春霞の夜は視界が良くない。遠くで桃の白いコートがフワリと揺れるのが見えたが、さっきの男の影はない。
見間違えだったのだろうか? いや、どちらにしろ、一人で帰すのは危険だ。 この店から彼女のアパートまでは、駅前を横切れば住宅街。この時間だと人通りは少なくなる。桃の足は怒っているからか、スニーカーだからか意外に早く、ようやく背中が見えた時、甲高く規則正しい警告音、駅前にかかる遮断機に掴まってしまった。
「くそっ」
行き交う電車に舌打ちをする。電車の明かりに浮かぶ人影が皆、行く手を邪魔しているように見えた。早く…とにかく追いつかないと。気ばかり焦る。とりあえず待つ様に携帯に電話しようと開いた時、遮断機が上がった。
俺は迷いながら携帯を閉じ、再び走り出した。駅前にはすでに桃の姿はない。店に寄っているならいいが、それならそれで、アパートに向かって居なければその時点で連絡をすればいいだろう。俺はあの白い羽のようなスプリングコートを探しながら、いつも送って帰るルートに向かった。住宅街に入り、人通りは一気に減る。
周りの物音に気をはりながら駆け抜ける。万が一何かあったら…それは俺の迂闊さのせいだ。少なからず桃の気持ちを知っているくせに、スミレの事やさっきの藍の変化に気をとられ失念していた。
角を曲がった時桃の背中が見えた!そのすぐ後ろにつく、黒い影!
「桃!」
俺の声に振り向いた桃は、黒い影に気がつき悲鳴もあげられずへたりこむ。
桃に手を伸ばしかける影
「こいつっ!」
俺はその背中に飛びかかった。俺は生まれてこのかた、格闘技は授業の柔道くらいしかした事はないし、体をはった喧嘩は皆無だ。
だけど、考える余裕なんかなかった。恐怖も躊躇も入る隙間はない。
倒れこんだ影に馬乗りになると、思いっきり腕を降り下ろした。相手がかぶっていた帽子が吹っ飛び、顔が露になった。
「!お前…」
その顔は…
「春日」
長い前髪の奥から俺を睨み付ける奴の顔だった。春日は纏わりつくような強い眼光で俺を睨むと、唖然とする俺の胸を突いた。俺は後方によろけるが、慌てて桃と奴の間に入り込む。
「お前…どうして」
春日が持っていた紙袋に手を伸ばした。何が出てくる…刃物だったら…。背筋に冷たいものが走り、喉が一気に干上がる。しかし、出て来たのは。
「これ…」
一枚のDVDだった。
「あ」
桃は心当たりがあるのか、声を漏らす。
「これ、西宮先輩に返そうと思って…」
「はぁ?」
脱力した。
俺は呆れ顔で春日の顔を見つめる。春日は俯くと
「声…どうやってかけていいか分からなくて」
「それで、ずっとつけてたのか」
春日は頷いた。
「学校で返してくれたらよかったのに」
桃は困った顔をしてこちらを見る。俺は全力疾走を重ねた上に、異常なまでに緊張していたから、すぐには怒る気力もわかない。
「学校じゃ…その。恥ずかしくて」
「それ、桃のなのか?」
俺の声に桃は頷く。
「うん。春日君がこの映画まだ見たことないっていうから、貸してあげたの」
なんだ…ストーカーって…。馬鹿馬鹿しい…そう思うと、だんだん腹が立ってきた。
「馬鹿が。お前のせいで桃は怖い思いしてたんだぞ」
俺は奴の手からDVDを奪うと桃に渡した。
「西宮先輩…すみません。こんなつもりじゃなかったんです」
頭を下げる春日。桃は俺の背中にまだ隠れながら
「良いよ。こっちこそ、誤解しちゃってごめんね」
「桃が謝ることないだろう」
俺は腕を組むと自分より背の低い春日を見下ろした。春日はじっとりとした視線でこちらを睨み上げる。
「こんなものくらい、とっとと返せばいいだろうが。たかがこんな事で、はた迷惑なやつだな」
「あんたにはわからないさ」
「はぁ?」
また突っかかって来た。
俺は一歩前に出るだが、春日は爪を噛みだすが今回は引かない
「コンプレックスも何もないあんたに、俺の気持ちがわかるもんか!あんたにとっては『たかがこんな事』かもしれない。だけど、俺には!」
太い指が握りしめられる。
「なんだ。それ…」
ひがみもいい所だ。こいつ、自分のやったことを棚に上げて、何を…。
こっちも拳に力が入りかけた時、桃が俺の腕を掴んだ。
「青くん」
振り向く俺に桃は首を振ると
「今回は、ちょっとびっくりしちゃった。今度からは、気を使わないで声掛けてね」
「…はい。すみませんでした」
優しく微笑む桃に春日は素直にもう一度頭を下げると帽子を拾い
「じゃ、失礼します」
とぼそぼそ言いながら去って行った。
「何だよ…」
俺は憮然としてその丸い背中を見送る。桃は春日を見送りながら
「でも、春日君の気持ち…少しわかるな」
「え?」
俺は思わず腕を解いて桃の顔を見た。
桃は寂しそうな笑みを向けて
「私も…藍ちゃんを見てる青くんには、声掛ける勇気ないもん」
わかっていたんだ。俺は黙りこむと目をそらした。
気まずい沈黙を誤魔化すように、散らばった自分の荷物を拾う。
「家まで送るよ」
背中を向けたまま言った。
「イヤ」
「?」
振り向くと、桃は白いコートを握りしめ
「家には藍ちゃんいるもん。会わせたくない」
「でも…」
戸惑い立ち上がる俺に、桃は駆け寄り抱きつく。
「もし…冷たくできないなら」
ふと、顔を上げた。それは悲痛なくらい、何かの覚悟を決めた目で…。
「私の為に、走って来てくれた気持ちが本当なら…青くんのお家に連れて行って」
それは…どういう意味かわからないほど、俺も馬鹿じゃなく…。誤魔化しを許さない強い瞳に返す言葉を探しながら、自分の気持にも問いかけていた。どうして俺はあんなに必死に桃を守ろうとしたのかを…。
「落ちつけよ…」
そう言うのが精いっぱいだった。俺は桃の頭をいつものように撫でると、体を離す。
「もう、妹じゃ嫌なの!私…このままじゃ…藍ちゃんを嫌いになっちゃいそうで…」
どうしていいか分からなかった。桃の事は嫌いじゃない。ただ、スミレのように思いっきり拒絶できずにいたり、こんなに必死になって守りたいとは思うが…。俺にとって、桃って何なんだろう…。
「わかった」
俺は桃の手を引っ張ると、自分の家に向かった。どんな答えが出るかはわからないが…わからないなりに、態度を決めないといけないと、そう感じていた。




