十二月二十三日④
十二月二十三日④
「うーん、困ったなぁ」
喫茶店を出てからすでに一時間が経過していた。またしても俺のメンタルが悲鳴を上げ始めたのだが、その呟きは看過できなかった。
「どうした?俺のほうがよっぽど困っていると思うが」
思わず本音がこぼれてしまう。これでは先ほどの『大人っぽい』発言を、さっそく撤回されてしまいそうな情けない発言だったが、
「いや、こんなに大変だとは思わなかったよ」
おそらく服選びのことだろう。今も藤村は洋服を手に取り、矯めつ眇めつしているわけだが、その表情にはどこか疲れの色が見える。岩崎もいろいろ苦心しているようで、先ほど行った店に戻ってしまっている。現在ここにいるのは、俺と藤村だけである。
「ピンとくる服がないならもう諦めよう。俺ももう限界だ。ずいぶん前からな」
ここに来て俺の愚痴が止まらない。仕方ないだろう。ただでさえやりたくないことを無理やりやらされているのに、もう四時間以上着せ替え人形状態なのだ。疲れはピークに達している。
「素材が俺なんだ。あまり高みを求められても、それこそ困る。適当なところで妥協してくれ」
「いやいや、成瀬君。私は、似合う服がありすぎて困っているんだよ」
「…………」
そいつは贅沢な悩みだな。
「男子でもこんなにいろんな服が似合う人いるんだね。やっぱり時代は細身なのかな。成瀬君は身長も平均的だしね」
「平均的で悪かったな」
「悪くないよ。背が高すぎると、服がなくて結構大変なんだよ」
「あんたは言うほど高くないと思うが」
藤村は確かに女子にしては背が高い。おそらく百六十五センチくらいはあると思う。確かに高いと思うが、そんなにずば抜けて高いわけではないだろう。
「あー、私の話じゃなくて、元カレの話」
そういうことか。
「元カレが成瀬君より十五センチくらい大きくてね。体重は三十キロくらい多いかな。とにかく似合う服が少なくて、服選ぶのは苦労したんだ」
言いながら、藤村は手に取った服を俺の体に合わせる。元カレはアメフト選手か何かなのだろうか。そんな偉丈夫だと、服のサイズがないかもな。
「こうやって合わせてみるんだけど、もうよく分からないんだよ。似合っているのか、似合ってないのか。合うサイズを探すだけで大変だし」
当時は言えなかったのだろうと推測する。藤村の苦笑いには多少の申し訳なさが浮かんでいた。
「でも私はやっぱり背が高くて身体が大きい方が好きだな。男らしくてかっこいいじゃん」
おそらくその前の彼氏と俺とを比べてみたんだろう。何を言っているのだろうか。
「あはは。ごめんね、付き合ってもらっているのに」
先ほどと違い、明るい笑顔。確かに勝手に評価を付けられて、振られたような形になってはいるが、それは当然だと思う。
「でも成瀬君も私みたいに背の高い女子より、背の低い女子のほうがいいでしょ」
「背はどうでもいいな。俺より低ければ」
さすがに自分より高いと、何となく負けたに気分になるが、身長に好みはない。
「あ、そうなんだ。なおさらごめんね」
「気にしすぎだ」
そんなことを気にするくらいだったら、さっさと服を選んでもらいたい。
「成瀬君は本当に大人だね」
言うと、またしても服を選び始めた。しかし、どうも真剣みがないように思える。別のことを考えているのかもしれない。
「元カレは、失礼なこととかバカにしたようなことを言うと、すぐ怒ってね。そのあと子供みたいに拗ねちゃってしばらく口を利かなくなっちゃうんだよ」
そう話す藤村は、懐かしい思い出を語るような、遠い目をしていた。
「私は大人っぽい人が好きだから、そういうところが嫌だったな。年上だったのに、心が狭くて自分のことしか考えていない感じだった。それを考えると、成瀬君のほうがよっぽど大人だよね」
「…………」
だんだん口数が多くなってきたな。口より手を動かしてほしい。しゃべりたいことがあるなら、こっちをさっさと終わらせて、後で話そう。相手も、俺じゃなくて岩崎のほうがいいんじゃないのか。
「ま、向こうもことあるごとに私の身長について文句言っていたし、お互い様だと思うけどね。少し気にしていた時期もあったけど、小さくはなれないし、もう気にしなくなったよ。成瀬君も背はどうでもいいって言ってくれたしね」
