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タイムカプセル  作者: ゆいまる
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モノクロな夜

 数年前にこちらに掲載していた作品です。拙さにリライトしようかとも思いましたが、この作品を今も覚えてくださっている方がいるのを知り、当時、そのままを掲載させていただくことにしました。

 お久しぶりの方も、はじめましての方も、よろしくお願いいたします。


二五時半。これが俺の家に着くいつもの時間だ。

 特に家に待つ人がいる訳でもなないし、今の俺に仕事より優先させるべきものは何もない。

 そんな風に話せば、恋人もいない寂しい独り身かと思われるが、残念ながら恋人と呼ばないといけない存在はいる。

 そう、本当に残念だ。

 彼女のせいでこんな終電まで働いていると言っても過言ではない。

 また、そう言う風に言えば結婚資金でも貯めているのかと聞かれるが、残念ながらそれも違う。

 この場合、残念と感じるのは俺じゃなくて彼女の方だろうか。

 俺は仕事を口実に彼女、正確には結婚話から逃げていた。

 三月と言っても春はまだ遠く、無機質に靴音を跳ね返す深夜のマンションの入口は寒い。俺は疲労が覆い被さる重い身体を引きずり、いつもダイレクトメールか料金の領収くらいしか入ってないポストに、半ば義務的に今夜も手をかけた。

 開けた時だった。

 一枚の葉書が指をすり抜け舞い落ちる。

「……」

 音も立てずに冷たい床に落ちたそれに、俺は気だるくため息をつく。

 何の葉書だ?こっちは疲れているのに。軽く舌打ちし、しゃがんでそれを拾い上げた。どうやら結婚式の案内の様だ。

 この年になると、そんな知らせも珍しくはないし、めでたくも感じない。さて、今回、結婚という牢屋に自ら入ろうとする馬鹿は誰だ?

 そう、少々意地の悪い気持ちで差出人の名前に目を落とした時だった。

 息が詰まった。

 そこに記された名は


-御影 藍


 俺の初恋の人の名であり、忘れたい過去を共有する人。

 ゆっくり、もう一度確認のために裏面を返す。

 彼女が結婚する。俺と違う男と。

 その事を告げる文字がハガキの上で、生活に疲弊している俺を嘲笑っていた。


 俺は鞄をソファ放り出すと、自分の他は誰もいないのに、まるで葉書の事など気にかけてない風を装い、そのまま浴室に向かった。

 御影藍。

 水圧の強いシャワーを顔面に当てながら目を閉じる。

 会わなくなって、もう十年になるのに、その名前はまだ俺の胸を締め付けた。今でも鮮明に浮かぶ、色鮮やかだったあの季節。俺の視線の先に必ずいた彼女。

 そう、彼女と出会ったのも、今ぐらいの時期だった。春とも冬とも言えない、こんな季節だ。

 俺はシャワーから上がると、タオルで濡れた髪を乾かしながら冷蔵庫を開けた。見ると、買った覚えのないビールが何本か入っている。

 たぶん今付き合っている彼女、夙川紫が気を利かせて入れておいたのだろう。思わず溜息が零れ落ちた。ありがたいが、正直、こういった真似はうんざりする。

 あまり会えないことに不満を並べ「せめて合鍵がほしい」そうごねた紫に合鍵を渡してしまった俺にも非があるが、こうやって自分の空間を他人にいじられるのはやはり好きじゃない。

