紫紺のサヨナラ 5
教授の電話だったらしい。教授は手を挙げて合図すると、花火を水の張ったバケツに突っ込み携帯を取りに来る。
「すまんな」
短い言葉を元妻にかけ、電話に出た。
「はい。もしもし…」
こんな時間に電話か、結構忙しいんだな…なんて思ってのんきに桃に肩をすくめて見せ、まだ胡桃と花火をする藍に目をやった時だった、教授の声が一変する。
「あ?それは…あぁ。その病院なら…わかった」
緊張を帯びた声にただならない何かを感じた。教授は電話に頷きながら、俺達を青い顔で見る。なんだ?何の知らせだ?俺達に関係あるのか?
胸騒ぎがした。嫌な予感が湿った肌にざらつく。俺は無意識にビールを置くと、電話を切った教授を見つめた。
「何かあったんですか?」
思わず早口になる。
教授は口元を押さえ「ううん…」と唸ってから、一呼吸置いて言いにくそうな口を開いた。
「梅田が事故にあったそうだ」
「え?」
心臓が凍りつき、耳を疑った。
まさか蒼汰が?今、奴の話をしていたばっかりなのに…。
桃が不安に俺の腕を掴んだ。藍が不穏な空気を感じたのか「どうしたの?」と駆け寄って来る。教授は痛みをこらえるような顔をして
「梅田が映画のセットの下敷きになったそうだ。今、撮影していた隣の県の病院に運ばれて…容態は良くは分からないらしい」
藍と桃が息をのむのがわかった。
「黄河」
岡本さんが鋭い声をかける。教授は頷くと
「俺はこれからタクシーでその病院にいくつもりだ」
「じゃ。俺も行きます」
当然だ。蒼汰に怪我?セットの下敷き?運ばれた?嫌な想像ばかりが頭を駆け巡る。
「私も!」
桃は俺の腕をさらに強く掴んだ。
「私も連れて行ってください!」
藍が色を無くした顔で悲痛な声を上げた。だが、藍にだけは教授は首を横に振った。
「お前は明日面接だろ。新幹線がなくなるといけない。タクシーを別に呼ぶから、駅に向かいなさい」
それは浮足立つ俺らとはまるで違う、落ち着いた大人の声だった。だが藍は激しく首を横に振り
「お願いです!私…こんなんで面接何か…」
「御影さん。気持ちはわかるわ。でも…あなたが行っても何も変わらない。連絡はさせるから、あなたは面接を優先させないと…」
岡本さんも諫めるような声で藍の肩に手を置く。
そうだ、藍はあんなに苦戦して勝ち取った希望の出版社の最終面接なんだ。ここで蹴ったら、その苦労も水の泡になってしまう。
「藍…ここは…」
「できません!」
説得しようとする俺の声を、藍の叫びがかき消した。藍は不安に震える瞳に涙を浮かべて教授に掴みかかった。こんなに動揺する藍を見るのは初めてだった。
「お願いです!連れて行ってください!」
理屈も理由もそこにはなかった。
藍の痛々しいまでの蒼汰への想いだけが、掠れた叫び声と共に零れ落ちた涙に込められていた。
教授はそんな涙に、観念したように深く息をつく。
「わかった。すまん、瑠璃、タクシーを」
教授は藍をなだめるようにその背中をさすりながら、そう顔を上げた。
俺は、桃の手を握る。
あのいつも元気な蒼汰に…。浮かぶのは笑顔ばかり。そんな奴に何かあったなんて信じたくなかったし、想像もできなかった。とにかく、一刻も早く無事を確認したい。その気持ちはこの場にいる彼を知る者、みんな同じようだった。




