桜色の旋風 5
ゴールデンウィーク前、映画部は脚本の製本に忙しかった。去年までは脚本の班が担当していたから、大変さなんて知らなかったが、今年からはそういった雑事は班を超えてみんなでする事になっていた。
これも、結束を固めるための塚口部長の考えなんだろう。一度そういった、細かな改善の理由を尋ねると、部長は苦笑して「自分は神崎川先輩みたいに何でもできるわけじゃないから、凡人は凡人で、方法を考えただけだよ」と、言っていた。それは決して卑屈な感じじゃなく、どちらかといえば神崎川先輩と自分は違う。そんな当たり前のことを力まずに受け入れた、そんな感じだった。俺は、この決して目立とうとしないし、特に特徴があるわけでもないが、そいった塚口部長はむしろ神崎川先輩より信頼できる気がした。
「今日中に終わりそうやな」
蒼汰がホッチキス止めをしながら首をまわした。授業が終わってから、俺たち2年だけで製本のラストスパートにかかっていた。今日は部の最終オリエンテーションに行っている1年と3年がいないのだ。蒼汰は時計を見ながら
「すまんけど、俺、6時からバイトやねん」
「大丈夫。俺はバイトないから。先に帰れよ」
「すまないな」
蒼汰は2年になってからバイトを始めていた。桃は俺たちに申し訳なさそうに
「ごめんね」
小さい声で謝るが、俺は子供叱るように桃を軽く睨んだ。
「だから、お前が謝るなって」
「うん」
桃は困ったように笑った。
「じゃ、俺、そろそろ行くわ」
蒼汰が立ちあがった時だった
「あの。私も一緒していい? 買い物したいから」
おもむろに藍が席を立つ。一瞬目が合うが、それは以前のように桃に気をまわしているというより、彼女自身が……。嫌な気分になった。俺は目をそらせる。
「じゃ、店まで送ったるわ」
「うん」
頷く藍の横顔は、悔しいくらい綺麗だった。
二人になった部室で、俺と桃は何を話すでもなくもくもくと作業を続けた。と、いうより俺はさっきの藍の行動が気になって仕方なかったのだ。
今までの藍は、あんなに積極的に蒼汰に行かなかった。蒼汰に何があったわけじゃないのは知っている。だって、バイトを始めたのも、彼女たちには言ってないが、紅先輩のためだ。奴は相変わらず、あの着メロが呼べばどんな時もすっ飛んで行ったし、神崎川先輩とも映画の知識や技術を学ぶため、とかいって結構会っている。今回のバイトは、紅先輩の誕生日が近くて少しでも神崎川先輩より良いものを贈りたい、それだけの理由なんだ。つまり、相変わらず、蒼汰の目には、あの二人の先輩の背中しか映ってないわけで……。
「藍ちゃんね……」
「聞きたくない」
俺は桃の言葉を遮った。
桃は驚いて俺の顔を見る。決定的な言葉はまだ聞きたくなかった。わかっていても、それが言葉という形になれば、今以上に辛くなるのは目に見えていたからだ。
「うん」
桃は項垂れると、再び作業を続けた。
作業が終わったのは8時前で、とっくに日は落ちていた。
頭が少し冷えていた俺は、腹が減っているのに気がついて隣を歩く桃に「何か食っていくか?」何気に聞いた。
桃は浮かない顔をようやく綻ばせ、素直に頷いた。食べに行くといっても、二年目にもなれば定番の場所ができてくる。
俺たちは大学の近くのオムライスの店に入った。店内は夕飯時に賑わっていたが、ちょうど二人分の席は空いていて、顔なじみになっていた店員にいつもと代わり映えしないメニューを注文した。
「青くん、知ってる? ここのサークル。顧問の先生居るんだって」
桃はスプーンを口に運びながらそう言った。
顧問? 一年以上このサークルにいるが、見たことないぞ? 俺が首を傾げると、桃はオムライスを水で流しこんでから
「去年はアメリカに出向してたんだって。理学部の教授。面白いよね。理学部で映画部の顧問なんて。どんな先生なんだろ」
「想像つかないな」
素直に感想を述べた。
まぁ、一年もほったらかしにするくらいだ。そんなに指導に熱心ってわけじゃないんだろう。
「あ、そうだ。夕飯いらないって、藍ちゃんに連絡するの忘れてた!」
桃はひとり言のように言うと、携帯を取り出してメールを打ち始めた。そうか、一緒に住んでいるんだっけ。色々面倒じゃないんだろうか?
「藍は料理したるするのか?」
メールを送信し終えた桃に尋ねる。桃は携帯を畳みながら
「うん。上手だよ。青くんといい勝負かな」
「そうなんだ。藍は普段、家で何してんの?」
想像できなかった。いつも会うのは学校か誰かと一緒だから、普通の生活をしている藍っていうのは不思議な気がした。
「う〜ん。結構音楽聴いたり、本を読んだり。最近は一緒に映画のDVD観たりするかな」
「へぇ。藍ってどんな音楽聴くの? クラシックとか?」
「……普通に流行りのも聞くよ。ピアノしてたから、クラシックの時もあるけど」
なら、今度話ができるな。俺は流行りの曲には疎いけど、クラシックならたいていどのジャンルでも昔から好きだ。
「藍はさ……」
「もういい!」
いきなりだった。桃はスプーンを置くと、思いっきり俺を睨みつける。俺は意味が分からず、桃の顔を凝視した。
「藍ちゃん、藍ちゃんって、そんなに藍ちゃんの事が知りたいなら、自分で聞けばいいでしょ?」
しまった。俺は心の中で舌打ちをした。目の前にいる桃のことを気にしなさすぎた。
先日、春日に言われた言葉が響く
『どれだけ自分が、周りの人間をなおざりにしているかなんて、人の気持ちがわかってないんですよ』
「あのさ、桃。そんなつもりじゃ……」
「今日は一人で帰るから、もういい」
桃は千円札を置くと、立ち上がってこちらが止める間もなく出て行った。
俺は呆然と窓越しにその背中を見つめる。きっと、今は何を言っても無駄なんだろうな。そうすぐに謝る事を諦めかけた時だった。
桃の後ろに黒い影。帽子の男だ!
「すみません! 勘定、ここに置いていきます!」
俺は厨房にいる店員に急いで声をかけると、金を置いて、急いで外へ飛び出した。