 俺はもう一度溜息をつくと、頭の端に別れを考えながら紫が用意したビールを開け、それを一口飲んだ。

 ソファに身を沈める。一気に眠気が襲ってくる。明日は二週間ぶりの休みだ。このまま寝てしまっても時間的にはさしつかえはないはずだ。

 ちらりと放り出されたままになっていたカバンと葉書に目を向ける。

 藍の結婚式の出欠? そんなの、答えは決まっている。今でも、あの時のあの気持ちを後悔している。自分達が取った選択も、許せない。

 携帯の着信がなった。時計を見るともう二時を少し過ぎている。

 どうせ紫だろう。俺は眉を寄せると無視を決め込んだ。こんな時間に、いくら彼女と言っても非常識だ。

 やがて着信音が諦めるように止まる。着信に気付かなかった理由を適当に探しながら少し安心して、ビールを口に運んだ時だった。

 チャイムが鳴った。

「おいおい」

 電話がだめなら今度は押し掛けか。

 仕事以上の疲労感にぐったりしながら、俺は鉛の様な体を引きずると、玄関の扉を開けた。

「青、ごめんなさい」

 そこには涙をその目にいっぱいためた紫が立っていた。

「どうした? こんな時間に」

 この女は俺が帰って来ているのを知っていたのだろう。でなけりゃ、合鍵を持ってる人間がチャイムを鳴らすのはおかしい。

 こういう遠まわしなところが、余計に鼻につく。

 紫はぎゅっと目をつむると、大粒の涙をこぼした。

「不安で……眠れなくて。どうしても青に会いたくて」

 それで夜中に押し掛けたのか?自己中心なのにも程がある。俺は気づかれないように溜息をつくと、努めて優しい声で紫の背中に手をまわした。

「とりあえず、中へ」



 紫は職場で知り合った同じ部署の三つ下の後輩。社長の娘だ。

 性格は明るく愛嬌があり、外見は幼い顔立ちに凹凸のある身体で、グラビアアイドルさながらの彼女は入社してすぐに男性社員の注目を集めた。でも、俺は頭の悪そうな話し方や仕事ができない彼女に興味はわかず、半年ほどはほとんど口もきかなかった。彼女の方も、こちらに興味あるそぶりはなかった。

 そんなある日、彼女が大きな失敗をして、寝不足続きで機嫌が悪かった俺は酷く彼女を怒鳴りつけてしまった。そのあと数日、紫は欠席。俺は社長から呼び出しをくらい、謝罪に、と、彼女を食事に誘わないといけないはめになった。そして食事した次の日、出社したら、紫が社内中に俺たちが付き合っているとふれまわっていたのだ。

 否定するのも面倒だし、彼女の悪ふざけもすぐに終わるだろうと踏んで黙認していた。

 そうして始まった関係が、間抜けな事に二年も続いて今に至る、というわけだ。

 そろそろ終止符を打ちたい。

 俺は部屋に招き入れた彼女の背中をみながら、本気でそう思っていた。


 部屋に入った紫は、項垂れたままコートも脱がずにソファに座った。何か飲むかと聞いても、頑なな態度の彼女は首を振るだけだ。

 きっと、今は何を言っても無駄なのだろう。俺は仕方なく隣に座り、彼女から話が切り出されるのを黙って待つ事にした。

 疲労の限界で、正直、さっさと横になりたかった。が、ここで欠伸の一つでもしようものならそれこそ臍を曲げ長丁場になりかねない。

 口をこじ開けようとする欠伸を噛み殺し、テレビのリモコンに手を伸ばした。白けた空気を埋めるようにチラチラと動く、衛星放送のサッカーの試合を、ぼんやりと目に映す。

「青」

「ん?」

 たっぷり十分は経ってからだろうか、ようやく紫が口を開いた。

「私、青の彼女だよね?」

「否定したことはないよ」

 そう、彼女がそう主張する限りはそういう事になるだろう。

「そういうんじゃなくて」

 もどかしげに言葉尻を濁した紫は、膝の上で握りしめていた拳に力を入れているのか、かすかに震えていた。

「青は私の事、好き?嫌い?私と付き合っているのは、お父さんが社長だから?だから結婚の話をしてくれないの?」

「全部違う」

 矢継ぎ早のくだらない質問。短く答えると、俺はテレビを消して紫を見つめた。

 答えを急くという事は、もう、潮時なのだろう。彼女から結婚の二文字を仄めかされた時から、その事はずっと考えていた。

 遠くでサイレンが響いていた。静かな部屋には、それすらも賑やかに聞こえる。

俺は眼鏡軽く触れてから、溜息混じりに口を開いた。

「なぁ」

「いや!」

 勘だけは良く働くこの女は、こちらが確信に触れようとすれば、いつもすぐに目をそらす。

 柔らかな髪が鎖骨の上で揺れ、耳元のピアスが光るのが見えた。

「私は青が好きだよ。ねぇ、私のどこがダメ?ちゃんと言って! 私、頑張って直すから。だから」

 俺は、掴みかかって来たその手入れされた綺麗な手を、すぐにそっと外す。

「そういう問題じゃない」

「じゃ、どうしたらいいの? どうしたら……」

 すがりつく瞳が涙に充血している。

 俺は心の中で苦笑していた。

 どうしたら?それは解決方法がある場合の質問だ。そして、自分達の間には解決すべき問題はない。

 あるのは変更不能な結末だけだ。

「私、青がいないと生きていけない。それくらい好きなの」

 だから、そういうのがウザいっていうのが分からないのか。それとも、これまでの男はこれで何とかやりこめたのか?