言って、俺に笑顔を向ける。
「俺の意見なんて気にしてどうする」
「えー、そりゃ気にするでしょ。だって同い年の男の子の言うことだし」
今度も笑顔だった。しかし、その笑顔は、とてもじゃないが楽しそうには見えなかった。またしても悲しそうな、見ていて辛くなる笑顔。いったい何を抱え込んでいるのか。今のを含めて、俺はこの表情を何度も見ている。その時の会話の内容や状況を照らし合わせてみても、共通する点は見られないように思う。
俺と岩崎は、そろって『藤村佳澄は嘘をついている』と判断した。その答えは、この悲しそうな笑顔に隠されているような気がする。いったい何を考えているのか。何を抱えているのか。
「ところで、成瀬君」
こうしてすぐに話題を変える藤村は、明らかに何かを自覚している。何かを隠し、嘘をつきとおそうとする覚悟を感じる。果たして探りを入れるべきなのか。
「何だ?」
「成瀬君はどんな人が好みなの?」
俺はガクッときてしまった。俺の中では、今はシリアス展開だった。変な話題振りやがって。
「どうしたの?そんなに意外な質問だった?」
「意外というか、なんでそんなことを聞くんだ?」
「だって興味あるから」
完璧に話をそらされた。その上、俺の気力を持ってかれた。
「好みなんて特にない。そもそも恋愛に興味がない」
「えー、興味なくても好き嫌いくらいあるでしょ」
「単純な好き嫌いでいえば、やかましいやつが嫌いだな。でもそれは男女問わずだ」
俺は吐き捨てるように言う。嫌な話題だな。
「あら、成瀬君、こういう話題苦手?」
嬉しそうに言う藤村。鬼の首でも取ったような雰囲気だ。俺はいたたまれなくなって、体をそむける。
「あ、ちょっと。逃げないでよ。服選んでいたんだから」
「選んでなかったじゃないか」
「今選ぶの。あ、これとかどうかな」
いかにも適当に選んだ雰囲気。こいつ、何が目的なんだ。俺はいったい誰のために、こんなことをやっているんだ。誰か教えてくれ。俺が納得できる形でな。
「なーんか先ほどと雰囲気違くないですか?」
声がした。何かぞくっとした。
「ずいぶん仲良くなりましたね、この短時間で。理由を教えてくれませんか?」
声のする方へ目を向けると、岩崎がいた。何やら不機嫌そうだ。理由を教えてくれませんか?
「別に何もしていない。藤村の愚痴を聞かされただけだ」
「愚痴なんて言ってないよ。そんなことより、このシャツどうよ」
俺と藤村の意見が分かれたことに対して、何か不信感を覚えたようだが、一瞬俺に視線を向ける。その表情は、
「あとでじっくり話を聞かせてもらいますからね」
と言っていた。
「どれですか?うーん、どうでしょう。あ、でも、先ほどあっちの店で見たジャケットを合わせるといいかもしれませんね。大人の雰囲気が出るかもしれません」
「あ、うんうん。いいかもね。これなら普段も着れるし、とりあえずこれ買いましょう」
それからは、今まで悩んでいたのが嘘のように、サクサク事が進んでいった。実際嘘だったと思う。今まではきっとまじめに選んでなかったのだろう。
買い物が終わると、その場で解散になった。
「ふう。意外にかかっちゃったね。これでとりあえず明日の準備はオッケーだね」
「ええ。成瀬さん自身に不安がありますが、着る物はこれで大丈夫でしょう」
言う岩崎は不満がありそうだ。
「成瀬君。明日は絶対今日買ったやつを着てきてね」
「ああ」
これで明日着なかったら、今日の苦労が水の泡だからな。結構金もかかったし。
「じゃあ明日は、駅前に十一時集合で。絶対来てよね」
「ああ」
これで明日行かなかったら、今日の苦労が以下略。
しかし、明日のことを考えると、とても憂鬱である。もしかしたら明日、具合が悪くなるかもな。今日の夜から明日の朝にかけて、体調不良になる気がする。今日の夕飯で、生ものにあたる気がするな。
俺が、運動会を明日に控えた運動音痴の小学生みたいな発想をしていると、
「本当にごめんね。迷惑かけて」
藤村だ。今までとは違う。真剣で申し訳なさそうな声色。こいつ、わざとじゃないのか?俺が気にかけるように演技しているんじゃないのか?
