無限の転生者
卒業式――
それは、人生における一つの過程を終えたことを実感させ、新たな旅立ちを予感させる通過儀礼だ。
それ自体に特に意味はないが、なんとなく感傷的な気分になることを強制させられる。
涙を流す同級生。普段より少し優しい先生。我が子の晴れ舞台を見て笑顔を浮かべる保護者。
「皆さんの人生はこれからです。」
先生はそう言う。
実際、ここにいる同級生達はこれから社会に出て活躍したり、大学に行って青春の延長をエンジョイしたりするのだろう。そして、結婚でもして子供を授かり、一生の半分以上を仕事で費やし、やがて――老いて死ぬのだ。
それもまた人生なのだろう。人生万歳。
「何になるかじゃない。何をするかだ。」
誰かが言った。
何者にもなれない俺たちは、その過程に価値を見出す。
まったくもって、くだらない。
そんでもって、とんがってる俺カッコいい。
けれども、どうすることも出来ない社会不適合者予備軍が、今日からこの世界を徘徊する。
それがどうしようもなく滑稽で、可笑しい。
屋上でタバコを吹かす。
グラウンドをぐるりと囲うように立つ桜の木。学校の敷地を区切る白いフェンス。真正面に見えるコンビニエンスストア。学校の屋上から見える景色は見慣れたもので、しかし、妙に懐かしい景色であった。
気が付けば辺りは夕日に照らされ、卒業式で浮ついた雰囲気が嘘のように静まりかえっている。
思い出作りと称して最後まで学校に残っていた名前も知らぬ同級生達を、俺は屋上から冷めた目で見つめていた。
ようやく喧騒が去り、静寂に包まれたこの場所で最後の時を迎えるのだ。
俺は屋上に設置されている柵に手をかけ、乗り越えた。そして、目下に広がるどこか懐かしい景色を眺める。
「次はどこへ行こうか」
俺はどこへだって行ける。あらゆる世界を魂一つで行き来する。
「この世界は退屈過ぎた」
平穏を求めてやって来たこの世界。
ここは終わりの場所であり、始まりの場所でもあった。
俺は一度、この世界に生まれ、同じ学校に通い、そして、この場所から飛び降りた。
最初の人生とでも言おうか。己が己であると自覚した、一度目の人生。
この頃の俺は、欲望を満たすことに疑問と恐怖を抱いていた。湧き上がる欲求を満たす度に選ばされているという感覚に支配され、強い不快感に苛まれた。
一時期は飲まず食わずを繰り返していたが、一方、どれほど心が強く拒否しても身体は三日と持たずに音を上げた。
高校生になり、夢精による精通を迎えてからはさらにその傾向が強くなり、人間という器から脱却することに執着していった。
生きることに何の疑問を抱かない他の人間に対して、俺は侮蔑の感情を露わにしていたため、周りとのコミュニケーションが上手くいかずに白い目で見られていた。それでも、周囲の人間が違う生物であるかのように俺を見る目が心地良く、同時にどうしようもなく不快であった。
高校三年に進級し、周りが就職や進学でそわそわし始めるようになった頃、ここが自分にとっての分水嶺になるだろうと感じていた。周りと同じように社会不適合者予備軍として社会に溶け込み生きていくか、それとも――
結論から言うと、死は救いであった。
転生――
役目を終え、肉体を離れた魂が新しい肉体へと移されて新しい人生が始まる。
初めての死を経験した俺は、自我を保ったまま、次に生まれる世界を、そして魂が宿る器を自由に選択することが出来た。
最初の人生では、何の説明もないまま、突然この身一つで生まれ、何の目的も保証もなく、自然の摂理に則って生きることを余儀なくされてきた。
しかし、それからは自由に、自分の意志で人生を決めることが出来るようになったのだ。
生きる目的も、理由も、何も分かってないのにも関わらず、平然と何食わぬ顔をして生を貪っている集団と一線を画したことに安堵した。
自由に転生出来るようになってからは、いろいろな世界を旅して回った。魔法が存在するファンタジーな世界で暴れ回ったり、文明が進んでいない世界で賢者として名声をほしいままにしたりした。
そうして幾度とない転生を繰り返して、もう何度目の人生なのかも分からなくなった頃――
目まぐるしい日常に疲れ、気まぐれに、最初の世界をもう一度見てみようと考えてしまったのが全ての間違いだった。
表面上はこの世界で上手に立ち回り、国立大学の推薦合格を勝ち取ったが、これから先に何か楽しいことが待っているとは微塵も感じられなかった。
それよりも、別の世界に転生して、戦いの日々に明け暮れるのだ。
