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タイムカプセル  作者: ゆいまる
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モノクロな休日 2

 俺はサービスエリアに吸い込まれるようにハンドルを切った。

 雨のサービスエリアの駐車場は、路上に車が少ないと感じた割に埋まっていた。止められたのは休憩所から少し離れた場所で、紫は傘がないから外には出たくないとごねた。

 俺は仕方なく雨の中を走って休憩所に向かい、自販機を探す。3月の雨は体の中心まで冷やしそうで、温かい缶コーヒーを手に取ると、かじかんでいたあたりが少しかゆかった。紫は何も言わなかったが、とりあえずもう一本買う。

 どの人間も、どんよりと重い天を見上げては、声をひそめ溜息をついている。だが、あまりにも強いその雨はたぶんそうは続かない。それも、共通の認識であるようだった。今、一時さえ耐えれば…風が吹けば晴れ間だって見えるかもしれない。そう思わせるくらい雲の流れは早く、俺は一息つくと再び走って車に戻った。

 車の中で紫は、出た時と同じ格好でじっとしていた。缶コーヒーを差し出すと、両手で受取り「ありがと」と小さく声にした。

 ラジオからは最近アルバムを出したアーティストのインタビューが聞こえた。楽しげに弾む会話を、この静かな空間で聞いているのは少し妙な感じだった。

「青…青の彼女って、どんな人だったの?」

「大学時代の?」

「卒業後もいたんだ」

 苦笑いする紫に俺は肩をすくめる。返答に困るとするこの癖は昔からだ。

「どうして別れたの?やっぱり青からふったの?」

「やっぱりってなんだよ」

 俺は返すと、コーヒーを置いた。そして雨足がやや緩んで来たのを確認して、キーに手をかける。

「紫からどう見えてるか分からないけど…」エンジンが再び息を吹き返す。

「俺は自分の方から別れを切り出したことは、一度もないよ」

 そう、面倒になれば距離はとるが、はっきりと切り出すのはいつも向こうの方だ。

「青は…その、大学の時の彼女と別れたくなかったの?」

 タイヤが飛沫をあげ、再び雨の中を走り始めた。俺はその質問にしばらく考えてから、やっぱり肩をすくめた。


 サービスエリアを出て、再び高速に出た車は、霧雨になってきた雨の中を走る。気だるい雰囲気の車内はは、いつしかその体温を落としたまま取り調べ室に変わっていった。

「青って、そもそもどうしてそんなに、何にでもアッサリっていうか…こだわらないの?」

「こだわりはあるよ。そんなに趣味悪い車や服か?」

「そんなんじゃなくて…」

 紫が言わんとするところはわかる。でも、あんまり色々詮索されるのも、内側を覗かれるのも好きじゃない。それは…もう幼いころからで…。


 共働きの両親と兄の四人暮らし。兄は俺とは違い、人付き合いは良い代わりに要領はものすごく悪かった。何をとっても不器用極まりないその人は、それでも真っすぐでいつも笑っていて…何にもできないくせに、いつも周囲の好感をさらっていた。

その、気の良いだけの兄を…俺は本当は大嫌いだった。勉強だって、運動だって、家事だって…みんな俺の方が3つも離れた上の兄より優れていた。見た目だって、母親似の俺に比べて、父親似の兄は熊のような体形で決して良い方じゃない。

 初めは忙しい両親に、兄ばかり愛する周囲に認められたくて、いつも一人で躍起になっていた。できる限りの事をし、最大の結果を残そうと努力した。

 そんな時一度、親戚の人間に言われたことがある「青は、可愛くないね。何でも一人でしちゃうし、何考えているか分からない」それを聞いた時、もう、どうでもいいと思った。人に認められなくても、誰に見てもらえなくても…俺には関係ない。

 そして俺は、世界と自分を区切るために眼鏡をかけるようになった。

 中学に入ると、急に周りの女子が騒ぎ始めた。上辺の俺しか知らないで、好きだの心を開けだの言ってくる女どもが馬鹿に見えた。そして、誰からも認められない俺なんかに、認められようと努力するそいつらがムカついたし、滑稽に見えた。

 中学の卒業の時だった。もう、顔も名前も覚えていない。一人の女子が一枚の写真を持ってきた。俺が一人で川原でぼんやりしている写真だった。

 鳥肌が立った。

 そこには何にも持っていないからっぽな人間の抜け殻が映っていた。

『お前は本当は何の価値もない人間だ。何でもできると思い込むことで、周りを見下してるつもりだが、周りはそんなくだらない虚勢も見抜いているぞ。皆知ってるお前が本当は空っぽだという事を』

 そう言われているような気がした。

 俺はその写真を破り捨て、その場から逃げた。

 それから俺は自分の中の自分から目をそらす様に、カメラを持ち周囲を取るようになった。こちらが覗くレンズ越しの世界には、俺はいない。それが…本当の世界のような気がしたからだ。


「趣味は何だったの?」

 紫の声に、最近そのカメラにすら触っていなかったのに気がつく。

 忙殺される日常に自分の事を考える時間などなく、カメラすら必要のないくらい俺はどうでもいい人間になっていたのだ。

 俺は煙草を取り出すと、小さく笑った。

「なかったよ。趣味なんて」

 高速の出口が見えた。車は緩やかに速度を落とし、一般道に入っていく。懐かしい街並みが現れた頃には、雨は上がっていた。

 10年ぶりの町。

 自転車で走る抜けた道。時間を潰しに足をむけた河原。安くて量があると聞いて通った食堂。行きつけの写真屋。そして、あの空気。

 全てが胸を締め付け、あの頃を嫌でも思い出させる。

 それはスクリーンに映った映像のような美しいものではなく、まだ肌に残る体温のような…生々しい記憶。

 大学が遠くに見えてきた。

「サークルは入ってたの?」

「あぁ。授業なんかより、そっちに入り浸ってたな」

「大学生って、そんなものよね」

 苦笑する紫の横顔が、嫌に醜く見えた。次いで、ふとガラス窓に写る自分の顔を見る。

 その顔はもっと醜くて、大人になる寂しさと悲しさをこんなに克明に目の当たりにできるものなんだという事に、妙な感心を覚えた。

 車は静かに、あの地へと引き寄せられていった。

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