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タイムカプセル  作者: ゆいまる
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紫紺のサヨナラ 17

 空港からの帰り道は、同じ道のはずなのにやけに短く感じた。

 同じ橋を渡り、同じ海を越え、同じ高速を走る抜ける。

 すっかり高くなった陽は世界を明るく照らしだし、輪郭のはっきりしてきたその世界は臆病だった俺の心を浮き彫りにしていた。

 ハンドルに置いた手に目をやると、指輪のあった部分にまだ跡が残っていて…

 妙に晴れ晴れとした気持ちなのに、ぽっかり空いた空間への違和感に戸惑ってしまう。でも、この跡が消えるまでには…。

 雲一つない空を見上げた。

 一羽の白い鳥が東の空へ、陽の光の中へと向かうように飛んで行く。

 彼女の存在の大きさに気付いた…彼女の優しさに気づいた…最後に彼女がくれた言葉を胸に刻む。

 もう、逃げちゃダメなんだ。

 俺は、自分の心と向き合いながら、俺の心が向かっていく場所へとアクセルを踏んだ。 

 ラジオのDJの訛りがなくなり、空気が変わり、肌に馴染んだ街の名前が見えてきた。

 俺の心は…いつだって彼女に向かっていて、俺の心は…いつだって奴の幸せを願っていた。この恋はどうしてこんなに遠回りしてしまったのだろう? 答えなんて、ずっとずっと前から出ていたのに。

 いつもいつも、目の前にいるのに踏み出せない自分が嫌いだった。いつもいつも、臆病で卑怯な自分が情けなかった。でも……もう、迷わない。迷っちゃいけない。

 失った恋が教えてくれたのだから。


 たった一日空けただけのその街は、酷く懐かしかった。俺は自分の部屋の前に立つと、ゆっくり扉を開けた。

「ただいま」

「おかえり!」

 俺の大切な人と友人の声がする。

 あぁ、帰ってきたんだ。

 俺はもう一度「ただいま」と呟くと、そのまま玄関に突っ伏した。

 どうやら、一気に気が抜けたらしい。そんな俺を覗き込む藍と蒼汰は苦笑した。

「お疲れさん」

 その声の響きが嬉しくて、俺は軽く手をあげると小さく笑って目を閉じた。


 目が覚めると、居間に蒲団が引かれていてちゃんとそこで寝かされていた。

 台所に誰か立っている。桃? ふとそう本気で期待した。今までの事が全部彼女の大切さを認識させるための夢で、やっぱり彼女は変わらず自分の傍にいてくれて……。

 でも、そんなはずはなかった。

「あ、おはよ」

 俺の気配に気がついた藍が、顔を覗かせる。その笑顔に俺は自分の女々しさに苦笑しながら身を起こした。

「蒼汰は?」

 時計を見ながら尋ねる。短い針が8を指している、たぶんここに帰って来たのが昼過ぎがったから、今は夜か。

「ん、蒼次郎が心配だから一度帰るって」

 蒼次郎? あぁ、いつか預かったハムスターか。まだ生きていたのか。

「昨日の夜ね、たまたま蒼汰くんに電話したら、青くんの事聞いてビックリした」

 布団から出て眼鏡をかけ、座りなおした俺に藍は温かな甘めのコーヒーを差し出した。いつもはブラックなのを知ってるはずだから…たぶん疲れを気遣ってくれているのだろう。

「桃ちゃんには会えた?」

 藍も向かいに座って、コーヒーをすする。穏やかな空間にコーヒーの香りが舞って、自然と肩の力が抜けて行く。

「あぁ」

 彼女のどこが好きかと訊かれたら、きっと何にも答えられない。

 容姿? 性格? そんなカテゴリにはきっと惹かれる理由は見当たらない。それでも、心はいつだって彼女の引力を感じている。

「良かったね」

 柔らかく微笑むその瞳も

「無事に帰ってきて…本当に良かった。心配したんだよ?!」

 労わりを紡ぐ唇も

「お帰り。青くん」

 優しく温かい声も


「好きだよ」


「え?」

 心から零れた言葉は、時を止めた。

 藍の目が瞬く。

 ずっと押し込めていたその気持ちを声にするのは、意外に簡単だった。俺はたったこれだけの事を、どれだけの間出来ずにくすぶっていたのだろう。

 藍が何かを言おうと、何度かその口の形を変えた。だがすぐには言葉にならないらしい。

 そりゃそうだよな。自分の親友と別れたばかりの男の、そんな言葉に返す言葉なんてないよな。

「……青くん」

 長い沈黙の先にようやく彼女が俺の名前を呼んだ。俺は自分でも驚くほど穏やかな声で返事する。

 藍の瞳を今潤ませてるのは、戸惑いだろうか? 憤りだろうか? それとも……。

「わた……」

「たっだいま〜! 青、起きた?!」

 俺達の背中で盛大な音をたてて扉が開いた。あまりのタイミングに俺は苦笑すると、その声の主を振り返った。自分探しの旅行の時といい、こいつには何かのセンサーでもついてるんじゃないのか?

「寝ててもそんなでかい声じゃ起きるだろ」

「あ、ほんまや。ごめん! ほら、鍋の用意して来たで! 今日は皆で鍋しよ! 鍋! やっぱり冬は鍋や。せやろ!?」

 何回こいつは『鍋』を言うんだ。

 俺はそう苦笑いしながら、玄関に杖を置いてスーパーの袋を掲げる蒼汰を見上げた。

「藍ちゃん、準備手伝って! 青は布団たたんでコンロ出せや」

「わかった」

 もうすぐあの杖もいらなくなる。アイツは一人で歩けるようになる。そうした時……。

 俺は台所に消えていく二人の背中を見送った。

 不意に藍が振り向いた。まだ何か言いたそうなその顔に、俺はもう目をそらさずに微笑み返す。

 それは、終わりの始まりを決意した証明だった。

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