きっとその方が楽しい。魂を肥やすことこそが、この終わりのない旅の目的なのだ。
そんなことを考えながら、真下に広がるアスファルトに向かって身投げするため腰を落とす。もはや、死に対する恐怖なんて存在しない。
しかし、飛び出そうと足に力を入れる前に、勢いよく屋上の扉が開く音が響いたため、驚いて飛ぶタイミングを見失ってしまった。
「ちょっとぉ待ったぁあああ!」
急いで階段を駆け上がってきたのだろうか、一人の少女が息を荒げながら膝に手をついて立っていた。前髪に隠れて顔は見えないが、夕日色に染められたショートの髪が美しく揺れ、全体的に小柄で、か弱い印象を感じた。しかし、弱々しい印象とは裏腹に、発せられた声は大きく透き通り、どこか力強さを感じた。
「何?」
先程の力強い少女の声とは温度差のある、弱々しくまぬけな俺の声。
だが、まぬけな声とは打って変わり、心の中ではこれから起こるであろう出来事に胸を膨らませていた。
もし、彼女が正義感の強い人間であるなら、どんな綺麗事を吐いて滑稽な姿を晒してくれるのだろうか。
退屈なこの世界で、初めて面白そうなものが見られそうだ、と少し期待する。
少女と目が合う。
この少女は確か――今日まで同じクラスだった川田優美子という名前の少女だ。
「な、何って……とにかく危ないからこっちに来てよ」
「嫌だよ。そこは君、空気を読もうよ」
「いいから大人しくこっちに来て」
有無を言わせぬ険相に気後れし、大人しく屋上のフェンスをよじ登って彼女と同じ地平に舞い降りた、その瞬間――
突然のことだった。彼女が俺の腕をつかんだと思ったら、一瞬の浮遊感ののち背中に衝撃が走った。
「がぁっ……」
「どうして命を粗末に出来るの?」
俺は彼女に投げ飛ばされ、仰向けに転がされていた。
「いきなり何をする」
「だって、ほっといたらどこかに逃げちゃいそうだったから」
言葉による説教よりも、身体による暴力。知ってか知らずか、俺を留めるにはそっちの方が有効だ。
現状を把握することに必死で、質問の内容を理解するのに時間がかかった。
「どうして命を粗末に出来るのかって話だったか?これから先の人生、面白くなさそうだったからさ」
「私ね、弟がいたの」
「急に自分語りするなよ。いちいち行動が突拍子も無さ過ぎて付いていけんぞ」
「いいから黙って聞いて。弟は、たった五年しか生きられなかった。病気で死んじゃったんだ。それなのに、面白くないってだけの理由で勝手に命を捨てるなんて……そんなのずるい」
「ずるいって。何を言われたって、君が居なくなったら好きな時に飛び降りれば良いだけだ」
「じゃあずっと見張ってる」
「今日で俺たち卒業だぜ?どうやって見張るんだよ?押しかけ女房にでもなる気か」
「分かった。じゃあ結婚しよう」
「は?」
正気か?この女。
どうやら俺はえらい女に目を付けられてしまったのかもしれない。
でも、退屈していた今回の人生、この女といれば少しは面白いことが起こりそうな、そんな予感がした。
例の卒業式の後――
俺と彼女は結婚した。
俺も彼女も下宿先から大学に通うことになっていたのが、幸い二人とも進学先が都内の大学だったため、二人で同じアパートを借りて同棲することになった。
いわゆる学生結婚である。
驚くべき事に、二人の両親は、俺たちが学生の内に結婚することに反対しなかった。彼女の両親に至っては、『娘一人を都会で一人暮らしをさせるのは心配だと思っていた。娘をよろしくお願いします。』と、逆に頭を下げられてしまい、呆気にとられた。
結婚自体は初めてのことではなかったので、狼狽えることなく、第一印象は最悪だった彼女ともそれなりに同棲生活を送ることが出来た。
面白くはないが、退屈しない日々が続いていたと思う。
「そんなのずるい」
彼女の口癖だ。
「でも、私の弟の魂も別の世界で元気にやってるってことだものね。ちょっと安心した」
「ここより退屈な世界なんて見たことないからな。今頃弟さんも、さぞや人生を楽しんでいることだろうよ」
結婚後しばらくして自分が転生者であることを打ち明けたのが、驚くほどあっさりと受け入れられた。
他人に自分の境遇を話すのは初めてのことだったため、信じてもらえないかと思っていたが、拍子抜けした。
「てっきり頭がおかしい人認定をされるかと思った」
「え?だってあなたは元からおかしい人だったから。何回も人生をやり直しているんだって聞いて、ようやくあなたという人間を分かってきた気がするわ」
「おい、仮にも俺の伴侶だろ」
