心
どうして彼女は私を作ったのだろうか?今までずっと疑問に思っていることだが、それは聞いてはならないことだということは、ゴーストを持っていない私にも薄々感じられた。
「おはよ、あーちゃん」
目を覚ますと、博士は眼鏡の奥にあるガラス玉のような瞳で私のことを覗き込み、微笑んでいた。私の後ろにある窓から差す太陽の光が、博士のそのガラス玉のような瞳に反射して、キラキラと輝いているように見えた。
感覚がスリープ状態から再起動するにつれて、椅子に座っている感覚、手にしていた本の重みが蘇ってくる。どうやら私は、本を読んでいる途中で寝てしまったらしい。アンドロイドでもやはり電脳に記録される情報を整理するためには人間でいう睡眠が必要で、一定量の情報を蓄積したら、全感覚をシャットダウンして、スリープ状態になる必要があると博士は言っていたが、いたずら好きの彼女のことなので、やっぱり嘘で、ただ面白いからといたずらで私にプログラムしたものなのかもしれない。
「おはようございます」
私は、博士にそう返事を返すと、手にしていた本へと視線を落とし続きを読み始めようとしたが、博士は、しゃがみ込むと、私の太ももに彼女の上半身の体重を預けるようにしてもたれかかり、私の目を見つめた。
「何読んでるの?」
「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』です」
私がそう答えると、博士は、一瞬驚いたような表情を見せたが、またいつもの微笑みに戻った。
「あーちゃんが小説を、それもアンドロイドが殺される小説なんて、どうして読もうと思ったの?」
「これを読めば人間とアンドロイドとの違いが見つかると思いました。その違いが分かれば、ゴーストを理解でき、それを得ることができるのではないかと思ったのです。しかし、小説の類は私にとってとても難読なものでした。ゴーストを持たない私には、人の気持ちというものを文章の中から読み取ることができません。それと博士、ゴーストを持っていないアンドロイドは死を経験できないので、『殺される』ではなく、『破壊される』という表現の方が正確です。ねぇ、博士。ゴーストを持つってどんな感じですか?死ぬってどんな感じですか?痛いって、怖いって、悲しいって......人を好きになるってどんな感じですか?」
私の問を聞いた博士は、表情を曇らせた。その表情はどこかさみし気に見えたが、やがて、博士は、私の太ももから上体を起こし、ゆっくりと立ち上がると、私の手にしていた本をそっと取り上げて、そばにある机の上に置いた。
「ゴーストを持つ感覚......上手く言葉にして説明するのは難しいかもね。けど、これだったらわかるかもしれない。ちょっと立ってみて」
私は、博士に言われた通り、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
すると、博士は、いきなり私の首に腕をまわして、彼女の胸に私の顔を押し付けるようにして私を抱きしめた。
嗅覚センサーが感知する博士の白衣についている石鹸のような柔らかい香り、人工皮膚の熱感センサーが感知する彼女の体温、聴覚センサーが感知する彼女のゆっくりとした心臓の鼓動。
私の身体が、博士の身体の中に沈み込んでいくような感覚に陥る。
博士が私のことを抱きしめたまま、この部屋の時間は緩やかに流れていった。
電脳に記録された情報が多すぎたせいか、私の意識は薄れていき、やがて私は、博士に身を任せるようにして再び眠りについた。
「博士、一つ、いいですか?」
私は椅子に座っていて、私のうなじにはメンテナンス、プログラム修正のためのアダプターが何本も博士の操作するパソコンにつながっていた。
「んー?なーにー?」
博士は、キーボードを叩く手を一瞬止めると、ずり落ちてくる眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、再びキーボードを叩き始めた。
「私、ゴーストが欲しいです。博士ならその方法を知っているでしょう?なんとなく、そんな気がするんです」
私の言葉を聞いた博士は、再びキーボードを打つ手を止めた。
「確かに私にはゴーストを再現する方法を知っている。けどね、あーちゃん、それは君のことを深く傷つけてしまう。だからやってはいけないことなんだ。ゴーストを持つってことはとてもつらいことなんだ」
「それでも構いません。ゴーストを持てれば博士のためにできることがもっと増えるんです。私の存在意義は博士にあります」
「そんなことしなくても大丈夫だよ。実はね、私は、あーちゃんのことを私の一番大切な人に似せて作ったんだ。今はもういない人。あーちゃんって名前もその人の名前なんだ。どうしてだか分かる?」
どうして博士は私のことを作ったのか?私が今までずっと疑問に思っていたことの核心に迫りつつあった。
「どうしてですか?教えてください」
「それはね、死んだあの人の分まであーちゃんのことをたくさん大切にするため。それだけだよ」
博士はゆっくりと立ち上がり、私の方へ歩いていくと、私のうなじのアダプターを抜き、私をそっと立たせると、この前と同じように私をしっかりと抱きしめた。
博士の白衣の石鹸の香り、彼女の体温の温もり、彼女の心臓のゆっくりとした鼓動。
何か暖かいものが私の胸の中に流れ込んでいくような感じがした。これが「好き」という感じなのだろうか?
私の目から何かが零れて頬を伝った。




