灰色の背中 2
俺たちは結局その後も何もできず、スッキリしないわだかまりを抱えたまま、合宿に入った。
長野へはJRの18切符で団体で向かった。鈍行を乗り継ぐ旅は目的地の二年の先輩の田舎まで半日かかる計算だ。
先日の花火以来、藍とは少し距離をとっていた。彼女が恋してるのを知って成す術がなかった。だから、蒼汰のお節介で二人席に押し込められた俺は、やはりどうしていいかわからず、iPodを耳に寝たふりをしていた。
始めのうちは藍の視線を感じたが、次第にそれも消え、触れる肩だけだ彼女の存在になった時、不意に重みがかかった。驚いてみると、電車の揺れと俺とのあまりに退屈な時間に、藍も眠気がさしたらしい。すぐ傍にある長い睫毛、柔らかそうな唇、髪の香り…鼓動が逸り始める。
これじゃ、まるで思春期の中学生だ。これまで何人かと付き合いもしたし、経験だってそれなりにある。ほとんど恋愛系で動揺したことなんかない。なのに…肩に寄りかかられた、それだけで、俺は今、身動ぎ一つ取れなくなっていた。
額の辺りに妙な視線を感じた。
顔を上げると、子どもを見守るような目の蒼汰と、つまらなそうな顔の桃が前の座席から覗いていた。蒼汰は小声で親指を立てながら「グッジョブ!」とウィンク。
俺は黙って睨み上げた。だけど蒼汰は達観した表情で頷くと、何か言いたげな桃の頭を押さえて消えた。何なんだよ…からかいやがって。ムスッとしながらも肩の力を抜いた。
もう一度、肩の重みに目を向ける。無防備な寝顔に思わず口元が緩む。ま…感謝はしてやらないが、せっかくだし、素直に喜ぶか。
俺は思い直すと、足を組み直し、この時間を抱きしめる様に目を閉じた。
合宿は天候にも恵まれ、予定通りにすすんだ。
今回は姉と妹が一人の男性を巡る物語。姉役が紅先輩で、妹役が藍だ。始め俺は男性役に推薦されたが、俺のあまりの大根役者ぶりにその場にいる全員が閉口し、二度と声はかからなかった。やはり撮られるより撮る側が性にあう。
合宿中はほとんどが団体行動だから、意外に気を使う場面はなく、気がつけば最終日になっていた。部長と紅先輩も気にはして見ていたが、別段変わった様子はなかった。
撮影を終え打ち上げの段になった。機材をまとめたり、荷物を整理したり思い思いに動いていた時、部長が皆に声をかける。
「誰か、手の空いてる奴。買い出しに行ってくれないか」
整理が済んでた俺は暇してたので手をあげた。
「じゃ、園田と…」
「西宮が行きます」
隣で挙がった手は…藍に挙げられた桃の手だった。
桃と二人で外に出る。日はまだ長いが、それでも夏の太陽はもう山の稜線に姿を半ば隠していた。買い出しのスーパーはここら辺では麓の一軒しかない。まだ二人とも免許がないから、小川に沿った坂道を徒歩で30分かけて降りて行かないといけなかった。
坂道を歩きながら、思っていたよりも深く自分が傷ついているのに驚いた。藍が桃と俺を二人きりになるように計らった…つまり、それは俺はやっぱり藍の恋の相手ではないってことだ。予想はどこかでしていたが、こう現実を突きつけられると正直辛かった。今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたいくらいだ。店に着いても、その事ばかり考えてしまい買い物に集中できない。ただ苦しくて…悔しかった。手当たり次第に食べ物を籠に入れている時だった。
「青くん…?」桃の声に我に返る。
「あ、あぁ…ごめん。何?」
桃は少し唇を尖らせると、籠の方を見た。
「そんなに缶詰ばっかり食べられないよ」
見ると、俺の籠は本当に缶詰だらけだった。
「そう…そうだな」
慌ててそれらを棚に戻す。
「私とじゃ、嫌だった?」
「そんなことないよ。ごめんって。ちょっと疲れてたからさ」
桃は幼い顔でこちらを見上げ唇を尖らせていた。
「本当に、ぼんやりしただけだって。さ、さっさと会計行こう」
誤魔化しきれない自分を恥ずかしく思った。いくらなんでも桃に悪い。だって…もしかしたら、桃は…。
「青くんって、どうして映画部に入ったの?」
店をでると桃は急な質問をしてきた。俺は夕暮れ空に羽ばたく、巣へ戻る鳥の一群を眺めながら考える。
「成り行きだけど。まぁ、もともとカメラは好きだったし」
「そうなんだ…私はね…」
桃は両手で抱えた袋に少し顔を埋める。
「入学式で席に案内してくれた人に、もう一度会いたかったからなの…」
何も返せなかった。これ以上の彼女の気持ちを聞いてしまったら、きっと、もう友達ではなくなってしまう。
変な沈黙に、虫の音だけが耳鳴りのように響いた。
彼女の気持ち…知ってしまうのが怖かったが、それ以上に藍がこの事を知っているんじゃないか、そのことの方が怖かった。そして…その可能性は非常に高いこともなんとなく気づきはじめていた。そうでなければ、藍が俺たちを二人にするような真似はしないだろう。
「あ…」
桃の声に、視線を上げた。
そこにはぼんやりとした儚い光が、夏草の上を飛んでいた。蛍だった。
そうか、あの光が見える辺りは小川なんだろう。街中では見られない、仄かで優しい命の灯に、思わず見入る。
「すごい!なんだか得しちゃったねぇ!」
さっきまでの雰囲気はどこへやら、満面の笑みに瞳を輝かせはしゃぐ桃に、苦笑した。
「ほんっと、桃は無邪気だなぁ」
そう言った途端、桃の笑顔が消える。
「そんなに…子供っぽいかなぁ」
笑ったり怒ったり、沈んだり…目まぐるしい。外見だけじゃなく、正直、そう言う所も子供っぽいと思う。でも、それは別に悪いことじゃない。それが桃の個性だと思う。藍への気持ちをを本当に今すぐに消せるのなら、少しは彼女を見ることもできるかもしれない。それくらい魅力はある。
「いいんじゃないの?気にすんなよ」
結局、いい言葉が浮かばず俺がそう言うと、桃はギュッと腕の中の袋を抱きしめた。夏の夜風が草を揺らし通り過ぎた。
「青くんは…私の事…どう思ってる?」
胸に楔が穿かれた…。
そんな質問…されたくなかった。俺は息を飲むと、明日の朝には露と消える運命の光を見つめた。届かない想い傍に寄り添う想い俺は…覚悟を決めるとゆっくりと口を開いた。
俺は不安に揺れる桃の瞳を見詰めると、はっきりと言った。
「妹みたいだと思ってるよ」
痛みに顔をしかめるように桃の顔が歪んだ。すぐに俺から見えないように顔を向こうに向けるが、小さな肩が震えている。
「や…やっぱり?よく…言われるんだよね」
強がっている明るい声が、かえって痛々しい。でも、そんな彼女の背中にかける言葉を、俺は見つけられなかった。その時
「お〜い!なに道草食ってるんだよ!」
坂の上から誰かの声がした。目を凝らすと、同じカメラチーム2年の塚口先輩だった。塚口先輩はその小柄な体からどうやって出しているのか分からないくらいの、大きな声でやってくると、俺たちの空気に首を傾げた。
「みんな、腹すかしてまってるから、行こう」
何かには気付いていても、口に出さないでいてくれるのに感謝しながら、こちらも何事もなかったように頷いた。