「明日はよろしくね。じゃあね」
言って、帰路につく藤村の後姿を目で追う。面倒なことに巻き込まれたな。明日のデートのこともそうだが、こうもあからさまに何か隠しているやつというのも、面倒である。これは突っ込んでやるのが正解なのか?
「成瀬さん、今日何があったんですか?」
「何か、ってなんだ?」
「具体的には分かりませんが、藤村さんの雰囲気が今朝と違いました」
いつものように問い詰めるような口調ではなかった。
「明らかに何か隠している。昨日も言ったが、今日で確信した。だが、それが何なのか分からない」
何か考えている。仕組んでいる。おそらく明日、藤村は何か行動を起こす。それに対して、悩み、苦しんでいる。でも決行に対して迷いや揺らぎはない。そんな雰囲気がひしひしと伝わってきた。
「何かちょっと怖いですね。何かとんでもないことが起こりそうで」
今日岩崎はただ楽しんでいるように見えたが、岩崎も岩崎なりに何か感じていたようだ。
「昨日の時点では藤村さんが何かされるんじゃないか、と思って心配でしたが、今日は藤村さんが何か無茶なことをしそうで、心配です」
俺はため息をついた。やれやれ。
「何ですか?人が本気で心配しているのに、面倒くさそうにため息なんかついて」
ため息の一つや二つ吐きたくもない。恋愛関連の相談なんて、ただでさえ面倒なのに、ストーカーであり、あまつさえ意味不明な隠し事まである。恨み言くらい言わせろ。
「これで明日は行かなきゃいけなくなってしまったな」
「今更何を言っているんですか。まさか行かないつもりだったのですか?」
そんなことは言っていない。ただ、もしかしたら風邪をひく可能性があった。その可能性がなくなっただけだ。
「あんた、明日は暇か?」
「何ですか?クリスマスイブに何の予定もない寂しい女ですが、何か文句でもあるんですか?」
なんでそんなにケンカ腰なんだよ。
「予定ない方が羨ましいね」
「いいですね、素敵な女性と予定のある人は。それで、それがどうかしたんですか?もしかして、ただ嫌味を言いたかっただけですか?」
「できれば、明日付いてきてもらいたい、と思っただけだ」
「え……?」
別に深い意味はない。ただ、陰で動ける人物がいたほうが、不測の事態に対応しやすいと思っただけだ。
「あんたがいれば心強いんだが、どうだ」
「で、ですが、いいんでしょうか?藤村さんに相談もなしに」
「これはTCCに来た依頼だ。だったら部長であるあんたが動かない理由はないだろう」
「それはそうなのですが……」
何だか、言い訳を考えているような雰囲気だ。
「ま、無理にとは言わないが……」
「行きます」
先ほどまでの逡巡は一体なんだったのか。俺のセリフを最後まで聞かずに答えた。相変わらず何を考えているのか分からないやつだ。
「じゃあ明日は頼む」
「ええ。成瀬さんも藤村さんに迷惑かけないでくださいね。私としましては、成瀬さんがストーカーになってしまうのではないか、と危惧していますので」
バカ言え。なぜ俺がストーカーなんぞにならなければならない。そんな面倒なことお断りだね。
それから、明日の行動について、ある程度話し合った。最終的な判断は各々に任せるとして、何か不審な雰囲気を感じたら連絡を取り合うことを確認し、別れた。
やれやれ。すでにかなりの疲労を感じているのだが、本番は明日だ。せめて、天気がよく暖かくなることを望むね。