俺が転生者であることなんて、本当は死ぬまで言うつもりはなかったのだが、なぜか突然彼女に自分を知ってほしいという欲求が生まれた。
俺の根源にあった感情は強烈な自己嫌悪であり、人間に予め備わっている生きることへの執着に対する違和感と恐怖。
何も持たず、何も知らずに生まれ、用意された選択肢を選ぶことしか出来ないこの世界で、何かを見て、何かを聞き、何かと触れ合い、何かをすることで、欲求が満たされ安心してしまうことの違和感。
転生してもその本質は変わることはなかったのだ。自分が選んだ世界で、時には強大な暴力で周りを従え、時には膨大な知識で周りを圧倒し、それを自分が全て選択して成し遂げたことであると錯覚していたに過ぎない。
見て、聞いて、触って、感じたことを素直に受け入れることの違和感、そして、その違和感に対する恐怖からは逃げられはしない。
だからこそ、それで良いと言ってくれる絶対的な相手が欲しかったのだ。
彼女なら、自分勝手で俺の都合なんて欠片も考慮しないそんな彼女が、それで良いと言ってくれるなら、少しは救われるような気がしたのだ。
俺は彼女に惹かれ初めていたのだろう。
俺のことを理解しようとしない、自分が思うように生きることが素晴らしいという態度に、正直救われてきたのだ。
唯一、文句があるとすれば、幼くして弟を亡くした影響か、恐ろしく健康志向なことだろうか。
タバコも禁止され、お酒も付き合い程度しか許されず、歯がゆい思いを強いられた。
そんなこんなで、彼女との同棲生活は順風満帆に過ぎていき、大学卒業と同時に遅れながら身内だけでささやかな結婚式を挙げた。
やがて、彼女が赤ん坊を授かるのと時をほぼ同じくして、俺の余命宣告がやってきた。
幸いと言うべきであろうか、生まれてくる子供に影響はないようだった。
「私を置いて先に行くなんて、ずるいよ」
「ごめん」
肺に腫瘍が出来てしまい、それが至る場所に転移して、もう助からない状況らしい。
ようやく、これまでの人生で初めてまともな職業に就いて仕事にも慣れてきたというのに。
「また、こっちに戻ってくるの?」
「俺と君の子供として戻ってくるかも……?」
「怒るよ?」
一割くらい本気だったのだが、命に対して誠実な彼女が怒るのは分かっていたことだった。
思えば、長い旅をして来た。正直、色々なことを体験し過ぎて疲れてしまったのかもしれない。
元々この世界に来たのも気まぐれとは言え、色々な世界を旅することに疲れたからであったのだ。
「もう、生きることに疲れたよ。ここが最後の場所にふさわしいと思う」
「あのね、生まれてくる子供の名前を一緒に考えて欲しいの」
「また君は、いつも唐突だ」
彼女が泣きそうな顔を見せる。思い返せば、彼女の泣き顔を見るのは初めてだった。
これから子供の名前を考えようって時に、そんな泣きそうな顔をしないで欲しい。
しばらくして、思い出したように俺は口を開く。
「光。男の子でも。女の子でも」
「ちゃんと考えたの?」
「考えたさ」
さっきまで泣いていた彼女が胡散臭そうな目でこちらを見ている。
光。
それは、俺の最初の人生での名前だった。
子供に自分の名前を付けるのは少し抵抗があるけれど、これから一緒に歩めない分、俺の……いや、僕の名前だけは君の隣に付き添ってあげて欲しい。
その半年後、子供が生まれた。
「元気な男の子だよ」
俺もずいぶんと弱っていたが、死ぬ前に俺と彼女の子供を抱くことが出来た。
確かに感じる赤ん坊の重さと温かさ。
「いいんだろうか」
これが幸せだと、受け入れても――
「いいんじゃない?」
これまで数百年分の記憶があるけれど、嬉しさで涙を流したのは初めてだったかもしれない。
そこからの記憶はあまり覚えていない。
最後に見た光景は、涙でくしゃくしゃになった彼女の笑顔だった。
ここまでが僕の魂の記憶。
グラウンドをぐるりと囲うように植えられた桜の苗。学校の敷地を区切るように建てられている、錆び付いた青いフェンス。真正面に見える古びた駄菓子屋。学校の屋上から見える景色は見慣れたもので、しかし、妙に懐かしい景色であった。
今日はあの時の卒業式で、ここは屋上。始まりの場所だ。
俺は屋上に設置されている柵に手をかけ、乗り越えた。そして、目下に広がるどこか懐かしい景色を眺める。
勢いよく屋上の扉を開ける音が、そんな幻聴が耳に届いた気がした。また彼女に会えるような気がして、ここまでやって来たのだ。
でも、彼女はここに来ないことを僕は知っている。
込み上げてくる感情に、違和感をおぼえながらも、僕は明日を生きていくのだ――