十二月二十二日②
十二月二十二日②
コンコン。
不意に響くノック音。反応したのは岩崎だった。
「はーい」
と返事をしつつ、俺と姫を一瞥して、ニヤリ。
「ほら、いかがです?この時間まで残っていてよかったじゃないですか。明日以降もこんなことがあるかもしれません。やっぱり毎日集まりましょう」
笑顔だが、どこか黒さを感じる雰囲気でこちらを見る岩崎。やれやれ。一体誰だ、こんな時間に訪問してきたやつは。どう考えても偶然ではないだろう。おそらく岩崎の回し者だな。それ以外考えられない。でなければ、このタイミングでドアが叩かれるはずがない。
岩崎がドアを開けると、そこには一人の女子生徒がいた。見たことがある。確か、同じ学年だったはずだ。
「こんにちは。岩崎さん」
客である女子生徒が朗らかに挨拶をすると、
「いらっしゃい、藤村さん」
岩崎も笑顔で応じた。どうやら二人は顔見知り以上の仲であるらしい。岩崎のことだ、別に驚きはしないが、こうも当然のように名前を知っていて、普通に挨拶できることには感嘆を禁じ得ない。未だに学年全員の名前を覚えていない俺もどうかと思うが。
藤村佳澄。俺たちと同じく二年生だ。クラスは八組で、吹奏楽部所属らしい。俺とはおよそ関わりのない女子だ。女子にしてはやや高めの身長で、岩崎より五センチほど背が高い。髪は肩に届くかどうかといったところで、ナチュラルなウェーブがかかっている。化粧もナチュラルメイクである。派手ではないが、おしゃれな今時の女子高生といったところか。
どんなご用向きかと聞く前に、とりあえず座って下さい、と岩崎は椅子を勧める。藤村は、ありがと、と一言言うと、俺の正面に腰を下ろした。
岩崎が紅茶を持って長机に戻ってきた。そして直前までいた席ではなく、俺の横に座る。どうやら藤村に淹れるついでに、全員分の紅茶を淹れてくれたらしい。実に気の利くやつだ。何度も言うが、俺はあまり紅茶を飲まない。
「あ、おいしい。これ、チャイ?」
質問をしたのは、藤村である。俺と姫は茶葉など気にしなかった。おそらく姫も紅茶を飲まない人間なのだろう。しかし、藤村は俺たちとは違った趣向を持った人間だったようで、自分の相談事そっちのけで、
「私チャイは飲んだことあるけど、自分で淹れられるんだね」
と紅茶に興味津々。対して岩崎は、
「本当ですか?ありがとうございます。まだ勉強中ですし、ここではそんなにちゃんとしたものは淹れられませんけどね。でも、興味あったんで挑戦してみたんです」
凝るのはいいが、どうせならコーヒーにしてもらいたいね。だったら、俺も少しは協力してやれるんだ。しかし、紅茶は専門外なんだ。だから、そんな顔でこっちを見るな。
「飲んでくれる人もいるのですが、どうも反応がなくて。なーんか淹れ甲斐を感じることができなかったんですよね」
これにはさすがの俺も黙り込むしかなかった。しょうがないだろう。岩崎がそんなに紅茶に対して入れ込んでいるとは思わなかったのだ。姫も何やらぶつぶつ言っていたが、これに関しては自分が悪いと感じているようで、特別主張したりしなかった。
「あはは。あー、こういうときは一言『おいしいよ』と言ってあげなくちゃね!成瀬君」
なぜ俺だけに言うんだ。
言って、藤村はひとしきり笑った後、おもむろに黙り込んだ。一体何なんだ、と思って、訝しんでいると、
「ねえ。二人は本当に付き合ってないの?」
「はぁ?」
「んなっ!」
どちらが誰の反応か、言わずとも分かると思う。ちなみに姫は無言を貫いた。
「あれ?今の反応はどっち?やっぱり付き合っているの?」
気になるフレーズばかり出てくるな。いちいち突っ込む気力はないので、とりあえず突っ込みどころ満載とだけ言っておこう。
「本当にってなんですか!やっぱりってなんですか!わ、私たちは全く付き合ってません」
「あ、そうなんだ。じゃあ噂は本当だったんだね」
からかうような、楽しんでいるような、そんな表情で岩崎に答える藤村。これだけしっかりとしたリアクションが返ってくると、からかいたくなる気持ちはよく分かる。分からないのは、なぜ俺まで巻き込まれているのか、というところだ。
「噂っていうのは何?」
