白い予感 1
翌朝、先輩たちは何事もなかったような顔をしていた。蒼汰も、二日酔いに頭が痛いとはいっていたが、別段変わった様子はなく、もし自分自身があの時深く酔っ払っていたなら、あれは夢だったんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。
それより…夢であってほしかったのが、桃の方だった。本人は普通を装っているつもりかもしれないが、明らかに俺を意識して避けているのがわかった。藍もそんな桃に気を使って、取り繕おうとする…それが余計に痛かった。
その雰囲気は学際直前まで続いた。
10月の頭に撮影はすべて終え、残りは編集だけになった頃、俺は少し時間ができるようになっていた。映画制作は主に監督やパソコンの使える編集班のものとなり、追加撮影がない限りカメラ班の出番はなかった。
用もなく、しかも居づらい部室に顔を出しても仕方ないので、後期に入ってすぐに家庭教師のバイトを増やした。今ままで高一の男子を見ていたのだが、今回紹介されたのは高三の女子…受験対策に週三日も来てほしいという内容だった。
俺は俺が出した宿題の答え合わせに赤ペンを走らせていた。
生徒に当たる、芦屋スミレはそんな俺の様子をじっと見ていた。
始め見た時は、正直、この子が国立大を目指しているなんて信じられなかった。髪は金髪で、化粧もしている。制服も満足に着れてはいなかったし、言葉遣いも馬鹿丸出しだった。外見が語る通り、見せられた成績もどれも散々で、高三の夏休み明けからじゃ、なにをどうやっ ても、現役合格どころかどんな低レベルの私立大でも無理そうだった。
ただ、家は金持ちらしくて、母親の言葉の端々には、彼女自身の将来のためというよりは、家の体裁のために大学くらいは出てほしい、そんな感じだった。
「ねぇ、青せんせ。明日の学祭行っても良い?」
「ダメ。そんな暇あったら勉強しろ」
甘えれば男が言う事をきく。そう勘違いした声色だ。俺はそういう女は嫌いだったし、金をもらっている以上、役目はきちんと果たすつもりだった。
「え〜。つまんない〜。もしかして、彼女とかいるの?」
「いないよ。はい。よく頑張った」
採点を終えるとノートを突き返す。
あの成績にしてはスミレは飲み込みが良かった。出した宿題も、実は少し難しいかと思っていたが8割がた正解している。スミレはノートを受け取ると、笑顔を浮かべた。
「そうでしょ?青せんせの為に頑張ったんだぁ。えらい?」
「えらい、えらい。さ、間違いなおしだ」
いちいち突っかかってくるのを流すのにも慣れてきた。俺は赤ペンを握りなおすと、ノートに手を置いた。
「ねぇ!」それをスミレが不機嫌そうに取り上げる。
「ちゃんと褒めてよ。…スミレの事、せんせ、好きじゃないの?」
「ちゃんと勉強してくれるなら好きだよ」
「そうじゃなくて!これでも、スミレ、結構もてるんだから!」
何なんだ。高校生のこんな話…全く興味がない。きっとスミレは男はみんな自分に興味を持つとでも思っているのだろう。まぁ、実際顔立ちは綺麗だし、お嬢様だ。もてないとは思わないが、俺には関係ない。
「だから?興味無いね。勉強する気ないなら、今日は帰るよ?」
ちょっといらついて来て、ペンをとり返した。
「そんな…」
泣きそうな顔をすると、ふてくされる。
「じゃ、青せんせ…どんな子に興味あるのよ」
どんな子…藍の顔が浮かんだ。勝算の見えない想いなんて、さっさと区切りをつければいいのに…今でも胸を締め付ける。俺はそれを誤魔化すように息をつくと
「外見は黒髪で、ストレート。同じ大学に入れるくらいの知性があって…それから…」
初めて出会った河原の…茜色に染まる彼女の横顔。
「それから、笑顔と憂いが両方似合う横顔で…明るくて優しい子だな」
「なにそれ…」
スミレは眉を寄せた。そして俺を睨みつけると
「それって、私と正反対って事?!何よ!」
顔を真っ赤にして立ち上がると、いきなり俺を突き飛ばした。俺はバランスを崩して、椅子から落ちそうになる。
「何するんだよ」
「出てって!青せんせの馬鹿!!」
ヒステリックに叫ぶと、スミレは俺に容赦なく手を振り回し、強引に俺を部屋から閉め出した。勢いよく閉じられた扉に俺は閉口する。
なんだよ…一体。まったく脳内が理解できなかった。自分になびかないのが、そんなに気に食わないのか?甘い顔の一つでも見せれば良かったのか?…悪いがそこまでしなきゃいけない仕事だとは思ってない。
俺は肩を竦めると、投げ捨てられた鞄を拾ってスミレの家を後にした。
そして、その夜、スミレから家庭教師の件を断って来た事が登録センターから伝えられた。




