十二月二十二日①
十二月二十二日①
いつの間にかやってきた冬は瞬く間に街になじみ、すっかり冬本番になっていた。寒さが一層厳しくなってくる十二月半ば。寒さが嫌いな俺にとっては、まさに地獄の季節である。春まであと何か月あるのか。先が長すぎる。むしろこれからさらに冷え込むであることを考えると、気が滅入ることこの上ない。
「やれやれ」
はぁー、と両の掌に息を吹きかけ、かじかんだ指先を温める。吐いた息が白く濁る。部屋の中にいるのにこの気温。実際外より寒いのではないかと思うね。暖房どころか、冷房がかかっているんじゃないのか。
「成瀬さんは本当に寒がりですね」
長机を挟んでほぼ正面にいるそいつが言う。
「そこまで寒いですか?昨日よりはだいぶ暖かいと思うのですが」
「そうは言っても寒いものは寒い」
お前の言うとおり、俺は寒がりなんだよ。
「しょうがないですね。私がおいしい紅茶を淹れてあげましょう」
恩着せがましく宣言して、なぜか嬉しそうに紅茶を入れ始めたのは、言わずと知れたTCC部長、岩崎である。そしてここはTCCの部室。今は放課後である。
俺は紅茶はあまり飲まないのだが、ここは黙っておくことにしよう。何しろ手がかじかんでいる。これではろくに雑誌も読めない。手を温めるためにも早く紅茶がほしいところである。
「紅茶くらい自分で淹れたらどうなの。欲しいのはあなたでしょ。私も岩崎先輩も別に寒くないのだけど」
長机の短辺側に鎮座しているそいつは、しっかりひざ掛けをしているうえに、コートにマフラーまでしている。どう見ても俺以上に寒がりであるお前に言われたくないね。それに、どうせお前も紅茶を飲むんだろう。なぜいちいち突っかかってくるのだろうか。もう今更なのであまり言いたくないのだが、俺のほうが年上なのだ。
「先輩も甘やかしすぎ。こんなやつ、放っておけばいいでしょ」
「まあまあ。成瀬さんはこういう人なんです。それより泉さんもいかがですか?」
失礼な感じで岩崎がなだめたのは、TCC唯一の一年泉紗織である。岩崎のことは先輩と呼ぶくせに、俺に対してはあんたで、麻生に至っては呼び捨てである。
「もちろんいただくわ」
岩崎に対しても、一応先輩とは呼んでいるが、態度は横柄そのもので、岩崎の言葉遣いが丁寧なこともあり、会話を聞くだけではどちらが先輩か分からないであろう。
「どうぞ」
「おう」
紅茶が目の前に出てくる。これはチャイか?俺は一口含んだ。ふう。それだけでだいぶ寒さが和らいだ気がした。やはり内側から温めるに限る。しかし、甘いな。
「泉さんもどうぞ」
「ありがと」
先輩がお茶を淹れ、目の前まで持ってきてくれているのにこの態度。これでは正に使用人と主人である。
姫は一度丁寧に混ぜると、おもむろに口を付けた。そして、
「それで、一体何時までこうしているつもり?」
奇遇だな。俺もそれを聞こうと思っていたのだ。現在の時刻は午後三時。時刻的には大した時間ではない。平時なら放課後にもなっていない時間だ。平時なら、ということは、今日は平時ではないのだ。今日は十二月二十二日。明日は祝日であり、明後日から冬休みである。今日は一限に終業式をやり、そのあとすぐに教室に戻り、ホームルームをやった。それからはずっと放課後である。時間にして、実に四時間近く、ずっとこうして部室でダラダラしていたわけだ。のんびり過ごすことは嫌いではないが、さすがに飽きてきたね。どうせこのあとも同じようにダラダラして過ごすならば、家に帰ってダラダラしたい。これは至って普通の考えであるはずだ。
俺は姫の言葉を受けて、視線を岩崎に移す。俺が代わりに答えてやってもいいが、そもそも俺はとっくに帰るつもりだったのだ。こんな時間まで残っている理由は、岩崎が頑として帰ることを許してくれないからなのだ。