すかさず会話に入ってくる姫。こいつの興味はいったいどこにあるんだろうな。一貫性がないように思えるね。他人の噂話など、まるで興味ないと思っていたのだが。
「うん。あのね、最近うちの学年で『成瀬と岩崎は本当は付き合っていない』っていう内容の噂があるんだよ」
「……何だ、それは」
それでは、俺と岩崎があたかも付き合っているかのように振る舞っている、という前提が存在することになるぞ。しかもその前提が、学年全体に根付いている、ということになる。意味不明にもほどがあるぞ。
「なんですか、その噂は。出所はどこですか!」
「いや、分からないよ。何せ噂だからね。で、事実としてどっちなの?」
改まって確認などする必要もない。
「つ、付き合っているわけないじゃないですか!な、なんで私が成瀬さんと付き合わなければいけないんですか!」
そんなにむきになることないだろう。だから逆に怪しまれるんだ。
「ふーん」
俺の思った通り、藤村は怪しげな微笑みをたたえてうなずいた。誰がどう見ても、岩崎の言い分を信じていないような雰囲気だ。しかし、こいつは本当に同い年か?にわかに信じられないくらい、大人びて見えるな。どことなく妖艶な雰囲気がある。この年で妖艶という言葉が使われることが、果たしていいことなのか。
「それで、成瀬君は?」
「何で俺にも確認を取るんだ」
「いや、だってもしかしたら成瀬君は付き合っていると思っているかもしれないでしょ」
そんな悲しい妄想を抱くような人間ではない。
「期待に添えず申し訳ないが、俺も同意見だな。付き合っていない」
「そう」
俺の言葉に同調して、岩崎がふう、と息をついた。どうやら少しは落ち着いたようだ。この話題が始まってからずっと楽しそうに笑っていた藤村も少し落ち着いたようで、その声色に弾んだ響きはなかった。そして、
「残念だわ」
続いた言葉は、はっきりと落ち込んだ雰囲気があった。表情は悲しそうな笑顔。
「ま、いいや。私にとって、そっちのほうが好都合だから」
次の瞬間には、その表情も雰囲気も霧散していた。一体何だったのだろうか。今となっては気のせいだったように感じる。それくらい一瞬の出来事だった。
「好都合?」
藤村の言わんとしていることが分からず、頭の上に疑問符を浮かべた岩崎だったが、何か思い当たる節があったようで、急激に真剣なまなざしになった。
「それは、私と成瀬さんが付き合っていない、ということがあなたにとって好都合、ということですか?」
「うん。それで、本題だけど、」
「伺いましょう」
いつスイッチが切り替わったのか。二人は真剣な面持ちで、お悩み相談モードへと切り替わっていた。俺と姫は、その変化についていくことができずに、口を閉ざすことしかできなかった。
この後、何が起こるのだろうか。はっきり言って、俺には全く予想できない展開が待っていた。
「明後日クリスマスイブの日に、私とデートしてほしいの。成瀬君に」
「………は?」
「はぁ?」
二つのリアクションは、おそらく言わなければ分からないと思うので、一応言っておく。最初のが俺で、二つ目が姫だ。そして、岩崎は無言。
おそらく俺と姫のリアクションは、同じ心境から出たものだろう。曰く、『何言ってんだ、こいつ』である。はっきり言って、理解できなかった。状況と発言に、何ら関係性が見いだせなかった。こいつはお悩み相談に来ているんだよな?それでいて今は本題、つまり相談内容について話を聞く場面じゃなかったのか?
「あんたは何言っているんだ?」
「何って、依頼だよ。あなたに、私とデートしてもらいたいの」
それが分からないと言っているんだ。
「何この展開。どういうこと?」
珍しく姫も混乱しているようだった。そんな中、一人だけ冷静な思考を持ったやつがいた。そいつが静かに口を開く。
「何か事情がありそうですね。詳しい内容を聞かせていただいてもよろしいですか?」
先ほどと変わらず真剣そのものの表情。そんな岩崎に、
「もちろん。そのつもりで来たんだから」
余裕を含んだ笑顔を返す藤村。なんだかよく分からないが、これからが本題であるようだ。この時点で思う。というか誰もが気付くだろう。こりゃ、嵐が来そうだな、と。