 俺は言葉もなくし、ため息をつく。

 沈黙。

 紫は声を殺して泣きはじめた。

 この涙さえも押しつけがましさを感じ、辟易としてしまう。きっと、俺はもう、彼女が喜ぶような言葉で嘘をついてやることもできない。

 自分で冷たいと思わないでもないが、俺はこの二年間、彼女が望むようにしてきたつもりだ。付き合いたいと言ったから付き合った。デートしたければしたし、抱いてほしければ抱いた。

 ただ、一緒になるのだけは勘弁してほしかった。それを押し通そうとするから、今、こうやってちゃんと冷たくしてやってるのに。

 紫はしゃくりあげながら何かを話し始める。

「お父さんがね、青に結婚の意思がないなら、来月お見合いをさせるって」

 だから焦ったのか。俺は妙に納得して彼女を見た。本当ならかまわないし、試されているのなら不快だ。

「青は、いいの?」

「自分の人生だろ。自分で決めた方がいい」

「そんな」

 俺の言葉は、やはり彼女の望んだものではなかったようだ。

 彼女は今度はみるみる顔を赤くし、怒りに歪んだ形相で俺を睨みつけた。

「なによ! どうしてそんなに冷たいの?」

 しおらしい態度を一変させた女のなじる声。うんざりだ。俺は目をそらす。すると紫は獲物を追い詰めるのを楽しむ獣のように牙をむいてさらに声を張り上げた。

「どうせ、青は誰も好きになったことなんか、苦しいくらいの恋をしたことなんかないんでしょ!」

 恋……。

 その単語に俺は、机に置かれたままの葉書にチラリと目をやった。

 鋭い痛みが胸を貫き、それを誤魔化すように眼鏡を直す。

 恋。恋と呼べるものの記憶は、きっとあの季節の中にしかない。

「あるよ。苦しいくらいの恋」

 だから、もう二度とあんな思いはごめんなんだ。あんなに苦しくて、自分自身がわからなくなって、どうしようもない思いをするのは。

 俺の掠れた声を凝視する紫の視線。眉を寄せるとそれを振り切るように煙草を手に取り火をつける。

 紫は信じられないといった顔で、こちらを見つめていた。俺は苛立ちを誤魔化すように紫煙を吐く。

「で、君はどうしたいの? はっきり答えが聞きたいなら答えるけど」

 紫は再び情けない表情に戻ると、首をゆるゆる振った。そして、上目づかいでこちらを見上げる。

「私は青の傍にいたい」

「きっと、君の期待には応えられないよ?」

 そもそも、結婚ってなんなんだ?俺は子供が嫌いだし、次男だから家を継ぐ責任もない。

 家事は人並みにできるし、独りには慣れているつもりだ。結婚して制限されるデメリットを凌駕するメリットが、全く見当たらない。

 だいたい、結婚しないなら別れる?それ自体不純じゃないのか?好きだから付き合う、でも結婚してくれないならって、じゃ結婚できるから好きになるのか?別に浮気をするわけじゃない。不誠実だとはその一点だけで言われたくない。

 恋愛イコール結婚、もしくは結婚を考えられないのは不誠実だと決めつける考えの方が、俺には不純に思えて仕方ない。

「うん。わかってる。でも今は青のいない生活、考えられないもん」

 紫はそういうと、抱きついてきた。

 別れ話を切り出しても良かったが、疲労が本当に限界だ。

 これからまた時間をかけて話し合うなんて無理だ。今の俺は、長期の自由より、目の前の休息が欲しかった。

「寝るか」

「うん」

 紫は嬉々として顔をあげると、コートを脱ぎだした。俺はまだ長い煙草を灰皿に押し付けると、早々に立ち上がる。

 時計を見上げると三時に差し掛かろうとしていた。

 俺は、彼女が妙な誤解と期待をする前に、ベッドに潜り込んで眠ってしまう事にした。

 布団に潜り込んで目を閉じると、すぐに闇が引きずり込もうと手を伸ばしてくる。すべてを深い眠りに任せようとした時、チリっと少しだけ胸が痛んだ。

 結婚

 あの葉書を出した藍は、今誰と寝ているのだろうか。一人?もしくは……。

「馬鹿馬鹿しい」

 自分自身に毒づくと、固く目を閉じた。痛みも後悔も、思い出すらも、全て忘れることができるように。そう、叶わない願いを祈りながら。

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