「構いませんよ。冬休みの予定が決まったら、ですが」
やれやれ。つまりこういうことなのだ。夏休みの時もそうだったが、こういう長期休暇の間の部活動の開催について揉めているのだ。もっとも揉めているわけではなく、一方的に岩崎が自分の考えを改めてくれないだけなのだが。
「だから、何度も言っているじゃない!夏休みと違って、たった二週間足らずしかないんだから、全部休みでいいって」
「それでは我々の本懐を全うすることができないじゃないですか。大変な悩みを抱えた生徒が、迷える子羊が藁をも掴む思いで部室に来たとき、誰もいなかったらどうするんです?」
「冬休みに学校に来てまで、私たちに相談を持ちかける人なんてそうそういないわよ。それに、そんなに切羽詰っているんだったら、しかるべきところに持ち込むと思うね」
再び始まった議論は、再び平行線を辿っていた。すっかり辟易してしまった俺は、姫を応援することしかできない。頑張ってくれ。俺のためにも。
「では部活動その他で登校している人たちはどうです?用事のついでに相談してみようかな、という具合なら普通にあり得ますよね?」
「そんな片手間な悩みなんて、悩みじゃないわ」
今のやり取りは、岩崎のほうが常識人ぽかったな。自分勝手な意見を言ったのは、明らかに姫のほうだ。そして、岩崎の意見は普通にあり得そうだった。
「ちょっと!部外者面してないで、あんたも何とか言ったらどうなの?このままじゃ、三が日以外毎日来ることになっちゃうわよ!」
そいつは困るな。俺だって冬休みくらい怠惰な日々を送りたいのだ。
「意識が高いのは大変結構だが、特定の個人に押し付けるのはどうかと思うぞ。日向はともかく、麻生と真嶋がここにいないのはどういうことだ?」
現在この部室にいるのは、俺・岩崎・姫の三人だ。TCCの構成メンバーは現在六人。退部したのに名前だけ残っている日向は置いといて、麻生と真嶋は間違いなく、TCCのメンバーだ。しかも真嶋に至っては自ら入部したのだ。少なくとも俺よりやる気があると考えていいだろう。麻生だって、少なからず楽しんでいる節がある。
それなのに、俺がここにいて、麻生・真嶋がここにいないのは理不尽である。
「それは成瀬さんもご存じでしょう。麻生さんは今日の夕方からアルバイトです。年内は毎日やるらしいですよ。真嶋さんは明日から家族で海外旅行だそうです。ハワイで年越しするみたいですよ。うらやましいですね」
正月を海外で過ごすとは、一体どこのタレント様だ。ま、そんなことはどうでもいい。
「遊びたいやつは遊んでいるのに、どうして俺たちだけこの殺風景な部室に缶詰にされなければならない」
「確かにそうですが……。ですが、予定がある方はしょうがないじゃないですか」
予定入れた者勝ちってことか。だったら、
「あー、私は明日から田舎に帰るから。二週間くらい帰ってこないから」
俺に先んじて、姫がすかさず言った。こういうことになるぞ。
「それは嘘じゃないですか!ダメですよ、ずる休みは認めません!」
「どうして嘘って決めつけるのよ!麻生達だって嘘かもしれないじゃない!」
「今のはあからさまに怪しいですよ!第一田舎ってどこですか?そんなに遠くじゃないですよね。日帰りで行ってきて下さい!」
「嫌よ、面倒くさい」
議論はますます燃え上がり、しかもどちらも妥協しないので平行線をたどる一方。このままでは今日中に決着がつかず、結局なし崩し的に岩崎の勝利、なんてことになりかねないな。そんな理不尽な結末は御免なので、そろそろ俺が仲介に入り、俺の意見を交えつつ、お互いの妥協点を探ろうかと思ったのだが、
コンコン。
冬休みの部活動についての議論は意外な介入者によって強制的に無期限延期、となってしまった。




