純白に溺れた愚者 3
蒼汰から電話があったのは翌日の夕方だった。
一日中、撮りためた整理のされていない写真をアルバムに仕舞う作業をしていた俺は、軽い肩コリに片腕を回しながら携帯を耳にあてた。
「よぉ、もう京都か?」
出るなり訊くと、奴は弾んだ声で「実家や」そう短く答えた。
もう、その声色だけで何の用事か察した俺は、電話越しに聞こえないように小さくため息を吐き、ソファに腰かけた。
「で? 何?」
訊いてやるのが礼儀なんだろう。蒼汰は笑いをこらえた様な含み笑いをして
「あんな……春から藍ちゃんと二人で京都に住むことになったわ」
そう報告した。
「……」
ひっそりと息をのむ。
わかっていた結末に、安堵と喪失感と痛みが一度に襲い来た。俺は目を閉じて動揺を飲み下すと、出しうる限りの明るい声で答えた。
「良かったな。おめでとう」
本当に、良かった。大切な人と唯一の親友がこれで幸せになる。この結末は俺自身も望んでいたし、喜ぶべきことなんだ。
「ありがとう。明日から忙しなるわ。部屋も探さなアカンし、研修もあるし」
蒼汰の張りきる声は、映画製作の時以来のもののような気がした。
奴は俺と違う。奴はいつだって、まっすぐで自分も他人も誤魔化さない。欲しいものは欲しいと、恥も変なプライドも不安さえも簡単に捨てて言いきってしまう。
そして、言っただけの事はやってみせる。羨ましいんじゃない。俺とは色が違うだけだ。だけど、俺はそんな奴の色が好きだったし誇らしかった。
藍の気持ちだって、もう随分前から、あの線香花火で予感して、四人のクリスマスで気づいてた。あれは確か一年の頃で、もう三年以上も前になる。彼女はこの長い間、奴への気持ちを温め、俺は同じ時間だけそれを見ていた。
そんな二人の気持ちが報われようとしてるんだ。
「大切にしてやれよ」
「そのつもりや」
彼ら二人にどんなやり取りがあったのかはわからない。でも蒼汰の声は、奴に明るい春が見えている事を告げていた。
「藍はそっちにいつ?」
「ん、まだ詳しくは話してへんねんけど、卒業まではそっちにおるらしいで」
意外だった。すぐにでもすっ飛んで行くと思っていた。
「まぁ、俺はいいとして、彼女の親にも相談せんとアカンやろうし。ま、ボチボチな」
「そういや、お前卒業式までそっちだろ。引っ越しは?」
俺は整理した写真たちを見ながら訊いた。俺も卒業式までには荷物をまとめて、四月から入る社員寮に送らないといけない。
「あぁ済んだで。もう、そっちに俺の部屋ないねん。年末暇やったし、車も売ってもうた」
あっけらかんとした返答。そうか、次が見えている奴には名残を惜しむ暇もないんだな。そう思うと、写真を整理している自分が少し女々しく感じた。
「でな」
またあの含み笑いだ。俺は苦笑して携帯を右から左に持ち帰ると、クレームを付けた。
「その笑い声、気持ち悪いから。……何?」
「いや。卒業の日はホテルに泊ろうと思っててんけど、大学生活最後の夜は藍ちゃんと過ごそうかなって」
「あぁ、そうですか」
フラットな声で呆れて見せる。春を見据えているどころか、すでにこいつの頭の中には春が訪れているらしい。
そうか、そうだよな。付き合うって事は……一緒に住むって事は……そういう事なんだよな。自分と桃の事を棚にあげるようだが、逆にそこまでは現実感がないというか、想像できなかった。やっぱり俺の中では、俺達四人はあの皆でワイワイやる四人のままで…。
でも、そうじゃなくなるんだな。そして、それは藍もわかってるはずで……。
「ま、いい思い出作れよ。俺は三宮教授とでも寂しく飲み明かすさ」
俺は口から適当な事を云いながら、実は今話した中でこれが一番現実的だという事に、しょっぱい気持ちになってそんな自分に呆れた。
「すまんな〜。なにせ告って初めて会うのがその日になってまうから」
「はいはい。わかってるって」
こんな風に、蒼汰なら藍を大切にしていくのだろう。
やっぱり安心したような、寂しいような、そしてきっとこんな二人目の当たりにすれば心を引き千切るほどになるんだろう痛みを感じると、俺はその後二三言言葉を交わし、携帯を切った。
一つ一つが終わって行く。
この繰り返しを経て春から新しい生活が始まれば、痛みを伴う気持ちにもいつかは終止符が打てるのだろうか。
机の上に散らばった、写真の中の彼らに目をやる。
自分のいない世界で笑う彼らは、もうすぐ本当に俺のいない世界に行ってしまうのだ。桃があの果てしない空に向かったというのなら、さしずめ彼らの世界は、光溢れる温かい春の陽ざしの中だろう。
じゃあ、俺の居場所は?
自嘲の笑みを浮かべ外を見る。まだ晴れ間の見えない空は暗く、薄暗い夕闇にようやく薄明るい街灯が頼りなく灯り始めた所だった。
卒業式までは一か月近くもあったから、俺はいらない書籍やCD類だけを実家に送り、あとの時間はやはり街を撮って回ることにした。
初めにどこに行こう?
「考えるまでもないか」
俺は窓の外を見た。
引っ越してきたばかりの俺が向かった場所は、今も変わらずそこにあるはずだ。
俺はコートを着込むと、カメラを首からかけて外に出た。




